6.レンジャー、レンジャー!
小柳店長とともに柚希も戸惑っていると、父がいつもの調子で店長に話しかける。
「お席はお決まりですか。よろしければ、こちらのテーブル、景色がよく見えるのでいかがですか。私と娘はよくこちらに来ているので、今日は他のテーブルに移りますから」
不自由な状態でやっとこの店に来られた様子を察した父が、そんな提案をした。柚希も『それがいい』と父のそばで、うんうんと頷いて店長に強調してみた。
「いえ、そんな。そちらが先に来られていたのですから」
「店長。今日は坂の向こうに蜃気楼が見えるんですよ。お母様に見せてあげてください」
「いや、なあ……。母さん」
父がもう既に、先ほどまで自分たちが座っていたテーブルにお母様を座らせ休ませていた。もうこのまま神楽父娘は移動すればいいのである。
だがそこで、お母様が柔らかに微笑みを見せた。
「広海、それならば、ご一緒にさせていただきましょう。お父様、よろしいですか」
「え、ご一緒でよろしいのですか? 私は全然構いませんよ。ユズはどうなんだ」
「私もかまいません!」
さっと同意の手を挙げてみたら、店長が面食らった顔を見せた。
あ、しまった。つい『娘の気分』で子供っぽい動作を見せてしまったと柚希の頬は熱くなる。
「違うだろ。柚希。そこは胸に拳をこう叩きつけて『レンジャー!』だ」
「レンジャーじゃないから、手を挙げるようになっちゃったんじゃん」
「小学生のころから、これ柚希の癖なんです。レンジャー訓練中の隊員たちの返答は『レンジャー』なんです。小学生なのになんでもかんでも『レンジャー』と手を挙げて返事をしていたほどですよ。ちょっと仕込みすぎました、反省――」
目の前にいる小柳店長がぽかんとした顔をしている。さらに柚希は恥ずかしくなって顔を覆いそうになった。
だが彼の母親はくすっと優しく笑ってくれる。
「まあ、かわいらしい。当時のお嬢様のお姿が見えるようですわね」
「えへへ。そうですか。私にとっては、いまも小さな女の子なんですけどねえ」
「わかります。私にとっても小さな男の子です。でも、いまは頼もしい息子で、頼りきりでちょっと申し訳なくて……」
「母さん、そんな話はしなくていいから」
小柳店長も母親に男の子扱いをされると気恥ずかしいようだった。
上司の彼もそうなんだと思ったら、柚希の肩の力も抜けてくる。
「お母様、是非。ここのテーブルがいちばん見晴らしがいいんですよ。店長もこちら側、お母様のお隣に座ってください」
「うん。そうだ、そうだ。せっかく来られて、今日は天気もいいし。もう一緒に食事しちゃいましょう」
小樽の海と坂と蜃気楼が見える席へと小柳母子を座らせ、その向かい側に神楽父娘が席を取った。
「ありがとう。神楽さん。まさかここで会えるだなんて」
「父の知り合いがこちらのシェフと懇意にされているんです。たまに来るんですよ。店長は今日が初めてですか」
「いや。以前、父がまだ存命の時に家族でよく来ていたんだ。いまは母がなかなかでかけられなくて。でも今日は久しぶりに行ってみたいと母が言うから来てみたんだ」
家族思い出の店ということらしい。
店長はお父様と死別されているとわかった。それで、一人っ子の店長だから、母一人子一人家庭ということだった。
息子が気後れしてその先を言いにくそうにしていたからなのか、お母様から教えてくれる。
「この子が荻野製菓に入社した年でした。私と夫で事故に遭いまして、夫はそのまま他界、私はこの身体になりました。以降、広海には世話ばかりさせて苦労させています。新人研修の時期で、息子も大変だった時に負担をかけました。ですが、たまたま荻野のお嬢様と同期入社だったとかで、千歳さんと同期のお友だちが、広海のことも私のことまで、それはもう感謝を言葉で言い尽くせないくらいに、助けてくださったんです」
そんなことが……。初めて聞く話だったので柚希は絶句する。でも、これで事情を知っている千歳お嬢様と長年勤続の寺嶋リーダーの反応も腑に落ちた。とにかく、お母様を手助けできて守るのは、息子の小柳店長しかいないから、なにをおいても『行け』という意味だったこと、『ないがしろにする相手はやめておけ』という意味もわかった。
と、いうことは。小柳店長は早い段階で萌子に、自分が置かれている状況を見てもらおうとしたのでは? 三回目のデートで、車椅子と義足の生活をしているお母様を見てもらおうとしていた? その後のドライブ同行も『結婚すれば、母親同行がどれだけ大変か』知ってもらうためだったのではと思えてきた。
「母さん、せっかく休暇の食事に楽しみにこられている神楽さんに、そんな話を聞かせなくても」
「あ……、ごめんなさい。でも、私のことで広海、このまえ、お店を急にお休みにさせちゃったから、皆様にご迷惑かけていると思って……」
やっぱり同じテーブルは気を遣わせたかもしれない。柚希は隣に座っている父をそっと見上げるが、父は再度メニューを開いて、テーブルのど真ん中に置いた。
「さて。何を頼みましょう。せっかくですから、皆でシェアをしませんか。これぐらいの人数がいないと、普段はなかなかできないでしょう」
会話しづらくなる空気を父が一蹴した。いちばんに喜んだのはお母様だった。
「嬉しい。いつもちょっとしか食べられないので、気になっていたものを頼んでもよろしいですか」
「もちろんです。ちなみに、私のオススメは、ジャガイモのニョッキです」
