6.微笑むあの人

 北国の遅い春が過ぎると、あっという間に初夏になる。

 アカシアの甘い香りが風に乗ってくる季節、一路がつかまり立ちができるようになった。


 北国も過ごしやすい季節になり、青空の日々が続くようになる。

 爽やかな土曜の休日に、館野一家が訪ねて来ることに。

 この日を柚希も楽しみにして、シフト調整にて休暇にしてもらっていた。


 ひさしぶりのホームパーティーは小柳家で行われる。

 芹菜義母と柚希が料理を担当すること、小柳家のほうが間取りが広めになっているということもある。


 広いリビングを隣接しているダイニングテーブルにご馳走がいっぱいならぶ。


「最近のたっくん。パパたちとおなじぐらい食べるそうなのよ。唐揚げは定番だけど、今日はトンカツもがんばっちゃった。ローストビーフもはりきっちゃった」


 お料理好きの芹菜義母がうきうきで数日前からいろいろ仕込んでいたから完璧だった。柚希も久しぶりの館野一家とのお食事を楽しみにして準備を手伝った。


「たっくん。お父さん側の名字に変わったらしいですね。館野拓人になったよって年賀状に書かれていましたもんね」

「そうねえ。もう十歳になるし、本人も妹ちゃんが産まれてから出生のいきさつも理解してきたみたいだから。最初、我が家に来たときはまだ、岳人さんのことは本当の父親と思っていて、将馬さんのことは『パパの親友』ということになっていたでしょう。でも、よかったわ。岳人さんもおなじ家族として一緒に過ごしているみたいで。たっくんもお父さんふたりが変わらずにそばにいること、心強いみたいだしね」


 新築祝いに来てもらうことが決まった時、父の勝が口を酸っぱくするほどに『館野家の事情』を説いて、柚希と広海、そして芹菜義母に向かって『絶対に拓人君の前で間違えるな。でも察して行動すること』と叩き込んできたことを思い出す。


 まだ小学生になったばかりの拓人君が岳人パパにいちばんに甘えていて、実父である館野三佐のことは『さんさ』と呼んで『パパの親友』と認識していたあのころ……。その後、寿々花さんの出産を機に、きちんと血縁の兄妹であると認識させるために拓人君に真実を告げたという話も、館野夫妻から直に報告を受けていた。


 だから今日はもう、『ほんとうのお父さん』と『育てのパパ』として真実のままに接することができるようになっていた。


 ただ……。遠くからそれとなく事情を察していただろう百花姉と心路義兄は、今回が初めて『館野家の事情』に目の前で触れることになる。


 同期である姉も『婚約破棄と未婚の父になったという噂は聞いていた。だが噂だからこそ流して知らぬ顔を続けてきた』と言っていた。後輩で下官である心路義兄など『触れるのも畏れ多い! 右から左に流して無いことにしていた』というほどに、デリケートに遠ざけていたとのこと。


 元教官だった父がご本人と親しくしていたため、姉自身は館野三佐が『未婚の父』であることは判っていて、でも、もし会うことがあれば『子供はいない新婚三佐』として接する心積もりを整えていたらしい。

 だが今回、父から『もう拓人君も真実を理解しているからそのつもりで』というお達しが姉夫妻にも告げられた。


 そのせいもあるのか。もとから気構える相手なのか、姉の百花は『館野君が来るなんて』とずっとそわそわしているし、心路義兄なんか『こえー、こええよ。あの館野三佐がプライベートで遊びにくるなんて? 遊びに? え、どう接したらいいの俺……』とあわあわと恐れている。

 こんなところ、変な意味で自衛官だなと柚希は感じている。

 柚希にとっては『かっこいいイケメンパーフェクトお兄さん』で、いつも優しく接してもらってきたからだ。


 そんな館野一家が神楽・小柳家に到着。インターホンが鳴って、待ち構えていた父・勝が嬉しそうに出迎えにいく。

 柚希もキッチンを芹菜義母に任せて、夫の広海と一緒に出迎えに玄関へ。その後ろから、一路を抱っこした姉と心路義兄が緊張した様子でついてくる。こんな姉もまたもや珍しいなと思うほどだった。同期ってそんなに気を遣うもの? 同じ釜のメシで連帯感が強いのが自衛官とイメージしていた柚希から見たら不思議な感覚だった。


