14.まっしろな百合の夏

 今回の店長は一日だけの欠勤で、また出勤できるようになった。


 昨夜、店長改め『広海(君)』が、車で玉ねぎ畑がある自宅まで送ってくれた。

 父も既に帰宅していたが、柚希から【芹菜さんが熱を出したので、ごはんのお手伝いなどしています。〇時までに店長が送ってくれます】とメッセージを送っておいたので、初めて自宅まで訪ねてきた広海を見るなり『大丈夫かな』と案じてくれたほどだった。


 別れ際、彼が父を見て、ほんのちょっと笑いをこらえていたのは内緒。うほうほを思い出したのか、姉の結婚ご挨拶秘密作戦を思い出したのかはわからない。


 その日はお互いに遅番で、昼前に出勤をするとバックヤードで彼と出会う。


「おはよう、神楽さん」

「おはようございます。店長」


 ここまではいつもどおりなのだが、彼がそっと柚希のそばに寄り添うようにきて、ちょっとだけ身をかがめて伝えてくれる。


「熱、下がったよ。ほんとうに、ありがとう、ユズ。助かった」


 それだけ言うと、さっと離れていった。

 それだけで充分、柚希はもうにやけてしかたがない。

 芹菜お母さんも元気になったようで、ひと安心だった。




 この職場でも夏を越える前にと、変化があった。

 店長と萌子の異動が知られることになったのだ。


 夏の商戦時期を終えて、秋のおちついたころが荻野の異動時期になるのだが、萌子は本店から工場勤務に異動へ。


 萌子がお嬢様の婚約者にも接近しようとした出来事の後、店長とリーダーとの面談。そこで散々業務的注意をされたことに対して萌子が納得できるとは、柚希は思っていない。また毎日不満タラタラのメッセージが来るかと思ったが『村雨に怒られた』とひとことメッセージが来ただけで、もう柚希にはなんの接触もなくなってしまったのだ。


 最近のご時世で、飲み会などの送迎会は行わず、朝会でお別れ会をささやかにするということで済ませている。この時になってようやく萌子は『いろいろとご迷惑をおかけしました。ここでの経験と反省を生かして次の勤務先でも精進いたします』と当たり障りない挨拶をして、すっかり元気をなくして、大人しくなっていた。


 村雨女史からも連絡があった。


『こっちでも噂になって流れてきたよ。本店で婚活脳で暴れた女子社員がいるって。柚希が一緒にいることを知っている同期には、私から、ユズがなにを言っても通じなかったみたいと連絡済みだよ。萌子には、どうして柚希の忠告を受け入れなかったのかと言っておいたけど、そこでもデモデモダッテだったわ。まあ、工場にも上層部と関係の深い管理者いるからね。あっちでも騒ぎを起こしたら今度こそ首が飛ぶよと脅しておいた。あと柚希にしばらくメッセージを送るなとも言っておいたから。どうせ柚希のせいにするようなメッセージしか送らないと思ってさ。愚痴は私に言えと伝えたけど、いまのところ来ない。ほかの同期にも迷惑メッセージを送って確認したら、その時点で同期会から外すとも言っておいたからかな』


 ――とのことだった。


 その時もまだ『店長が秘書室へ異動になるだなんて、もっときちんと向き合っておけば』と言っていたらしく、柚希としてはもう絶交レベル。


 それでも村雨女史が『あっちの男、こっちの男と言い寄ろうとして、萌子は男をスペックでしか見ない尻軽女だって男子たちが言っているみたいだよ。そのことについてはどう思ってるの。かわいい萌子ちゃんだったのに、評価駄々下がり中だよ』とキッパリ言ってくれたらしい。


 もうそこで萌子がデモデモダッテ砲を一時間ぐらい放ったらしいので、やっぱり反省はしてなさそうだった。


 せっかく道内有数の優良企業に就職できたのに。ここで首になったら、あとの就職活動だって大変になる。萌子、背水の陣で踏ん張るしかないと村雨女史もため息を吐いていた。一年ほどして落ち着いていたら、同期会でもしようという話になった。



 広海のことも、もう店長と呼べなくなる。

 これまでの功績もあり、秘書室では『主任』という役職もつくようだった。驚いたのは、秘書室所属だが、細野さんが直属の上司になり教育係になるとのこと。細野係長と常に行動をして、どのように『荻野という主君に仕えるか』を教え込まれるとのことだった。

