第四十八話 『侍』と対決した男
草木が眠る丑三つ時、月明かりの下、多くの木造長屋が建ち並ぶ江戸の街の一角を、武士と思しき姿をした集団が突き進んでいた。全身が緊張した表情を浮かべ、黒羽織を着込んだその腰にはそれぞれが日本刀をぶら下げている。
やがて、彼らは開けた通りに出ると、誰もいない闇夜の道をさらに進んでいく。そして、その足がある家の前で止まった。家の前には『越前屋』と書かれた文字が躍っており、どうやら宿屋か何かのようである。無論、この時間ではすでに戸締りがなされており、中の様子は一切伺えない。
「ここか?」
「へぇ、間違いありやせん」
指揮官と思しき武士の言葉に、隣に控えていた卑屈そうな顔の岡っ引き風の男が薄笑いを浮かべながら答えた。それを見て、指揮官の武士が後ろに控える武士たちに小声で呼びかける。
「よいか。今一度確認しておくが、我らがこれより相手をするのは、かねてよりこの江戸の街で盗みを繰り返す『雀小僧』の一味じゃ。世間では悪徳商人から盗んだ金を貧しき者に配る義賊だのなんだのと言われておるが、所詮は盗賊。我らが火付盗賊改、これを許すわけにはいき申さぬ。こうして奴めの隠れ家を突き止めた以上、この場で一人残さずひっとらえねばならぬ」
その言葉に、武士たちは無言のままいっせいに刀を抜いて臨戦態勢に入った。
「情報によれば、一味には凄腕の用心棒が雇われておるという。各々方、決して油断めされるな。抵抗するようならば容赦なく切り捨てい」
「はっ」
その言葉を合図に、指揮官の武士がゆっくりと『越前屋』の扉に手をかけようとした……その瞬間だった。
「グァッ!」
不意に一番後ろからそんな声がして、全員が咄嗟に振り返った。
そこには、古びた袴に編み笠をかぶったいかにも浪人めいた姿の男が無言のまま立っていた。その手には血にまみれた抜身の刀が握られ、一番後ろにいた武士が不意を突かれて背中を袈裟斬りされ、その場に倒れ伏している。その姿を見て、武士たちの誰もがどよめいた。
「お、お前、誰だ!」
一番近くにいた武士が思わずそう問いただすが、それに対する答えなのか、浪人風の男はサッと鋭く刀を切り上げてその武士を問答無用で斬り捨てる。そして一言、こう呟いた。
「……成敗」
その瞬間、武士たちの間に恐慌が走った。
「う、ウワァァァァッ!」
誰かが叫ぶが、彼らが行動を起こす前に浪人風の男は動いていた。手に持つ刀を鋭く切り返し、手近な武士から一人、また一人と斬り捨てていく。その度に鮮血がほとばしり、武士たちがもんどりうって地面に倒れ込んでいく。何人かは刀を投げ捨ててその場から逃亡したが、最終的にその場には五、六人の武士の骸が転がる事となった。
そして、最後に残った一人……先程の指揮官の武士は尻餅をつきながら必死に後ずさり、ついには『越前屋』の扉にまで追い詰められていた。武士としては非常に情けない姿であったが、そうしてしまうだけの威圧感がその浪人にはあった。
「く、来るな! やめてくれ!」
指揮官の武士は必死に刀を振り回しながら相手が近づかないようにするが、浪人風の男は最小限の動きでその刀を自分の刀で弾き飛ばし、指揮官の武士の刀ははるか遠くへ弾き飛ばされてしまった。そして、すっかり怯え切った指揮官風の武士の前で、浪人風の男はゆっくりと刀を上段に振りかぶる。
「……成敗」
「や、やめてくれぇぇぇ!」
指揮官の武士の悲鳴にもかかわらず、浪人風の男は大上段から刀を振り下ろそうとし……
「やめろ!」
背後から突然聞こえた声に寸前で刀を止め、怯えきって失禁してしまっている指揮官の武士からゆっくりその声の主の方へ顔を向けた。そこには……
「警察だ! 動いたら容赦なく撃つ! おとなしくその刀を捨てろ!」
