第五十六話 白線流し

 その日、私は思い出がいっぱい詰まった高校を卒業しました。私が通っていたのは長野県の田舎にある高校で、生徒もそこまで多くなかったけど、のどかな雰囲気が私は気に入っていました。この春、私は住み慣れた長野を出て東京の大学に進学します。卒業式を終え、友人たちと別れを惜しんだ後、私はあえて一人で校内を感慨深い思いで歩き回っていました。

 一通り校内を見回った後で外に出てくると、すでに人影はまばらになっていて、私は名残惜しい思いで校舎を後にしました。そのまま三年間通い続けた通学路をゆっくりと歩いていきます。そしてその途中、川にかかった橋に差し掛かったところで、私はずっと卒業式の時にやりたかったこと……いわゆる「白線流し」をしてみようと思いました。

 白線流しとは、何でも岐阜県の一部の高校で行われている行事らしく、卒業した女子生徒がセーラー服のスカーフを川に流すというものだそうです。最近放送されて大ヒットしたドラマで扱われていて、そのドラマのファンだった私も一度やってみたいと思っていたのでした。

 私は首に巻いたスカーフを手に取ると、自身の高校生としての青春に別れを告げるように、そのスカーフを川へ向かって投げ入れました。スカーフはヒラヒラとしばらく宙を舞っていましたが、やがて川の水面に着水し、そのままゆっくりと流れていきます。この場には私しかいませんでしたが、私にはそれで充分でした。私は流れゆくスカーフが見えなくなるのを見送ると、晴れやかな気分でその場を後にしたのでした……。



 ……さて、その翌日の事である。

「先日、東京都内で女子高生を殺害して逃亡し、この長野で緊急逮捕された殺人犯・中泉種吉なかいずみたねよしが取り調べの結果犯行を自供した! 自供の結果、奴は女子高生殺しの凶器をこの川に捨てたと供述しており、検察からは公判維持のため凶器の捜索を行うようにとの指示があった。いいか、何があっても凶器を見つけるぞ!」

 捜査責任者である長野県警の警部の号令で、いかつい顔をして川岸にずらりと並んだ刑事や鑑識たちが、一斉に川辺の捜索を開始した。その様子を、東京側の捜査本部から派遣された警視庁刑事部捜査一課の榊原恵一、橋本隆一の両警部補が真剣な表情で見つめていた。

「ついにここまで来たな」

「あぁ、事件から一週間……散々逃げてくれたが、凶器さえ見つかればいよいよ事件も終幕だ」

 一週間前、都内で発生した女子高生殺しの捜査本部に投入された二人だったが、中泉が犯人である事は比較的初期から疑われており、そして実際、捜査をしてみると中泉が犯人であるという状況証拠が次々と出てくる事となった。捜査初期に行われた解剖の結果、被害者の女子高生には麻薬を常習していた痕跡があり、彼女の周囲を調べた結果、風俗店経営者で麻薬の売人としての顔を持っていた中泉の存在が浮かび上がったのだった。状況的にこの中泉が被害者に麻薬を売っていたのは確実で、そこから被害者と中泉の間に何か麻薬絡みのトラブルがあった事は充分に推察できた。

 その後の捜査でも中泉が犯人である事を示す証拠は次々と発見され、捜査本部はこの段階で中泉に対する逮捕令状を申請。東京地裁はこれを認め、逮捕状が発行されたのだが、その時には危機を察した中泉はすでに逃亡。榊原と橋本は必死にその後を追い、その結果、中泉の生まれ故郷である長野に潜伏している可能性が高いと判断。はるばる長野まで訪れた末に、ようやく中泉の逮捕に成功したという流れだった。

 そして取り調べの結果、最後にして決定的な証拠である凶器を逃走中にこの川に捨てたと供述したため、こうして県警の手を借りた山狩りならぬ川狩りが行われる事になった次第である。

