Playball.4 ハリスの対策
ハリスは函館の日々学校に戻ると、すぐに女子生徒を集めた。
彼は、自らを「アメリカ生まれの日本人」と言うほど、日本贔屓の人物だったと伝わっている。
そんな彼が、主だった女生徒を集めた上で、
「札幌の男子とベースボールをすることになったが、立候補はいるか?」
と尋ねた。
この頃、日々学校は生徒と言っても、わずか20人程度しかいない、私塾に近い存在だった。そして、ここに通っていた多くの女生徒は、どこかのいいところのお嬢様に近い存在で、元をたどると、元大名の華族の娘や、大商人の娘、大名主の娘などが圧倒的に多かった。
つまり、経済的に裕福であり、何不自由なく育った、「お嬢様」たちだ。
そんなわけだから、20数名いるうちの、ほとんどが手を上げることなく、俯いていた。
内心では、
(女子がそんなはしたないことをやるわけにはいきませんわ)
と思っている人間が大多数。
だが、おもむろに、すっと手を上げた生徒がいた。
その女生徒は、綺麗で細長い指を掲げ、やがて立ち上がった。
「やります」
凛とした雰囲気の、どこか気の強そうな雰囲気を持つ、その生徒の名は
あだ名は「お嬢」、あるいは「お嬢様」らしく、校内の女子生徒の間でも有名な人物だった。
まだ、この明治初期の時代は、江戸時代の名残が残っており、多くの未婚女性と同じように、彼女もまた島田髷を結っていたが、服装はこの時代にはハイカラとも言える、海老茶色の行灯袴に、藍色の小袖姿だった。
「Wow。本当かね、節子」
逆に、こんなお嬢様が立候補することに、ハリスの方が面食らっていた。
だが、彼女は、意志の強そうな目を見開くようにして告げるのだった。それは「明治維新」にも関係していた。
「私の家は、華族とはいえ、旧幕府側の士族なのです。つまり、新政府が作った、札幌農学校は『敵』です。維新の、そしてお爺様の
彼女の祖父は、戊辰戦争で、旧幕府側につき、新政府軍との間で討死していた。
ほとんど個人的な恨みから来るものが、参加の理由というのが、どうにも納得がいかないと思ったハリスだったが、一応、「OK」と言って、他にもいないか聞いていた。
すると、
「お嬢様がやられるのでしたら、私も」
次に、つられるように手を上げたのは、同じく島田髷を結ってはいるが、江戸時代と変わらない、小袖の上に羽織を着た女子だったが、こちらは小柄で、足の細い生徒だった。
名前は、
男子と変わらず、女子もまた、まだ封建時代の制度に囚われており、御恩と奉公が生きていた時代だった。
「これで2人。残り7人ですね」
嬉しそうに語るハリスに、
「では、私も」
次に声がかかったのは、見るからに大柄な、相撲取りのような体格の女子で、明らかに横に大きかった。
体重がいくつあるのか。パワーがありそうな分、俊敏な動きは出来そうにないと思わせる。
まるで相撲取りのような、
父親が「
一際、大きな身体で、体格だけなら、男子にも負けない。
そんな彼女は、「お梅さん」と言われて、実は女生徒から慕われていた。
威圧的な体格に似合わないくらい、優しい、人格者でもあった。
「Thank you、お梅」
さらに、今度は同時に手が上がった。
見ると、おかっぱのような髪型に、薄い灰色の小袖、雪駄を履いた、幸が薄そうな少年のような風貌の細い目の少女が一人。もう一人は、神社の巫女装束、つまり赤い行灯袴が目立つ格好をした、総髪の女性だった。
「
頷く二人。
前者は、安藤八重という名の、旧商人の娘。だが、彼女の家庭環境は特殊だった。父はかつて、かなりの資金を稼いだ大商人だったが、明治維新のどさくさで旧幕府側に肩入れして商売に失敗し、多額の借金を背負った。
それから逃げるようにして、東京からこの函館に家族でやって来たらしい。
