第11話
やけに静かにしているな、と思った矢先、青年は隣室から歩を進め、リビングの席に着いた。
思考が定まっていない寝惚けた顔で、「出ました」と云う。
「実は、モースさんは私の古書店に来たことがあるのですよ」
やはり家族について話したのかと思うも、そうだろうかという疑念も同時に湧くが追求するほどのことでもない。
それよりも客だったことに好奇心が傾いている。
「今日のような曇天だと、思い出します」
「この本、所々で書き手が違うようだと言ってたのも印象的で」
つい最近に病死した父の遺品の蔵書の一冊だ。
「でも、一番印象的だったのは、その時に漏らしていた発言でしたね」
「なぜ、頑なに反対してしまったのか、あの日に訪ねたのか」と。
「セン・レンデュラ」
青年の発言に喉が詰まり、過去が通り過ぎるように押し寄せた。
「帰りがけにメモを落としまして、住所と名前が書かれていたんですよ」
用は済んだとばかりに、玄関へと向かう彼を引き止めようと試みるが、脱力して体の動かし方を忘れてしまったように、座りこんでいた。
入口を半開した軒先で、彼は告げた。
「そう、こうも云っていました」
「隠し続けることは損なのではないか」と。
「入院中の妹さんに、よろしくお願いします」
「ちょっと待って」と、錨を下ろした停留船のような体をどうにか動かして、扉を開けたが、姿はもうない。
排気音が遠くから聞こえてきた。
数刻も経っているような感覚だが、昂ぶったままの精神を落ち着かせ、庭先を通り、
倉庫の奥深く、南京錠で施錠された箱を取り出して、見下ろす。
箱を開けるのは何年ぶりか。
記憶の奥に閉じ込めた断片。
私が書き足したかった言葉、最終章の数頁。
一緒に挟まっていたメモ。見られたくなくて、とっさに取ってしまった。
「なぜ、父に住所を漏らしてしまったのか」と当時の罪悪感がべったりと思いおこされた。
青年の発言を思い返して箱から取り出した。
茶色い枠組みの一枚の紙。
排気音。
甥が帰宅したようだ。
キンセンカの花の一つが、露に濡れ、枯れ落ちる。
ふーっと、息を強く吐く。
箱を抱え、リビングへ。
風ひとつない空気に恐る恐る踏み出した。
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