「しかし中泉の奴、最後の最後に余計な事をしてくれたものだ。凶器を捨てたくらいでどうにかなるわけでもあるまいし」

「そう言うな。それだけ奴も必死だったという事だろう」

「とはいえ、見つかるといいんだがな。捨ててから日数が経っているし、下流の方まで流れていたとなれば発見するのは難しくなるかもしれない」

「まぁ、凶器が見つからなかったとしても奴の有罪は決定的だ。それ以外の証拠もほぼ固まっているし、あくまでこれは念には念を入れての事だ」

「そう考えると気が楽だがな……」

 そんな事を言いながらも川の捜索を続けていた二人だったが、それからしばらくして、二人がいた場所から少し下流の方で長野県警の捜査員が声を上げた。

「ありました!」

 その声に、周囲の捜査員が一斉にそちらに駆け寄っていく。そこに立つ捜査員の手に握られているもの……


 それは、一枚の純白のスカーフだったのである。



 ……一体どうしてこんな事になってしまったのでしょうか。卒業式から三日が経ち、私は東京の下宿に引っ越すための準備を着々と進めているところでした。大まかな荷物は全て送り終え、いよいよ出発まであと数日というところだったのです。

 ところが、今日になって突然スーツ姿の怖い形相をした男の人たちが私の家に押しかけてきて、私は何が何だかわからないまま最寄りの警察署に連行される事になってしまいました。何がどうしてこうなったのかわからず取調室で途方に暮れている私の前には、どういうわけなのか東京から来たという刑事の人が座っていて、静かに私の方を見つめていたのでした。

「改めまして、警視庁刑事部捜査一課第十三係警部補の榊原恵一です。今日は、君に少し聞きたい事があってこうして来てもらいました」

 榊原と名乗ったその刑事はまず丁寧に自己紹介して、それからなぜ私がここに連れて来られたのかを語り始めました。

「実は、先日この辺りで一人の男が逮捕されましてね。ニュースにもなっていたからもしかしたら君も知っているかもしれませんが中泉種吉という風俗店経営者の男で、麻薬売買にもかかわっていた事がわかっています。この男は東京都内で麻薬売買のトラブルから女子高生を殺害するという事件を起こしていて、その後我々の捜査網をかいくぐって長野まで逃亡していました。で、まぁさっきも言ったように県警との合同捜査の末にこの近くでその男は逮捕されたのですが、彼の供述の結果、逃走中に女子高生殺しの証拠となる凶器をある川に捨てたと自供したのです。そんなわけで、二日ほど前にその川の捜索を行い、その結果無事に川の一角からその凶器が見つかってめでたしめでたしと思っていたのですが……ちょっと困った事になりましてね」

 そう言うと、榊原という刑事はビニールに入った何かを私の前に差し出しました。それを見て、私は思わず腰が抜けそうになりました。なぜならそれは、私が卒業式の日にあの川に流したスカーフそのものだったからです。

「東京で起こった事件において、中泉は被害者の日方政美ひがたまさみという名前の女子高生が着用していた制服のスカーフを凶器に犯行に及んでいました。遅ればせながら、被害者の死因はスカーフで首を絞められたことによる絞殺です。犯行後、自分の指紋がべったりついたスカーフを現場に残しておくのはまずいと思ったのか、中泉はスカーフを持ったまま逃亡しましてね。そのスカーフを逃亡中にパッと目についたあの川に捨てたというのが中泉の自供だったわけです。だから、あの川を探してこのスカーフを見つけた時はホッとしたものですよ」

 ところが、と榊原刑事はそう言ってさらに話を続けました。

「昨日になって驚くべき報告が鑑識から上がってきましてね。調べた結果、このスカーフには被害者や犯人である中泉の痕跡や指紋が一切確認されず、それどころかまったく別の人間の指紋が付着していたという事です。一体何がどうなっているのか、最初私にはさっぱりわかりませんでした。それでこのスカーフをさらに詳しく調べた結果、このスカーフに付着していた指紋の主が君である事が判明したので、こうして警察にまでご足労願ったわけです」

