日本ではね、神社にお参りするとき高速でお辞儀するの。

一ノ瀬一

第1話 日本ではね、神社にお参りするときは高速でお辞儀するの。

 俺はレオ。今日は観光のためにアメリカから日本に飛行機でやってきた。日本に来るのは初めてでとても緊張しているけど、今日はゲーム仲間のミサキが案内してくれることになっている。見知らぬ異国の地で知り合いがそばにいるというのはやはり心強い。

 待ち合わせ時間を間違えて遅く伝えてしまっていたために空港でしばらく待たなければいけないというアクシデントはあったものの、時間通りにミサキは現れた。

「レオ……で合ってる?」

「ミサキ、会えて嬉しいよ」

 ヘッドフォンごしにずっと聞いていた声が目の前の女性から出てくる。ミサキはひんやりした声から想像していた通りのクールな雰囲気を纏った美人だった。アメリカの女性に比べると身長は低めなものの、すらりとしたスタイルが実際よりもその身長を高く見せていた。

「じゃ、早速行こうか」

 二人で喋りながらそのままエスカレーターに乗ると、ミサキが言う。

「日本だとエスカレーターは左に乗って右は急ぐ人のために開けておくの。今は人がまばらだからあまり関係ないけどね」

「へぇ。アメリカにもエスカレーターはあるのに、聞いたことないルールだ。こういうのって日本に実際に来てみないと分からないものだから旅行気分が味わえていいね」

 キャリーケースを持ち上げてミサキの後ろの段にスッと移動する。心なしかキャリーケースが軽い気がしたけど、きっと気のせいだ。忘れ物がないか出る前に確認したからな。

 キャリーケースといえば空港でトイレに行ったときにベンチに置き忘れてしまったが、トイレから戻ってきてもキャリーケースはまだベンチのそばにあった。日本の治安はいいと聞いていたけど本当らしい。

「コースは任せてって言っていたけど今日はどこに連れて行ってくれるんだい?」

「んー……まずはお寿司屋さん、かな。お店が閉まるかもしれないからエスカレーター降りたら急いで」

 キャリーケースを持ったまま急ぐのは正直大変だけど、寿司のためならなんてことない。本場の寿司は一番の楽しみだったからな。

 空港を出た俺たちはタクシー乗り場までダッシュで行き、勢いのままタクシーに乗り込んだ。

 車内でのミサキはスマホをずっと触っていて、何やら忙しそうだった。きっと間に合わなかったときのために違うお店を調べてくれていたのだろう。

「着きましたよ」

 ミサキの横顔や外の景色をボーッと眺めていると、タクシーが止まる。窓の外に見える木の扉のついた小さな建物には文字の書かれた暖簾がかかっていた。

 料金を支払おうと財布を探している途中に、俺はドルしか持っていないことに気付く。両替をする前にここに来てしまった。どうしようかと思っている間にミサキが素早く電子決済をして、俺を連れて店に入った。

「いらっしゃいませ、二名様でよろしいでしょうか」

「はい」

 入店したミサキと俺はホッと肩を撫で下ろす。店内にはたくさんの木札が下げられていて、間接照明が柔らかく照らす空間はバーに似た雰囲気もあったけど写真で見た日本のお寺のようだと俺は思った。

「ミサキ、タクシーの料金は──」

「いいのいいの、私もそれなりに稼いでるから。急いで来たからそういえば両替行ってなかったね。ここも私が払うからあとで両替行こう」

「あ、ありがとう」

「両替前に連れてきたのは私だし気にしないで。それじゃさっそく頼もうか。かかってる札から好きなネタを頼めるんだけど……」

「漢字ばっかりで読めない……」

「そういうときはあれ──大将のおすすめを頼むといいよ。私もそれにする」

「分かった。スミマ──」

「待って」

 注文をするために向こうにいる白服白帽子の男性を呼ぼうとするとミサキに止められる。

「それじゃ注文を聞いてくれない」

「でも、お店で店員さんを呼ぶときは『すみません』ってネットで見たよ」

「寿司屋は特別なの。建物も他のとは違ったでしょ」

「たしかに……」

 周りのお店や家は木の扉ではなくてアメリカでよく見るドアだったし、暖簾もかかっていなかった。寿司の歴史はとても古いと聞いたことがあるし、何か特殊なルールがあるのかもしれない。