 すでに玄関エントランスがとても賑やかになっている。

 元レンジャーの父も声が大きくてよく通るので『いらっしゃい。よく来てくれた。久しぶりだなー!!』と騒々しいぐらいだった。


「おじゃまいたします。神楽教官」

「ご無沙汰しています。遅れましたが、お嬢様のご出産おめでとうございます」


 私服だがそこに爽やかな面差しの男性と、愛らしい女性が並んでお辞儀をしていた。男性の胸元、腕には小さな女の子がいる。館野夫妻とそのお嬢ちゃんだった。


「おおお、清花ちゃん。またおっきくなったな。寿々花さんに似てきたのかな。かわいいなあ~」

「あ、やっぱり寿々花に似ていますか。俺もそう思ってるんですよ。もう小さな寿々花ってかんじです」


 爽やか三佐が、にっこにこの笑顔で黒髪の女の子を愛おしそうに見つめている。女の子もパパと目が合うとにっこにこ。かわいいペパーミント色のワンピースを着ていてご機嫌さんだった。

 柚希も赤ちゃんの頃から知っている女の子だったので、しばらく見ないうちに赤ちゃんぽさが抜けてすっかり『お嬢ちゃん』になっていたので笑顔になる。


 だがそんなほのぼの柚希の隣で、姉が茫然としていた。


「館野君が、笑ってる……」

「な、なに言ってんのお姉ちゃん。この前から……。いつもの館野さんじゃん」


 だが姉が妹の柚希に妙に食ってかかってきた。しかも困惑気味にだ。


「ユズは一般人だからわからんのかもしれないけど、館野は恐ろしい男なんだよ!」

「わ、モモさん落ち着いて! 同期でも、いまは三佐……呼び捨てダメ!」


 心路義兄も今日は落ち着きない……。広海までそんな義姉と義兄を見て困惑気味。


「なんか、この前からお姉さんとお兄さん、どうしちゃったんだろなあ」

「そうなんだよ。同期なのにどうして? 顔見知りのようだし、おなじ駐屯地で勤めていたこともあるみたいだし。心路兄ちゃんの慌てぶりはわかるよ? 三尉と三佐だから……」


 夫の広海と一緒にひっそりと囁きあっていたら、女の子をだっこしている館野三佐が、談笑していた父の背後にこちらの娘夫妻が二組出迎えに来ていたことに気がついてくれる。


「柚希ちゃん、広海君。久しぶり。今日はまたお世話になります。会えること楽しみにしていたよ」


 美形の微笑みに、柚希もつい、今日も素敵だなあと頬を熱くしてしまう。でも嬉しくて笑顔を返す。

 その館野三佐が柚希の隣にいる姉と目が合ったと思ったら、急に意地悪い笑みを浮かべて、姉に敬礼をした。


「よう、モモタロウ。元気そうだな。ママさんになったんだな。おめでとう」

「うっさい! その呼び方やめろ!!」


 え、モモタロウってなに??

 柚希も広海も一緒になってギョッとして、しかも今日まで『館野君』とか『館野殿』とか『館野三佐』と丁寧に呼んでいたのに、急に呼び捨てにするわ、いつもの気強さで言い返すわで、姉の妙な拒否反応には訝しいばかり。


 父もちょっと困った顔をしているが、そこは元上官故か、うまく同期生の間に入り込んでくる。


「百花、落ち着け。今日の館野は三佐でもないし、心路君にとっての教官でもないし、ただのただの、デレデレパパで夫だからな。おまえたちと一緒。惚気合戦でもしてちょうだい」

「お父さん、聞いたでしょ! 館野君、防大時代から、私のことこうやって呼ぶの! どこがモモタロウじゃ!!」


 姉が気強くムキになればなるほど、館野三佐が涼しい微笑の面差しで受け流している。

 でも。なんでそんな呼び名? 妹の柚希が唖然としてると、また館野三佐が柚希には素敵な微笑みを見せて教えてくれた。


「お姉さん、防衛大時代に鬼退治したんだよ。だから、俺ら同期の間では、モモタロウって呼んでるんだ」

「だから、そういう話は父や妹の前でしないでって言ってんの」

「なんだよ。照れるなよ。名誉な呼び名だろ。鬼退治したんだからさ」

「私が表立って『退治した』みたいに言わないでよ。館野君が影で『退治の暗躍』していたの知ってるんだからね。あの時からずっと知らない顔していたけど、今日こそ、あの時の真相をゲロってもらうからな!!!」


