Playball.2 ベースボールとは何だ?
ペンハローが発した一言に、全員がきょとんと、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を作っていた。
だが、その中で、一人だけ、思い出したように、笑顔を見せた男がいて、彼が大きな声を上げた。
「ベースボールをやるんですね!」
佐藤昌介という男で、鼻筋の通った、整った顔立ちの青年で、安政3年(1856年)生まれの21歳。この中では最も年長で、生徒よりも、ペンハローに歳が近いくらいだった。
彼は、開拓使仮学校時代に、アルバート・G・ベーツの元で、ベースボールを行った一人だという。
だが、それ以外のほぼ全員は全く、ルールも知らない初心者だ。正確には、新渡戸稲造は佐藤昌介と親交があったが、ベースボールは行ってはいなかった。
従って、佐藤の言葉に頷いて笑顔を見せたペンハローが、緑色の黒板にチョークで図を描いて見せた。
四つの四角いベースと、それを繋ぐ白い線を描き、ベースで囲まれた真ん中に、横線を一本引いた。一塁と三塁ベースからも外野に向かって線を描く。
「ベースボールのルールを説明する」
ペンハローが熱の籠った、演説のように意気揚々と、英語で説明を始めたのだった。
現代でこそ、日本人の多くが知っている野球のルールだが、元々、野球のルールは、サッカーに比べると複雑で、それゆえに、全世界的に広まらなかったとも言われている。
ペンハローは、野球を知らない生徒たちに、一から野球のルールを教えていった。
「バッターは、ピッチャーが投げたボールを、バットで打ち返して走り、それが選手のいない、ラインより内側のフィールドに落ちて、ボールより先にベースに着くとヒットになる」
最も、単純なルールから教えなければならないため、そこから教えるが、当然、生徒たちから質問が来る。
この頃の日本人は今よりも、知識の吸収について旺盛で、よく質問を投げていた。
「先生。そのボールがそのラインを越えたら、どうなるのですか?」
一番若い、新渡戸稲造が大きな声を上げていた。晩年の彼の写真からは想像できないくらい、細面で、色白な好青年だった彼は、文久2年(1862年)生まれの、まだ15歳の少年だった。
「このラインの外ならファール、つまり仕切り直し。このラインの外ならホームランで、得点になる」
ペンハローは指揮棒で黒板を指す。
当然、ファールラインを割るとファール、ファールラインより内側のフィールド外に出るとホームランになる。
他にもいくつかの質問が生徒から飛んでいた。
「ボールが体に当たったらどうするのですか?」
「バットが折れたらどうするのですか?」
「走って、どうすればセーフで、どうすればアウトですか?」
ほぼ全員が初心者の、野球の「や」の字も知らない素人。
ペンハローは、彼ら素人にも丁寧に教えるのだった。
だが、ひとまずは理解はしたようで、ペンハローが中心になって、フィールドに出ることになった。
フィールド、つまりグラウンドだが、当然、現代の野球場のような整備された環境などない。
ただ、これから演武場が建つ予定で、すでに建設工事が始まっていた、建物のすぐ横には広大なローン層の芝生が広がっていた。
広さがおよそ1ヘクタール以上。一辺の長さが100~120メートルくらいはある、四角いスペース。
これだけの広さがあれば、野球をするには十分な広さになる。
ペンハローは、生徒たちに自作したものを配った。革で出来た鞠のようなボールと、木の棒。もちろん、たくさん作ったのは予備である。
そして、それ以外にも密かに用意していた革のグローブを渡した。
ボールは今の硬球よりはるかに粗末で、バットの長さも、今よりも明らかに短い46㎝しかない物だったが、とりあえずこれでやるしかなかった。
ペンハローは、そこでまず「打ち方」と「投げ方」の基本から教える。
「いいですか? 打つ時は、手だけじゃなく、腰を使って打つのです」
そのまま、木のバットを持ち、振る実演してみせると、生徒たちから歓声が上がっていた。
次に、キャッチャーに伊藤を指名して、座らせると、適当な距離を離れ、そこから思いっきりボールを投げた。投げながら、
「手だけじゃなく全身を使って投げる」
と言ってボールを放る。軽く110キロくらいは出ていたが、いきなりの速球に戸惑った伊藤が、グラブでボールを弾いていた。
次に守備。
基本となる、二人で一組に分かれて、キャッチボールをさせる。
「ボールを投げる時は、相手の胸を目掛けて投げるように」
これもまた実演してみせる。
慣れてきたら、ノックもやってみせた。もちろん、ノック役は、ペンハローが務める。
その後は、ペンハロー主導の元、練習ができるように、生徒たちを使って、簡易的なベースを藁で編んだ物で代用して、地面に設置して、白い粉で線を引いた。簡易的な野球場が出来上がる。
そして、数日後。
ある時、様子を見ていたペンハローは、「紅白戦をやろう」と言い出した。チーム分けはわかりやすく、一期生と二期生に分けた。
一期生の中心は、伊藤一隆、大島正健、佐藤昌介ら。二期生の中心は、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾ら。
ペンハローは、説明役兼審判役に徹する。
だが、最初はひどいものだった。
一期生チームの投手を務めた佐藤昌介は、野球を経験しているとはいえ、一度だけだから、ロクにストライクが入らない。
打つ方も、バットにかすらない。空振りばかりで、たまに当たってもフィールドに落ちることはなく、ほとんどがアウトか、もしくは不慣れな野手のエラーによる出塁。
もちろん、変化球など投げる技術もないから、ほとんどがストレートのみ。
野球の体裁を取っていない、ただの「お遊び」に過ぎない。
だが、物事はどんなものでも、最初はそういうもので、最初から何でも出来る天才は、そうそういないものだ。
試合形式を取っているが、ほとんど試合にならずに、7-6という一点差で、一期生チームが勝っていたが、ほとんどがエラーによる得点だった。
だが、戻ってきた生徒たちの表情はいずれも明るかった。
「面白いですね、先生!」
「打球鬼ごっこですね、これ!」
「ベースボール、もっとやりたいです!」
次々に生徒たちから飛んでくる期待の声と、明るい笑顔に、ペンハローは気を良くした。
「よし。じゃあ、来年の夏までにもっと練習しよう」
そう。これが、北海道初の「野球」であり、何事においても、本州から見れば「後進国」扱いで、「外地」とまで言われた北海道が、本州に先駆けたものの一つが、この「野球」だった。
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