9.同期の疎通

 広報を担っている自衛隊地方協力本部が、北海道の一般市民を対象に『チヌーク搭乗体験』の募集を企画しているという。

 しかも館野三佐はあたりまえのように、チヌークパイロットである姉の百花に『当日の操縦を担当しないか』と誘ってきた。

 そもそも雪中遊撃戦教官である三佐の管轄ではない業務の話なのに、三佐はそれができるかのような顔をしている。柚希にはそう見える。

 姉も同じなのか、怪訝そうに表情を硬くして館野三佐を睨んでいる。


「あたりまえのように言うけどさ。それって、館野殿が決められることはないじゃん。地本さんが決めることでしょ」

「わかってないな。モモタロウ。うちの奥さんは、どんな方の娘か忘れたのか」


 姉に疑わしい目線を向けられても、館野三佐は妙に得意げに胸を張り、肩越しに見える奥様、寿々花さんへとちょいちょいと親指で示した。

 柚希はきょとんとしてすぐに意味がわからなかったが、隣にいる岳人パパは『だよねえ』と笑いだし、百花姉はギョッとしたように驚きあんぐりと口を開けている。


「うっわ。館野殿がそんな手を使うなんて、信じられない!」


 どういうことなの? と、姉へと視線を向けると、百花姉が鼻息荒く教えてくれる。


「殿の舅さん、つまり、寿々花さんのお父様は、陸将さんじゃん。いまはなんと千歳の大部隊で師団長! そのお父様を使っちゃえと言いだしてんの」


 つまり『縁故』とか『ツテ』というものを遠慮なく使おうとしているということらしい。柚希もまっすぐで清廉な男性と思っていたので、意外だと感じてしまった。でも隣の岳人パパはくすっと笑ってウーロン茶のグラスを傾けているだけ。


「なんでだよ。使える手は使わないと。『正しい道は守れない』だろう」

「でもさ。それって『婿殿の立場を利用する』ってことでしょ。いいの!?」

「そんなのうまくやるさ。『あの時のように』。まっすぐだけじゃ、正義は貫けない。正義を守るならギリギリを攻める覚悟を持て。それが俺の信条。そうだろ。モモタロウ。守りたいもの守るなら俺は厭わない。今回の俺の正義は『ママでも自衛官』だ」


 おそらく、館野三佐と百花姉は『似ている』と柚希は思っている。

 まっすぐで正義感が強い。曲がったことは許せない。そんなことなら自分が切り込んで正す。たとえ自分が不利になっても、理不尽に我慢するぐらいなら突撃する。違うのは……。姉は若干見切り発車気味で、館野三佐は用意周到というのだろうか?


 なので百花姉は、『俺の正義は使えるものは使って守り切ること』という、時には好まれない手段も選ぶという主義に最後は頷いていた。


「そうだった。あの時、私を助けてくれたのも、館野君が裏で用意周到に上官を動かしてくれていたからだよね」

「まあ、察知していたから。そのうちにモモタロウが切り込み隊長で、先輩たちに歯向かうだろうから、その時かな~とタイミングは合わせていたかな」


 柚希が知らない『鬼退治』の時のことだろうかと、黙って聞き耳を立てていた。岳人パパがもう既に知っているようで『なんのこと聞きたい』とも言いださず、こちらも同期ふたりの思い出だからと黙っている。


「いまもなくならないようで、悔しいね。私のところには、若い女の子から、未だに相談があってなくならない。まあ、私も、父が教官をしていた後ろ盾があって、守られた立場だったんだけどさ……」

「俺たちの代でなんとか緩和したいとは思っているよ」

「頼むよ。私は私で、同性として女性隊員が困っていたら、あの時同様、女も守れない組織ならこっちから辞める覚悟で切り込むよ」

「俺は上に行く。お義父さんぐらいの地位になって、妻も同期の女性も嫌な思いをしない組織にしていくよ」


 話の内容で柚希も察した。やはり女性が働きにくい状況が残っている世界でもあるのだって。でもそれは、どこの企業も組織もおなじ。柚希の勤め先の『荻野製菓』は女性が経営者になるという珍しい企業のおかげで、女性優位の社風が整っているので助かっている。

 そうでなければ、姉のように男性ばかりの組織の中で女だてらに身を立てるのは大変な苦労と危険があるということらしい。


『鬼退治』は、姉と館野三佐と同期の女性隊員のひとりが、大学校の男性先輩から執拗に行き過ぎた指導を繰り返えされたという話だった。

 館野三佐も気がついていた。百花姉はもう『男の誰もが助けない組織なんかこっちから願い下げ。私がやりかえしてやる』と上級生のハラスメント現場を押さえて告発しようとしたらしい。それどころか、それを察した先輩が百花姉に標的を変更して女性ひとりの場に連れて行こうとした時があったらしい。もちろん百花姉は武道を嗜んでいたので最終手段として温存、身体を張って『こいつら全員追放してやる』と突撃モード。退学覚悟だったらしい。

 しかしそこに上官を引き連れた館野氏が参上。ハラスメント先輩たちは御用となったとのこと。

 それが百花姉と館野三佐の『鬼退治』だとのこと。


 もう柚希は絶句!


