第8話

ピンポーン


台所から水が流れる音が響き、香ばしい匂いをあげる鍋が置かれている。

自動車の駐車音が聞こえたので、甥だろうといきなり入口を開けた。

見知らぬ黒髪の青年が立っている。


「無用心ですよ」

「どなた?」

「あなたの甥っ子さんから古書を買い取ったものです」


なぜ甥っ子だと知っているのか、自ら話したのだろうか。

不自然さを訝しんでいる様子を察したのか、彼は本を取り出して用件を話す。


あの本。


「この度は貴重な本をお売りいただきありがとうございます、是非、他にも売却したい本がないかと思いまして」と会釈した。

「申し訳ないけど、訪問営業は断る主義なの」

すると、青年は断定口調で遮った。


「あなたの父が大切にされていた本ですね」

「落丁していて著者がわかりません、あなたが持っていますよね」と続けた。


息を止め、振り向きざまに青年をみた。

「ちょうど昼食の支度も終わったし、甥が帰るまで暇つぶしに付き合ってもらおうかしら」と、見知らぬ訪問者の入室を許可した。

鍋からは、コトコトという小気味良い音がしている。


青と緑を混ぜて薄めたような色の壁に囲まれたリビングで、叔母と向き合い、幾ばくかの時間が過ぎた。

攻め手に迷うように、沈黙が我々の間を流れている。

台所からは甘辛いような匂いが漂い、音はしない。


「甥っ子さんはご帰宅されてないんですね」

「ええ、用事がなければ出歩かない子なんだけど、珍しく遅いわね」

どうやら間に合ったようだ。


「<ジン・ヤマドリ>という小説家をご存知ですか?」

「さあ、知らないわねえ」と首を傾げた。

「稀ですが、二人で執筆する合作作家でした」と云うと、リビングの机に置かれた本に触れた。


「実は、落丁部分も併せて買い取りたいと思いまして、伺った次第です」と丁寧に提案してみる。

納得したようではあるが、表情に陰りがみえている。

「あのチラシ、本当なのね」と間を埋めるように呟くと、ちょっと待っててね、と重い腰を上げて席を離れた。


戻ってきた彼女は、「これよ」と諦めるように、薄く束になった紙の切れ端を静かに置いた。

紙は丁寧に破られたようで、端部は糊付け箇所から慎重に剥ぎ取られたことがわかる。


「金額を計算しますので、少々お時間いただいてもいいですか」と云うと、隣室に促してくれた。


内容を前から読んでいく。

小説の終盤の頁と著者欄。

<オールド・ラス>と著者名のみが記されていた。

人に依り顔写真を掲載していることがあるが、希望しなかったようである。


「おや」と拍子が抜ける声がした。

「本日、二度目の営業だな」

「じゃ、始めようか」と意識を集中させた。

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