第3話

その3 『ミツバチの願望』


次の日、起きるとすぐに、博士は大きく窓を開けた。

青空が広がっている。爽やかな朝だった。心地よい風が博士の頬を撫でた。ほのかに花の香りがする。昨夜の悪夢は消え去っていた。彼は思い切り伸びをした。

「ああ、なんて気持ちがいいんだ。今日こそ面白い話が聞けるといいなぁ。問題はどんな昆虫を連れてくるかだ。ウーン、どうしようかなあ。取り敢えず林に出掛けてみるか。」


博士が支度をして、戸締まりをしようとすると、ブーンという羽音を立てて窓から何かが入ってきた。そして博士の肩にとまった。博士が目をやると、そこには ミツバチ がいた。

「なんと、これはちょうどいい。今日はこの ミツバチ にしよう。」博士が気付いたことに安心したようで ミツバチ は博士の周りをブンブン飛び始めた。

「ねえ、君、私のことを刺さないでくれよ。」そう言いながら試しに歩き始めると、ミツバチ は博士の後を付いてきた。


研究室の扉を開けると、ミツバチ は博士より先に中に入り、少し飛び回った後、あの装置の横にとまった。

「ねえ、君はこの装置の中に入りたいのかい?」博士が蓋を開けると ミツバチ は自分から中に入り、博士の顔をじっと見つめた。博士は不思議に思いながらも蓋を閉めてスイッチを押した。

すると、

「こんにちは、博士。初めまして。私はメスの ミツバチ です。人間には働きバチと呼ばれていますが。」と自己紹介した。博士の目が光った。

「うわ、なんでだ。ねえ、君はなぜ私のことを知っているのかね?」

「それは、昨日 ガ のお兄さんや カマキリ の兄貴からあなたの話を聞いたからですよ。」

「な、なんと、私のことが話題になっているとは・・。びっくりだ!」

「そんなに驚かないでください。私たち、林ですれ違うと、この辺りのことについてよく情報交換しているんで。」

「あらら、またまた驚いた。長年君たちについて研究してきたが、まさかそんなことをしているなんて全く気付かなかったよ。」

「なんだ、昆虫博士なんて言っているくせに大したことないんですね。」

「いやぁ、面目ない。」


博士は少し落ち込んだが、それよりもこの ミツバチ の話を早く聞きたいと思った。

「ところで君はどうして私に会いに来たんだね?」

「そのことですが、実は彼らが言ってたんですよ。『林のそばの家にちょっと変わった博士がいて、そこに行くと、私たちからいろいろと話を聞きたがるんだ。』って。いわば昆虫カウンセラーのような感じかな、なんて話してくれました。

「昆虫カウンセラー? おお、なんて素晴らしい。長年の努力の末、ようやく開発したこの装置の言語置き換え機能のお陰で、私は昆虫カウンセラーと呼ばれ、虫たちに大人気だとは。いい気分だな。ワッハッハ。」

「いえいえ別に大人気なんて言ってませんよ。それによく聞いたら、あまり役には立たないけどね、って言ってましたから。」

「・・・・。」博士はガックリ下を向いた。そして少し間を置いてから言った。

「それで君の話したいことって何だね?」博士が訊ねると 、ミツバチ はゆっくりと話し始めた。

「それは・・、ミツバチ のただのメスとして生まれた私の立場というか、運命というか・・、ですから、ええと、」

「君の立場? 運命?」

「・・、ですから同じメスなのになぜ女王だけが子どもを産み、私は産めないのか、ということなんですよ。」

「ウーム、確かにそうだよね。でもその理由について説明するのはちょっと難しいなぁ。」

「そうですか。ではもう少し話を聞いてください。」ミツバチ は少し残念そうな顔でまた話し始めた。

私は生まれてから毎日、少しも休まずに一生懸命働いています。働きバチ なんてありがたい名前までいただいてね。それなのに、女王バチ の彼女は毎日美味しい物を沢山食べて、可愛い赤ちゃんの卵を次々と産んで、とても幸せそうに見えます。でもそんなのずるいじゃないですか。なぜ彼女だけが子どもを産めるのですか。本当は私だって女王になりたい。もちろんそれは無理だとわかっているし、そこまでは望んでいません。」

