第8話 悲嘆のウサギと黒の氾濫(第三者視点)
「もうっ! あいつらいい加減にしてよ!」
猿人族の戦士が放つ矢を爪で弾きながら鳥族の戦士エピルが毒づく。「この白とオレンジの色彩が自慢なんだ〜」と大切にしていた両翼は矢で撃ち抜かれてボロボロになっており、もはや飛ぶことは叶わない。ならばと彼女は翼を振り回して仲間に向かう矢の盾になっていた。
「エピル! 無茶するな!!」
「無茶しどきでしょザリード!」
「そうだがっ……ぐぉら!!」
矢を弾くエピルに向かい剣を振り上げる猿人を自慢の鉤爪と牙で切り裂く蜥蜴人の戦士ザリード。少し離れた場所では寡黙ながらもその分厚い筋肉を盾にして、また剛腕を矛にして子供たちを守る熊人の戦士ボーグも満身創痍で戦っている。
必死の抵抗だった。
自分達は難民であり逃亡者。そして猿人達は勝者であり襲撃者であり略奪者。
彼らの背後には古ぼけた檻が幾つもあり、ボロボロの獣人がまるでゴミみたいに何人も入れられている。
労働力として、玩具として、使い捨ての駒として、難民達を捕らえているのだろう。
猿人が自分達を見る目は敵を見る目ではない。獲物を見定める目だ。
だから難民達は捕らえられるわけにはいかない。
最低でも女子供は渡せない。
「ふんっ!……ぐっ」
「ボーグっ!!」
「むっ……まだまだ……」
しかし戦える人が少ない、あまりにも。
難民全部を足してもまだ、猿人の方が多いのだ。
負傷した仲間が殺され、彼が守っていた女性が囚われる。
それを助けることもできない。
村で薬師をやってた少女、兎人のラーマはラピスに守られながら必死に負傷した仲間の手当てをしては逃げられるようにし、送り出していた。
何人も何人も、矢で貫かれ剣で切られ、拳で蹴りで痛めつけられ。その度に手持ちの薬とぼろ布で何とか治療を行うが……もう手持ちも尽き掛けている。
「よし、ほら立ってください! 逃げないと!!」
「うっ……あれ、痛みが少し引いて……」
「急いで!!」
手持ちの薬、いや毒の効果で立てるようになった犬人の少女がふらつく足取りで逃げていく。
その背を見送り次の倒れてる人を探そうとした時……。
「ひゃはっ! さっきからチョロチョロとよぉ」
何か空気を切り裂く音と、耳に感じる灼熱。
激痛と共に赤い飛沫が飛び散り、その中に白く美しい毛を地に染めたウサギの耳が舞っていた。
「いぐっ……ああぁ!!」
「はははっ! 目障りだったんだよぉ……ほら来い、ベッドでもう一方の耳も切り揃えてやるよ」
「いだっ、やめっ、あぁぁっ……!!」
切られて残った耳も無事な耳も纏めて掴まれて引っ張り上げられる。そのあまりの痛みに悲鳴をあげて抵抗するが、毛で覆われた太い腕はびくともしない。
キツイ体臭が鼻に届き、不快な声が耳に囁きかける。
その背後では鱗が擦れる音がした。
「安心しろって、壊れるまで使ってあとはしっかり売り払ってやるからよ」
「ならまずお前が壊れろ!!」
バキリと硬いものが砕ける音と共に生暖かい液体が背中にかかった。耳を掴む手から力が抜け、自重を支えきれないままに地面に倒れる。遅れて隣に倒れた猿人の男には背中に大きな切り傷がついており、爪から血を滴らせたザリードが荒く肩で息をしていた。
「すまないラーマ……遅れたばかりに……」
謝りながらも次に襲ってくる猿人と切り結ぶザリード。背にラーマを庇いつつ。
そしてラーマの前には負傷して動けなくなっている羊人の少女。切られた耳は熱く垂れてきた血で片目は塞がり、失血のせいかふらつくが、構ってはいられない。
「大丈夫……です、ザリード。少し頼みます。私がこの子を治療する間」
立つのは難しいか。足に力が入らない。
ならばと懐から軟膏と縫合糸を取り出す。
立てずとも、這ってでも子供の治療をすればいい。
「お前怪我……いや、分かった! 任せろ……!」
ザリードが両手の爪を研ぎ合わせ、猿人を切り伏せる。そのまま我が身を盾にしてラーマの背後を守らんとするが、多勢に無勢。
ラーマたちを囲むように4人の猿人が思い思いの武器を持ち周囲を包囲してきた。
(くっ、同時に相手できて2人……せめて前に固まってくれればいいものを、小賢しい猿どもめ)
いくらザリードが硬く、強くとも全方位からの攻撃には対応できない。
(普通は女子供は不必要に傷付けはしないが……ラーマの耳のこともある。期待はできんな)
ラーマは周りの事を見ていないとばかりに治療を開始している。ザリードを信用してる……勿論あるだろうか、本質は別だ。
己の身を犠牲にしてでも治療しきるつもりなのだろう。薬師として。
(ならば覚悟を決めるのみ!)
