第2話 巣立ち、あるいは逃亡
「おう鬼蜘蛛、お前マジで蜘蛛なのか?」
ズタボロになった廃屋の縁側、元の半分に砕けた庭石に座りながら目の前で大の字に倒れる美丈夫に問いかける。
「んだ? お前疑ってんのか。ほらよ」
鬼蜘蛛と呼ばれた大小様々な切り傷を作り、満身創痍の美丈夫は億劫そうに声を出すと……その身をボコボコと盛り上げた。
刺青の入った皮膚は徐々に黒ずみ、右腕と右足はそれぞれ二股に裂け分岐し、分厚い外骨格に覆われ……。
「うぉあ!? やめやめグロいわ!」
いきなり始まった、まるでエイリアン物のワンシーンのようなグロ映像にたまらず静止する。
しかし美丈夫はニヤリと笑うだけで聞きはしない。
むしろ更に変化は加速する。
「なんだよお前が疑ってきたんだろ。俺をブチのめした褒美だ、この華麗な変化をよーく見とけ」
ボコボコと波打つ皮膚を突き破るようにして、まるで針金のような剛毛がそそり立ち、腹の肉が裂け……。
「だからやめろってんだろ!」
右手の二指を揃え立て、縦に断つ様に振り下ろす。
その動きに合わせるように、ゴスッ!……とサッカーボールくらいある氷塊が美丈夫の顔面に炸裂した。
それがトドメになったのだろう。満身創痍の美丈夫は体半分だけ蜘蛛のソレに戻った非常にグロテスクな状態で意識を手放した。
『変化か……』
めぇ〜としか言えず、風に吹かれて揺れるくらいしかやることが無い今世。自覚して一日と少しで既に暇を持て余していたため、過去の回想をしていたら面白い記憶に行き着いた。
あれは確か、山を走るバイカーを狙い喰らっていた蜘蛛の妖怪をシメた時の事だ。
依頼では鬼蜘蛛と言われていたので蟲退治を覚悟して山に入ったのだが……実際に住処に突撃してみると、筋骨隆々で無作為に伸ばした漆黒の髪がワイルドなイケメンが、荒削りの棍棒片手に人の腕を手羽先みたいに齧っていた。
あれ、蜘蛛じゃ? と、戸惑うこちらをよそに、相手は齧っていたものを完食すると「ちょうどデザートが欲しかったところだ」と宣いながら棍棒片手に突撃してきた。
出会って2秒でデザート扱い。当然ながら売られた喧嘩は買うしかない。それから一昼夜ひとしきりボコった後に素朴な疑問を口にしたら、嫌がらせのようにグロシーンを見せつけられたのだ。
思い出すとまた気分が落ちてきた。グロ良くない。
しかしこの記憶は役に立つ。特に変化だ。
これが出来れば羊ボディから人になれるかもしれないし、何よりこの植物状態から脱出できるかもしれないのだから。
このまま座して食されるのを待つのは御免被る。
何とかしてこの今世の母? 生まれ故郷? を脱しないといけない。それもできるだけ早く。
肉食の何か、もしくは草食の何か、つまりは何らかの動物が来る前に。
「グルルルル……」
『oh……』
どうしてこうも世の中は残酷にできているのだろうか。それとも単に人間が忘れていた自然界の掟か。
まるでコントかと突っ込みたくなるようなタイミングで、狼らしき獣が三体も牙剥きだして近寄ってきた。
らしきものと濁したのには訳がある。奴らには大きな一本角が生えていたからだ。とても立派に聳えている。
もしこれが単なる遭遇であれば、男心を擽るビジュアルにテンション上がっていたかもしれない。
だがしかし、現状は捕食者と被捕食者の関係性。血走った目が確実に自分をロックオンしていらっしゃる。
サイズ感的には自分のほうがまだ大きいようだが、彼らにしてみれば食いでがある肉にしか過ぎないのだろう。
なんせ逃げることも抵抗もろくにできないのだ。
皿に盛られたフライドチキンも同然だ。
「グルルルル……ガウッ」
真ん中の体格の大きい奴がリーダー格か。合図に応えるようにし残りの二匹が散開した。獲物を中心に置き三頭で正三角形を描く形だ。逃亡を防ぎ、確実に仕留めるための布陣。動けない相手にも油断していないということか。
「グラァ!!」
「め、メェ!?」
ガドン! と強い衝撃と揺れ。微かに傾く視界。
右後ろからやられたのだろうか、先程散開したうちの一匹が眼前で止まり、ぺっと植物の一部を吐き出して後方へと戻っていった。
『あいつ……茎を!』
思った瞬間、今度は逆から衝撃が。
花弁が振り子のように左右に揺れる。
『まずは花を倒して中身の俺を食う気だ!!』
たしかに狼から自分は今襲いにくい高い位置にいる。しかし『今のところは』だ。
やりにくいなら地面に引き倒して仕舞えばいい。太い茎も側面から抉っていけば間をおかずに切り倒せる。
相手は動けない、倒してしまえば飯にありつける。そんな考えが伝わってくるようだ。
『拙い拙いマズイ!! 転生数時間で食い殺されるとか冗談じゃない!! 何とか逃げないと!!』
幸い完全な植物ではなく、一応は動物型だ。マトモに走れるかは分からないが移動できる足は四本もついている。
ネックなのは尻尾のあたりから花の中心へ、まるで臍の緒みたいに繋がっている感覚のある部分。自分に養分を供給している、茎の部分のみ。
これを切れば、少なくとも無抵抗ではなくなる!
