17.お嬢様のしわざ?


 柚希は遅番だったため、先に出勤している広海から千歳お嬢様に時間を取ってもらえるように申し込んでもらった。

 また広海から、元の管理部署だった『本店店舗』の新店長と寺嶋リーダーに『婚約の報告のため、神楽を少しの時間、接客から外してほしい』と打診してくれていた。


 新しい岩崎店長は、これまた多忙を極める新千歳空港店にいた男性で既婚者。道内の重要拠点での店長を何カ所も務めて、この度本店に異動に。おそらくこちらの店長も、ここで認められたら本社の上階へ行くとまた噂されている。


 その店長が異動で就任するなり、配下にいる柚希が千歳お嬢様のそばに就くと言われている小柳主任の婚約者になると知って面食らっていた。

 逆に寺嶋リーダーはなんとなく女の勘で察していたのか『いいじゃないの、いいじゃないの!』と大興奮。

 新店長には妙に丁重に扱われ、寺嶋リーダーからは『行ってきなさい、行ってきなさい!』と送り出された。


 販売員の制服姿のまま、柚希はバックヤードから本社ビルへと入り、エレベーターを使って企画室があるフロアまで出向いた。

 滅多に歩かない場所なので、やっぱり緊張する。ビルの窓からは大通公園周辺にひしめきあっているビルと闊歩する人々の様子が見下ろせる。企画室1は老舗の味を守るためのベテラン社員が集う部署、企画室2は若い力で新しい味を生み出す部署とされている。


 その企画室2は、千歳お嬢様が『室長』として責任者となっており、部署員はお嬢様教育係と言われている細野係長に、いずれこの企画室を引き継ぐだろうと言われている荻野家長男の伊万里主任。若い感性を取り入れるために千歳お嬢様が自ら採用した社員が、男性と女性が二名ずつ四名いるとのこと。そして最近、秘書室所属だが企画室預かりになって異動してきた広海、小柳主任で成り立っている。


 その企画室2へと近づいてきたら、デスク室の前に広海が立って待っていてくれた。

 もう販売員制服を着ることがなくなった広海は、すっかりオフィススタイルの装いになっていて、気温が高い今日も涼しげなクールビズでまとめていた。襟はボタンダウンになっている紺地に白ラインのストライプシャツに、黒いスラックス。大人っぽい姿が多くなってきて、柚希はそんな彼を見るたびにうっかりときめいてばかりいる。