ところが、借金取りがこの函館まで追ってきた為、父親はあろうことか、家族を捨てて、北海道の奥地に逃亡。一説によると、アイヌの集落に逃げたと言われている。
だが、彼女はそんな父のことよりも、父の代わりに借金取りに追われることが多くなり、そのうち、借金取りから逃げるための、足を使った戦術をいつの間にか編み出していた。
足の速さには定評があり、仲間内からは「韋駄天の八重」と言われていた。
もう片方は、地元・函館の神社の神主の娘で、中川雪。通称「お雪」と呼ばれていたが、どこか薄幸そうな雰囲気を持つ、影の薄そうな少女だった。
だが、彼女自身は、何でもそつなくこなす、器用な人間でもあった。
これで5人が集まり、残り4人になる。
残り4人は、あっさりと決まっていた。
何故なら、先に手を上げた堀節子と鎌倉梅。ある意味での、人格者であり、人気者でもある二人に追随するように、手を上げたのが、彼女たちの取り巻きとも言える連中だったからだ。
女子ばかりの場所というのは、時折こういう「お姉さま」みたいに慕う雰囲気が生まれやすい。
ひとまず、最低の9人は揃っていたが、もちろん、彼女たちには「ベースボール」の経験がない。
そこで、ハリスは一から教えることにした。
実は、教師でもあり、神父でもある彼は、軍人でもあり、軍で野球を経験したことがあった。
彼はすぐに本国のアメリカからバット、グローブ、ボールを取り寄せた。
ユニフォームはなかったが、それらの商品が届く前から、野球のルールを彼女たち志願者に叩き込み、道具が到着すると、グラウンドになっている、日々学校の広場で練習を開始。
それも、女子が運動などやらなかった時代である。
当然、誰もついてこれないと思われたが、旧武家の出で、薙刀の経験がある節子は動きが違った。基礎体力という面で、人並み外れていたし、今でも修行を積んでいるという。
さらに、別格なのが、相撲取りの娘、鎌倉梅。彼女は、バットを振って、当てるだけで、ボールがバットの芯を捕らえていなくても、強引に力で持っていってしまうほどの腕力を持っていた。
「Fantastic! これは、男子顔負けですね」
ハリスが驚くほどの、パワーを見せつけていた。
もっとも、「当たらなければ」ほとんどが三振だったが。
他のメンバーの中で、特に優れていたのが、3人。
安藤八重は、俊足と肩の強さが自慢。特に足の速さだけは特筆すべきものがあり、借金取りから逃げて、培ったという足の運びは、抜群で、ただ盗塁するだけでなく、クロスプレーでのベースへの生還でも役に立ちそうに思えるくらいだった。
更科竹子は、守備に光るものがあり、下級武士の娘として、彼女もまた節子同様に、身体を鍛えていたらしく、ハリスは彼女に「遊撃手」の守備位置を指名していた。
中川雪は、神主の娘らしく、バットを顔の前に突き出し、拝むようにして打つ「神主打法」を得意とし、投げる方もそつがなく、体が小さい割には、体力があった。
こちらは、ハリスが「投手」に指名。
残るメンバーたちも、ハリスが鍛えるが、そもそも「練習試合」が出来ない上に、今のように映像で動きを振り返ることもできない。
「バッティングは、もっと腰を入れて打つこと」
「投げる時は、手だけでなく全身を使って」
「ボールは、相手の胸を目掛けて投げること」
ペンハローが教えたのと同じように、こちらではハリスが彼女たち生徒に、「ベースボール」を教えていた。
技術的なことは、ハリスが教え、その妻のフローラが、衣食住のうちの、食の世話をして、学校を通じて、彼女たちのバックアップをすることになった。
試合は、彼女たちがある程度、力を蓄えてから、改めてハリス側から札幌農学校側に申し込むことに決めていた。
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