第五十四話 代償

「ねぇユカ、誰も来ないか見ておいてよね」

「わかってるわよ。アキこそ早く済ませちゃって」

 ある日、都内のある高校の昇降口の下駄箱の前で、二人の女生徒がコソコソと何かをしていた。まぁ、このシチュエーションで彼女たちがろくな事をしていないのは何となくわかると思うが、案の定、アキと呼ばれた少女は下駄箱の一つを開けて、そこにあった上履きに何か『仕込み』をしていた。ちなみに、その下駄箱に書かれている名前は『愛本定子あいもとさだこ』で、少なくともニヤニヤ笑いながら何かをしているこの二人の少女の名前でないのは確実であり、すなわち彼女たちは今自分たちのものではない他人の上履きに何かしでかそうとしているわけなのである。

「できた。ざまぁ見ろって感じね」

 アキはそう言って満足そうに下駄箱を見やった。そこにあった上履きは悲惨な事になっており、中にたくさん画鋲を仕込んだ上に、汚れた雑巾を絞った水をかぶせられ、さらに下駄箱からあふれんばかりにゴミや食べ残しが詰め込まれている状態だった。もう言うまでもないと思うが、いま彼女たちが行っているのは、陰湿極まりない典型的な「いじめ」行為そのものであった。

 いじめのきっかけは些細な事だった。その詳細については愛本定子の名誉にもかかわるのであえてここでは詳しく語るような事はしないが、とにかく他人からしてみれば「何でそんな事で?」と思うような些細極まりない事で愛本定子はこの二人のいじめの標的となってしまったのだった。そしてそのいじめ行為は他の生徒や学校関係者が知らないところでだんだんとエスカレートしていき、ついには「彼女の下駄箱に仕込みをする」という、色々と取り返しがつかないような事態にまで発展する事になってしまったのだった。

 やがて、アキはゆっくりと下駄箱の扉を閉めてニヤリと笑う。

「よしと。これで下駄箱を開けたら、あいつ目がけて中身が飛び出すはずよ。そうなったら、あいつは朝から全身ゴミだらけ。一日中臭うだろうし、あいつにふさわしい姿だわ」

 ……正直、聞いているこっちが嫌になってくるおぞましい会話ではあるが、生憎それを聞く人間はこの場にはいない。かくして、彼女たちの卑劣な企みは誰にも知られる事なく進行する事になったのである……。


「えー、愛本は今日、高熱を出して欠席だそうだ。最近原因不明の風邪が流行っているようだから、みんなも気を付けるように」

 ……次の日の朝のホームルーム。担任教師のそんな言葉に、席に座っていたアキとユカは肩透かしを食らった気分になっていた。仕掛けに引っかかった愛川を嘲笑う気満々だったのだが、肝心の本人がいないのではどうしようもない。

(まぁいっか。あいつの下駄箱を他の奴が開けるはずないし、楽しみはあいつが来るまでお預けって事で)

 アキは心の中でそう思い、小さく忍び笑いを浮かべていた。

 ところがである。お昼休みが終わって昼のホームルームが始まると、担任教師が朝とは打って変わった厳しい表情で教室に入って来た。ただし、その後から見知らぬスーツ姿の男も一緒に入ってくる。

「静かに。今からこの人から大切な話がある。しっかり聞いておくように」

 担任がそう前置きすると、隣のスーツの男が教壇の上に立って一度生徒を見回し、おもむろにこう告げた。

「失礼。私は警視庁刑事部捜査一課警部補の榊原恵一と言います。今日は君たちにお願いがあってこうしてお邪魔させてもらいました」

 その言葉に、教室内がシンと静まり返る。なぜ警視庁の刑事がいきなりこの場に現れたのか理解できなかったのだ。そしてそれは、いじめの首謀者たるアキとユカも同じだった。だが、二人の混乱をよそに、榊原と名乗った刑事は淡々と話を続けていく。

「昨日深夜、この高校の近くの神社の境内で、帰宅途中のサラリーマンが何者かに襲われ、意識不明の重傷を負う事件が発生しました。いわゆる『おやじ狩り』かと思われ、今朝になって意識を取り戻した被害者の証言から制服を着た高校生くらいの男女数名に襲われた事がわかっています。そして、大変残念な話ですが、その被害者の証言によれば、少なくとも彼を襲撃した犯人の一人はこの学校の制服を着ていたとの事です」

