15.ご加護圏内へ

 近いうちに、父を呼んで食事会をしようということになっている。


【もう帰るよーん👹ビールを冷やしておいてくれると嬉しいなー🍺】

 相変わらずなメッセージを着信。

 さて、父になんて切りだそう。広海と芹菜母は『無理に報告しなくても、食事会の時に広海からお父さんに伝えるから』とも言われている。


「はあ~。なんか腹立つわー。くっそ。ただいま、ただいま!」


 たまに不機嫌全開で帰宅することがある。メッセージを見ても、お茶目ながらも怒ってるんだなあと感じていたからだ。

 だからって娘に当たり散らさない。それでも自宅では、少しでも負の感情を発散させてほしいとは柚希は思っている。

 いろいろと調査をしていると、人として嫌になることも多々あるのだろう。


「おかえり。お父さん。ビールを冷やしておいたよ。グラスもね」

「おおおぅ~。完璧だ、柚希。父ちゃん、うれしい。ユズを見ただけでなんかどーでもよくなったわー」


 先に風呂に入ると父がキッチンを出て行った。

 柚希は先に食事を済ませたので、キッチンのダイニングテーブルに父ひとり分だけの食事を準備する。

 ひと風呂浴びた父が、ほっこりリセットできた顔でテーブルに着いた。冷えたグラスにビールを注いであげると、口元に泡をつけたままCMみたいに『ぷはーっ』と満足そうに飲み始めた。


「はあ~、気分よくなったわー。ありがとうなユズ」

「いえいえ。お疲れ様です。暑い中の調査も大変でしょう」

「まあねえ。お、今日は中華風だな。どれどれ」


 柚希が作った料理をひとくち頬張る父。

 柚希も父の正面の椅子に座って、冷茶でひといきつく。


「おおお! ユズ、新メニューに挑戦か。うまいうまい! ビールに合う合う!」

「油淋鶏、挑戦してみたの」

「うんうん。うまいうまい! あ、そうだ。今日さ。モモから連絡があったんだわ」

「そうなんだ」

「なんでもさ。ヒガシ君も連れてくるっていうんだよ。泊まれる準備をよろしく頼むってさ。悪いな、柚希。姉ちゃんとヒガシ君が泊まれるようにしておいてくれるかな」

「うん。わかった」


 そこで父が油淋鶏をもぐもぐと食べながら、怪訝そうに眉をひそめている。


「なーんか、百花のやつ、変な感じだったんだよ。ユズ、なにか聞いてるか」


 ここまで平静を保ってきた柚希だったが、内心どっきり。


「にゃ、んにも」


 噛みました。父が目の前でじっと真顔になって窺っている。柚希は苦笑いで取り繕った。


「うん。わかった。もういいよ」


 あー、お姉ちゃんごめんなさい。お父さん察しちゃったかも。

 元レンジャー教官の父に敵うはずもなく。柚希はひそかに心の中で姉に泣いて謝っている。


「ユズ、おまえ『も』な。最近、料理の味付けとか雰囲気が変わったな」


 それは芹菜お母さんから、いろいろと教わって、一緒に夕食を作る機会が増えたからです――。と、父にはまだ言えずにいた。

 だが最近の柚希が『芹菜さんのお手伝いをしている』ことは、父も知っているので、そのおかげとわかっているはずだった。


 そして柚希も勇気を出す。


「広海さんと芹菜さんが、お父さんとも一緒に食事をしたいと言っているの。今度の金曜日の夜なんだけれど、どうかな。広海さん、本店店長から社長秘書室に異動になって、主任に昇格したから」

「お、そうなのか。お祝いということだな。わかった、わかった。喜んでおうかがいすると伝えてくれ」


 なんとか父を誘うことができた。

 でも、父はわかっているんだろうなと柚希は思っている。




 広海は秘書室に異動すると、細野係長といつも一緒にいる姿を社内で見るようになった。


 業務は企画室主任という形になっていて、伊万里主任と同等の立場でほかの従業員に指示ができる権限をもつことに。

 千歳お嬢様とともに、荻野の新しい商品について話し合うことが多いらしいが、これまで現場店舗で菓子の売り上げや傾向を肌で感じてきたからこそ、情報分析もよくできているとのこと。伊万里主任が、通りすがりに教えてくれたことがある。


