11.ふたりきりで――

 陸上自衛隊 丘珠駐屯地に到着!

 札幌市内にある空港『丘珠おかだま空港』と隣接している。ヘリコプター部隊が配備されている陸上自衛隊の駐屯地だ。

 柚希、ひさびさの自衛隊の正面門で緊張の入場。父が現役だった時を思い出す基地的風景が広がっていた。


 広海と芹菜義母はもっと緊張していた。

 柚希が『門を守っている隊員さんの銃には実弾が入っているんですよ~』なんて鉄板ネタみたいに笑い飛ばしたら、広海も芹菜義母も『ほんとうにお国の防衛基地に入るんだ』と変な方向へ実感してしまったようなのだ。


「モモちゃん、どこかしら」


 緊張する駐屯地内で、はやく顔見知りの人間に会いたいのか義母が不安げに呟く。

 車を降りて、案内通りに集合場所へ。そこには既に一般市民の人々が既に集まっている。


「こんなに……?」


 芹菜義母は同乗する人々の多さに圧倒された顔色を見せたので、緊張をほぐそうと柚希は気構える。だが予想に反し次の瞬間にはもう芹菜義母は、見る間に目を輝かせ、不安そうだった顔に笑みが広がっていった。


「チヌーク……!」


 集合場所になった滑走路、待機する人々の向こうには大きな迷彩柄のヘリコプターが駐機していた。

 初めて実物を目の前にできたせいか芹菜義母は無言になってしまったが、その笑顔は感動に溢れて打ち震えているのがわかる。

 そばにいる息子の腕、シャツをひっぱって芹菜義母は目を潤ませていた。


「見て、広海。チヌーク! ほんとうにおっきいのね。そりゃ、これだけの人を乗せられるはずよね!」


 見知らぬ人々を恐れていた義母だったが、集まっている人々の数だけ、チヌークの大きさを表していると理解したのか、興奮気味だった。

 広海も嬉しそうに小柄な母を見下ろして笑顔を見せる。


「すげえな。俺も見たかったけど、やっぱり本物は迫力あるな!」

「あれをモモちゃんが? 凄い!!」


 そのモモちゃん。どこにいるの? 操縦のお仕事が終わるまで会えないの? 芹菜義母が百花姉をきょろきょろと探し始める。

 コックピットの近くにいるのではとチヌークの前方へと目線を向けるが、小柄な柚希と芹菜義母はもとより高身長の広海ですら人が沢山いて見えない状態だった。


「芹菜さん、ユズちゃん」


 そんな声が聞こえて振りかえると、制服姿の館野三佐がそこにいた。

 夏の陸自制服の彼を見るのも久しぶり。ただでさえ美男である彼が凜々しい制服でいたので、柚希は思わず目を奪われる。芹菜義母も『きゃー、やっぱり素敵ね』と惚れ惚れとした眼差しで、彼との再会を喜んでいる。


「いらっしゃい。モモタロウのところに案内するよ。こっちついてきて」


 搭乗体験に当選した一般市民の列から外れ、颯爽としている三佐の後へと三人でついていく。

 一般市民の人々が並んで待機している場所からロープで隔離されているエリアへと、館野三佐が手引きをしてくれる。

 そこはチヌークの操縦席搭乗口前、迷彩服とフライト装備をすでにまとっている隊員が待機しているエリアだった。


「東二尉。お連れしたよ」


『許可なく侵入しないように』と注意書きをされているプレートが下げられているロープが目の前に。それを館野三佐が軽々と持ち上げた。

 そこをくぐるようにと、ついてきた柚希と広海、そして芹菜義母へと微笑みかけてくれる。

 ロープをくぐっていると、チヌークの操縦搭乗口そばにいた隊員数名、館野三佐の声かけで、一斉にこちらへと視線を向けてくる。


 そのなかで、ひとり細身に見える女性隊員をみつける。姉の百花だった。姉も家族が案内されて到着したことに、満面の笑顔をみせた。


「ユズ、芹菜ママ、広海君!」


 元気いっぱいに手を振ってくれている。

 柚希にとっては久々の迷彩服姿の姉だったが、芹菜ママ広海は動画でしか見たことがないので、少々怖じ気づいているように見える。凜々しい制服も、男勝りなモモ姉も見てきたが、ほんとうにほんとうにパイロットの準備をしている姉を目の当たりにして戸惑っているようだった。