 榊原の発言に、誰もが緊張した表情を浮かべていた。だが、榊原は生徒たちの反応を待つことなく事務的に話を進めていく。

「そこで現場となった神社の境内を捜査した結果、犯人のものと思われる複数の足跡が採取されました。先程の被害者の証言から、少なくとも犯人の一人がこの学校の制服を着ていた事まではわかっています。そこで、我々はこのおやじ狩り事件の犯人を特定するために、この学校の生徒の靴を検査する必要があると考えました」

 そう言うと、榊原は懐から一枚の紙を取り出して生徒に見せる。

「家宅捜索、及び所持品検査の令状が東京地方裁判所から発行されました。これより我々警察は、今現在昇降口にある君たちの下履きの靴型をすべてチェックします。午後の授業が終了するまでには終わらせる予定ですので、ご不便をおかけしますが、ご協力をよろしくお願いします」

 その発言に、アキとユカの顔が真っ青になった。一方、検査の事実を告げた際の生徒の反応を観察していた榊原は、顔色を変えた二人の様子をしっかりと見て取っていたのだった……。


「よし、そろそろやるぞ」

 それから少しして、昇降口では警視庁刑事部鑑識課の圷守(あくつまもる)警部補が、部下の鑑識職員たちと共に早速昇降口の靴の確認を行おうとしていた。と、そこへ生徒たちに直接検査の実施を通告しに行っていた警視庁刑事部捜査一課第十三係の榊原恵一警部補と橋本隆一警部補のコンビが帰って来た。

「通告は済ませました。思う存分やって構いません」

「それと、これが通告をした際に気になる反応をした生徒の一覧です。この生徒の下駄箱を中心にやってもらえると助かります」

 そう言って橋本がいくつかの名前にマーカーが引かれた名簿の入ったクリアファイルを渡す。榊原と橋本がわざわざすべての教室を回って検査の実施を通告したのは、その際の生徒の反応を確認して捜査範囲を絞り込むためでもあった。

「ひとまずそのマーカーした生徒と、反応が確認できなかった欠席中の生徒の下駄箱を優先的に調べましょう。欠席中で下靴そのものがなくとも、下駄箱には下靴の靴跡が残っているはずです」

「わかってる。こっから先は鑑識の仕事だ。あんたらはそっちで控えてろ」

 圷の言葉に、二人は肩をすくめて脇にどく。確かに、ここから先は鑑識の仕事なのも確かだった。

「それじゃ、始めるぞ」

 圷の言葉に、鑑識員たちがそれぞれが担当する下駄箱に散っていく。そして、当の圷自身はあるクラスの下駄箱に鑑識道具をもって近づいていた。

「まずは、ここだな。名簿によると……気になるやる奴が四~五人、欠席が一人か。とりあえず五十音順にやっていくか。えーっと、最初はこの欠席している奴だな」

 そう言いながら圷はその欠席している少女……『愛本定子』の下駄箱の前に立ち、そしてそのまま何の気負いもなく下駄箱の扉を一気に開けたのだった……。


 ……それから三十分後、授業中にもかかわらず、授業を中断してもらった上で榊原が再び先程の教室の教壇に立っていた。そして、何とも複雑そうな表情を浮かべたままこんな事を言い始めた。

「えー……先程通告した検査についてですが、ちょっとしたアクシデントが発生して現在中断している状態です。具体的には、ある生徒の下駄箱を開けたところ、中からゴミだの雑巾のしぼり汁だの何だのが飛び出して、検査をしようとした鑑識職員がそれをかぶる被害を受けました。まぁ、これが一体何なのかについては改めて言うまでもなく皆さんも見当がついていると思われますが……私はこれはその下駄箱の持ち主に対する典型的ないじめ行為であり、それがたまたま本人ではなく鑑識職員に作動してしまったものだと考えています」

 榊原がいったん言葉を切り、その場に気まずい空気が流れる。が、榊原は容赦なくこんな事を告げた。

「この件に関して、被害を受けた鑑識職員が激怒していましてね。『絶対に俺をこんな目に合わせた奴を明らかにしてやる!』と息巻いて、警視庁刑事部鑑識課総出でこの下駄箱に対する徹底的な鑑識作業を行っているという事です。まぁ、私としてもこんな明らかな『犯罪行為』を見逃すわけにもいきませんので、本来の目的からは外れますが、犯人が『逮捕』されるまで鑑識に付き合う気でいるわけですが」