「望んでいない?」

「そうです。私は自分が 働きバチ に生まれたのだから働き続けなければならないし、働くことは別に構わないのです。ただ、・・」

「ただ?」

「せっかく女の子に生まれたのですから、私だって素敵な相手を見つけて子どもを産みたいんです。」

「そうか、君の思いはわからなくもない。

「それじゃ、教えてください。私はどうして子どもを産むことができないのですか?」

博士はしばらく目を閉じて考えた後言った。

「よし、それでは私がこれまでの研究で得た知識を精一杯活用して君の疑問に答えたいと思う。」

「はい、お願いします。」ミツバチ は前足を擦り合わせながら言った。


「そもそも君たち ミツバチ というのはとてつもなく大きな家族だと思ってほしい。」

「大きな家族?」

「うん。いいかい、始めからたどってみるよ。その大きな ミツバチ の家族には一匹の 女王バチ がいる。そして何千匹という 働きバチ と、あとは 働きバチ の一割くらいの オスバチ という構成で成り立っているんだ。このすべての ハチたちを産んだのは 女王バチ 、つまり君たちの母親なんだよ。」

「私たちの母親?」

「そうだよ。そしてその母親が子どもを産むために必要なのが オスバチ なんだ。彼らは交尾のためだけに生まれてくるんだ。」

「交尾のためだけ?」

「そうだよ。君にもわかるだろう。彼らは自分では何もできない。食べ物を探したり、子どもの面倒をみたりすることもできない。たた巣の中にいて、君たちから食べ物を与えられ、のんびりと過ごしながら、その時を待っているんだ。」

「その時?」

「そう。女王バチとの交尾のことさ。」


博士は説明を続けた。

「あのね、同じ地域に巣を持つ女王バチたちが、ある晴れた日を選んで巣から飛び立って高く舞い上がるんだ。するとオスバチたちも女王の後を追うように飛び出して行くんだ。彼らはライバルたちとの厳しい競争を勝ち抜いて女王バチとの交尾に挑むんだ。そして上手く交尾できなかったオスバチはトボトボと元の巣に戻り、また以前のようなのんびり生活さ。ただし、それも秋の終わりまでだ。食べ物の少ない季節になると、君たち働きバチに追い出されてしまうからね。それで死んでしまう。」


「仕方ないですよ。だってもう巣にいても何の役にも立ちませんからね。」 彼女は当たり前のように言った。

「あれ、君がそんな風に言うなんて意外だな。彼らは可哀想じゃないのかい?」

「えっ、可哀想? なぜですか。彼らはその時までは悠々と暮らしていたし、自分の子どもを作るための競争にも参加できたじゃないですか。私たちよりましですよ。」

「そうか。そう考えるのもありかな。ここでもう一つ。上手く交尾に成功したオスバチのことだ。彼らは交尾が終わると100パーセント即死んでしまうんだよ。」

「ええっ、それは知りませんでした。ちょっと気の毒です。」

「うん、そうだろう。でも彼らは子孫を遺すという高い使命を背負っているわけだから誇りを持つてほしいけどね。」

「そうですね。でも私たちには与えられていないような崇高な使命・・。うらやましいです。」

「うん、でも悲しい運命だろう。だから、巣にいるうちは優しくしてあげてほしいな。」

「そうですね。そうします。」


博士が続けた。

「よし、先に進もう。いいかい? 一つのミツバチの家族には一匹の女王バチという決まりについては話したね。だから女王バチは春になると、次の女王になる卵を10個くらい、時間をずらして産む。そして新しい卵が羽化して新女王となる前に巣を譲って出ていくんだ。必要な数の働きバチとオスバチを連れてね。」

「えっ、なぜ出て行くんですか?」

「さっき言った通りさ。一つの家族には女王バチは一匹だけ。出ていかなければ、女王の座をめぐって争うことになってしまうからね。」

「そうか。我が子と争うなんて嫌ですからね。」

「うん。そこで出て行った旧女王は引っ越し先が決まると、連れてきた働きバチとともに新しい巣をつくる。そしてまた、空に舞い上がって交尾し、卵を産み始める。1日に1000匹以上の数だ。もちろんそんなに多くの赤ちゃんを一度に育てることは大変だ。だから初めに羽化した働きバチから順次子育てに従事するわけだ。そして多くの働きバチが次々に成長していく。こうして再び、大きな家族が形成されていくわけだ。」