 まるで別人か、遠い存在の女性が目の前に居る……みたいに感じているのだろうか。柚希にはそう見えた。


「お義母さん。行きましょう。広海君も!」


 義母と夫の手を取って、柚希から元気にひっぱっていく。

 そばで『あれ、どうしたのかな』と様子を窺っていた館野三佐もホッとした様子で後をついてきてくれる。


「お姉ちゃん、おじゃまします」

「待っていたよ、ユズ。ちゃんと連れてきてくれたね」

「モモねえが別人に見えるのか、芹菜ママも広海君もちょっとびっくりしちゃってるみたい」


 引っ張ってきた二人の背中に周り、今度は義母と夫の背中をぐいぐいと柚希は押す。


「チヌークと、パイロットのモモ姉ですよ。ほら」

「ちょっと、柚希。押すなよ」

「ユズちゃんったら。初めての駐屯地でドキドキしちゃうの」


 女性パイロットの佇まいでいる百花姉を目の前に、照れているかのような義母と広海。だが姉は嬉しそうに優しい笑みを浮かべている。


「いらっしゃいませ。芹菜さん、広海君。やっとやっと、ママをチヌークに乗せてあげられるね。楽しんでいってね。今日は快晴だから、上空は景色が綺麗だと思うよ」


 そして姉は、いつもの快活さを潜め、しおらしい眼差しに変わった。

 どこか潤んだような目を見せて、芹菜義母を真っ直ぐに捉えている。


「ママ、安心して乗ってね。今日は私が『お母さん』に恩返しをする日なの。空まで一緒に行こう」

「モモちゃん……」

「芹菜ママがいなければ、私は一路の母親として頑張れなかったよ。ほんとうに、ありがとう。おかげさまで、子供がいてもパイロット――に戻れそうです」


 今日は心が敏感になっている芹菜義母が、百花姉につられて手のひらで顔を覆い、また涙を流している。

 百花姉もちょっぴり目尻を光らせて、指先で拭っていた。


『東、搭乗時間だぞ』


 離れたところにいた姉の上官さんが呼んでいる。


「習志野で同乗している先輩で上官の市川三佐。おなじ官舎で奥様にもとてもお世話になっていたんだ」

「まあ、そうだったの。頼れる先輩がいらっしゃったのね。ご挨拶しなくちゃ」


 芹菜義母が義足で柔らかい芝の地面を一歩踏み出そうとしたが、館野三佐がそれを止めた。


「いえ、芹菜さん。そろそろパイロットもお客様も搭乗しないといけないので。それはまた帰ってきてからにしましょう」


 滑走路の離陸スケジュールはタイトとのことで、百花姉は『じゃあ行くよ。楽しんでね』――と笑顔で離れていった。

 チヌークコックピットのドアを開けて、上官の男性と颯爽と乗り込む姿を柚希は見送る。


「今日は自分が芹菜さんをサポートするお役目をいただいたので、一緒に搭乗しますね」

「あら。将馬さん自ら? いいのかしら」

「もちろん。俺にも御礼させてください。拓人に良くしていただいて……。父の日に初めて拓人から手作りケーキをもらった幸せ、それは芹菜さんのおかげでしたから。いつも拓人を気遣ってくださって、ありがとうございます」

「まあ。こんな素敵な三佐さんがエスコートしてくれるだなんて。贅沢ね」

「なにかあっても、俺が芹菜さんを背負って脱出しますよ。レンジャーですから任せてください!」


 優秀なレンジャー教官である本人からの頼もしい言葉に、芹菜義母も嬉しそうに微笑んでいる。

 でもそこでふっと義母の眼差しが蔭る。


「思い出すわね……。小樽のトラットリアで、急に出会ったの。元レンジャーのパパさんと、かわいいお嬢さんに。お嬢さんが息子の同僚だなんて……。なんて思いがけない出会いだったことか」


 柚希と息子の広海はもともと同僚だったが、お互いに親子で食事にきているところでばったり遭遇したのは、たしかに『思わぬ出会い』だったと柚希も思う。


「知らない世界だった。自衛隊さんとか隊員さんとか、レンジャーさんとか。すごかったの。もうそれをすることが使命で当たり前とばかりに。決断と行動が早くて、テキパキしていた。ひょいって私の車椅子を片肩に担いじゃって。軽やかに階段を上ってくる勝さんの姿に、かわいい笑顔でいちばん眺めがよいテーブルを勧めてくれるユズちゃん。そのあとも、こちらの戸惑いなんてなんのその。からっとした笑顔で『水族館に行こう』なんて言ってくれて――。何年ぶりの水族館だったことか……」


 しんみりと呟く芹菜義母の背後では、チヌークの後部ハッチが開き始め一般客たちの歓喜が聞こえてきた。

 それでも芹菜義母は続ける。


「また私の時間が早く流れるようになって、世界が変わった。とうとう、今日は、自衛官の娘が空に連れて行ってくれるっていうの。こんなふうになるなんて、なるなんて――」


 また涙ぐむのかなと、柚希と広海も、そんな母親の気もちが落ち着くまで黙って寄り添っているだけ。館野三佐もだった。義足の生活を突然送ることになった女性が、どれだけの思いでこの日を迎えたか。彼もよく知ってくれているから。