 夏の商戦も終わったので、石狩ドライブに行く計画のため、揃って休暇が取れるように摺り合わせも始めていた。企画室2から三人揃って休暇申請できるのかと案じていたが、そこはお嬢様が指揮している部署ゆえか融通がきくようで、『大丈夫。細野さんが許可してくれた』と千歳お嬢様が言っているのだとか。柚希的には『いったいどっちが偉い人なのか』と不思議に思うが、なんとか揃って休めそうとのことだった。


 父と食事会をする前に、村雨女史とも久しぶりに食事をした。

 彼女も異動で、販売激戦区の札幌大通にある百貨店にはいることになったそうだ。勤務地的には、柚希の本店と近距離になる。

 これから頻繁に会うことができそうだった。


 時計台近くにあるスープカレー店で待ち合わせた。


 村雨女史は、姉の百花のようなタイプで、すらっと背が高くてショートカットのクール美女。キビキビとした綺麗な仕草の接客に定評がある。お客様に安心感を与え、彼女なら大丈夫という信頼性も持たせる優秀な販売員だった。彼女もいずれは、本社の上階へ行くのではないかと同期間では囁かれている。


 そんな村雨女史から、柚希を誘ってくれたのだ。


 二人一緒に同じチキンのスープカレーをオーダーして、まずはビールで乾杯をした。


「久しぶりに会って、せっかく楽しくしたいところ申し訳ないんだけどさ」


 と村雨女史が切り出してきた。


「萌子が柚希と連絡が取れないとか、おかしなことを言いだしたんだよね」

「私と連絡が取れない? 花乃香かのこちゃんが釘を刺してくれたから、約束を守って私にメッセージを送ってこないだけなんでしょう」

「うん。それはもう、最初はね。その通りにしていたみたいなんだよ。でも、あの萌子じゃない。喉元過ぎれば――で。工場勤務を始めて知り合いもいなくて、噂で冷ややかに見られていて辛くなったところで、柚希にまた愚痴りたいと思ったんじゃない? それでコンタクトを取ろうとしたらメッセージが送れないんだって」

「送れない? 私、ブロックしてないけれど……」

「そうじゃなくて。文字を打ち込んで送信をしようとしても、エラーが出てメッセージが消えてしまうとか、だったら電話をしようとしたらいつも通話中だったとか。間違い電話をかけてしまっていたとか、なんだかんだで、柚希に連絡が取れないって喚いていたよ」


 ビールを飲みながら、柚希は嫌な予感がしてきた。

 萌子が伊万里主任を追いかけていた頃と既視感を覚える。


「花乃香ちゃんとは連絡が取れるの?」

「それが、私とは三回に一回しか通じないとか怒っていたかな。やっと通じたとばかりに、一気に喋られたんだけど。これまたどういうわけか、いきなり切れちゃってさ。それ以来、萌子からもかかってこないし、メッセージがこないし、こっちもかけ直したけれどいつも通話中。どうしたんだと思ってさ。萌子の状態を把握しようと、ほかの同期からも連絡をとってもらおうとしたんだけれど、これまた誰も萌子と繋がらないんだって。怖くないこれ」


 まさか。柚希にふと思い浮かんだのは『荻野のご加護』だった。

 なんとなく。柚希ではなく、異動した広海がその範囲へと入ることを許されたような夢を見たのだ。


『これから、荻野を護る使命があなたにも生じるからね。要らないものは切らせてもらうよ』


 どんな人がそう言っていたのかわからない。

 でも、百合が原公園から帰ってきた夜に見た夢なので、気になって覚えていたのだ。広海にも伝えてある。彼は『俺が千歳のそばで働くようになるから、パートナーとなる予定の柚希も同様だということなのかもしれない』と、妙に信憑性がある夢みたいに真剣に捉えていたのだ。

 だから余計にそう感じる。これを花乃香に言うべきかどうか迷った。


 迷った挙げ句。リーダー的存在の彼女には伝えていこうと柚希は判断をした。これまでの小柳母子との馴れそめと、結婚を見据えたお付き合いを始めたことを正直に伝えた。夢のことはひとまず保留にする。


