8

 島に警察がやってきたのは意外に早く、みんなで炊き出しの朝めしを食っている最中だった。

 西出日名子とその配下の者二人、中学生、先生とコッタが死んだ。他にも負傷者多数、大火事にもなって大きな事件となった。たくさんの警官が上陸し、上空にはヘリコプターなんかも飛んでいた。

ち なみに仁美婆さんは生きていた。頭のてっぺんに大ケガを負っていたが、釧路市内の病院へ運ばれて治療を受けた。ただし後遺症なのかボケるのが早くて、退院した時は自分が誰だかわからなくなっていたそうだ。

 銃器で戦闘していた男たちは、双方の地区で多くの逮捕者を出したが、殺人で起訴される者はいなかった。ケガ人はいたが、幸いにも彼らに死者は出なかった。西出日名子は病死、その他の者は事故死と判断された。先生とコッタはあきらかに殺されたのだが、容疑者は死んでしまったので事実上捜査されずに終わった。側頭部を吹き飛ばされたスケベ中学生は火災に巻き込まれて黒焦げとなってしまった。村川は逮捕されたが刑務所には入れられずに済んだ。旧日本軍の武器は隠し持っていたのではなく、保管されていたまま行方不明になったものをたまたま見つけて使用したと、保古丹島民にとって好意的に解釈された。

 保古丹島での火災、銃器による戦闘は、世間的にはそこそこの話題となったが、あの当時はインターネットもない時代だから、詳細を追いかける報道に勢いはなかった。離れ小島だったゆえにテレビカメラも入らず、映像がまったく残らなかった。ジャンジャという奇病のこともあり、あらぬ差別を助長しないように配慮され、報道は控えめとなった。時がたつにつれて事件が噂レベルになってしまうのは、いつものことである。  


 アヤメとカナエを連れて島を出た私は札幌へ帰り、先生の訃報を詫びてから、両親に結婚すると報告した。

「いきなり、すごい美人を連れてきなあ。しかも二人かよ」と父は喜び、母は目を白黒させた。同居するように勧められたが、アヤメの出自や性格、カナエのことを考えて、さらに妻も望まなかったのでアパート暮らしを始めた。

 手を負傷して少しばかり不自由になったが、父のツテで設備工事会社の事務をさせてもらうことになった。しばらくカナエと一緒に住んでいたが、体調を崩して施設に入所してしまった。彼女が潜在的に患っていた精神的な疾病だった。

 あの事件から数年たって、保古丹島は無人島となった。二つの集落のうち、騎人古地区が壊滅状態となってしまい、村長と有力家がいなくなったのが主な理由だが、電気や水道、医療、教育などが貧弱過ぎて、もともと生活するには過酷な地であり、生活が困難だった。騒動を機に島民の総意として離島することが決意され、道や国に対して離島・移転についての請願が出され、行政も支援することとなった。ジャンジャの感染源がわかり、新たなジャンジャ患者は出なくなったのに皮肉なことである。

 ジャンジャの研究は横山さんが引き継いだ。私とアヤメがカナエに喰いついていたすべてのダニ取り除いたさいに、数匹をビンに入れて保管しておいた。そうするようにと先生が指示していたからだ。彼はそれらを防研に持ち帰り、より詳しく分析した。やはり新種であり、その生態は謎に包まれていた。なんとか寄生虫の生活史を解明しようと研究を続けたが、芳しい結果にはつながらなかった。患者から寄生虫を追い出すことはできず、対症療法のみの治療となった。ジャンジャに感染した元島民は症状が癒えることなく、死ぬまで生き続けなければならない。


 私はというと、アヤメとの結婚生活に没頭した。事務の仕事は高給とはいえず、最初の頃はカナエの世話もあり、残業をがんばらないと生活がままならなかった。元パンパン娘だったアヤメは貞節な妻となって、私をよく支えてくれた。保古丹島のことは話題にしないのが、私たちの暗黙の了解となった。過去をほじくっても気持ちが重くなるだけである。そんなことを気にしているヒマがあったら、未来のためにがんばったほうが何倍もマシだ。

 懸命に働いて家を建てて、二人の娘と孫たちに恵まれた。私の勤める会社も大きくなり、経理部長にまで出世することができた。娘たちが嫁いでしまい、気づけば老齢となっていた。退職して十年以上経っており、いまは暇を持て余す毎日だ。

あの時の出来事が忘れられなくて、追憶が尽きることがない。先生とコッタはどうしているだろうか。年寄りとなった私を見て、あいつは笑っているに違いない。バッタをたくさん捕って、先生に自慢しているのだろう。



