第2話       二

「これからお話することは、遠い昔のお話ですけれども、私が小さい頃、私の祖母からよく聞かされていて、豊臣秀吉、織田信長が生きていた頃・・・と、言いましても、けっして難しいお話ではありません。ええ、ええ・・・よく聞くでしょう織豊の時代のお話です。でも、このお話には織田信長も豊臣秀吉も出て来ません。まあ、そんなに顔をしかめないで聞いていて下さい。きっと興味を持ってくれるんじゃないんですか。ええ、そうなんです、若い男の人と若い女の人の恋のお話ですよ。今のお嬢さん方は、一人で旅をなさることがあるんでしょうかね?」

 荒木みね子こと・・・みねおばあちゃんは二人の若い娘に訊いた。さえちゃんと玉枝こと・・・玉ちゃんは互いに顔を見合わせ、ちょこっと頷いた。そして、互いに見合わせ、にこっと笑った。

 「旅ですか・・・私たちはまだ十四歳だから、ひとりで旅することはありません。でも・・・」

 さえちゃんはまたにこっと笑い、

 「中には、いろいろな事情や悩みがあり、一人で家を飛び出す子もいるようです」

 と、言い、玉ちゃんも頷いた。

 「そうですか。その頃もそのようなことがあったようですが、あなたたちが言うように、今もそうなのかも知れませんが、その頃の女子が一人で旅に出ることは非常に危険極まりない時代だったのです。父の赴任に伴い、遠い北国に一緒に行くことはありました。その時代は、他の時代に比べて比較的安全時代だったのですが、それでも何かが起こりかねない旅だったのは間違いありません、ね。平安の初め、この辺りの尾張平野はまだいろいろな樹木で覆われていて、街道とは名ばかりで人ひとり通れるくらいの道があるだけでした。街道は初め公卿だけが通っていました。やがて武士や民衆が通り、だんだんと道らしくなって来て、街道と呼ばれるようになりました。尾張平野には街道沿いには村が点在し、広々とした大小の杜が広がっていて、延々と田畑が広がり、街道は一宮や黒田の諸駅に続き、南部へは下津、萱津へ続いていました。ところで、この辺りは、赤池の里と呼ばれ、鎌倉街道の道筋にありました。赤池の里には戌亥方角には広い池があり、水は端然と沸き出ていて、その水の色は紅で、それだから、赤池と呼ばれていたのです。池の端には大榎が三本あり、いつの時代かに、暴風雨があって三本の榎は倒れてしまい、池は泥沼になってしまったのです。その時以来、赤池の水は無くなってしまったそうです。

「そんなある時、一人の女性がその公卿の街道に現れました。それに気付いたこの辺りを支配する武士の大将の息子である若い武士は尋ねました。その日は初夏の気持ちのいい陽で、若い武士はひとりで散策していたのです。よく見ると、とても美しい女で、若い武士は一目で好きになった。娘が気になったので、

「どうして、一人でやって来たのだ?」

若い武士は訊きました

「私は夫になる人を探して旅をしています」

若い武士は驚きました。さっきもいいましたように、女がひとりで旅に出るというのはとても危険なことだったからです。若い武士の名は、前田佐久衛門という。

「それで、夫となる人は見つかったのか?」

「いいえ、しばらく旅をしていますが、まだ出会っていません」

「そうか」

前田佐久衛門は答えた。すると、

「私はお前が気に入った。どうだ、私は妻となるべき女を求めている。私の妻にならぬか?」

「はい、喜んで・・・」

女はすぐに返事をした。女もこの若い武士が一目見て好きになり、承諾したのです。

「でも・・・」

女は急に黙ってしまいました。知り合ったばかりで、互いにどんな人かまだ知らなかったから不安だったのでしょう。また怖かったのかもしれません。そこで、

「どうした・・・」

若い武士は女の顔を覗き込み、訊いた。

「また、明日、この池のほとりで会いませんか?」

「そうか・・・そうだな。そうしょう。そうだな、これから毎日、陽が真上に来た時、この池の堤で会おう」

若い二人にはもう少しの間恋の語らいが必要だったのです」

「さえちゃんてせしたね、そう思いませんか?」

若い二人にとって、この期間の語らいはとても楽しい時間だったに違いありません。この池の水は清らかで、時には不思議なことに紅いに染まり、その紅い清らかさは、見ている二人を祝福しているようでした。暴風雨で池の水が亡くなる前のことです。

「佐久衛門様、今日の池の水はいつも以上に紅く染まっていますね」

若い女はいかにも嬉しそうに微笑んでいる。

「そうだな」

佐久衛門と若い女は堤に腰を下ろし、互いに肩を寄せ合っている。若い二人の会話は少ないが、恋する若い二人には、それで十分。

「こっちです。今日は、こっちに行きましょ」

女は男の手を取り、走り出しました。少し足を伸ばし、近くにあった小高い丘に登って行き、語りあいました。

「あなたは・・・私が好きですか?」

女は率直に訊いた。一気に小高い丘を登って来たため、女の胸は激しく高鳴っていた。

「当り前です。あなたは・・・?」

男は聞き返しました。

「はい」

女の返事に迷いはなかった。

「私の傍に来て下さい。そして、さあ、私の胸の高鳴りをしっかりと感じ取って下さい」

女は男の手を握り、自分の着物の中に向かい入れました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る