 だが今回、義母から顔を上げた。白髪の毛先を風にそよがせ、彼女から空へと顔を上げた。義母の瞳が強く空へと向いて、若々しく光を宿したように柚希には見えた。


「行きましょう」


 義母がほんとうに事故の日から抜けだし、自分の足で歩き始めた。柚希はそう思えた。

 そんな姿を見せてくれた芹菜義母だから、義足で歩き出した彼女に誰も手添えをしとうよしなかった。息子の広海でさえ。

『あちらですよ』と館野三佐が進む方向を示してくれるだけ。



 チヌークの後尾ハッチ搭乗入り口から、招待された一般市民が心躍らせる表情を揃えて機内へと入っていく。

 芹菜義母も館野三佐の補助で、義足側の足をタラップに置いて一歩踏み出す。背後で見守っていた柚希と広海も、母親が無事に搭乗したことに安堵してから機内へ。


「柚希、大丈夫か」

「うん……」


 角度があるタラップでもたついていると、広海が手を差し伸べてくれる。その手を取るとふっと柚希の身体を軽やかに連れて行ってくれる。

 なんだか新鮮だった。そうか。いつも夫も自分も、どちらかが必ず義母の様子に注視していたから……。夫が柚希だけを気にして、手を掛けてくれるなんてことは滅多になかったことに気がつく。

 

 機内に入ると、民間機とは異なる無機質で機械的な座席が壁一列に並んでいる。最低限のシートカバーとベルト、ヘッドホンが装備されている。

 サービスではない。任務のため、仕事のための飛行機なのだと改めて感じる。


 機内に入ってすぐ、館野三佐が『広海君、ちょっと……』と夫に耳打ちをした。

 なにかをそっと夫の耳元に囁くと、気のせいか、広海がやや気恥ずかしそうに、うつむいたように柚希には見えた。


 館野三佐が芹菜義母を笑顔でエスコートし、広海は柚希の肩をもって、それぞれが背を向け合った。

 芹菜義母はコックピット近くの前方席へ。広海と柚希は後方席へと向かっている。


「え、お義母さんは?」

「館野三佐がきちんと付き添ってくれるって」

「え、でも……」

「そのために来たみたいだよ。百花姉さんに頼まれていたんだって」

「でも、私たちもそばにいたほうが」

「それも。百花姉さんと将馬さんが示し合わせてくれたみたいだ」


『どういうこと?』。柚希は訝しいまま、首を傾げて長身の夫を見上げる。


「今日は、俺と柚希。ふたりきりで楽しんでほしいんだってさ」

「え! お、お姉ちゃんが、そんなことを」

「モモタロウから頼まれたから、気にしないで芹菜さんを任せて欲しいだって」


 離れた時点で、芹菜義母も気がつくだろうに。いままで必ずそばにいた息子と嫁がいなくて心許ない気持ちにならないか。柚希は案じたのだが。

芹菜義母は館野三佐のエスコートで、横長一列の先頭へ。つまり、チヌークのコックピット、パイロットの座席が見える位置へと座ったのだ。

 その隣に館野三佐が付き添うように座る。周囲の一般乗客に『義足の方なので付き添いです』と説明をしていた。


 芹菜義母はそこでやっと、息子と嫁と離れた席に案内されたことに気がついたようだった。



 柚希と広海は最後尾、後部ハッチが近い席に並んで座る。そちらへと芹菜義母が『ユズちゃん、広海。大丈夫よ』と言わんばかりの笑顔で手を振ってくれている。


「大丈夫みたいだな。しかし、特等席だな。モモ姉さんのコックピット座席が見えるんじゃないか」

「ほんとだ!」


 その通りなのか。コックピットの座席に飛行前の準備で座っている百花姉と芹菜義母の視線が合う距離感。迷彩服、サングラスにヘルメット、すっかりパイロットの姿になった百花姉が、グローブをしている手で義母へとグッドサインを送っている。

 芹菜義母も嬉しそうにおなじサインを返していて、もう百花姉、もとい、東二尉に夢中になっている。


「大丈夫そうだね……」

「そうだな」


 ふたり肩を寄せ合って座席最後尾に深く腰を掛ける。

 やがて乗員の隊員さんから搭乗に際しての説明に注意などがアナウンスされる。従って、シートベルトを身体に締める。


 徐々に緊張感が高まる。

 乗客の安全を隊員が確認を終えると、各ドア、ハッチが締められる。

 やがてエンジンがかかりプロペラが回り出す大きな音が聞こえ始める。

 金属で囲まれた機内。鉄の天井を見上げると、日の丸の旗が取り付けてあった。


《離陸します》


 コックピットにいるモモ姉の声が機内に響いた。

 乗客たちも『女性のパイロットさんなんだ』と話題にしている。

 集合場所に来たときに配られた今日のパンフレットにも『本日は育休明けのママパイロットが操縦します』――と百花姉の写真と共に紹介されていた。自衛隊でもママとしての環境を整え女性も活躍しているという広報でもあった。

 百花姉の操縦でチヌークは離陸開始する。





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