博士の話は続く。

「君たち働きバチはね、この 巣 という城を守るように生まれついているんだよ。」

「生まれついている?」

「そうだよ。君たちは日齢の幼い順から、巣の掃除、子育て、離乳食作り、ロイヤルゼリー作り、巣作り、巣の護衛、花の蜜集め、プロポリス作り、というように次々と仕事を変えながら一生懸命働き続ける。すごいだろ?」

「はい、私たちって本当に頑張り屋なんですね。」

「そうだよ。オスバチもこうした循環の中で専用の巣を作ってもらって産み付けられるんだよ。」

「そうですね。私もお世話しましたから。」

「そうだよ。ところで今君はどの仕事をしているの?」

「今は蜜を集めています。」

「そうか。きっと頑張っているんだろうね。」

「もちろんです。あさから晩までです。」

「ウム、偉いな。そうやって君たちが様々な準備を整えると、女王バチがいよいよ次の女王になる卵を産むことになる。それは特別室に産み付けられ、女王候補として大事に育てられるのだ。」 彼女はちょっと悔しそうな顔で聞いている。

「ここまではわかってもらえたかな?」

「まあ、・・はい、大体は。」

「よし、それでは先に進もう。」


「 ここから赤ちゃんの話になるよ。実は女王候補として産んでもらった赤ちゃんたちは、生まれた時には君たちと何も変わらないんだよ。」

「変わらない?」

「そうだよ。全く同じとも言える。」

「・・・・、そ、そんな・・。」

「本当だよ。でもね、その後が違う。」

「何が違うのですか?」

「まず、部屋が特別室なんだ。それから、食べる物も違う。彼女たちはロイヤルゼリーという素晴らしい栄養食をずっと与えられるのだ。君たち働きバチも初めの3日間だけはロイヤルゼリーに近い物が与えられるけど、その後は、蜜と花粉しかもらえないんだ。」

「はい、確かにそうです。そうか、それで女王はあんなに身体が大きいのですね。」

「うん。でも大きいだけではないんだ。彼女は特別な分泌物が出せるようになり、君たち働きバチに対して、交尾するための機能が発達しないようにすることができるんだ。」

「ええっ、そんな・・、ひどいじゃありませんか。」

「でもね、いいかい、君たち働きバチは交尾はできないが、生まれつき持っている卵を産むことはできるんだ。」

「え、私も子どもを産めるのですか?」

「うん。もし巣の中の女王が突然死んでしまったりして、産まざるを得ない状況になればね。」

「・・・・・・。」 彼女は何も言わなかった。


博士は続けた。

「ただ、生まれるのはオスバチのみ。女王がいなければ、新女王の候補も産めないわけだから、君たち大家族はそこで終わりになってしまうんだよ。」

「ひどい・・。悲しい定めですね。」

「そうだね。だから君たちは女王バチを大切に育てて守っているんだよ。女王バチを育てるという役割は君たちにしかできないからね。」

「そうですか。私たちは素晴らしい仕事をしているんですね。」

「その通り! とても重要な任務なんだ。」

「私、なんだかちょっと嬉しい気持ちになりました。」

「そうか、それは良かった。」


博士の話はまだ続いた。

「そうだ、女王について、もう一つ話をしよう。さっきは言わなかったけど、君にはわかるかい? 女王の宿命というものがあるのを。」

「宿命?」

「そうだよ。あのね、なにも女王だって、なりたくてなったわけではない。たまたま選ばれただけのことだ。しかし、彼女たちには生まれてすぐに大変なことが待っているんだよ。」

「それは何ですか?」

「ウーン、それはね、同じ巣の中で、自分と同じように選ばれて、女王になるために育てられた者同士の争いなんだ。」

「そうか、女王は一人と決まっているからですね。」

「その通り。」

「姉妹で争うのですね。なんだか酷い。

「確かに。でもこれは時間差をつけて産み付けられたはずの卵が、偶然同時に羽化してしまった場合なんだ。だからそうなった時には、姉妹のどちらかが死ぬまで戦い続ける。幸い、羽化した時に、自分だけだった場合は、次の卵が羽化する前に巣を後にすることになる。働きバチを引き連れて新たな場所に巣を作り、そこでまたオスバチを見つけて交尾し、新しい家族を作り始める。つまり親戚が増えていくんだ。そして実家は末っ子が継ぐことになる。」

