7.せつない水色

 海辺にある『小樽水族館』へ出発準備中。

 子供ふたりが唖然としている間に、親ふたりが『行こう、行こう』と盛り上がり、逆らえやしない。

 なによりもお母様の笑顔が生き生きしているので、息子の店長もなにも言えなくなったようだ。


 車二台で移動するための打ち合わせも開始。

 それぞれの車に乗り、父が先導、その後を小柳店長の車が追ってくる態勢でカフェから移動と決定。


 しかも事が決まれば、元レンジャー教官の父は無駄なくキビキビと物事を進めていくので、店長もまったく異議もなく従ってくれた。


 その打ち合わせで『はぐれたら連絡が取れるようにしよう。はい、ヒロミ君、スマホ出して。私と連絡交換ね。念のためユズとも交換しておいて』、まさかの素敵店長と連絡交換をしてしまいましたよ!


 しかも父は腕時計を眺め真顔で店長に告げる。


「よっしゃ連絡網確保。では出発。一三二〇ひとさんにいまる(13時20分)確認」


 まだ抜けぬ自衛官の習慣。いつのまにか小柳店長の目が輝いてる。『すごい、本物の自衛官!』と、ワクワクなお目々になるお顔を目撃しちゃいましたよ、と柚希も笑みがこぼれてくる。


 そんな元自衛官に従うのが男子の務めとばかりに、店長もすっかり水族館に行く気持ちを高めてしまったようだ。


 長い坂にあったカフェを出発。小樽運河などがある街中の港湾地区から離れ、さらにさらに街から遠ざかり『祝津しゅくづ』まで。鰊御殿にしんごてんと呼ばれる昔の網元の豪華な建物が保存されている海辺の町。そこに小樽水族館がある。

 ほんとうに潮の香がすぐそばにある町だった。


 水族館の駐車場に到着しても、父はすぐに小柳家の車へと出向く。車椅子のお母様を下車させるための介助へだった。柚希も向かうが、父と息子の店長で事足りてしまい出番ナシだった。


 入館手続きを済ませて館内へ。入ってすぐのところに、サメの歯が展示されている。鋭い牙がずらっと並んでいる上顎と下顎をぱっくりと大きく輪っかのように開いた状態で置かれている。大人の男性がすっぽりとくぐれるほどの大きさだ。それだけ大きな口と鋭い歯があることがわかる標本だった。

 またお茶目な父が、大きなサメの歯の輪っかをくぐって、その中心でポーズを取った。


「俺、食べられてもここらへんで鉄拳くらわして暴れる。負ける気しない」


 牙に囲まれた輪っかの中でファイティングポーズを取った父が『ユズ、撮影してくれ』とか言い出す。柚希も呆れながらも『はいはい』とスマートフォンで写真を撮ってあげる。

 また小柳店長はぽかんとしているし、車椅子のお母様は『うふふ。お父様なら勝っちゃいそう』とクスクスと楽しそうに笑っている。


「神楽さん。お父さんっていつもあんなかんじなの?」

「あ~、はい。あんなかんじです」


 やっと小柳店長もおかしそうに『くす』と笑いをこぼした。


「次はヒロミ君の番だ。お母様に逞しい男の心構えを見せてあげなさい」

「え、俺、ですか」

「やめて、お父さん。店長はお父さんみたいに、ガッツ丸出し教官じゃなくて、ソフトでスマート系ビジネスマンなんだからっ」


 うわ、なんでここで『店長はソフトでスマートなところが素敵なんだよ』みたいなこと言えちゃったんだ私……と、また柚希は恥ずかしくなってくる。


 父が遠慮なく、いつものお茶目全開で場の空気をリードしていくので頼もしいやら、油断ならぬわで、柚希の心のアップダウンも激しくあたふたさせられてばかり。


 なのに柚希の隣にいる店長は『ガッツ丸出し教官』というワードがツボに入ったようで、必死に笑いを抑えているのを見てしまう。


「て、店長……」

「ご、ごめん。いや、ほら。そのまんまのお父さんで、目に浮かんじゃって……。うん、俺もちょっとやってみる」

「え! 店長、無理しなくていいんですよ。父がいうことなんて聞き流してください。いっつもあんな冗談を無意識に言っているだけなんですから」


 止めたのに、小柳店長は父と入れ替わりで、サメの大きな顎骨の輪っかの中心に立った。


「母さん、撮って」

「うふふ、いいわよ~」


 車椅子のお母様が、膝の上に置いていたバッグからスマートフォンを取り出して、始終クスクス笑いながら、大きな息子がポーズを構えた姿を撮影している。


「ふふ、小さい時を思い出しちゃったけど。でも、やっぱり……大人の男性になったのよね、広海は……」


 撮影した画面を眺めて、お母様は楽しそうでもあって、どこか寂しそうにも柚希には見えてしまう。


「では。いろいろ見て回りましょうかね」


 まただ。父が率先してセリナさんの車椅子を押し始める。

 柚希も父が考えていることが少しわかってきた気がする。


 車椅子を押す父に『自分が……』と追いかける店長だが、父はしらんぷり。さっさと行ってしまう。そのキビキビと迷いなく早足で行く姿は、とても慣れている。様々な訓練を乗り越えてきた男の動作なのだ。


「店長。今日はもう父に任せてください。きっと父は店長にも、店長のペースでくつろいで欲しいんですよ」

「いや、別に俺は、母と一緒でくつろいでなかったなんてことは」


 ここだ。責任感が強いんだ、やっぱり。柚希はそう感じた。

 だからこそ、この若さで荻野に認められて重要なポジションに望まれたことがわかる。母親のことも、自分のこと以上に、責任を持って介助をしてきたのだろう。ましてや、母親があの身体になったと同時に夫を亡くしたのだから、その心痛も息子としてなだめてきたはずなのだ。


