13.うほうほウッホ🦍
ずっと心臓がばくばく。取り繕う笑みを浮かべて『夕飯、食べますよね』と彼の胸から離れようとすると、店長も長い腕の力を抜いて、柚希をするりと放ってくれる。
彼がいまにも『いきなり抱きしめてごめん』と言いそうで、でも柚希は彼が申し訳なさそうな顔で謝る姿なんて見たくなくて、誤魔化すように離れた。
冷やし中華をダイニングテーブルにひと皿置いて、店長に『どうぞ』と差し出した後、お粥を温め直す。
店長がテーブルについて、柚希は背を向けたままコンロの前にたって温め直しをする。
「お母さんに持っていきますね。私が付き添うので、店長はゆっくり食べてください」
「もう、店長はいいよ」
箸を持った彼が、俯き加減に緩く笑っていた。
でもその次には、改めてトレイの上にお粥の器を準備している柚希を、まっすぐに見つめて微笑んでくれる。
「もう仕事だけの関係じゃないだろう。俺のこと、店長と呼ぶのはもう禁止な」
「でも、そんな……。なんて呼んだら」
「小柳さんはやだな。だったらひとつかと」
「ヒロミ君……、ですかね。父とお揃いにしてもいいですか」
「もちろん。だったら、俺も母とお揃いでいいかな」
「まさか……、いえ、店長から呼ばれるなんて恥ずかしいですよー」
「はい、禁止用語を使いましたね。覚悟してくださいね、あなたはいまからユズちゃんです」
『母がユズちゃんと呼びながらの話題』として店長から言われるならともかく。店長の意志で『ユズちゃん』はやっぱり気恥ずかしい! 顔が真っ赤になるのがわかる。
「……といいたいところだけれど。俺は『ユズ』でいいかな」
ずきゅん。いまのほうが『ずきゅんっ』と来ましたよ!
大人の優しい声で『ユズ』って!!
「おかしゃまいおあ、……っ、お母様に届けてきます!」
なんか変なこと口走ったのはわかったけれど、柚希はその場から逃走するようにトレイを持って離脱した。
こちらのお宅、適度な温度管理をしてくれるクーラーなのか快適だったのに、まるで暑い外から帰ってきたかのように、柚希の身体から汗がじんわり滲んでいた。
あたふたしながら芹菜お母さんの部屋へとお粥を届ける。
一度、目が覚めたからなのか、横たわっているけれど目を開けて、物思いに耽る様子で天井を見上げていた。
「芹菜さん。お粥をもってきましたよ」
「ありがとう。ユズちゃん。もういい匂い……。ちょっと小腹が空いた感覚があったから嬉しいわ」
「でしたら、よかったです」
上品なベビーピンク色のコットンパジャマがよく似合っている。きちんと切りそろえられた白髪のボブカットも素敵だなと思いながら、芹菜母が半身起きあがれるように柚希は介助する。
ベッドの横には座れるようにスツールが置いてある。きっと息子の店長が、いつでも付き添いで座れるように置かれているのだろうと、わかった。
柚希もそこに座って、小鍋から茶碗へと少なめによそって手渡す。
「いただきます」
木製のスプーンですくって、ひとくち頬張ってくれる。
「おいしいわ、ユズちゃん。お米も最初から炊いてくれたのかしら。鶏のだしだけで風味はあるし、でもあっさりしていて優しい味ね。ちょっとのゴマ油のかおりが、なかった食欲をちょっとだけそそるようにしてくれるの」
「ああ、よかった。キッチンを使わせてもらったら、芹菜さんがとってもお料理好きだとわかるものばかりで。若輩な私の手料理で大丈夫かななんて、ちょっと緊張しちゃいました。父と作ってきたので、私のご飯、若干男飯よりなので洒落っ気なくて」
「あら。私だって、男の子を育ててきたのだもの。がっつりメシを頑張ってきたのよ」
「あ、千歳さんが言っていた『
「もちろんよ。だったら、元気になったら一緒にお料理しましょうよ」
「いいんですかっ。キッチンがめちゃくちゃ憧れキッチンで、うきうきしちゃいました。それに! このレース編みの鍋敷き、めちゃくちゃかわいいんですもん。スプーンも食器もかわいくてお洒落なものばっかり!!」
『お洒落雑貨』の雑誌のようなリビングにキッチンだったのだ。もう~素敵奥様のプロといいたい!!