 つまりは、将来『千歳お嬢様をお守りする準備』をしていくことになるのだそうだ。

 そのために細野係長同様に『秘書室所属だが、千歳お嬢様とともに企画の仕事をする』という業務になるのだとか。

 それでも『企画もやってみたかったんだ』と、広海は楽しみにしている。


 もう千歳お嬢様のことは……諦めたのかな。

 だがどう考えても、千歳お嬢様は結婚を決めた男性と仲睦まじい様子で、誰も入る隙がなさそう。彼女に恩義がある広海にしてみれば、『彼女が幸せならそれがいい、それを守る仕事をする』という気持ちなのだと柚希は思えるようになっていた。


 盛夏の百合が咲き始めたころ、元気になった芹菜母と広海と一緒に『百合が原公園』へとでかけた。

 暑い日だったが、車椅子の芹菜母に暑さ対策をしっかりして、植物いっぱいの園内をゆっくりとまわる。

 白いアジサイに、カサブランカ、バラにラベンダーと盛りだった。


「ねえねえ、広海。あちらのほうへ見に行ってもいい? ゆっくり写真を撮ってSNSにあげたいの」

「ああ、いいよ。慌てないでくれよ」


 最近はひとりで先に車椅子を操作して動くこと増えてきた。

 しかも、柚希が教えた写真中心のSNSにはまっている。お洒落でセンスがいいお母さんにはぴったりの娯楽だったようで、自分で選んだ雑貨に、ハンドクラフト写真、散歩中のなにげない風景の切り取り、花や緑など様々なものをアップして記録代わりのようにして楽しんでいる。


 そのため、今日も『綺麗な百合をたくさん撮影するの』とはりきっていたのだ。


 百合がたくさん植え込まれているガーデンに来たところで、お母さんの撮影を見守る。

 そばにあるベンチに、彼と一緒に並んで柚希も座った。


 北海道も真夏。今日は真っ青な空に、夏らしいモコモコとした白い雲。芝生の広場で子供たちがかわいらしく遊んでいる声。園内を一周回る『リリートレイン』がゆっくりと走行している。丘珠空港も近いので、時々、着陸寸前の小型ジェット機が低空飛行で公園上空を横切っていく。その光景も、芹菜母が『凄い。こんな低く横切っていくの』とわくわくとした様子でスマートフォンを向けて撮影していた。