「息子が楽しくしている姿って、母親としてとっても安心できるものだと思いますよ。今日はもう父に任せちゃいましょう」


 なんて明るく言ってみたけれど、まだ戸惑っている様子の小柳店長には余計なお世話だったかなと柚希は一瞬で反省したくなった。

 だが、既に父と一緒に水槽の中の小魚たちを楽しそうに見ている母セリナを見て、店長の表情もやわらかくなっていく。


「俺も、水族館なんて久しぶりだな」

「私はたまに父と来ちゃいます。というか、父が来たがりますね。日頃、様々な人の思いに触れているからかもしれません。水槽のお魚みていると無心になれますもんね」

「なるほど」


 父とセリナお母さんはどんどん先に行ってしまうので、柚希はおのずと店長と一緒に水槽を眺めて、ゆっくりマイペースで歩いていた。

 そのうちに、白髪のセリナお母さんが『ユズちゃん』と笑顔で呼んでくれる。


 カワウソの展示のところで、ハンモックですやすや眠っている姿を柚希と一緒に眺めたかったようだ。ここはきっと『男性より女の子気分』を共有したいのだろうなと思ったので、柚希も笑顔で駆け寄って、お母さんと一緒にかわいいかわいいと繰り返して楽しんだ。


 お母さんの車椅子移動は、場所によっては父が担当したり、柚希が付き添ったり、そして息子と母親でイルカの水槽を一緒に眺めたりと、その時その時で話し相手も変わるので、店長のお母さんもずっと満面の笑みで楽しめているようだった。


 イルカショーが始まる時間まで。小樽の海が遠くまで見渡せる外の休憩所で一休みをする。緑が息吹く崖の上に、赤い屋根の鰊御殿が見え、そこから向こうは小樽の夏の海が広がっている。


 景色がよく見えるところに、父が車椅子をしっかりと固定して止めて、親同士で遠くを眺めてお喋りをしていた。

 柚希は飲み物を買って、少し離れた場所にあるベンチで陽射しを凌いで座って休む。その隣には母親にお茶を手渡して戻って来た店長が座った。彼も冷えた水を買ってきて、柚希のそばで栓を開けて飲み干している。


「神楽さん、ありがとう。やっぱりそうかな。三人も人手があると俺も余裕ができるし、母も話し相手が変わったり、女の子と話せたせいか凄く楽しそうだ。うちの母、ずっと乙女チックな人で、広海の妹として娘も欲しかったとよく言っていたんだよな。女の子の神楽さんと話せて、嬉しかったんだと思う」


 すっかり『ユズちゃん、ユズちゃん』とかわいらしい笑顔で呼ばれるので、店長が言うことも本当なのだろうと柚希も感じていた。


 持っている小物も、着ている服もバッグも、女性らしいというよりは、女の子といいたくなる『可憐』なものが多かった。なのに、ぜんぜん違和感がなくて、ほんとうに良い意味でお嬢様のまま奥様になった人だと思えるほど。


「あんなにはしゃいで、母、帰りは車の中で寝ちゃうかもな。ほんとうに、あんな母はひさしぶりだよ」

「父のおせっかいでしたけれど、そうであれば良かったです」

「知らなかったんだけれど。神楽さんもお母さんとは死別しているんだね。うちは母子家庭になったけれど、それでも俺が成人してから。神楽さんは成人前だったんだってね」

「それでも大学生にはなっていたので、父の手があればなんとかなりましたよ。姉はその時はもう入隊していたのでいなかったけれど、生活面も進学に関しても、同性の大人として精神面的にも、金銭的にも、ほんとうに充分なバックアップをしてくれました」

「そっか……。俺は、荻野が、千歳がね、ほんとうに良くしてくれたんだ」


 千歳お嬢様がどれだけ協力してくれたのか。聞かなくてもよくわかる。それ荻野に勤めていると、どれだけ従業員を思いやるように育てられた跡取り娘か、自然と伝わってくるからだ。


「母に合う良い義足も、千歳がお祖母様に相談して、いい事業所と技師を紹介してくれたんだ。千草お祖母様も、たまに気にしてくれてね。だから俺、荻野のためにこれからも働いて、千歳の助けになるようにしていこうと思っている」


 彼が荻野という会社に愛着を持って入社したのは変わりはないのだろうが、それ以上に、父親を亡くし同時に母親が障害を負った時に、手を差し伸べてくれた千歳お嬢様と荻野のお祖母様に『恩義』を強く持っていることを柚希は知る。


「ここだけの話。内密にしてほしいんだけれど。来年度までには、社長の秘書室に異動が決まっているんだ」


 やっぱり! 噂どおりだったと柚希は驚いた。


「そうなると思っていました。そこに行けば、いずれは千歳お嬢様の補佐になる可能性がありますもんね」

「うん。あいつ結婚も決まって、ほんとうに良かったよ。千歳は千歳で、変な男に絡まられることがあって、同期一同でハラハラしていたんだ。そういうところお嬢様っていうか。見合いで正解だよ。身元がはっきりしているきちんとした良い男性と出会って、なおかつ婿に入ってくれることにもなって良かった。彼女は奥さんになるけれど、俺は千歳を守って、荻野も守っていきたいと思っているんだ」


 あれ。ちょっとなんか……。柚希の胸につきんとした痛みが疼いた。


 店長。もしかして。密かにお嬢様を想っていた?

 どうにもならないから、言い寄ってきた萌子とつきあってみようと思った?

 でも、もうどちらも諦めて。それなら千歳お嬢様を影で支えたい男として生きていくと決めちゃってる?


 白い帆のヨットが水色の海に浮かんでいる夏色小樽。

 でもちょっぴり切ない水色に見えるのは何故?


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