 最近ではテレビを見るのが億劫になって、居間でよくラジオを聴いている。もう七十を超えてしまった。たいして趣味もないので家にいることが多い。元気な妻は、娘や孫たちとよく旅行をしている。なにが楽しいのか、道内ばかりを車で回っていた。あまり金がかからないので、うるさいことを言わず好きにさせている。

 ラジオから懐かしい曲が聞こえてきた。

{Those Were The Days}。オリジナルではなく、ドリー・パートンのカバーだ。子供たちが手を繋ぐには賑やかで、カントリー調が過ぎるな。 

 電話の着信音が鳴っていた。立ち上がるのが面倒だとグズグズしていると、妻が受話器を持ってきてくれた。お茶を淹れると言ってくれている。ありがとうを返して、やっぱり受話器を戻した。耳に受話器を当てるよりスピーカーにして話すのが、最近の私の流儀だからだ。聞かれても不都合なことなどないからな。

「お久しぶりです、横山です。覚えておりますかな」

 横山さんからだった。声を聞くのは何十年ぶりだろうか。保古丹島から帰った後、何度か会ったりしていたが、お互い忙しくなったので疎遠になっていた。だけど年賀状のやり取りだけは欠かさずしている。

「じつは、いま入院しているんですよ。胆管のガンで肝臓まで転移していまして、今年いっぱいって言われてますわ」

 単刀直入に自分の余命宣告を言ってきた。それほど親しい間柄ではないし、いきなりだったので返答に困ってしまう。

「そ、そうですか。無理せず静養してください」

「あははは、寿命ですわ。まあ、十分に生きたので諦めがつきますよ」

 気まずくなりそうな空気を吹き飛ばすような、活気のある声だった。

「じつはですね、僕はずーっと気になっていたことがあって、だから、いろいろと調べていたんですよ。まだ元気なうちにそれを芳一さんに聞いてもらいたくて、いまこうして電話をした次第なんです」

 横山さんと私の共通の話題といえばアレくらいしかない。

「ジャンジャのことです。いや、ジャンジャの島のことですよ。ジャンジャを忘れてませんよね。じつはわかったことがありましてね」

 もちろん、その奇妙な病気とあの島のことは忘れることがない。

「では、あの寄生虫のことがすっかりと解明できたんですか」

「すっかりというわけでもないのですが、最近の遺伝子解析の成果がでたんですわ」

 特効薬でもできたのかと思ったが、そうではなかった。虫の生態に関する説明である。

「ジャンジャの幼虫は成虫にはならんということですわ。成虫になる遺伝子が欠落しているんです。ジャンジャの虫は、親もおらずに自己増殖で幼虫だけが増えていくという摩訶不思議な生態ですわ」

 横山さんはすでに引退しているが、ジャンジャの研究は引き継がれている。遺伝子まで調べている現在の技術を賞賛していた。 

「村川さんを覚えていますか」

「もちろん。あの女村長の次に印象深い人ですから。助けてもらいましたし」

「二十年くらい前に亡くなりましたよ」

「二十年も前ですか」

「そうです。道営アパートから転落して死んだんですよ。四階からです。腰の骨が折れていたそうです」

「それは」

 腰の骨、という言葉を聞いて既視感に似たものを感じた。この通話はするべきではないと、心の中の誰かが叫んでいる。

「ジャンジャ・ドウー、ジャンジャ・ドウー、ドウー、ドウー、ドウー」

 余命いくばくかの病人とは思えぬ大きな声だった。居間中に響き、お茶を用意している妻がビックリしていた。

「いやー、あの時を思い出してハッスルしちゃいましたよ、あーはっはっは」

 次には豪快な笑い声だ。ガンが脳にまでいってしまったのかと心配になった。

「失礼しました。言いたかったことは、村川さんはジャンジャ・ドウーで亡くなったってことです」

 ジャンジャ・ドウーに関しては謎として残った。ジャンジャの寄生虫症と関連がありそうだったが、症例が島で死んだ人間のみで、しかも遺体が火葬されてしまったので検証できなかった。のちのジャンジャ研究者はダニには興味を示したが、ジャンジャ・ドウーという見ることができなかった症例については手を付けなかった。だから、佐藤夫婦や西出日名子が、なぜ逆エビ反りになって死んだのか解明されていない。横山さんは気にかけていて、それなりに調べていたようだ。