 私は内心大変な事になったと顔を青ざめさせました。よりによって、白線流しのつもりで流したスカーフが私の知らない殺人事件の凶器だと誤認されてしまっているようです。このままでは私が何か事件に関係しているとありもしない疑いをかけられてしまいます。冗談ではありません。

「さて、どうですかね? この件について、何か言いたい事はありますか?」

 その言葉と同時に、私は必死になって榊原刑事に事の事情を説明し始めました。このスカーフがその東京の殺人事件の凶器などではなく私自身の持ち物である事、そのスカーフを卒業式の帰り道に白線流しのつもりで川に流した事……私は必死になって榊原刑事にその辺の事を話しました。榊原刑事は私の話を黙って聞いていましたが、やがて小さく頷くと、静かにこう言ってくれました。

「なるほど、そういう事でしたか……。つまり、君が白線流しのつもりで流したというスカーフと我々が探していた凶器のスカーフがたまたま似ていたため、誤認が発生してしまったという事なのですね」

 私は必死に頷きます。だから、もう一度川を探して本当の凶器を見つけてほしいと、私はすがるように訴えました。本物の凶器さえ見つかれば、私にかけられた妙な疑いはすぐにはらす事ができる。もちろん、川にスカーフを流した事自体はあまり良い行いとは言えませんが、身に覚えのない殺人の疑いを着せられるよりはましだと思いました。

 ところがです。直後に榊原刑事が言った言葉に、私は思わず言葉を失いました。

「あぁ、大丈夫ですよ。スカーフの指紋が一致しない事がわかった時点で、これが凶器ではない事は明白でしたからね。昨日のうちに改めて川の捜索を行って、このスカーフが見つかった所よりもさらに下流で別のスカーフを見つけました。そのスカーフには今度こそ被害者と加害者の指紋が付着していましたし、そちらが我々の求めていた凶器なのは間違いないでしょう。何にせよ、これで中泉を無事に送検できそうです」

 私は呆気にとられていました。それはつまり、この刑事はこのスカーフがその東京の殺人事件とやらに関係ない事を知っていながら私を尋問していたという事ではないですか。一体どういう事なのかと私は榊原刑事を問い詰めようとしましたが、その前に榊原刑事が相変わらずどこか静かな口調でこんな事を言ってきました。

「言った通り、東京で起こった殺人事件は昨日凶器のスカーフが発見された時点で解決しています。だから……今日、君をここへ呼んだのは東京の殺人事件について聞くためではありません。あくまで、『捜索の際に別件で見つかったこのスカーフ』について話を聞くためです」

 一体この人は何を言っているのでしょうか。私は途方にくれましたが、その間にも榊原刑事は話を続けます。

「すでに述べましたが、我々警察は当初、このスカーフを東京の事件の凶器と誤認して鑑識に検査を依頼しました。まぁ、結果から言えばこれは東京の事件の凶器ではなかったわけですが……その検査の結果、ちょっと見過ごす事ができないデータが出てきたのですよ」

 榊原刑事は意味深な表情でそう言いました。

「このスカーフから検出されたものは二つ。一つは先に言ったように君の指紋でした。これは所有者が君である以上、付着していて当たり前の代物です。ですが、もう一つはそうはいきませんでした。もう一つの検出物……それは微量の『血痕』でした」

 そう言われた瞬間、私の心臓は大きく鼓動を打ちました。ですが、榊原刑事は気づかない風に私を追い詰めてきます。

「妙だと思いました。普通に生活していれば、スカーフに血痕が付着する事などあり得ません。確かにゼロではありませんし、鼻血とかそういう場合もないとは言いませんが、そういう場合普通スカーフは洗濯するはずで、こんなにはっきり血痕が残ったまま捨てるというのは考えにくい話です。しかも鑑識の調べた結果、この血痕の主の血液型は、スカーフの持ち主と目されたあなたの血液型とは全く別のものでした。一体これはどういうことなのでしょうか。なぜ、あなたのスカーフに他人の血痕が付着しているのでしょうか」