「そうだったんですか。私には知らないことばかりですね。」

「ハハハ、私だってまだまだわからないことが沢山あるよ。これもどこかの博士が研究して明らかになったことを君に話しているだけさ。実は私はミツバチの研究はまだあまり深めていなくてね。」

「いえ、これほど丁寧に教えてくださるなんて、あなたはとても立派な博士だと思います。さすが昆虫博士。ありがとうございました。」

「いやあ、君は実に素直でいい子だねえ。お陰でこの装置に関して、自信が沸いてきたよ。ああ、思えばこの装置を作ろうと思い立ったあの日から、私はどれほど努力をしてき、」

「あのー、博士、ご自慢はそのくらいで。」

「いや、これはすまんすまん。」

博士は頭を掻いた。


その時、彼女が言った。

「博士、ついでと言ってはなんですが、もう一つ聞いてもいいですか?」

「もちろんだよ。で、何かな?」

彼女は少しためらいながら話し始めた。

「あの、仲間から聞いた話では、私たち働きバチはあまり長く行きられないようなのですが、女王は一体どのくらい生きられるのですか?」

「フーム、そうか。君は自分たちがそんなに長く生きられないことを知っているのだね。それでは本当のことを言うよ。女王バチの寿命はおよそ三年から五年くらいだと言われている。」

「そんなに長く生きられるのですか。」

彼女は羨ましそうに言った。

「私たちは確か、お日さまが三十回か四十回昇ったら命が終わると言われました。」

「そう、そうだね。でも・・。」

「でも?」

「あのね、ここまでずっと君と話していて思ったことがあるんだ。」

「え、何ですか?」

「それはね、君はさっき 『女王になりたい 』って言っていたけど、君と女王はどちらが幸せなんだろう、ってさ。」

「嫌だ、博士、そんなの決まっているじゃないですか。」

「うん、ごめん。変なこと聞いて。でもね、よく聞いてほしい。あのね、女王というのは、生まれた時から与えられる栄養で育って、大人になると、オスバチを求めて交尾に向かう。そこで七、八匹のオスと交尾して、その後、四年間で百万匹の卵を産むと言われている。」

「百万匹?」

「そう。すごいよね。」

「はい、びっくりです。」

「でもね、女王は交尾を済ませた後は、子育てをすることもできない。ひたすら卵を産み続けなければならない。なぜならそれが女王の宿命だからね。彼女は君たちがいなければ、生きていけないんだ。もちろん、子どもを産むという大事な使命があるから、そるはそれで、充実した生涯なのかもしれないけどね。それだけなんだよ。だけど君たちは全然違う。」

「全然違う?」

「そうさ。だって君たちは、自分たち大家族のために、日夜掃除をしたり、子育てをしたり、花の蜜を集めたり、集めた蜜や花粉で加工品を作ったり、と大忙しだ。君たちがいなければなに一つ回っていかない。蜜集めの時に君たちミツバチが花の間を飛び回っているのを見ると、とても楽しそうだ。君たちには、美しい花や蝶々、いろいろな虫たち、そんな友達が沢山いるんだろう?」

「はい、そうです。・・そうか、私、そんな風に思えなかったけど、楽しそうにしているんですね。」

「うん、小さな羽を一生懸命に動かして自由に飛び回っている。羨ましいよ。」

「そうですね。うん。よく考えたらその通りです。巣から外に出て、風を感じながら花の蜜を集めていると、なんだかそわそわして、身体中が喜びに溢れているような、そんな感じがします。」

「良かった。やっぱり私が思ったことは当たっていたんだね。」

「ねえ、博士、私、早くここから出たい。仲間のところに戻って、また、一緒に蜜集め頑張ります。私の大事な家族のために。博士、ありがとう。」

「そうか、気を付けてお帰り。みんなが待っているよ。」


博士が蓋を開けると、彼女はあっという間に窓の外に消えて行った。














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