 柚希を見つけてくれた彼は、今日も黒髪和風メンズの優しい笑みで迎え入れてくれる。


「千歳、そこのミーティング室で待ってくれているから。行こうか」

「うん……。緊張する」

「大丈夫だよ。俺と同期なんだから」


 それでも、つい最近まで一緒にお茶するとかドライブに行こうとか、目の前で話すことなんて皆無の雲の上の人だったのだから。柚希としてはまだ慣れない。

 そんなドキドキする気持ちを抱えたまま、大人っぽい姿の広海の後についてミーティング室へ。


「室長、失礼いたします」


 会議ができるようになっている小さな部屋、そこへ入ると、大きなテーブルに千歳お嬢様と伊万里主任、思わぬことに浦和副社長までいたのだ。


 入室するなり、妙に魚介ぽい匂いが漂っている。でも香ばしい匂い。ちょっと美味しそう……とお腹がなりそうで柚希は堪えた。


「小柳君。今朝、家族のことで話があるって言っていたけれど……。神楽さんも……?」


 柚希も伴って話したいことがあるとまでは伝えていなかったようで、千歳お嬢様はふたりいっしょに入室してきたのでキョトンとしていた。

 だが伊万里主任だけが『あ!』となにか気がついたかのように声を上げた。でもだからこそか、すぐに口元を手で覆って黙り込んだ。朋重さんも不思議そうに首を傾げている。


 テーブルにはなにか煎餅のようなものが並べてある。どうやら試食をしているようだった。

 その美味しい匂いの中、広海と並んで千歳お嬢様に真っ直ぐに向かう。彼から報告する。


「彼女、神楽さんと婚約することになりました。両家の親にも報告済みです。同じ職場なので、上司である室長にまずご報告とさせていただきます」


 場がシンとした。でも伊万里主任だけが口元を押さえたまま、ちょっとそわそわ、足をバタバタさせて姉を見ている。

 お姉様はというと。


「え!!? 早すぎ!!」


 早すぎ? 思わぬ反応に、広海も柚希も揃って眉をひそめる。


「わー、姉貴の作戦大失敗! こんなこともあるんだ!」

「うるさい、伊万里。でも私のお見立て、合っていたってことじゃないの」


 姉弟がやいやいとやり始めたけれど、広海と柚希にはなんのことかわからない。

 そんな姉弟が言い合っている間で、また余裕の朋重さんが『まあまあ』とキラキラした笑みを見せるだけ。

 我に返った広海がやっと室長に声をかける。


「えーっと。千歳……でいいかな。なんのことかと」

「あ、ごめん。小柳君。だって、遠慮しがちな小柳君が、まさかのプロポーズ済みだなんて思わなかったんだもの」

「俺、そんなに悠長に構えてはいなかったけど。まあ、母にせっつかれはしたけれどさ」


「お母様が! なるほど。さすが、お母様。そっかー。私が余計なお世話をするまでもなかったのかー。あー、でも、おめでとう!! 実は私、わかっていたのよね。この前、お母様と伊万里とカフェでお話ししたでしょう。その時に、神楽さんと小柳君が並んでいるのを見て『これはよいご縁』、同期生としてカップル成立協力すべしという、なんかが降りてきたの~」


『なにかが降りてきた』と嬉しそうにいう千歳お嬢様を見た柚希は、彼女のまわりになにかキラキラしたものが降り注いだ錯覚をみた気がして、思わず目をこすった。

 隣にいる広海もギョッとしていた。おそらく『千歳のなんとなくのお告げ』みたいなものに、自分たちが当てはめられたことに気がついたのだろう。

 さらに千歳お嬢様が続ける。


「だからね。石狩に一緒にドライブに行こうと誘ったの。そこでめちゃくちゃお節介をして、ふたりを接近させちゃおうってね。そうしたら、そんなお世話しなくても、小柳君ちゃんと捕まえられたんだね! おめでとう! なんだか、私……、嬉しい……」


 きらきらとはしゃいでいたのに、今度はグスンと涙ぐむお嬢様の忙しさに、広海も柚希も唖然……。しかも千歳お嬢様が石狩ドライブに誘ってくれたのは『カップル成立させちゃうわよ大作戦』だったという真相を知り、さらに柚希は唖然とするしかない。


 感激ばかりで言葉が出てこなくなった姉の代わりとばかりに、伊万里主任が入ってくる。


「ここんとこさ。ユズちゃんの周辺って妙に騒がしくなかった? あれ、姉ちゃんのご加護みたいなやつの『仕事』だったと思うんだ。俺、全然気がつかなかったんだけど、俺のそばに来ようとしていた子が本店店舗にいたんだって? あの子、なんだっけー、もつこ? もあこちゃん? 結局俺に接触できなかったしょ。うちって、姉ちゃんと祖母ちゃんと父ちゃんのそばにいると、そういうこと多いの。そんでもって、おめでとう。姉ちゃんのそばに来られたってことは、今後、荻野で責任を果たしていればけっこう安泰ってこと。つまり跡取り娘のそばにいていいよ『合格』ってことなんだ。長いお付き合いになると思うからよろしく」


 伊万里主任からも歓迎と祝福の言葉をいただいて喜びたいところだが、やっぱり『摩訶不思議要素』がさりげなく混じっていて、柚希はちょっと怖くなってくる。でも、柚希もどうやら広海とともに、お嬢様のお側にいられる一員として認められたということらしい?


「私の脳内もけっこう忙しかったわよ。石狩に一緒に来いとかなんとか言われちゃって。それに同期として、跡取り娘としても小柳君の補佐は絶対に必要だから、あなたの将来を盤石にしておきたかったのよね。そのことに関しても『その気があるなら躊躇わずに行きなさいよ。これ、最高な出会いの最初で最後のチャンスだからね』と発破かけるつもりだったのよ~。なのに、どうしたのかなあ。私のそばにある『お仕事さん』、私が手を下すまでもなく『こんなに早い結果が出た』りして、今回はなにしたのかしら~」