 榊原刑事はそう言ってじっと私の目を見つめてきます。その瞬間、私はまるで蛇に睨まれた蛙のような気分を味わいました。そして、この平凡そうな表情の刑事が、実は恐ろしい狩人だったという事を今さらながら実感する事になったのです。

「そこで、私は昨日一日かけてあなたが卒業したという高校について調べてみました。そしたらおもしろい事がわかりましてね。その高校では三日前に卒業式があったそうなのですが、卒業式の後、姿が見えなくなった卒業生が一人いるそうなのですよ。もっとも、その卒業生は家族と折り合いが悪く、卒業を機にそのまま家を出て一人暮らしをする旨を常々言っていたので、我々が調べるまで家族は誰も失踪に気付いていなかったわけですが」

 そう言って、榊原刑事はおもむろに一枚の写真を私の前に差し出してきました。

森林達代もりばやしたつよ。素行はあまり良くなかったようですね。彼女は卒業式に参加してその後の最後のホームルームにいたところまではわかっていますが、それ以降の動向がわかっていません。親しい友人もほとんどいなかったようで、ホームルーム後にどこに行ったのか、誰も知らないそうです。ちなみにお聞きしますが、あなたは彼女の行方をご存知ですか?」

 私は答えられませんでした。しかし、榊原刑事は追及をやめるつもりはないようです。

「私としても気になりましたのでね。そんなわけで、県警にも協力してもらって、今まさに問題の高校の敷地内を調べてもらっています。何もなければそれに越した事はありませんが……」

 と、そこへ取調室のドアがノックされて、別の刑事が部屋の中に入ってきました。その刑事は榊原刑事の元に歩み寄ると何かを耳打ちして、それを聞いた榊原刑事は「すまないな、橋本」と小さく礼を言って、再び私の方へ向き直りました。

「どうやら、私の悪い予想が当たったようです。あの学校……校庭脇の山林部に草木に覆われた古い防空壕の跡がありますね。崩落寸前で立入禁止になっているそうですが、その防空壕の中を調べたところ、入口から少し奥に入った外からは見えない所に、彼女……森林達代の遺体が横たわっているのが見つかりました。今、県警による初動捜査が行われています」

 と、そこで今度は榊原の後ろに控えていた橋本という刑事が話し始めました。

「鑑識の話では、死因は絞殺。死亡推定時刻はおおよそ三日前。首筋に吉川線……絞殺時に被害者が抵抗して自分の首をひっかいたときにできる傷が確認されたそうだ」

「その絞殺痕とこのスカーフを鑑定してみたら面白い結果になりそうですね。それと、吉川線から流れた微量の血痕とこのスカーフに付着している血痕……私の予想では、おそらくこの二つの血痕は同一人物のものとして一致するはずです。そのスカーフに君の指紋が付着しているという事実を合わせれば、何があったか想像する事はたやすいでしょう」

 私はもう、逃れられないところまで追い詰められていました。ですが、榊原刑事はさらに私を追い詰めようとします。

「君は卒業式が終わった後、校内で森林達代を殺害し、防空壕に遺体を隠した。凶器は君自身が付けていたスカーフ。卒業して今後使う予定もなく、捨てても怪しまれないから採用したのでしょう。問題の防空壕なら遺体が発見されるのは相当先で、その頃には君は東京に引っ越してしまっている。凶器のスカーフも白線流しの名目でとっくに処分済みで、その頃になって探そうとしてももう手遅れです。そうなれば君を犯人と指摘する証拠はどこにもなく、いくら疑われても犯罪として立件する事ができない……それが君の狙いだったのでしょう」