前方の2人には背を向け、ラーマ達を前面にする形で構えをとる。
防御を考えない、攻撃特化の構えを。
「馬鹿だこいつ! 背中を斬ってくださいとでも言ってるのかよ!!」
猿どもの笑い声が聞こえる。
その通りだ。
自分の背中など盾にすればいい。
前からの敵などラーマ達に達する前に自慢の鉤爪で貫けばいい。
ラーマ達には触れさせん。低い呼気と共に姿勢を落とすザリード。
「……分かったよ。んじゃお望みどおり殺してやるよ!!」
背後で武器を振りかぶる音がする。
それでいい、どんな攻撃が来ても倒れない。
1秒でも長く守って見せよう。
そして残った命を使って2人を逃すのだ。
ザリードの覚悟は完了した。その時だった。
黒い群れが戦場を駆け巡った。
「……なんだ?」
覚悟した痛みが来ない。不思議に思った瞬間に眼前で武器を構えていた猿人2人も黒い獣に跳ね飛ばされる。
一体何が起きているのか。
咄嗟に周囲を警戒するも、不思議と自分達の仲間は無事であることに気がついた。
跳ね飛ばされて悲鳴を上げるのは猿人ばかりだ。
「何が起こって……」
「わからん」
治療していた羊人の子が息を吹き返した。
これでひと段落ついたのか、焦点の定まらない目でラーマが顔を上げた。
「だい……丈夫?」
耳からの血は顔の半分を染め、喋りながらも揺れる体はもう限界だろう。それでも仲間を気遣うのだ、この少女は。
「は、はい。何とか大丈夫……ありがとう、ラーマ姉」
「良かった……ほらザリード、次……」
「おっと!」
倒れるラーマをザリードが片手で支える。もう片手は構えを解かず、周囲の状況に対応できる緊張感を保つ。状況の変化についていけない。観察するに黒い獣は自分達を避け、執拗に猿人のみを跳ね飛ばし駆逐している。
助太刀してくれるのか……だがなぜ。
「ミミナ、ラーマを連れて逃げるぞ」
そっと、助けたばかりの羊人の少女へと声をかける。
だが反応がない。彼女はぼうっと前方を見つめていた。
「ミミナ、おい!」
少し強めに声を出し、意識を戻そうとしたザリードだったが、そのときミミナが見つめていたのが何かと目が合った。
黒い体毛に捻れたツノ。大きな存在感を纏いつつ、森のような雄大さも感じさせる佇まい。
周囲には黒い鱗粉が舞い、背後には同じような黒い獣を何体も引き連れている。
これまで見たどんな獣よりも力を感じさせ、しかし恐怖心は不思議と感じない黒毛の雄羊が、悠々と3人の元へと歩いてきていた。
「これは……森の主か何かか?」
「メェ」
「『無事か?』って言ってる」
「ミミナおまえ……この獣の言葉が分かるのか!?」
「うん。同じ羊だから……かな?」
心なしか羊側も驚いているような気がするが、今はそれどころじゃない。
ザリードは傷も気にせずラーマをミミナに預け、羊の前で片膝をつき頭を垂れた。
「先ほどは失礼しました。お力のある森の主様とお見受けします。この度は助けていただき感謝いたします」
「メメェ」
「『気にするな』だって」
「そうか……ですがなぜ、助太刀を」
「メエメ」
言葉の終わらないうちに雄羊はザリードから顔を背け、大きくひと鳴きした。
何か失礼をしてしまったかと気が気ではないザリード。しかし彼の心配をよそに周囲からは仲間たちの歓声が聞こえてきた。
続けて猿人たちの悲鳴と破壊音。
「まさか、ここまで……!」
周囲を見渡してザリードは思わず涙を流した。
黒羊が蹂躙を繰り広げ、猿人が次々に空を舞っている。
仲間が何人も囚われた檻が破壊され、黒羊に咥えられた女子供が仲間達のところに運ばれている。
今まさに猿人に殺されかかっていた仲間が救われた。
そしてついには、猿人たち後方で敷設されていた天幕が倒壊した。本丸が落ちたのだ。
この時、この戦いは決した。
黒い獣に追い回され方々に逃亡する猿人達。歓声を上げる仲間。
「メェ『終わったな』」
黒い群れを引き連れた羊は、そう言いクシャリと草を食んだ。
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