 また館野三佐がぷいっと素っ気ない横顔を見せて、姉をあしらっていた。


 同期生が数年ぶりに再会したと思ったら、この騒々しさ。

 奥様の寿々花さんも目が点になっているから、予想外の夫を見ている気分なのだろう。

 

 柚希も同じ気分だ。

 うわー。こちらは心路義兄とはまた違う意味で、姉を制しているなあと柚希は呆気にとられていた。

 柚希には素敵なお兄さんでも、館野三佐は自衛官となると冷たい雰囲気を放つ怖い人というのは本当かもしれないと思わせるやり取りだった。


「まあまあまあ。鬼退治の話はな……。俺もそれなりに聞かされているからさあ。ずいぶん昔の話じゃないか。今日は同世代のパパママとして、仲良くな、な、」


 元教官の父が自衛官だったら『やめい』と一喝できていただろうに、ただのお父ちゃんだとおろおろしているだけになっていた。

 それでも館野三佐も恩師の目の前だからと、またにっこりとした笑顔に戻った。


「俺の娘の清花。二歳になったんだ。モモタロウのところは男の子か。パパママになったんだな、俺たち――」


 娘を抱く父親に、息子を抱く母親。

 そうして同期生が向き合った。


 そこで百花姉も肩の力が抜けたようだった。


「……館野君がそんなふうに笑うの、初めて見たよ」

「そっか。俺もモモタロウが女らしくしてんの初めて見たよ」


『やっぱ気にくわない』と姉がまた館野三佐に立ち向かおうとしたので、心路義兄が必死に止め始めた。


「ヒガシがそうしてやってんのかな。ヒガシだけの彼女だもんな」


 そうして館野三佐が、大人しくしているだけの心路兄ちゃんににっこり笑顔を見せたのだ。


 もう心路義兄も茫然として立ち尽くしていたのだが……。兄ちゃんまでもが『三佐が俺に笑ってくれた』とか小さく呟いたかと思ったら。


「ありがとうございまっす!!! 三佐!! 俺の自慢の妻でございます!!!」


 もの凄い大きな声で胸を張って敬礼。でも空気が震えたと感じるほどの凄い声だったので、そばにいた柚希と広海はのけぞってしまったし、子供ふたりが揃って泣き出してしまったのだ。


「おい、心路。声、でけーよ! 一路が泣き出しただろ!」

「うっわ。ヒガシ、声でかい! だから今日の俺は三佐じゃなくて、教官でもなくて、遊びに来たただの教え子だからさ。そんな、ここ演習場じゃないんだから。よしよし、びっくりしたな。清花」


 でもその隣で奥さんの寿々花さんは余裕で笑っている。

 パパの腕から、女の子が『ママ』とお母さんの胸元へと移っていく。


「仕方ないじゃない。将馬さん、三佐の時はほんとうに怖い顔をして冷たい人なんだもの。そう見えるだけだけど。それだけ、後輩さんたちに恐れられているってことじゃない。今日は優しくしてあげてね」

「え、俺、いつも優しい男だと思っていたのに……」


 奥様に言われて館野三佐がちょっとしょんぼりした顔を見せたのも珍しいのか、百花姉と心路義兄が『館野三佐じゃない』と後ずさっていた。


 そんな仲睦まじい館野夫妻に遅れて、小柳家の玄関ドアが再度開くと、また人が入ってきた。

 荷物を持ち込んできた背が高い男性と男の子が一緒に訪れる。


「お久しぶりです。おじゃまいたします」


 お洒落なジーンズスタイルの岳人パパだった。

 そして一緒に付いてきている男の子を見て、柚希は目を瞠る。


「ユズちゃん、ひさしぶり!」


 そういって、寿々花ママのそばに男の子が並んだ。


「たっくん! ええ、すっごく背が伸びてない!?」


 寿々花さんの隣にならんだ男の子は、彼女の肩先を越えて大人びた姿になっていた。


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