そう叫びながら拳銃を構えて浪人風の男を睨みつけるスーツ姿の刑事と思しき二人の男の姿があったのだった……。
……正直、傍から見たら何が何だかわからない光景だった。というより、武士たちが死闘を繰り広げているこの場において、スーツ姿の刑事はいてはならないというか明らかに場違いな存在だった。
だが、二丁の拳銃を向けられても、浪人風の男は全く動じる様子がなかった。そればかりか、編み笠に隠れた口元をにやりと歪ませると、何を思ったのか刀を振りかぶってそのまま拳銃を構える刑事たちの方へ突っ込んできたのである。
「くそったれ!」
刑事たちは叫び、反射的にそれぞれ拳銃を発砲する。が、相手が動いていた事から一発は外れ、もう一発は相手の左腕を貫通したが、それでもなお男は右手一本で刑事たちに斬り込んできた。
「くっ……!」
刑事の一人がその太刀筋を必死に避けようとしたが、避けきれずに剣先が右肩をかする。彼の血が飛び散り、その手から拳銃が滑り落ちた。
「橋本!」
「俺は大丈夫だ! それより榊原、気をつけろ!」
そう言われてもう一人の刑事……榊原は再度拳銃を男に向けようとする。が、男はニヤニヤと口元に不気味な笑みを浮かべながら続けざまに右手一本で刀を振り回す。榊原はそれを避けるのに必死で銃を構える余裕がない。が、その時だった。
「なめるな!」
男の背後から橋本がその辺に転がっていた刀を振りかぶって思いっきり相手の背中に叩きつけた。その瞬間、相手の動きが一瞬止まり、その隙に榊原が間髪入れずに銃を構えて発砲した。弾は残る右腕に命中し、今度こそ相手の手から刀が地面に落ちる。
「確保だっ!」
すかさず榊原と橋本が前後から男を組み伏せ、なおも暴れようとする男に手錠をしっかりはめる。それと同時に、今度は二人の後ろの方から銃を構えた制服警官が何人も二人の元に駆け寄って来た。
「遅いぞ!」
抵抗する男を取り押さえながら橋本が警官たちに叫ぶ。
「すみません! 連絡を受けてすぐに来たんですが」
「本庁に連絡は!」
「もう、済ませてあります!」
「無線を貸してください!」
榊原は男を橋本と警官に任せると、渡された無線にこう告げた。
「こちら捜査一課の榊原! 大田区××東都第二撮影所内で発生した殺傷事案について被疑者を拘束! 至急救急車と応援を頼む! 繰り返す……」
榊原が怒鳴りつけている中、男の襲撃を逃れた武士……の格好をした役者たちや撮影スタッフたちは、江戸時代を再現したセットの中で警官たちに取り押さえられている浪人風の男……否、殺人鬼の姿を青ざめた表情で見つめていたのだった……。
「死者七名、重軽傷者八名。控えめに言っても大惨事だ」
それから一時間後、駆けつけた鑑識や他の刑事たちが捜査する中、肩に受けた傷を応急処置で手当てしてもらった橋本が吐き捨てるように言った。江戸時代風のセットの中では何人もの武士の姿をした人々が倒れており、パッと見ればそれは時代劇での斬り合いシーンが終わった後の光景に見えなくもない。だが、彼らは演技ではなく本当に斬殺されており、彼らの周りには刑事ドラマおなじみの白いチョークによる線が引かれ、鑑識たちによる徹底した鑑識作業が行われるなど、ちょっと見ただけでは世界観がおかしくなりそうな光景が広がっていた。
そんな中、榊原は今までにわかった情報を橋本と共有する。
「本来の用心棒の浪人役の役者は控室で殺されていた。その後、彼から衣装を奪って主役の浪人に化けてセットに侵入し、この場で武士たちの役者たちを次々と斬殺した、という手口らしい」
「そりゃ役者たちも慌てるはずだ。格好こそ武士だが、本当の命を懸けた斬り合いなんか当然した事もないんだからな。刀を放り出して逃げたり、泣きわめいたりしても何の不思議もない。というか、その刀も模造刀だから、本物の刀相手に抵抗も何もないんだが……」