「村川さんだけではないんですよ。道内各地に移住した島民のうち、ポツポツと不審な死があるんです。どうも背中が反り曲がって死んでるんです。たいていが事故死か病死ということで片付けられていたんですが、最近変死した男性がいまして、北大病院で病理解剖したところ、未分類のアルカロイドが検出されたとのことなんですよ。どうやらそれが原因ではないかと、僕などは思ってしまうわけです」

「アルカロイド?」

「植物が有している成分というか有機化合物ですわ。有用な薬にもなりますが、毒も多いんですよ」

「植物の毒というと、たとえばトリカブトの毒とか」

「そうそう、そういう感じですよ。ジャンジャ・ドウーは寄生虫症ではなくて、なんらかの毒にあたって死んだという可能性が出てきたんです。おそらく植物由来の毒じゃないのかな」 

「どんな植物なんですか」

「僕も詳しく知りたいんですが、部外者になっているのでなかなか教えてくれませんわ。老兵は消えゆくのみですな」

 アーハッハッハ、と自嘲的に笑っていた。ジャンジャ・ドウーのことはひとまずおいて、別の疑問があると言う。 

「あの島では、村長さんの家がジャンジャのダニを繁殖させていましたね。あの時はカナエさんを使っていた」

「ええ、そうですね」

「では、その前は誰を{苗床}にしていたのでしょう」

「それは、カナエだけがダニを飼うことができたのだから、ジャンジャの渡り鳥から直接採集していたのでしょう。私も見ましたよ、あの島で」   

「それが納得のいかないところで、僕も一度見ただけで、あれからジャンジャ鳥を発見することができなかった。いないんですよ、何回訪れてもね」

 横山さんは、防研でチームを作ってジャンジャ鳥を捜しに何度も来島したが、ダニに集られた渡り鳥を発見できなかった。出会うこと自体が、すごく稀なのだ。 

「そうすると、たまにしか渡って来ない渡り鳥に西出家は頼ったことになるでしょう。その鳥がいなければジャンジャ虫を寄生させることができないんですから。でも、じっさいにはほとんど姿を見せないし、だから安定供給にはならない」

 横山さんは何を導こうとしているのだろうか。きっと良いことではない気がする。

「カナエさんの家系を調べたてみたんですよ。犬井というのは父方の姓で、島の外から来ました。網走のほうです」

 カナエの家系というと妻の家系でもある。台所にいるアヤメがこちらを見ていた。

「母方のほうを遡っていくと、なんと西出家に養子に出されているんですよ。カナエさんの前にも女の子が、その前にも女の子が養子となっていた。しかも、ずっと遡っていけるんです。別の見方をすると、西出家はカナエさんの母方の家系から定期的に女の子を仕入れていたってことですわ」

 仕入れるという表現は失礼だと思った。

「ええーっと、なにが言いたいんですか」

「カナエさんの母方の家系の女の子は、ダニが寄生できる体質を有していたのではないか、さらに西出家はそのことを知っていて代々養子にしていた、っていうことですわ。理由はジャンジャを広めるために、ジャンジャという呪いを継続させるためですよ。呪いは繁栄につながりますからねえ。へへへ」

 横山さんの声が大きくなっていた。自嘲なのか嘲笑なのか、イヤな感じの笑い声が洩れている。

「話は変わりますけど、高校時代の後輩が北大にいまして、北海道各地の郷土史を研究していたんですよ。あの騒動のあと、ジャンジャ島の話をしたら興味を持ったみたいで、いろいろと調べてくれました。英雄が謀られて惨殺されたとか、侍が家族ともども拷問されたとかありましたからねえ」

 そんな調査をしていたとは初耳だった。

「そうしたら、おもしろいことがわかったんですよ。なんだと思いますか、芳一さん」

 思わせぶりな口ぶりだ。少しイライラする。

「なんですか、どんなことがわかったんですか」

 沈黙が三秒ほど続いた。この空白は余計だと感じた。

「なにもなかったことがわかったんですよ」

「え」

「なんにもないんですわ、あの島には英雄がいたこともないし、松前藩がいたこともないし、両者の間で争いがあった史実もない」

 それはどういうことだ。熾烈な戦争や苛烈な虐殺という事実があったから、島が呪うという伝説が生まれたのではないのか。

「ルルシックかルルシクゥでしたか。そういった人物がいたという記録がまったくないんです。それどころか、あの島でラッコが獲れたこともない。北方領土方面にはたくさんいたみたいだけど、あの島周辺にはいなかった。そもそもアイヌが居住していたかどうかも怪しい。だから、ラッコの毛皮目当てで殺し合ったということも成り立たないんですわ」

