第4話
ガシャン
せっつくような合図の後、その何者かの姿が目に入った。
黒髪の青年、横長の黒縁眼鏡から視線が流れてくる。
目が合い、彼は軽く会釈をして、「あ、どうも、買取でしょうか。」と頬を掻きながらこちらへゆっくりと体を向けた。
背は百七十五センチほど、紫がかった黒シャツを着こなし、濃い黒のジーンズという装いであった。
「あ、そうです」と返した。
何かしらの違和感。
幽霊や未確認物体を偶然みかけたらこんな気分だろうと連想させるような心地になり、思考をやめたまま彼の顔を観察していた。
「チラシをみて来てくれたみたいですね」と僕の右手を覗きながら云う。
「丁度買い取ってもらいたい古本があったんです」それだけが理由ではないのだが。デザインが魅力的だと思ったのは嘘ではないが、それよりも書かれていたキャッチコピーに興味をもったのが一番の理由だ、と握られた栞型のチラシに目を移す。
「胡散臭いでしょう?」微笑を浮かべている。
猜疑心に包まれた客の様子を楽しむのが彼の趣味ではないかと、さらに疑いを深くした。だとしたら趣味がわるい。
段ボール六箱、御使い完了。
店主が用意した台車に載せて、店奥のレジが置かれた机へ移動した。
「じゃ、早速ですが本をみさせてもらいますね。量も多いので少なくとも十五分はかかりそうなので、店の本を読んでてもいいですよ。査定が終わったら連絡しますので、先にこちらの紙に記入お願いできますか」と顧客情報を記す紙を渡された。
住所・氏名・連絡先とある質問文がある。
<どこで当店を知りましたか>
チラシ、とだけ記入した。
十五分というのは、どこかへ出かけるには中途半端だ。
推定二百冊はありそうで、題名だけで興味をそそられる本を探すのは、意外に大変である。
小説の本棚の前を歩いていると、一冊の本が目に入る。
開いた頁から流し読みをしていた。
普段は小説は読まないが。
<雲上の金鵄>
ファンタジー風の物語のようで、登場人物の占い師の女性は相手の損得を図れるようだ。
二人目の客は父と余程の不仲らしく殺人を計画しており、訪れた。
占い師は損だと判断を下した。
<損と得というのは海のようなもの。広大で不可解。同じということがないし、同じだと認識できない。時間と共に、絶妙で、巧妙なバランスで揺れ動く秤なんです>
<ただ、あなたとのお話から、秤は損だと告げています>
しばらくその文章とにらめっこしていると、ふと気付いた。音がしない。
待ち時間という、どちらが主導権を握っているのかわからない曖昧な時間が緩やかに経っていた。
掛け時計は音を発しない。
目を向けた先、レジ、店主は本に顔を埋めて死んだように眠っている。
「え?」と自然と声に出ていた。
店主に歩み寄ると、信じられないことに、一冊の本に深々と頭を沈め、頭頂部が丸見えだ。
困惑するしかなく、あまりにも安らかに眠っているものだから、声をかけるのも躊躇われた。
しばし思案した後、肩を叩いてみるが起きる気配がない。
声をかけても駄目だ。
次第に腹がたち、両肩を掴み、ゆっくりと、徐々に激しく揺すり、ようやく眼を覚ました。
ふんっ、とだらしない声をあげて眼覚めた店主は、寝ぼけ眼の左目を軽く擦り、頭を掻き、深く、細く長い息を吐いてこちらを向いた。
「何、してるんですか」それ以外にかける言葉を見付けるのは、僕には困難だ。
店主は言葉を忘れたのか喋らず、中空を見つめた後、僕の両眼を真っ直ぐに見据えてきた。先程までお客の所有物に寝そべり、待たせていた無礼者の表情とは思えないご尊顔だ。
この店内だけ、時間の経過が遅れているような錯覚を覚えるほど、店主は動かず、水を吸った雑巾を絞るように言葉を発した。
「これは高額で買い取るよ」と机上の本を持ち上げた。
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