 『犯罪』『逮捕』という言葉に何人かがギョッとしたような表情を浮かべる。が、それに対して榊原は平坦な口調で告げた。

「その反応は『下駄箱の靴にいたずらしたくらいで犯罪なんて大げさだ』とでも言いたそうですが、それは認識が甘いというものです。今回の下駄箱の靴に対する破損行為の場合、他人の所有物及び学校の備品である下駄箱を勝手に破損していますから具体的には『器物損壊罪』に該当する可能性があります。さらに靴の中に画鋲を仕込んでその靴の持ち主に怪我を負わせようとした行為は、万が一成功していた場合明らかに傷害罪です。というか、現実に鑑識職員がゴミだの汁だのをかぶる被害を受けているので、実際問題として鑑識職員に対する傷害罪もしくは暴行罪が成立する可能性もあります。法律上の暴行罪は別に相手に怪我をさせずとも、衣服など相手の付属品を故意をもって破損させた場合にも成立する場合がありますのでね。極端な話、相手にコーヒーをかけたとか、コショウをかけてくしゃみさせた程度でも理論上は暴行罪が成立する事があるんですよ。そういうわけですので、警察としてもこれらの犯罪を行った犯人の特定に全力を尽くし、犯人を特定次第その人物を逮捕もしくは補導する事となるでしょう」

 感情を交えず淡々と言っているのがかえって怖い。その榊原の態度に、この場の誰もが緊張した表情を浮かべつつあった。

 もっとも、正確に言えば器物損壊罪は被害者が警察に届け出る事で初めて捜査が始まる親告罪に相当するのだが、怒り心頭の圷が即座に風邪で欠席中の靴の持ち主に連絡を取って説得を行い、見事に靴の破損に対する被害届を提出させる事に成功していた(もっとも、相手は若干引き気味だったらしいが)。とはいえ、榊原としても親切にその辺の事情を説明する気は全くなく、ただジッとこの場の生徒たちの反応を観察していた。

 そんな事とはいざ知らず、自分の行った行為を警視庁の誇る鑑識が本気かつ全力で調べているという事実に、アキとユカの顔色がますます悪くなっていく。だが、榊原は容赦する事なくさらに言葉を続けた。

「さて……改めてお聞きしますが、この件に対して何か心当たりがある人はこの中にいませんか? いれば情報の提供をお願いしたいのですが」

 榊原の要請に対し、教室の中が静まり返る。だが、榊原はそれを見ると小さくため息をつき、何を思ったのかゆっくりと後ろの席に座っていたアキの所まで歩いてくると、おもむろにこう問いかけた。

