第五話 狂気の砂時計
私が彼と初めて出会ったのは高校の時でした。私はそれまで地方に住んでいたのですが、父の転勤で横浜に出てくることになり、その高校に転校することになったのです。新しいセーラー服に身を包み、先生の紹介でクラスの皆に頭を下げ、顔を上げた時に目に入ったのが彼でした。彼は教室の一番後ろでじっとこちらを見ていたのですが、その視線を感じたとたん、私の体を何ともいいがたい衝撃が駆け巡ったのです。
彼はクラスでもあまり目立たないタイプで、どことなくのんきな性格の人でした。しかし、その分人望はあったようです。新聞部に所属していて、テニス部に入った私によく取材をしに来てくれました。私はその当時から彼に恋心を抱いていたのかもしれません。しかし、結局在学中に話しかけることはできず、彼は東京の有名大学に行ってしまいました。
私は高校を卒業したあと地元の中堅大学に入りました。しかし、そこでの日々は退屈の毎日です。彼のいない日常など無きに等しかったのです。数年後、彼のご両親が事故死したという噂が流れました。そして、彼がそれを期に職に就いたということも知りました。私も大学を卒業し、東京の会社に就職しました。私は彼に会えるのではないかとかすかな希望を抱きました。しかし、彼は順調に出世を果たし、重要職についている身分。彼はすっかり私の手の届かない場所に行ってしまっていたのです。私はいつしか、同じ会社の同僚と恋愛関係に陥り、めでたく結婚しました。夫との生活は順調で、子供こそできませんでしたがそれなりに幸せな生活を送っていました。けれども私の心にはいつも彼がいたのです。
それから数年が過ぎました。ある日一本の電話が家にかかってきました。その声を聞いた瞬間、私は天にも昇るかと思いました。忘れもしません。それは彼の声だったのです。しかも彼は私に会いたいと言ってきたのです。幸い夫は今家にいません。私は喜んで承諾しました。
そして今、私は家の居間で彼の到着を待っているのです。電話から一時間はたっているでしょうか。私は興奮しながら玄関を見ています。と、不意にチャイムが鳴りました。私はインターホンで答えました。すると声が返ってきました。彼です、間違いありません。私は喜びのあまり笑みをこぼしながら玄関に向かいました。彼がそこに立っていました。微笑む私に向って、彼は話しかけてきました。
「警視庁捜査一課警部補の榊原です。
東田家の居間を鑑識が調べている。榊原はそれを見ていた。犯行に使用されたナイフなどがタンスから発見され、東田麻美の犯行は確定的なものとなった。麻美は逮捕状を突き付けられても微笑んでいるだけで、警察に連行されていた。
と、後ろから彼の同僚である橋本警部補が入ってきた。
「榊原、あの女、お前の同窓だってな」
「ああ。転校生でな、テニス部のエースで、文武両道の手本みたいなやつだった。おまけに美人ときた。学校中の男子が狙っていたよ。もっとも、私には苦手なタイプだったが」
「そんなやつが、自分の夫を事故に見せかけて殺して、その後愛人になったパトロン連中を次々惨殺とはねえ」
榊原は一冊のノートを橋本に渡した。
「なんだこりゃ」
「あいつの妄想日記だ。やつは夫を殺したあと、パトロンになったやつがまるで昔からの想い人であったかのように自身に暗示をかけていた。そうすることで自身の行為を正当化していたんだ。それによれば次は私だったようだ」
「で、相手がつまらなくなったら殺していたわけだ。最初の夫殺しも動機は物足りなかったからだそうだ」
橋本の言葉に、榊原は厳しい表情で答えた。
「砂時計だよ。あいつは学生時代、何をやらせても完璧で、将来苦しむことなどないと思われていた。しかし、現実はただの平凡な人妻。プライドの高いあいつはそれで狂気の砂時計がひっくり返った。砂時計はひっくり返さなければ平穏だが、返したが最後、時間とともに中身が別の物に入れ替わる。時間はすべてを変えてしまうということだ」
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