「あの奥にいる人はヘイタイショーっていう人で、注文するときにはヘイタイショーって呼びかけるの」

 向こうにいるヘイタイショーに聞こえないように小さな声でミサキが教えてくれる。

「ヘイタイショー、おすすめセット二つ」

「おすすめセット二つですね」

 ヘイタイショーはニコリと笑って注文を受けてくれた。ミサキが注文する前に教えてくれて助かった。

 しばらくすると木の板に乗った寿司が運ばれてくる。丁寧に並べられた寿司はネタが艶やかで美しい。

「いただきます」

「ミサキ、今のは?」

「あぁ、日本では手を合わせて食べる前に感謝を込めて『いただきます』って言うの」

「なるほど、そういうことか。言われてみればアニメで見たことあるかも。イタダキマス」

 ミサキの真似をして合掌しながらいただきますと唱え、寿司を手で摘まみ醤油を付けてから口へ運ぶ。

「……!」

 口に入れた途端に今までに感じたことのないような旨味が広がる。上に乗っていたネタは柔らかく、まるで舌の熱で溶けたようだった。溶けだした脂の甘みと醤油のまろやかな塩味、それにツンと鼻にくる上品なワサビの辛みが何ともいえないバランスで、これだけで日本に来た意味はあったなと思った。

「美味しい?」

「とても──とても美味しい。日本で食べる食事は全部寿司にするよ」

「ふふ、喜んでもらえてよかった」

 名残惜しさを感じながらも目の前の寿司を一貫ずつ口に運んでいく。そのたびに違う美味しさがやってきて、次はどんな味なのかと楽しみにしながら食べていくと、すぐに寿司はなくなってしまった。

 俺の寿司がなくなったことを確認すると、お会計お願いしますとミサキはヘイタイショーに告げる。会計自体はピッと一瞬で終わったから分からないが、こんなに美味しいのだ──きっとかなり値は張るに違いない。

「レオ、次は神社に行くよ」

「先に両替に行きたいんだけど……」

「神社が閉まっちゃうから早く行きたいの。もうこんな時間だし」

 ミサキが見せてきたスマホには17:30の文字。馴染みがないけどたしか十七時は午後五時って意味だから五時半か……たしかに教会も早いところは六時に鍵を閉めるし、神社も似たようなものなのだろう。

「分かった。神社に行こう」

「うん、もうタクシー店の前に来てるからすぐ出よう。そこのキャリーケース忘れないようにね」

 お寿司屋さんを出ると再び素早くタクシーに乗り込み、神社に向かう。着いたところは木々に囲まれた場所へと誘うように置かれた鳥居がぽっかりと口を開けている場所だった。

「急いで鳥居から中に入って」

 ミサキに言われるままにキャリーケースを持ち上げて走る。空港のときは気のせいだと思ったけど、このキャリーケース──やっぱり軽い気がする。ホテルに着いたらすぐに中身を確かめよう。

 中に入ったミサキは奥へと真っ直ぐ伸びる石畳から逸れたところで俺にこう言う。

「あの石畳は神様が通る道だから、人間が通ってはいけないの。私たちは石畳のない土の上を歩くの」

「通ってる人もいるみたいだけど?」

「普段神社に行かない人にはあんまり知られてないルールだからかもね」

 キリスト教だと熱心な信者は知っているルールのようなものか。せっかくミサキが知っているのならそれに従おう。

 早歩きで進んでいくと他の参拝者が柄杓で掬った水を手にかけているのが見える。

「あれは?」

「お手水よ。掬って手にかけることで清めているの」

「あの人、口に水を入れて吐き出したけど」

「水を飲もうとしたのね。でも美味しくなかったから吐いたんだと思う。神社によっては水が美味しいんだけど、ここの水は飲まない方がよさそう」

 日本は水が綺麗と聞いているし、いろんなところで水が飲めるのだろう。アメリカだったら出どころの分からない水は基本飲まないが、日本ではそうではないのかもしれない。

 俺たちは急ぎながら手を清めて、そのまま拝殿へと向かった。

「神社ではお金を入れてから、神様に叶えてほしい願い事を念じながらお辞儀をするの。神様に本気の願いごとだって伝えるために神社にお参りするときは高速でお辞儀するの」

 たしかにペコペコと何度もお辞儀をされれば相手が本気だということが分かる。より本気であることを示すために回数を重ねるのだろう。

「でも他の人もお参りするからお賽銭を入れるのを含めて時間は十秒。これ以上は神様に自分勝手なやつだと思われてしまうから」

 十秒で何度お辞儀が出来るか……参拝するだけでも日本の神社は難しいな。いや、慣れればそうでもないのかもしれない。嚙みそうな祈りの言葉でも神父様はすらすら言っているのと同じだ。