「君はどうですか? 何か言いたい事があるのでは?」

「わ、私、ですか?」

 いきなりドンピシャで指名されてアキが声を震わせながら返答する。

「えぇ。先程から、不自然に私から視線を外すような仕草を何度か見せているので、何か知っている事でもあるのかと思いましてね」

 榊原の鋭い観察眼に、アキの心臓が思わず縮こまる。が、だからと言って本当の事を言うわけにはいかない。

「べ、別に何もありません。気のせいじゃないですか?」

「そうですか……。それなら、逆に聞きますが、君はこの件についてどう思いますか?」

「ど、どうと言われても……」

「今回の下駄箱にいたずらを仕込んだ人間が具体的に誰なのか、それについて何か考えはないかと聞いているんです。どうですか?」

「あ、ありません! そんな、同級生の下駄箱にいたずらをする子の心当たりなんて……」

「ふむ……」

 榊原は少し何か考えるような仕草をすると、なおもしつこく質問する。

「では質問を変えますが、今までにこの学校で同様のいたずらがあったという話を聞いた事はありますか?」

「それは……なかった、と思いますけど……」

「絶対にですか?」

 そのあまりのしつこさに、だんだんアキはだんだん腹が立ってきた。

「聞いた事もありません! というか、女の子の下駄箱にそんないたずらがされていたら絶対に噂になっています! 嘘だと思うなら先生に聞いてください!」

「……なるほど」

 榊原は一言そう呟くと、小さくため息をついた。

「わかりました。質問はこれでおしまいです」

 そう言われて、アキは心の中で密かにホッとする。が、それを見計らっていたのか、榊原は静かにこんな言葉を告げた。

「ただ、最後に一つだけ君にアドバイスしておく。……嘘をつくならもう少し隠す努力をすべきだね」

 その言葉に、緩んでいた教室の空気が一瞬で再び張り詰めたものへと変化した。いきなり突き落とされた形になったアキがぎこちなく榊原を見上げる。

「ど、どういう事ですか?」

「どうもこうもそのままの意味だ。今のやり取りの中で君は明らかに嘘をついている。もっと言えば、君の話を聞いて、私は君がこの悪質極まりないいたずら……否、『犯罪』の犯人である事を確信した」

 今までの敬語口調を崩して無表情のまま一気に糾弾しにかかって来た榊原に、アキは絶望的な表情になりながらも必死に反論しようとする。

「どうしてそんな事になるんですか! 私は嘘なんか……」

「生憎だが、私は刑事として、文字通り己の人生をかけて嘘をつき通そうとする凶悪な犯罪者たちと常にやり合っているものでね。それに比べれば、この程度の嘘を暴くのは大した話じゃない」

「何を言っているのか……」

「君は、一連の会話の中で言ってはならない事を二回も言ってしまっている。自分でそれがわからないのか?」

 そう言われて、アキは頭が混乱した。自分の感覚の中ではあの短いやり取りの中でそんな致命傷になるような事を言った覚えがなかったからだ。だが、榊原は冷静にアキの発言の中に潜んでいた『致命傷』を指摘していく。

「まず一つ目。私がいたずらを仕込んだ人間に心当たりがないかと聞いたところ、君は『同級生にいたずらをする子の心当たりはない』と言った」

「そ、それが何か……」

「何でも何も、どうして君はいたずらをされた生徒と犯人の関係が『同級生』である事を知っている?」

 そう言われて、アキはハッとする。

「私はここに至るまで、問題のいたずらがなされていた下駄箱とその被害者については『ある生徒の下駄箱』とか『下駄箱の持ち主』としか言っておらず、プライバシー保護のために名前はおろかクラスも言及していない。にもかかわらず、君は被害者と加害者が『同級生』の関係である事を前提とするような発言をした。これは実際にいたずらを仕込んだ犯人しか知りえない情報だ」

「そ、それは……」

「二つ目。その後、私がさらに強めに追及すると、君は『女の子の下駄箱にいたずらがされていた』という趣旨の発言をした。だが、これもさっきと同じ理由でおかしな話だ。君はなぜ、私がいじめの被害者について何も言っていないこの状況で、問題の下駄箱の主が『女の子』である事を知っていた? 今までの会話の情報では、被害者が男子か女子かの判別は不可能なはずだ」

「……」

 すでにアキは何も言えずに口をパクパクさせている状態だった。自分が知らない間にあの短い会話の中で犯人しか知りえない情報を二度も口に出してしまっていた……その事にかなりのショックを受けていたのである。というより、アキ自身が気付かないように短いやり取りの中でその発言を引き出した榊原の技量の方が一枚上手だったというべきだろうか。

「以上二点より、君が犯人しか知りえない情報を知っており、従って犯人である可能性が非常に高いと判断する。捜査の専門用語では『秘密の暴露』と呼ばれる奴だ。今後のためにも覚えておくといい」

「そ、そんなの……ただの思い違い……」

 必死に取り繕おうとするアキに榊原はさらに追い打ちをかける。

「だったら、指紋の採取に協力してもらおうか」

「し、指紋、って!」

「言っただろう、徹底的に調べると。どうやら下駄箱にいたずらした奴はその辺の事に無頓着だったらしくてね。鑑識いわく、あちこちに下駄箱の持ち主とは別の指紋がべたべた付着していたそうだ。試しに君の指紋と比べてみようか? もし一致したら、他人の下駄箱に指紋が付着している事について納得のいく説明をしてほしいものだね」

 無頓着も何も、下駄箱へのいたずらに警察が本気で指紋の検査までしてくるなんて想定外もいい所である。だが、榊原はさらにとんでもない事を言いだす。

「あぁ、一応任意だから別にこの場で断っても構わないが、その場合は東京地方裁判所に対して正式に指紋採取の令状発行の申請をする事になる。さすがに全生徒を対象にするとなれば裁判所も渋るだろうが、対象が君一人に絞られた今なら裁判所も比較的簡単に令状を出すだろう。それまで待つかね?」