「……まだちょっとハラハラするな。頑張っても、はしゃいでも、疲れたら熱を出したりするからな」

「いちおう、一時間を目処に涼しいところに連れて行きましょうか。広海君も気をつけないと、また疲れちゃいますよ」


 水筒から冷たい麦茶を紙コップに注いで手渡した。

 彼も柚希の手からなんなく取って、飲み干してくれる。柚希も自分の分を飲んで、ひと息つく。


 かわいらしく楽しんでいる白髪のお母様を、ふたりでそっと見守っている。静かなベンチだった。

 今日はほんの少しの風がそよいでいて、公園内にある木々から葉ずれの爽やかなさざめきも聞こえる。

 彼の額にかかっている黒髪も柔らかにそよいでいる。母親を見つめて見守っているようで、その目が柚希にはもっと遠くを見つめているように思えて首を傾げた。


「来週で異動になるな。ユズとは別々の部署になる」

「そうですね。でも、いままでどおりに、広海君のおうちに遊びに行ってもいいですよね」

「もちろん。ユズが来なくなったら、母が寂しがるよ」


 あの日から、柚希はちょくちょく小柳家を訪ねて一緒に夕食を食べたり、買い物にでかけたり、散歩をしたりと三人で過ごす時間が増えていた。

 彼の異動で職場で毎日そばにいることはなくなるが、小柳家に行けばいつだって会える。彼の異動をそんなに不安には思っていなかった。


「お願いがあるんだ。柚希に」


 ユズではなくて、今日は妙に真剣な声で柚希と呼ばれドキリとする。


「なんでしょう……」

「俺と母と、これからもこうしてずっと一緒にいてほしいんだ」

「はい。いいですよ」


 いまさら、なんでそんなことを聞くのかなと思いながら、素直に柚希は返答した。なのに、広海がどうしてかギョッとしたようにして柚希を見下ろしている。


「あのな、俺には常にあの車椅子の母がいて――」

「うん、そうですね。ですから、それがどうかしたのですか」

「いや、ごめん。俺が悪かった」

「え、ど、どうしたんですか」

「言い方を変える。俺の彼女になってくれますか。いまのままだと、友人だと思われているんじゃないかと心配になってきて――」


 真っ白の百合がひしめきあっているガーデンに、夏風がよぎっていく。


「恋人になってほしいと言っているんだ」


 ここで本当なら『はい。嬉しいです』と柚希は言いたかった。

 でも、ひっかかりはとっておきたいと思う。


「あの……。こんな時に聞いてごめんなさい。広海君は、千歳お嬢様のことが好きなんじゃないかと思っていたから」

「え!? なんで!!」


 彼らしくない声を張り上げたので、隣にいた柚希のほうがびっくりして目を丸くしてしまった。


「同期で心が通じているみたいで、千歳さんのために、支えていく仕事がしたいと言っていたから、ずっと前から本当は好きだったんじゃないかなと思っていたの。その気持ちを無視して、私、一緒にいるからって舞い上がっちゃだめだと思っていたの」

「え、そうだったんだ? 俺もはっきりとしなかったから悪かったけれど、母が熱を出してユズが駆けつけてくれた時にはもう……。この子、かわいいな、ほっとするな。一緒にいてくれたら嬉しいなと、もう好きになっていたんだけれど」

「うん。ぎゅって抱きしめられた時に、私も……。広海君と一緒にいてあげたいと思ったよ。でも、それは、感情的になっていたあの時限定かもしれないって」


 彼が『ああ、そうだったのか』と黒髪をかきながら、顔をしかめる。


「そりゃ。同期で気が合うよ。あいつ、さっぱりしているし、気が強いけれど、責任感も正義感もある。信頼できる仲間だよ。正直に言えば、真摯に俺と母を助けてくれる彼女を見て、女性として気にしたことがあるのも本当だよ」


 やっぱり。好きになった瞬間があったと柚希の身体が硬くなる。一瞬でも恋をしていれば、これからももしかすると――。そんな不安。

 だが広海は柚希が思う『男と女』とは違うものを話し始めた。


「千歳、不思議なんだよ。たとえば、俺が男の気持ちを持って彼女に近づこうとすると、動けなくなるんだよ。気持ちが失せるんだ。彼女に触れようとすると、なんとなく、空気に弾かれるかんじ……。うまく言えないんだ。千歳の目を見ていると『小柳君と私がいる場所はまったく違う。こちらに来たら駄目だよ』と言われているような気になって、近寄れなくなる。そのうちに『住む世界が違うんだ』と感じたんだ。いまはないよ、まったくない。気心知れた同期で友人だよ。そうすると彼女とずっといられる気がするんだ。失いたくない友人だよ」


 千歳が不思議――という彼の言葉から、柚希はまた『荻野のご加護』を思い出していた。それと同時に、広海もそこに触れてくる。


「荻野のご加護、聞いたことがあるかな」

「はい。最近、同期から聞きました。長く勤めている従業員ほど、信じたくなるような経験や目撃をしていて、荻野はなにかに護られていると」

「千歳に近寄れない気持ちになったり、見えない空気に阻まれているのは、俺もそれだと思うんだ。つまり、荻野のご加護には、俺は認められていない男だけれど、同期として友人としては認められているんだってことなんだよ。千歳はもう関係ないよ。なんとも思っていない。だから――」


 広海がなにかを言おうとしたところで、また小型ジェット機が低空飛行で近づいてきた。音が大きいから、彼がそこで一度黙る。

 二人の頭上を通り過ぎて、滑走路へと着陸する飛行機を見送る。


「諦めていたんだ。俺に恋人なんて。ずっと母とふたりで慎ましく暮らしていければそれでいいと……。でも柚希に恋をしたから、諦めたくない。一緒にいてほしい」


 かすかに百合の薫りが柚希のそばを掠めた気がした。ささやくように風に揺れているカサブランカのガーデンを見つめて、柚希も答える。


「はい。私も、あなたが、お母さんを大事にして頑張ってきたあなたが、好きです」


 並んでいるベンチの上、夏風がふくそこで彼が柚希の手を嬉しそうに握りしめていた。


 ふと我に返って『芹菜お母さんは』と探すと、白いカサブランカのガーデンの片隅で、ハンカチを持って目元を抑えている姿が――。

 あ。ふたりきりにしてくれていたのかと、柚希は気がついた。

 なんだか『広海。あなたちゃんとユズちゃんに、カノジョさんになってと申し込んだの? なあなあにしちゃだめでしょ』とせっつく芹菜さんも浮かんでしまった。でもぜんぜん嫌じゃない。むしろ、そっと笑みが浮かぶ。


 告白する時もママが一緒。人はそう言うかもしれない。

 でも、そうじゃない。私たちは、三人一緒が自然になっているだけなのだから。



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