 いきなりのことで考えが追いつかない。頭の中が隙間だらけだ。

「じっさいは、コンブ漁が主な、ただの貧乏島だったんですよ。それと山師というか、罪人というか、怪しい流れ者が逃げてきて移住していたというのはあったらしい。たぶん、西出と村川のご先祖様がそうだったんじゃないかな」

「でも、それはおかしいでしょう。あの島にルルシクゥという名の英雄がいたことを、誰もが知っていた。村川さんは、冤罪のうえに家族もろとも惨殺された侍たちの名前を言ってたんだ。苗字と名前をしっかりと言ってたって。ハッキリと言ってたぞ」

「ちょっと、おちつきましょう」と宥められた。いつの間にか、私のほうが興奮していた。

「まずは英雄の話ですけどね、まあ、英雄伝はどの民族の神話にも登場する鉄板話なんですよ。もちろん、アイヌの伝承にもある。人は英雄が好きですからねえ。侍の虐殺に関しては完全な作り話です。松前藩のどこを探しても乾帯刀なる人物はいないし、そもそも、あの辺鄙な貧乏島に商場をつくったという記録がないし、つくるはずもない」     

 それは郷土史の専門家が調べ尽くして得た結果だと言った。

「じゃあ、あの時の、あの話はなんだったんだ。西出の女村長と村川さんが話していた、島の歴史だ。細かいところの違いはあるけど、島には似たような史実があったはずだ」

 あの時の話は、横山さんに余すことなく教えている。

「まあ、なんていうか、今風の言葉を使うならば、{フェイク}だった、ということでしょうなあ。とても長く壮大な{フェイク}っちゅうことですわ」

「{フェイク}」だと。

 ふざけんな、冗談じゃないぞ。少年や叔父が死んだんだ。惨い殺され方だった。その原因が{フェイク}であってたまるか。

 怒りとやるせなさで私は黙ってしまった。この歳になって、ずっと信じてきたことをなかったことにされるのは耐えがたい。少し間をおいてから横山さんが話を続ける。

「長い年月をかけて、呪いの創作物語が形成されたんだと思いますよ。なんてったって、ジャンジャという稀有で強力な材料がありましたからね。西出や村川の山師たちが島にやって来て相当にあくどいことをやって、批判を逸らすために呪いを利用していたら、だんだん真実っぽくなってきた、ということじゃないかと」

 反論しようにもできなかった。すぐに通話を切れと、青臭い声が聞こえたような気がした。

「あるいは、これは僕の仮説なんですけど、人類の精神構造には{呪い}という装置というか、遺伝子みたいのが組み込まれているのではと思うんです。人間の心の中には、英雄がいたり賢者がいたり、魔女や悪魔や神様がいたりするでしょう。そして{呪い}もあるんですよ。ふいに条件が揃うとそれが発露して、皆に伝染してしまう。立ち消える場合がほとんどだと思いますけど、ごく稀にイメージが肥大していって、それが真実としての物語となって受け入れられる。とくに外界と接触のない情報が乏しい地域だと、カリスマ的な権威者と結びついて物語となり、事実として発展してしまうんですよ」

 何が真実かわからなくなった。ただ、この歳になってまで心をかき回されたくはなかった。

「まあ、いま話したのは 老い先短い老人のたわ言と思ってくださいな。ハハハ」

 たわ言ですますには、いま私の中でざわついている突起が多すぎる。

「しかし、ジャンジャ・ドウーは心の中での創作でもフェイクでもない、れっきとした現実の惨たらしい死です。もし死因が毒だとすれば、自ら摂取したというよりも、誰かに盛られた、と考える方が自然です。あの島の出身者ばかりなのが、どうにも気になるんですわ」

 緊張のせいか喉がイガイガしていたら、妻が飲み物を持ってきてくれた。紅く透き通ったそれは、我が家の名物シソジュースである。熱いお茶では流せないと思ったので、ありがたかった。いつもの味より若干草臭い液体を飲み干しながら、横山さんの話を聴く。

「僕はもうすぐ死にますよ。一足先に先生に会って、ドヤされてきますわ。今日は気になってきたことを話しました。もし、イヤなことを思い出させたのなら、すまなく思います」