「お姉ちゃん! なんでそんな危ないことしたの!! 一歩間違えたら……」


 うっかり涙が出てきてしまった。もし一歩間違えたら……? 姉が強気な女性というのはわかってはいたが、それでもそれは悪手だと妹として思ったのだ。


「うん……。そのあと教官からも、……父さんからも怒られた。二度とやるなと。聞く耳もたない男性上官もいるだろうけれど、相談を諦めるなってね……。それでもどうにもならないことあると思うんだ。だから、改めたいんだよ。せめて私のところではね」


「それは俺もおなじだ。あの時もし……と思っていたし、女性を女性として扱えば正しいことなのに、なんであんな間違いに自ら突っ込んでいくのかと理解不能だった。明るみになれば自分たちに降りかかってくるのに、リスク管理できていないというか、めんどくせーことする男がいるなあが俺の感想。同期の女性たちがそんな目に遭ってたら見過ごせないだろう。ここで見過ごしたら、これからこの組織で何度もそれを繰り返して、そのたびに、俺の中で過ちの印がつくようになる。今となっては、妻も自衛官だから、余計に許せないことだ。自衛隊だけじゃない。娘が将来どこかの組織に属するときに、そんな目に遭ってほしくない」


「だよね。館野君なら女性のことを考えてくれる上官になってくれるよね。信じてる」

「もちろん。なにかあれば、俺にすぐに連絡してくれ。どこにいてもなんとかする」


 百花姉がほっとした顔になった。


「よかったー。館野殿と同期だった幸運だよなあ」

「モモタロウが一緒だったから、俺の中で考えられる力を与えてくれたとも思っている。男同士だけだったら気がつかなかったな」

「まじで、伊藤陸将のようになってよ。伊藤陸将もお嬢様が自衛官だから、絶対に、ハラスメントは絶許だよね」

「当然だろ。孫も女の子だからな。女性優位のパパさんなのは間違いない。もしお義父さんが鬼化したら、指揮も的確、攻撃対象は確実に消滅する」

「こっわ~! めちゃくちゃ優しそうなお顔の方なのに! でも頼もし~」

「いや、ほんと。副官をしていたから知ってる。優しいお顔の方だからこそ、怒らせたらいけないって。それほどに、スイッチ入ったら……もう……。陸将に昇格してさらに力がついているからな!」

「陸将の師団長なんて、めっちゃ頭上がらないじゃん。ほんとんどの人!」


 館野三佐が震え上がったので、百花姉も『館野殿が言うならよほどのこと』と一緒に震え上がっていた。

 どうやら自衛官同士、本当に怖い上官はここにありと感じあっているようだった。


 自衛官同期ふたりの会話に柚希は大揺れだったが、隣で静かにしている岳人パパはまったく動じていない。

 常日頃、館野三佐が自衛隊での苦労話を明かしているのかもしれない。


「そんなこと言ったら、モモタロウのお父さん、神楽教官だってめちゃくちゃ怖かったぞ」

「あ、うちの父ちゃんも怒ったら怖かったんだ。驚異うほうほになる」

「驚異うほうほ……! 怖くなくなるからやめろっ」


 いつのまにか父の勝が引き合いに出され、何故か父が話題になると急にほのぼのモードに大転換。柚希も岳人パパと一緒に笑い出していた。


「だからさ。ほんと、冗談じゃなくて、俺から陸将パパに言うだけ言ってみるから。ママさん復帰フライトとして広報にもなるよきっと」

「じゃあ、体調も戻しておかないとね。自衛官モードに」

「いや、絶対にママでも自衛官のままなんだろ。なんでも完璧にしようとするなよ」

「殿に言われてもさあ……。館野君こそ完璧主義でしょう」

「俺、これでも最近、けっこう素で生きてる。完璧主義は家庭に持ち込まない主義になった」

「完璧は家庭には持ち込まないか、なるほど」


 同期ふたりがパパママになっても同期のように、ふたりしんみりと頷き合っている。


「同期っていいね。俺、羨ましくなっちゃうんだよな……」


 岳人パパの言葉に、今度は柚希も頷く。


「私も販売員ながら、荻野製菓で支えあってきた同期がいるのでわかります」

「俺も。フリーランスになっても大手から仕事を回してくれるのは、同期だったりする」


 大事な存在だなと、自衛官でなくとも共感しあえるものだった。


 だが柚希には苦い思い出もある。

 萌子のことだ。


 彼女もある時までは、毎日一緒に精進していた同期だったのに……。でももう何年も会っていないし、何年も連絡が取れていない。

 いま柚希が親しくしているのは、同期でリーダー的存在だった村雨女史。彼女とは数ヶ月に一度会う食事をしている。その時に萌子のことは一度は話題になる。


『萌子、まだ荻野にいるんだよね』と柚希がこぼすことから始まる。村雨女史も『私にも連絡はこなくなっちゃったよ。同期会も大多数が結婚してからやらなくなったでしょう。でもまだ工場で頑張っているみたいだよ。工場で管理職している田代君はときたま休憩室で目撃するみたいだけど、会話とかはしないみたい。いちおうカレシがいるみたいだよ、社外の人』――が、最新情報だろうか。