 花乃香は驚き、でも、その次には輝く笑顔で祝福してくれる。


「そうだったんだ! あの小柳店長と、いや、もう小柳主任だね。そっかー。でも柚希と小柳さんだったらしっくりするわ。柚希はお母さんとは早くに死別しているし、小柳さんはお父さんと。どちらも親御さんひとり残されて暮らしてきたから、気持ちがわかるよね」


「でも。私は父と姉が元気にサポートしてくれたから、それほど苦になってはいなかったけれど、小柳主任は障害を負ったお母様との暮らしだったから大変だったと思うのね。たまたま父の仕事についていった小樽で遭遇して、お母様の状態がわかったことなんだけれど。そのころ同時に萌子が、伊万里主任がいい、朋重さんがいい、やっぱり店長がいい、でも店長はやっぱりマザコンだから条件があわないと行ったり来たりしたり、マザコンだって言いふらしたり、バカにしたりしていたから、余計に頭にきていたの。だから、本当はもう会いたくもないし、話したくもない」


「なるほど。それさ、萌子が『小柳主任と柚希がつきあっている』と知ったら大変なことになるよ。私が狙っていた男を横取りしたと騒ぐと思う」

「私も、そうだと思う。もし同期会とかで、結婚前提のお付き合いを始めたことを知らせるようなことになったら、萌子がそう言い出すことも覚悟しようと思っていたところ。そうしたら、花乃香ちゃんが今日、私と接触できないという話を教えてくれて、正直ホッとしているというか……」


 花乃香もビールグラスを傾けつつ『ふうむ』と唸り出す。

 感の良い彼女が、柚希より先に言い出した。


「ということは。柚希には、荻野のご加護がついたかな」


 言うか言うまいか迷っていたのに。これまでの花乃香なら『疑わしいけれどあるものとして信じておく』程度のことだったろうに。今日はもう、荻野のご加護を、すっかり受け入れた言い方だった。


「信じるの? はっきりしないことだよ」

「でも。伊万里主任も浦和副社長も、千歳さんの家族。その二人に手を出そうとした女だったから弾き出されたとも言えるよ。小柳主任は千歳さんの同期で信頼されているし、ついに千歳さんのお側付になったんだよ。その側近みたいな男性がつつがなく仕事を続けられるように、彼の家族を支える女性にもご加護が働いたとも思えるよ」

「実は。なんか、お告げみたいな夢も見ちゃったんだよね。これから荻野を支える使命が私にも関わってくるから、要らない者は切っておくって……」


 さすがの村雨女史、花乃香もビールグラスを持ったまま唖然としていた。


「こっわ。こわいこわい! やっぱり私、ご加護を信じることにする!! それって、それって、ほんとうにユズから萌子を徹底的に排除しているってことじゃないの!?」

「半信半疑だけど、花乃香ちゃんの話を聞いて、本当っぽいなと私も驚いているんだけど」

「うわー、鳥肌たった! うん、わかった。もうこのまま放置しておく。連絡がどうしても必要なら、また繋がることもあるだろうし、会社を通じて連絡取れることもあるだろうからね」


 いつもクールで落ち着いている彼女が、鳥肌がたった腕をさすりながら『初めて荻野のご加護を実感した、体験したかも』と大騒ぎ。

 さらに柚希はふと気がついた。


「そうなると、急に近距離に来た花乃香ちゃんは、これから荻野のご加護に近づいてきたのかもしれないよね」


 彼女がハッとした。荻野のご加護範囲に入ったかもしれない柚希と勤務地が近くなったり、本社近くの百貨店店舗に配属になったり、今度は彼女にチャンスがまわってきてるのかもしれない。


「私も頑張るわ! ご加護を甘く見ないように頑張る!」

「うん。花乃香ちゃんなら、きっと、販売部門で荻野を支える戦力として必要とされるよ」

「憧れの荻野製菓だったもんね。子供のころから、親しんできたお菓子だよ。全国のお客様にもファンがいっぱいいるお菓子会社。そのお菓子を守ろうとしているご加護があるんだねきっと。私も、お力になれるよう精進する」


 村雨女史らしい言葉に、柚希も頷いていた。

 萌子の噂も聞かなくなる。いつか連絡が取れたら、その時は彼女と親しくしても大丈夫というお報せだと思うことにした。



 さて。次は父に報告をしなくてはならない。

 金曜日が近づく中、広海君が緊張しております。

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