 私はもう何も言えません。黙って榊原刑事の言葉を聞くしかありません。

「君の誤算は、事件の翌日に凶器のスカーフを捨てた川を警察が別件の殺人事件の捜査で捜索するなどというイレギュラーが発生してしまった事。しかも警察が探していた凶器というのが君が犯行に使ったのと同じスカーフで、それが東京の事件の凶器と勘違いされて見つかってしまい、その結果警察による科学捜査を受けて見つかるはずがなかった決定的な証拠を提供する事になってしまった事……。まぁ、この点は君にとって不幸だったと言わざるを得ませんがね」

 それはもう、私にとっては皮肉にしか聞こえませんでした。

「こうなればもう後は動機の解明という事になるでしょうが……おそらくは、君の過去に関係があるのでしょうね。そもそも、指紋が検出された時点でその指紋が君のものだとわかったのは、警察の指紋データベースの中に君の指紋が記録されていたからです。では、なぜ警察のデータベースに君の指紋が記録されていたのか? 警察関係者以外で指紋がデータベースに記録されている状況……それは、君がかつて何らかの事件の関係者だったという事に他なりません」

 そう前置きして、榊原刑事は決定的な情報を口にしました。

「問題のデータベースにはその詳細も書かれていましたよ。今から二年前……つまり君が高校一年生の頃、あの高校で事件が起こっていますね。具体的には、放課後に校内の体育館倉庫が炎上したという事件で、倉庫内から逃げ遅れたと思しき男子高校生の焼死体が見つかっています。記録によれば出火場所に火の気がなかった事から放火の可能性があるという事で一通りの捜査が行われていますが、その際事件当時校内にいた生徒数名から指紋の採取が行われており、その中に君の指紋もありました。まぁ、結局この時は放火を示す決定的な証拠が見つからなかった事で、不審火による失火という結論になっているようですがね」

 私は動揺を見せないように必死に俯きながら手を握りしめるしかありませんでした。ですが、相手はその程度の抵抗で許してくれるような人間ではありません。榊原刑事は容赦なく私を言葉で締め上げにかかります。

「今、件の火災を県警が調べ直しています。事が殺人にまで至っている以上、ちゃんと調べ直せば必ず何か出てくるはずです。いずれにせよ……これでもう、君が逃れる術はないはずです」

 私はもう、榊原刑事に対して何か反論する事さえできませんでした。ただひたすらに、彼の静かでありながら全く隙のない追及という名前の攻撃に耐える事しかできません。私にとってそれは、今まで経験した事がないような地獄の時間そのものでした。

 と、そこへ別の刑事が部屋に入って来て橋本刑事に何か耳打ちしました。報告を受けた橋本刑事が小さく頷くと、私に向かってこう言います。

「鑑識から連絡が入った。このスカーフに残されていた血痕と被害者の血痕が一致。さらに、被害者の首に残された索状痕とこのスカーフの形状が一致した。また、君の家から押収したセーラー服からも微量だが被害者の血痕が検出されている。多分、絞殺時に吉川線の傷からわずかながら飛び散ったんだろうな。どちらにせよ、これだけ物的証拠があれば裁判所も逮捕状を出す事に躊躇しないだろう」

 そして、榊原刑事は最後に敬語を崩してとどめを刺すように言いました。

「もう今さらという気もするが……この場でちゃんと通告しておこう。桜屋白奈さくらやしろな、君を今この場で緊急逮捕する。容疑は森林達代殺害容疑。令状はすぐにでも発行されるはずだ。観念してもらおうか」

 その言葉を聞いて、私は全てが失敗に終わってしまった事を悟り、その場で深くうなだれるしかなかったのでした……。


 後の事を県警の刑事に任せて取調室の外に出ると、榊原と橋本は深いため息をついた。

「ひとまず、終わったか」

「あぁ、最後にとんでもないおまけがついてきたが……ようやく中泉を東京に護送できそうだ。とんだ白線流しの後始末だった」

「全く、やっと犯人を逮捕して事件を幕引きできるかと思ったら、その証拠固めの過程で別の殺人事件を掘りだしてしまうとはな……まぁ、犯人の思惑通りにならなかったのは結果的には良かったが……」