 腕を組んでうんうんと、千歳お嬢様が唸っている。

 彼女の隣で常に穏やかな笑みを浮かべている朋重さんも入ってくる。


「いいじゃないか。千歳の思いどおりになったのだろう。どうせだから、計画どおりに、皆で石狩に行こうよ。小柳君のことも、川端家に紹介しておきたいんだろう」

「そうよね。保食神様にもご紹介しておきたいしね」

「俺は、タコ天食べたーい」


 姉とその婚約者と弟という三人で、常に仲睦まじくしていることが伝わってくる光景だった。


「じゃあ、こちら職場でも公認ということにしておくね。父とお祖母様にも報告しておくから。柚希さんの店舗側はどうするの」

「岩崎店長と寺嶋リーダーには報告をして、あとは柚希の判断で伝えられるスタッフに報告するという形にしようと考えてるよ」

「うん。それでいいんじゃないかな。室長として了解しました。おめでとうございます」


 千歳お嬢様が席を立つと、息が合ったように朋重さんと伊万里主任も立ち上がって、三人そろって、『おめでとうございます』とお辞儀をしてくれた。

 ここで柚希はやっと実感が湧いてくるようだった。

 荻野の跡継ぎ娘と、そのお婿さんと弟御さんに認められたという気持ちになれたからかもしれない。


 この日はそこで失礼をして柚希は広海と別れ、一階にある本店店舗に戻った。



 その日から柚希は、シフトが休みの日は小柳家で過ごし、仕事の日はいままで通りに実家に帰宅して父と顔を合わせ食事を取ろうと考えていたのだが。


「芹菜さん、おはようございます」

「ユズちゃん、いらっしゃい。待っていたわよ」

「まだ暑いので、先に買い物してきちゃいました。足りないものがあったら……」


 休日の午前から元気よく小柳家を訪ねた柚希だが、明るいリビングのソファーに父がいたので驚く。


「おう、柚希。先にちょっと邪魔をしているよ」

「お父さん、どうしたの」


 休日でゆっくりめに起床したので、父はもう出勤していて姿はなかった。仕事をしているはずの父がそこにいて柚希は訝しむ。


「それでは、芹菜さん、また来ます」

「はい。広海にも許可をもらっておきますね」


 なんの話をしていたのかな。そう思った。


「そうだわ。ユズちゃん、ネットでのお買い物したいから間違いがないか見てくれるかしら」

「はい……、いいですよ。あの父、どうしたんですか」

「うん。広海とユズちゃんの結婚式について、親側としてどうするかという話し合いに来てくださっていたの。ほら、親戚の数とか呼ぶ範囲とかあるでしょう」

「そうでしたか」


 そこってまずは当人同士が話し合って親に相談するものだと思っていたので、柚希はちょっと不自然に感じたが、そんなものなのかなと首を傾げて流した。


 これまで芹菜母は、インターネットを使っての買い物を怖がって敬遠していたが、一人でできることは挑戦したいと、ネットショッピングにネットスーパーを利用するチャレンジをはじめたのだ。

 休日に柚希をそばに、お母さん専用として広海がセッティングしたパソコンで安全に買い物をする勉強をしている。

 どんな暮らしにしていこうかと、これから主婦ふたりになることで、いろいろと相談をしているところでもあった。


 今日は女ふたりで、川辺にあるお蕎麦屋さんでランチをする約束。

 帰りは河川敷をお散歩して、夕方から一緒に夕飯の支度。夏の遅い夕暮れに空が茜色になってきた頃に、広海が帰宅する。


 これから家族になる三人で食卓を囲んで笑いあう。

 まだ結婚前だからと、柚希の部屋は別にしてもらっていた。空いている部屋を柚希用にと広海が準備してくれていた。それでも夜遅くまで、彼とパジャマのままお喋りをして寄り添う時間も積み重ねている。


 三人で温かくて明るくて優しくて、芹菜お母さんらしい素敵奥様の食卓を楽しんでいる心の片隅で、一人で食事をしているかもしれない父を思って胸が少し痛むときがある……。でも必死で隠した。こんな気持ちになるなんて。


 それは広海も一緒だったのか。


「なあ、柚希がこちらに来ている時は、お父さんも誘ってみないか」


 自分たちが、父娘ふたりで暮らしていたところ、娘を取り上げてしまった気持ちは彼も持っていたようだった。

 そう言ってくれて、柚希は泣きそうになってしまった。

 それで芹菜母がどう言ってくれるのか。広海も柚希も揃ってうかがう。


「そうだわ。今度ね、勝さんと一緒に映画を見てランチに行きましょうと約束をしたの。お父さんが一緒だったら、ふたりででかけてもいいでしょ。来週なの。いいわよね、広海」


 ん?

 広海と柚希は一緒に表情がそのままに固まっていたと思う。

 なんですか。そのデートみたいな、おでかけ?


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