「ふふ、うれしい。私が育てた空間だから、ユズちゃんが気に入ってくれて」
二口、三口と続けて頬張ってくれ、柚希も胸をなで下ろす。
一杯食べ終わるところで、店長も母親の部屋に様子見にやってくる。
「あ、母さん。食べてる」
「うん。おいしいのよ。広海もいただいてみたら」
「味見だけ」
店長がスプーンを持ってきて、部屋に入ると柚希のそばに座って小鍋からひとすくい。一口だけ味見をした。
「うまい! これはいいな。味気ない粥もおいしいときあるけれど、それが物足りないときはこんなのがいいな」
「うん。お母さん、元気出てきた」
「ほんとうだ。顔色がよくなってきたな」
やっと母子がぱっと笑顔に輝いてくれて、柚希も嬉しくなってくる。
「そうだ。ゴリラ風冷やし中華もうまかったです。今日みたいな暑い日はちょっと甘みがあるリンゴ酢風味のほうがさっぱりかんじられてよかったよ」
「あらなに。リンゴ酢風味の冷やし中華? おいしそう。ユズちゃん、私にはそれを教えて。……でも、ゴリラ風ってなに?」
「それがさあ。彼女ったら、お父さんのことをゴリラっていうんだよ。そのお父さん直伝だからゴリラ風なんだってさ」
「まあ。ユズちゃんったら、お父さんのことそんなふうに言って大丈夫なの?」
そんなふうに言われ、柚希はエプロンのポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、いつも父とやりとりしているメッセージの画面を見せた。
そこには【今から帰るな~😯ショッボーンつっかれたーうほうほ】というお帰りメッセージの下に、ゴリラがしょんぼりしているスタンプが貼られているトーク画面が。
それをひと目見た芹菜お母さんと広海君がそろって目が点になっていた。
「あの、見かけじゃなくて。父、脱いだらまさにゴリラ並の筋肉ボディなので、子供のころから私の目の前で、うほうほってやっていたんです。その名残がいまも。それで、なんでも自分のことゴリラ風、ゴリラ流って父から言うんです」
品の良いお母様と息子が一緒に『ぷふ』と吹き出すほどだった。
「もう~。お父様ったらおちゃめ!!」
「そっか。元レンジャーのお父さんだから、逞しい身体から来ていたことだったんだ。納得。でも、お父さんから『うほうほ』って!!」
「子供のころからなので、すっかり日常化していて違和感なかったんですけど。でも、やっぱりそんな父を見るとほっとするのも確かです。あ、うちにはもっと凄いのがいるんですよ」
さらに柚希はスマートフォンを操作して、動画アプリを立ち上げて、ひとつ再生させてみる。
そこには黒髪ショートカットのクールな女性が迷彩飛行服で滑走路近くに立っている動画だった。
『ユズ、元気かな。今度さ、ゴリマッチョを連れて帰るからよろしくな。ほら、ヒガシ』
『ユズちゃんお久しぶり~。今度の休暇は百花と一緒に札幌に行きます~。よろしくなー』
『今日はこれから、空挺団の男どもを落としまくってくるんだ』
『お姉さん、あいかわらずのドSだよ~。いっつも強い男を空から落とすのは快感とか言ってるんすよ。俺も落とされる一人でーす。ちっちゃいユズちゃんに久々に会えること楽しみでっす。兄ちゃん、お土産買っていくからね。ちなみにユズちゃんの手料理も楽しみでっす』
『おい。ユズに勝手に触った男はぶっ殺すと決めているからな。気易くすんなよ』
『わかってるわい。将来のかわいい妹かもしんないから、兄貴として言ったんだよ』
『それいま、いうなっつーの!!』
姉がちょっと赤面して焦って録画を切ったところで終わっていた。
つまり、そんなつもりで揃って帰省するというメッセージだったのだ。ちなみに父はまだ知らないらしい。妹にだけ知らせて、間を取り持って欲しいという連絡でもあったのだ。
という、姉からの動画レター。数日前に届いたものを、姉紹介として見せてみた。
姉は父と体格が似たのか、すらっと背が高く骨格がいい。本当は父も均等が取れていて太って見えることはないが、付けれるだけの筋肉があるのですらっと逞しく見える。姉もそれの女性版だった。
それを見た小柳母子がまた呆然としていた。
「えーー! ほんとうにユズちゃんのお姉さんなの? モモちゃんのことでしょ!」
「そうです。モモ
「まあ、こちらはこちらで。またクールで素敵!!」
ぐったりしていたのに、また芹菜さんの表情が生き生きしてきた。
広海店長も仰天して、柚希のスマホを手にしてもう一度姉のメッセージを再生させている。
「え、お姉さん。第一空挺団って、習志野にいるのかよ」
「いまは。ですけどね。落下傘部隊が降下訓練する時にチヌークを操縦するので、あんな喩えを面白がってしているだけだと思います。でも、ドSは確かですね。はい」
「うっわ。カレシさんのほうがゴリラっていいたくなるほどムッキムキじゃないか。さすが空挺隊員!」
「二年ほどお付き合いしているんですよ。少し前まで勤務地が離れていて遠距離恋愛だったんですけれど、夏の異動でまたおなじ駐屯地になったようで、ふたりそろってのビデオレター送ってきました」
「ちょっと待って。よくよく見たら、お姉さんと空挺さん、結婚の挨拶にくるって内容じゃないかこれ」
「そうみたいですね~。ちょうど姉とヒガシ兄さんが映っている動画があったので、おふたりにご紹介がてら見せてみました。あ、一般公開の日に姉がデモンストレーションでチヌークを操縦している動画をお兄さんが送ってくれて……」
さらに迷彩柄の大型ヘリが空へと飛び立つ動画を再生してみた。
また小柳母子が食い入るように見てくれ『凄い凄い』と大興奮。芹菜母の小さなお部屋が熱気で湧く。
笑い声が響いて、冗談が飛び交って、芹菜母はいつのまにか二杯のお粥を食べ終えていた。
柚希がよく知っている優しく穏やかな母と息子が、柚希のスマートフォンを中心に姉の動画を見て微笑み合っている。
「姉のこと、紹介したいけれどいいですか。滅多に札幌に帰ってこないので、私もおふたりを、姉にご紹介しておきたいなと思っています」
そして柚希は最後に、思い切ってつけくわえてみた。
「あの……。大事なおふたりなので、私にとって……」
どんな関係なのかと、まだはっきりしなくても。
いまはただ一緒にいられて笑い合っているだけで充分、大事にしたい時間で、関係だった。
「もちろんよ。ユズちゃん。私も百花さんと彼氏さんにお会いしたいわ」
「俺もだよ。ぜひ――」
柚希にも笑みが綻ぶ。
ところで。お父さんはご結婚のご挨拶と知ったら大変なんじゃないのという心配が、三人の間で広がった。父、どうなる??
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