 柚希の結婚が決まった時も、式に招待をするかどうか悩んだ。新郎が彼女が憧れていた小柳店長になるからだった。

 村雨女史に相談すると『同期を全員招待するなら萌子にも招待状を出すべき。あとは萌子の気持ち次第』と言われ、それもそうだと柚希は思いきって招待状を郵送した。


 なのに。住所不明で返ってきてしまったのだ。彼女の実家ごと移転したことになってしまう。驚いて村雨女史に報告をすると彼女も調べ直してくれた。

 その結果、『家の事情で引っ越しをしたみたい。萌子、同期とも連絡が取れにくいと随分前にぼやいていたけど……。そのまま疎遠にしたみたい』ということが判明した。


 一時期、スマートフォンの不具合なども含めて、どうしても萌子と連絡が取れなくなった時期があったが、彼女もどこかで諦めてしまったのだろうか。


 でもおなじ会社で働いているのだ。まだ。

 萌子から柚希や村雨女史、そして同期にどこへ移転したか知らせていないことになる。そして会社には住所変更を申請しているだろうが、そこからはもう個人情報。たとえ同期からの問い合わせであっても、会社は答えてくれないだろう。


 萌子は萌子で、もう問題は起こさずに気もちも落ち着いて、でも新しい関係を紡いで楽しくしているのかもしれない。

 それならそれでいいと柚希も思う。みんな、結婚したり管理職になったり、三十代になって環境が変わった。誰もが独身の気ままさでいつでも集まれて、力ない若さを励まし合う時期はもう過ぎ去ったのかもしれない。


 萌子とは縁が切れてしまったように思えることがある。

 いつか柚希が夢で見て聞いた『声』、荻野のなにかがこれまでもいまも、そうしてるのだろうか。

 おなじ会社で勤めているのに、会えそうで会えない同期。



 姉と館野三佐も会えそうで会えなかった同期のようだったが、会えばこうして意気投合できるのも同期なのかもしれない。


 柚希もそんなふうに感慨深くこれまでを噛みしめていると、リビングには子供の泣き声が響き渡る。

 父が嬉しそうにだっこしていた孫の一路が、お祖父ちゃんの腕の中で反り返るように泣き出していた。その泣き声にびっくりして、拓人君が抱っこしていた妹の清花ちゃんが泣き出す。


「あ、一路。そろそろお腹すかす時間だった」

「清花も疲れてきたかな?」

「お昼寝マット、隣の部屋に準備してくれているから、そこ使って良いよ」

「ありがとう。寿々花にも伝えるよ」


 自衛官同期生のお話から、一気にパパとママに戻っていく自衛官のふたり。ちびっ子たちはママと一緒に、芹菜義母が準備してくれたママとお子様のためのお部屋へと移っていった。


 今度は手が空いたたっくんが、岳人パパの隣へと移ってくる。


「パパ。もう少ししたらセッションの演奏会してもいいかな」

「ママたちがちびっ子のお世話が終わって、ちびっ子たちの様子を見てからな」


 セッション演奏会。これも館野一家が小柳&神楽家へ遊びに来てくれた時の恒例の催し物。拓人君がポータブルの電子ピアノを、そして音楽隊の寿々花さんがクラリネットを持ってきてくれて、ふたりがセッションをしてくれる。いちばん楽しみにしているのは芹菜義母だった。

 もちろん。定番は『赤いスイートピー』。芹菜義母も大好きな世代だからだった。とても喜ぶ。そして盛り上がる。


 今年もポプラの木が遠くに見えるこの家で、素敵なメロディーが煌めくように庭へと流れていく。


 百花姉が一路を挟んで心路義兄としあわせそうに笑っている。

 館野三佐も素敵な微笑みで、奥様の寿々花さんとかわいい清花ちゃんを見つめている。その後ろからも、お兄ちゃんの拓人君と、岳人パパが見守っている。


 そして柚希は、その隣に優しい微笑みで包み込んでくれる夫、広海と並んで見つめ合っている。父と芹菜義母も一緒に。


 家族が増えて、たくさんの笑みが揃う家族と親しい人々との昼下がり。


 その時ひとこと。広海が呟いた。『俺たちもそろそろいいかな』と――。


 そんな決心をしようかどうかと揺れている柚希に、秋がくるころ、姉が告げたのだ。


「チヌーク搭乗体験のパイロットに指名された」


 職場復帰を目前に控え、指名されたとのことだった。



※先行連載先でも続編すべて完結しましたので、こちらも完結まで連続でお届けします。お待たせいたしまして申し訳ありませんでした。市來

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