男の襲撃の時に武士たちが大した抵抗もせずに斬られていったのも当たり前の話だった。そして、橋本が転がっていた刀を犯人に叩きこんだのに相手が無事だったのも、それが模造刀だったのだから当然の話である。
「被疑者は
「自分が納得できない理由で解雇されたという恨みに覚醒剤の影響が重なってこんな凶悪犯罪をしでかしたって事か。無関係な人間を巻き込んだ事といい、やりきれない話だな」
「正直、たまたま私たちがこの撮影所に来ていなかったら被害はもっと凄まじいものになっていた可能性さえある」
……あの時、榊原たちがすぐに犯行現場に踏み込めたのは、たまたまこの近くで発生した別件の事件の聞き込みで撮影所の守衛に話を聞いていた時に、撮影所から血相を変えて飛び出してきた役者の一人(それはあの卑屈な表情を浮かべた岡っ引き役の役者だったが)が守衛に助けを求めてきたからだった。話を聞いた榊原たちは守衛に警察への通報を頼み、そのまま拳銃片手に現場に突入。かくして江戸時代を再現したセットの中で、刀を振りかざす浪人風の男と、拳銃を構えた刑事による死闘が演じられる事になった次第である。
「時代劇なら一人の武士が複数の相手を斬り捨てていくという光景もありかもしれないが……現代でやられるとまったく洒落にならないぞ」
「あぁ、同感だ。何にせよ……あの男は絶対に許すわけにはいかない」
そう言いながら、二人は現場から運び出されていく犠牲者たちの亡骸に対し、静かに黙祷をささげたのだった……。
「……それで、その事件はどうなったんですか?」
それから十数年後、警察を引退して私立探偵となっていた榊原の事務所で、事件の話を聞いていた榊原の自称助手である女子高生・深町瑞穂がいつもと比べて少し真剣な表情で尋ねた。
「どうもこうもない。極刑が下されたよ」
「極刑……」
榊原の重い言葉を瑞穂は思わず繰り返す。
「何しろ七人も亡くなっているんだ。裁判で弁護側は心神喪失による減刑を主張したが、裁判所は『主演の役者に化けてセット内に入り確実に殺戮が行えるようにするなど計画性があり、またそれを行うだけの判断力は残されていた』と判断。そもそも事件当時は撮影中だったわけで、奴の犯した犯行の一部始終がカメラに記録されていた。これらの証拠が決め手となって、最終的に裁判所は検察の求刑通り死刑を言い渡している。控訴しなかった事もあって一審で確定し、確か判決から六年くらいで執行されているはずだ。当時人気番組だった時代劇『雀小僧』シリーズはそのまま打ち切り寸前まで行ったが……犯人の目的が番組を潰す事だった事もあり、『ここで打ち切ったら犯人の思惑通りになってしまう』と思ったファンや被害者遺族の後押しもあって、五年以上の歳月はかかったが不定期放送という形で復活している。それだけが唯一の救いではあるがね……」
そう言って、榊原は遠い目を浮かべる。
「もっとも、本物の武士だの侍だのがこの事件の話を聞いたら、間違いなく『侍を馬鹿にしているのか』と怒り狂うだろうがな。本人は取り調べの中で『本物の侍がやっていた事を真似して何が悪い』とかふざけた事を言っていたが……いくら外見を似ていようとも、私があの時戦ったのは侍ではなくただの殺人犯だったと今この場でも断言できるよ」
「……だから、この事件の記録でも『侍』とカッコ書きしたり、犯人の事を『男』って書いたりしてあるんですか?」
「まぁ、どう思ってもらっても君の自由だが、ね」
そんな事を言う榊原に、瑞穂は何も言う事ができなかったのだった……。
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