「さ……裁判所……令状……」

 スケール感を間違えているとしか思えない単語を連発されて、アキの思考は完全に混乱状態に陥っている。だが、榊原はなおも止まらない。

「さて、それはそれとして……君の共犯は誰だね?」

「ふえっ!?」

 アキはらしからぬ悲鳴を上げて絶句した。

「言っただろう、指紋を調べたと。その結果、下駄箱の扉からは持ち主以外に二種類の指紋が検出された。すなわち、このいたずらを仕込んだ人間は二人だ。一人は君として……もう一人は誰だね?」

「そ、そんなの……」

 反射的にアキは否定するが、榊原はさらにこう続けた。

「ところで、さっき前から観察していたところ、君は私から視線を外すたびになぜか右の方に視線を向けていた。そちらに何かあるのか、あるいは無意識に仲間とアイコンタクトでもしていたのか……はてさて、どういう事やら」

 そう言いつつ、榊原はアキが視線を向けていた方を睨む。もはや追及するまでもなかった。榊原の鋭い視線を受けて、一人の少女……ユカが目に涙を浮かべながら全身をガタガタと震わせていたからだ。それは、自分が彼女の共犯者である事を全身でお知らせしている状況であった。榊原は小さくため息をつくと、ユカの傍に近づき静かに告げる。

「どうやら、君も何か言いたい事があるようだね。話があるというなら聞くが……どうだい?」

 その瞬間、ユカは反論するまでもなく糸が切れたように机に突っ伏し、そのまま嗚咽を漏らし始めた。その瞬間、アキは想定外の形で全てが終わってしまった事を身をもって実感する羽目になったのだった……。


「……で、どうなったんですか?」

 それから約十年後、警察を辞めて私立探偵となっていた榊原に自称助手の女子高生・深町瑞穂が尋ねた。

「どうも何もないよ。いじめを主導していた女子高生二人はその場で逮捕され、警察署で厳しい取り調べを受ける事になった。さすがに起訴まではされなかったが、書類送検くらいにはなったはずで、確かそのまま退学処分になっている。なお、そもそも下駄箱を調べる理由になったおやじ狩り事件については、後の調査で別のクラスの女生徒がやった事が明らかになって、そっちも無事に解決している」

「はぁ……」

 下駄箱にいたずらして逮捕というのもすごい話だが、確かに考えてみれば、他人の下駄箱にいたずらして靴や下駄箱を破損させたとなれば器物損壊罪に問われてもおかしくないし、そのいたずらで相手が怪我なりをしたら確実に傷害罪だ。というか、他人の物を意図的かつ勝手に壊したり、相手を故意に傷つけたら犯罪になるのは当たり前の話ではないか。

「問題なのは、刑法的には明らかに犯罪であるにもかかわらず、その行為が単なる『いたずら』『嫌がらせ』で済まされてしまっている事だ。『おやじ狩り』にせよ『いたずらで画びょうを仕込む行為』にせよ、どちらも相手がそれで怪我をすれば傷害罪になる事に変わりはないのに、どういうわけか当事者たちは後者の方が軽いと感じてしまう。実際は警察が介入すれば明確な犯罪行為として捜査が行われ、状況いかんでは逮捕や補導、最悪の場合有罪判決まであり得る行為にもかかわらず、その認識が当事者たちにはないという事だ。ゆえに、本人たちは罪悪感なしで気軽にその行為を行ってしまう。若気の至りとか、ばれなければいいというものではない。今自分がやっている行為に自分の人生を破滅させる可能性がある事をわかっていれば、このような事をする人間もいなくなるはずなんだが……」

 残念ながら、現実はそこまで単純ではない。それがわかっているにもかかわらず、この手のいじめの事案は今もなお定期的に発生し、その都度世間を騒がせ続けている。そうしたいじめ問題を解決するのがどれだけ難しい事なのか、榊原も元刑事としてよく知っており、そして今もなお答えを探し続けている途中であった。

「何にせよ、気に入らない相手を傷つけたいという意味のない目的のために、彼女たちはあまりにも重い代償を払ったという事だ。……『人生』という、目的と全く釣り合わない代償をね」

 榊原の重い言葉に、瑞穂は何も言い返す事ができなかったのだった……。

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