『おりゃー!』「メェェーー!!」
ぐらっぐら揺れる花弁の中で必死に体を回転させる。針金をぐるぐる同じ方向に巻いていたら、だんだんと疲労していき、負荷が大きい部分から千切れる。そんな経験ないだろうか。蹄なし、歯も届かない、角は気持ち程度の羊としてはもうこれに掛けるしかない。
大変なのは最初だけ、徐々に尻尾を中心にして身体は回転し、お尻の下からブチブチと繊維が切れる感触が伝わってきた。不思議と痛くはない。植物には痛覚がないのだろうか。
「ガウッ!」
「ガガウ!!」
「ガオウッ!」
回転してる間にも狼たちの茎への攻撃は続き、花弁の揺れは大きくなっていき、とうとうポッキリ折れてしまった。
近づいてくる地面。
「グル……」
リーダー格の狼が短く鳴く。まるでこれで終わりだと言わんばかりに加速をつけ、大口を開いて羊の喉元へ……。
「メウッ!」
故に、羊も迎え撃たんと狼の動きに合わせ、その下顎に渾身の頭突きを叩き込んだ。
下からカチ上げるように最大限に踏ん張って。
「ギャゴウッ……!!」
羊を喰らわんと大きく開けていた口は強制的に閉じられ、折れた歯が宙を舞う。衝撃とともに轟音が響き、稲光が一瞬辺りを明るく照らす。
羊も無事では済まない。額が割れたのか血を噴きながら後方へと吹き飛び、千切れかけていた尻尾の茎が断絶する。まるで揺り籠のような花弁から強制的に叩き出され、やけに丈の長い草原を横滑りに転がっていった。
「ガウ……ガブゥ……ガッハッ」
リーダー狼がのたうち回る。辺りに毛の焦げた嫌な匂いが立ち込める。自分も転がった先で何とか体を起こし、震える足でなんとか身構えた。
高ぶる気に呼応するように、短い角の間を電気が渡り、バチバチと激しい音を立てる。
モコモコした毛も帯電してるのだろうか、見た目はまさに雷雲のよう。
「メェ……」
もふっ、もふっと地面を蹴って威嚇する。蹄がないのがどうも締まらない……。
「グルル……」
口の端から血を流しながらこちらを睨め付ける狼を気丈に睨み返す羊。
どのくらいそのまま睨み合っただろう。
震える足が悟られないように、必死に踏ん張ってリーダー格の目を見据え続ける。
『頼む……諦めろ!!』
か弱い羊に神の慈悲を。
なんて内心信じてもいない神に祈りながら終わりの見えない威嚇をすること幾許か。
「……グルッ」
リーダー格の狼が短くなき、クルリと背を向け森へと走り去った。追随する残り二匹。
『助かった……のか?』
まだ油断できない、そう思い身構えていたが、日がだんだん落ちるにつれ狼が去っていった確信を得ると、ふっとその場に座り込んだ。バチバチももう消えている。
「メェ〜」『死ぬかと思ったぁ……』
結果として花からは解放された。移動もできるようになった。ある意味巣立ちだ。
しかし、こんな死を覚悟する巣立ちじゃなくてもいいだろうと内心毒吐き、羊は手頃な岩陰に隠れるのだった。
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