砂糖の足跡

ろくろわ

白砂糖


「好きな作家は誰ですか」


そう聞かれると困る。

多分、同世代の人よりは本を読んでいると思うし、ジャンルだって問わずに、何でも気になった作品は読み込んでいる。勿論、作者毎の。話毎の好きな表現やストーリはあるのだが。


同期の子と職場近くのイタリアンカフェ・フィオレのテラス席でランチ中。

何の話題からそうなったのか、趣味の話となり「本を読むこと」と答えた所から好きな作家の話になった。

彼女曰く、最近流行ったドラマの元になった小説を読み始めた所、思いの他面白く、そこから本を読むことにハマっているのだそうだ。

彼女は、有名な作家とその作品の幾つかを愉しそうに語り出すと、私に1つずつ同意を求めてきた。

私は、その一つずつに自分の感想を交えつつ答えていった。読んだことのある作品なら、その良さを。知っている作者ならお勧めの作品を。


…答えながら、中々忘れられない追憶の中の1人の事を思い出していた。


「好きな作家は誰ですか」

そう聞かれると困る。

だって、私が読んできた数々の話の中で、今尚、色を覚えている話を書いていた彼女は作家ではないのだから。


……………………………………………………………


波多野はたの ひとみは、自室の1人掛けのソファーに座り、昼間の会話を思い出していた。


あのランチの後から、私の気持ちはどこか、落ち着かなかった。

午後からの仕事の合間も、帰りの電車の中でも。

帰宅してからは、より一層その胸の奥底にある気持ちは表にたって、まだそこにいる事を教えてきた。


内浜うちはま 綾乃あやの


高校のときの同級生で、私に文字の世界の面白さを教えてくれた人。今は随分と前の事なのに、彼女の世界は色褪せること無く私の中に留まり続けていた。


彼女、綾乃とは1度も同じクラスになった事は無かった。2年次の文理選択で、私は何となく理系を。彼女は文系を選択したのだから、同じクラスになりようもなかったのだけど。

そんな綾乃とどうやって仲良くなったのかとか、いつから一緒にいたのかとか、そんな事はもうすっかり思い出せないでいる。

ただ、今でも綾乃が初めて書いて見せてくれた小説の事だけは覚えている。


当時はスマホ等なく、携帯電話が主流だった。

着信音も着メロと呼ばれていて、今みたいなSNSや投稿サイト等も少ない時代。自分で作ったホームページ上で綾乃は話を書いていた。

何故私に見せてくれたのかは分からない。

でも、見せてくれた小さな携帯の画面から紡がれていた世界は、広くて綺麗だった。

綾乃の創った話からはどれも、薄い紫色のような淡い赤色のような、私の言葉では言い表せられない色を感じた。

そして、それは綾乃からも感じていた色だった。


綾乃の創る話には、どれも綾乃の色が見えた。

そして、情景は鮮明に浮かび匂いや音を感じとれた。

ただの文字は、どれも生きていた。


私はその綺麗な世界に魅了された。

自分と同じ年の同級生が、これだけのものを創りあげている事に素直に驚いた。

私が色々な本を読み始めたのは、綾乃みたいな世界を書きたかったからなのだ。

同期の彼女には嘘をついた。

私の本当の趣味は、本を読む事ではなく話を書く事。

1度も完結できたことはなく、頭の中で作っては消えていくだけだが、それでも私は何かを書きたいのだ。




「瞳って、女の子みたいな名前だよね。今度私が瞳のひとみって題材で小説を書いてあげるよ。そうだ、瞳も書いてみるといいよ。きっと綺麗な話が書けるよ。そしたら、お互いの話を見せ合おうよ」


綾乃が言ったあの言葉を私は忘れられない。


結局、卒業までに話を書き上げる事はできず私は地元の大学へ。綾乃は県外へと進み、そこからお互い連絡を取り合うことはしなくなった。

携帯電話は、いつしかスマホとなり、ホームページは閉鎖され、彼女の色を見ることも出来なくなった。


きっと綾乃はもう、話を書く事はしていないだろう。


高校の教室。

遠くに聞こえる運動部の声。

カーテンが揺れ、窓から入る風の形。

椅子に腰掛け、携帯を触っている綾乃の色。


私だけがあの頃のまま。

今も作れない話を作っている。


記憶の中の綾乃の心は砂糖のようだ。

踏みしめると硬く、熱を帯びて触れると絡まり、水のように穏やかな気持ちでいようとしても、溶けて甘く私の中に入り込む。




「好きな作家は誰ですか」

そう聞かれると困る。

薄い紫色のような淡い赤色のような、そんな色の彼女を思い出してしまう。


真っ白な砂糖に、私の足跡がつくことはない。


それが分かっているのだから。









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