 橋本が首を振りながら言い、榊原も同意するように頷く。橋本はさらにこう続けた。

「しかし、彼女の動機には驚いたな。例の倉庫火災、まさか出火の原因が彼女だったとは……」

 桜屋白奈の自供した動機……それはもちろん、かつて発生した校内の倉庫火災に関する事だったが、その倉庫火災の要因というのが、まさかの『煙草の火の不始末』によるものだったのである。それはすなわち、高校一年生の彼女が校内で喫煙をしていたという衝撃的な事実を示すものだった。

 彼女が喫煙をするようになった経緯はまだ調べ切れていないが、とにかく彼女はその頃、放課後になると件の倉庫裏で隠れて喫煙をする習慣があったらしい。が、その日はたまたま倉庫の近くに人が来て、気付かれるのを恐れた彼女は慌てて吸っていた煙草を靴で踏んで火をもみ消し、その場を立ち去った。が、このもみ消したつもりだった煙草の火の始末が不完全だったらしく、火種が残ったままだった煙草は倉庫近くに落ちていた落ち葉などに引火。これが倉庫に燃え移って火災となり、たまたま倉庫内にいた運動部所属の男子生徒一名が巻き込まれて焼死する事態になったのだという。

 事案としては殺人ではなく過失による失火という形になるが、何しろ失火原因が煙草の火の不始末である。当然そんな事は口が裂けても言う事はできず、白奈は真実を全て隠しきるしかなかった。だが、その事実に気付いてしまった人間がいたのである。

 この火災で亡くなった男子生徒の名前は井中彰二いなかしょうじというのだが、この井中の恋人だったのが、今回殺された森林達代だった。というより、事件当時問題の倉庫に井中がいたのは、恋人である達代と待ち合わせをするためだったのである。諸事情で待ち合わせに遅れた達代が見たのは井中がいる倉庫が炎上する場面であり、火災後、彼女は失火原因を突き止めようとした。そして、何人かの生徒から事件直前に白奈を倉庫の辺りで見たという証言を聞いた彼女は、白奈を追及して全ての事実を白状させたのである。

 だが、事実を知った達代はそれを警察に知らせるような事をせず、この事実をネタにして白奈を脅す道を選んだ。弱みを握られた白奈は逆らう事ができず、在学中に多額の金銭を要求されるなど達代の言いなりになるしかなかった。しかしそれも卒業までの我慢だと白奈は思っており、実際に達代から逃れるために彼女は遠く離れた都内の大学を受験したのだが、そんな白奈に対し達代は嘲るようにこう言ったのだという。

「逃がさないわよ。あんたは一生あたしの奴隷なの。すべてをばらされたくなかったら、永遠に私の言いなりになるしかないのよ!」

 ……その瞬間、白奈は達代の殺害を決意したのだという。後の事は榊原の推理通りだった。卒業式当日、白奈は校内で達代をスカーフで絞殺し、その遺体を防空壕に隠して凶器のスカーフも白線流しに見せかけて川に遺棄。そのまま上京して罪を逃れようとしたのだった。彼女にとって最大の誤算は、捨てたはずのスカーフが予想外に早く、それも警察によって押収されてしまい、しかも迅速な科学捜査が実行されて殺害の痕跡を発見されてしまうという不運が重なってしまった事だろう。

「始まりは文字通り小さな火種だった。それがここまでの大火になってしまうとはな」

「……彼女はあのスカーフごと、高校時代の忌まわしい思い出を捨てた気分だったのかもしれないな。もっとも、そんな事で捨てられるようなものではなかったわけだが……」

 何ともやりきれない話に、榊原と橋本は重苦しい表情を浮かべていたのだった……。

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