 あの島に住んでいた人々は、二百年も三百年もフェイクに踊らされていたのか。ありもしない伝説を作り出し、それに誘導されて呪いを受け入れてしまったのだろうか。

「最後にさっきの話に戻りますけどね、カナエさん、つまり芳一さんの奥さんの家系は」

 突然、通話が切れた。

「もしもし、もしもし、横山さん、どうしたんですか。大丈夫ですか」

 病人なので、体調が悪くなって倒れたかと思った。しかし、原因はもっと身近なところに存在した。

「おい、なにやってんだ。横山さんがまだ話してたんだぞ。どうして線を引っこ抜くんだ。戻せよ」

 妻が電話機から伸びるコードを引っこ抜いてしまった。端っこを握って、まっすぐに私を見ている。婆さんになってしまったが若い頃の面影が残っており、他の者と比べるとよほど見栄えがする。ギラついた瞳が妖しすぎて不穏な気がした。

「あたしの母さんの姉さんが西出に出されて、ダニをくっ付けていたんだよ」

 妻が、そう言っていた。口調が若くなったように感じる。出会ったあの頃のようだ。

「あたしの家には女の子しか産まれない。だって呪われているから。ジャンジャの虫をくっ付けるために島がそういう宿命を与えたんだよ。英雄ルルシクゥを騙して殺したからさ。乾帯刀たちを家族ごと血生臭く責めて死なせたからさ」

「いきなり、なにを言い出すんだ」

「お父さんは船を買って島を出ようとしたさ。ジャンジャになって保古丹島で死ぬまで暮らすのが島の者の運命なんだ。それなのに島を離れるとか、そんなのは許されないんだよ。そう決まっているし、そのための呪いだし、呪いは絶対なんだ」

「ちょっと落ち着け」

 このまま話しを続けるのは危険だと思った。とてつもなく恐ろしい気配がひたひたと近づいている。

「だから羆殺しの毒を飲ませたんだよ、お母さんがね」

「な、」

「大羆の背骨をボッキボキ折るほど強力なんだ。{ヘビの肝潰し}っていう草の根から採れるんだよ。本土のアイヌに死ぬほど嫌われてた毒なのさ。あたしのおばあちゃんの、そのまたおばあちゃんのおばあちゃんから伝わる秘密の猛毒さ。毒を効かせるための調合がすごく難しいんだ。だけど効くまでの時間も、効き方も調整できるんだよ」

 取り返しのつかないことになると心がざわついている。アヤメの告白を聴くべきではない。

「コッタのお父さんも島を出ようとしたし、ほかにも逃げようとする人がいた。島からもらった運命を足蹴にするのはダメさ。罰が当たるんだよ。ジャンジャの呪いを拒否する者には、ジャンジャ・ドウーがふりかかるんだ。羆の背骨折りの毒さ」

 急に背中が突っ張ってきて、とても不快だ。誰かにぶっ叩かれたような痛みも感じる。しかも、それが徐々に強くなってきた。

「ジャンジャ・ドウー、ジャンジャ・ドウー、ドウー、ドウー、ドウー」

 そう叫びながら、妻が自らの顔に手のひらを当てて握りながら引いていた。村川がやっていた動作と同じだ。

「うわあ、痛い、痛い、なんだこれっ」

 信じられないほどの激痛だった。背骨と腰骨が、背面全体が怪獣の馬鹿力で押し曲げられているように、だんだんと反ってきた。シソジュースのグラスを持って、ゴクゴクと飲んでいる妻が見えた。

「た、助けてくれ。た、た、助けて」

 激甚な痛みを受けながら、体がどうしようもなく反ってゆく。容赦のない痛みであり、しかも絶え間のない激痛だ。 

「お母さんも、こうやって死んださ。お父さんと一緒に死んだんだよ。自分にも呪いをかけたんだ。ジャンジャ・ジャンジャ」

 アヤメの体も丸く反ってゆく。私と同等の痛みを受けているはずなのに、いい笑顔をしていた。お互いのブリッジが極限に近づいている。私たちの顔が接近してきた。キスをするには歳をとりすぎているし、逆さまでは満足を得られないだろう。このままでは背骨が折れてしまうという焦りと苦痛の重圧でパニックとなったが、だからといってこの姿勢はやめられない。何十年も前に見た地獄の光景を、最愛の妻の顔を逆さに見ながら味あわなければならない。

「ジャンジャ・ドウー、ドウー、ドウー、ドーーーーーッ」

 アヤメが吐く息と言葉のすべてを顔で受け止めている。バッタを握り潰したような生臭さを感じながら、どこまでも曲がってゆく。曲がってゆく。


                                  おわり





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ジャンジャの島 北見崇史 @dvdloto

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