「じゃあ行くよ! いち、に……」

 俺はミサキと早歩きで賽銭箱の前に飛びだし勢いよく賽銭を投げる。そしてひたすらお辞儀を繰り返す。横を見るとミサキはお辞儀をせずに何やら横を向いている。木々が生えていない街の見える方向だ。

「さん、スーパーの隣──フィニッシュ!」

 フィニッシュと言われ、ミサキに手を引かれるまま拝殿の横へとはける。

「確保!」

 お参りを終えて息つく間もなく、突然大きな声が境内に響き渡る。何事かと声のした方を見ると一人の男が取り押さえられていた。

「ふぅ……上手くいってよかった」

 状況が飲み込めないままでいると、隣にいるミサキが意味の分からないことを言う。

「ミサキ、どういうことだ?」

「あの男がレオのこと狙ってた」

「俺を!? なぜ?」

「たぶんそのキャリーケース。空港で後ろの二人組がケースをじろじろ見てたから。何が入ってるの?」

「狙われるものなんてないよ。着替えとか充電器とか──」

 そこまで言ってから俺は気付く。

「今持ってるこれ、俺のじゃないかもしれない。空港でキャリーケースを置き忘れて、そこで誰かのを間違えて持ってきたのかも……飛行機に乗る前より軽い気がするし」

「なるほどね。キャリーケースはそこの男たちの物で見られたらまずいものが入ってたってことかな」

「男たち・・? 狙ってたのは一人じゃないのか?」

「もう一人、スナイパーが──あ、ちょうど今捕まったみたい。レオを狙撃で殺してその隙にそこの男が荷物を奪って逃げる予定だったのかも」

民間人である俺をスナイパーが狙うなんて、とも思ったが、「見られたらまずいもの」を持っているのであればあり得るのかもしれないと思い直す。

「ちょっと危険だったけど、スナイパーの位置を把握するために見通しのいい賽銭箱の前にレオを誘導したんだ。高速でお辞儀をするというのは狙いをつけられにくくする嘘よ」

「じゃあ……」

「本当はゆっくりお辞儀するの。それと、神社で石畳を歩いてはいけないっていうのも、お手水の水を飲むのも嘘。スナイパーに狙われないためだったとはいえ、騙してごめんなさい」

「いいんだ。命の方が大事だから」

 でもせっかく知ることができたルールが嘘だというのは少し残念だ。

「それにお寿司屋さんが閉まるというのも神社が閉まるというのもレオを急がせるための嘘──お寿司屋さんも神社も夜行っても大丈夫なの。夜の神社はちょっと怖いけどね。タクシーやお寿司屋さんで仲間に連絡してこの神社に集まってもらったの」

 俺を不安にさせないために秘密裏に連絡を取っていたミサキには感謝しかない。彼女はいったい何者なのかという疑問が浮かぶが、それは胸にしまっておいた方がよさそうだ。

「じゃあキャリーケースを開けようか」

 俺がケースを差し出すと、神社の参拝客に扮していたミサキの仲間が慎重にケースを開ける。中からは何枚かの書類と紙の箱が出てきた。

 その箱をゆっくり開けると、今度は日本のお菓子──あれはたしか饅頭が出てくる。

「これ、二重底ですね。底を外します」

 皆が見守る中、ミサキの仲間が底を外すと下には札束がぎっしりと入っていた。

「また古典的な……」

「外国人のクライアントにしゃれをきかせたのかもね。レオ、これは饅頭の底にお金を隠して渡すという日本の伝統的なお金の渡し方なんだ」

「ミサキ、もう騙されないからな。こんなクレイジーな渡し方があってたまるか。」

「本当だってば、気付かれないように底に隠してるんだよ」

「さっきだってそうやって言いくるめたじゃないか。俺を騙せると思ったら大間違いだ」

「レオ、騙したのは悪かった──けど、これは本当なんだって。他の日本人に訊いてみて」

「ミサキの仲間だってグルかもしれないだろ」

「まあたしかに……あ、レオごめん。私はこの件の処理があるから今日はここでお別れなの。本当は晩ごはんも案内したかったんだけど……」

「そんなの気にしないで。ミサキ、助けてくれてありがとう。アメリカに帰ったらまた一緒にゲームしよう」

 ミサキに別れを告げて俺は神社から出る。さっき食べたばかりだけど安心したらお腹が空いてきた。やっぱりもう一回お寿司かな。そうだ、今度は木の札に書かれたのを適当に頼んで出てきたものを食べてみようか。

 早く「ヘイタイショーさん」の握ったお寿司が食べたいな。

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