「あら、気になっていたんです。でもこれだけでお腹いっぱいになりそうで、いつも結局パスタひと皿になってしまって」
「だったら丁度いいですね。ひと皿決まり。ユズはどうする」
「いつもの蟹のトマトクリームパスタかな。あ、ウニパスタも始まっているよ」
「よしよし。両方とも頼んでシェアをしよう。ヒロミ君はいかがいたしますか」
遠慮していた店長が、父がぽんぽんと進めていくテンポにちょっと焦りながらも、流れにのるようにやっとメニューに目を通した。
「牛肉のミラノ風ヒレカツかな」
「お、いいですねえ。それ、私も気になっていたんですよ。うん男子らしい選択! 男同士で分けましょう。ああ、それとですね。ここのお店、特製のジェラートがあるんですけれど、今日は店頭に出る日が不規則な『レモンジェラート』を準備してくれているんですよ。そちらもデザートに絶対にいただきましょう。ユズの好物なんですが、私も好きなのでおすすめです」
「おいしそうですわね。ね、広海。絶対に頼みましょう」
「うん。今日みたいに暑い日は美味しそうだよな。そうしよう」
お母様が嬉しそうに息子を見上げて微笑む。小柳店長もそんな母親を見て、笑顔を見せた。すごく仲が良いことが伝わってくる。
うん。マザコンかも。でも、柚希は微笑ましく眺められている。
テーブルいっぱいに沢山のメニューが並んで、四人でわいわいと食事を楽しんだ。
「ああ、おいしい。それに、こんなに楽しいのは久しぶりよ」
白髪のボブカットに、上品なワンピース。ちょっと儚げなかんじのお母様は、お歳のわりには『いいとこ出身のお嬢様』に見える。いまでも、深窓のお嬢様といいたくなる雰囲気の女性だった。
そんな頼りなげにみえる女性を、素敵な大人になった息子さんが甲斐甲斐しくお世話をしているという光景。
楽しそうにお上品に食べている母親をみて、やはり小柳店長は穏やかに微笑み、嬉しそうだった。
最後に出てきたジェラートは柚希も大好物なので大興奮。どんなに美味しくて、珍しくて、今日はラッキーだったかを力説してしまったが、テーブルには笑いが起こって、父も小柳店長もお母様も笑顔で堪能してくれた。
最後に一階レジにて、父と小柳店長が『どう支払うか』という相談を始める。女性陣に聞こえないところでヒソヒソと話し合って、きっぱり折半という形で話がついたようだった。
柚希も車椅子にお母様を座らせて、離れたところで付き添っている。
男ふたりがレジで支払いをしている姿を遠くから眺めていると、お母様が柚希に笑いかけてくれる。
「おなまえ、かわいいわね。ユズちゃんっていうのね」
「はい。私がユズで、姉がモモです。でも姉の百花は漢数字の『ひゃく』と『花』でモモカなんですけれど」
「まあ、お姉様もいらっしゃって。ではユズちゃんのところは、姉妹なのね。お姉様も同居されているの」
「いえ。姉は現役の自衛官です」
「あら、凄い! お姉様、お父様を見習って?」
「はい。もう凄い勢いで自衛官を目指して、いまは陸上自衛隊のヘリパイロットです」
「ええっ! 女性でパイロットということなの!」
「そうです。大型輸送ヘリの『チヌーク』という機種のパイロットなんです」
お母様がまた目をキラキラさせて『凄い凄い』と興奮してくれる。
そこに男性ふたりが戻って来る。母親がまたなにか楽しそうにしているので、小柳店長が訝しそうに歩み寄ってくる。
「どうしたの、母さん。なにかあった」
「聞いて、広海。ユズちゃんのお姉さんも陸上自衛官さんで、大きなヘリコプターのパイロットなんですって」
「え!? 大きなヘリって。まさかチヌーク?」
「はい。そうです。我が姉ながら、操縦していると、やっぱりかっこいいんです」
柚希が照れていると、父も間に入ってきた。
「もう、姉のほうはめちゃくちゃ男勝りでしてね。なんで男に生まれなかったと思うぐらいに、私の後を追うように入隊しちゃったんですよ」
「えー。凄いな、凄いな!」
お母さんそっくりに驚く小柳店長を見て、柚希もついに笑ってしまう。
『もう~、転勤ばっかりで札幌に帰ってこないんで』と父がぶつぶつ言いながらも、お母さんが乗っている車椅子を自然に自分から押しはじめた。
小柳店長が『自分が』と言う前に、あっという間にお母さんを店の外へと連れ出してしまう。
店長は始終唖然としていた。
とうとう。柚希の隣で、肩の力を抜いて諦め、父がすることに甘える様子を見せ始める。
店の裏にある小さな駐車場へと父が車椅子を押し、親は親、子供たちは子供同士で並んで歩いて行く。
今日は白いポロシャツにデニムパンツというカジュアルなスタイルの小柳店長。半袖から伸びている腕は男らしく筋肉質で、いつもは長袖の制服で隠れているので柚希はどきっとしてしまう。黒いダイバーウォッチをしている手首も男らしくて、つい見とれてしまった。
「凄いお父さんだね」
「元レンジャーですけれど、冬季遊撃レンジャーの教官もしていたんです」
「え、真駒内でやっているニセコの雪山で訓練するレンジャーの教官だったってこと?」
「はい。教え子いっぱいいるんですよ。お世話とか当たり前なんです。父には。でも、母が他界して未成年だった私の面倒をみるために、そこで自衛隊を退官して民間で働くようになったんです。いまは探偵さんです」
「探偵さん! これまた滅多にお目にかかれないご職業」
「そこには毎日お困りの方が訪れますから。いろいろ慣れているんです。
お世話が好きなので、させてあげてください」
車椅子に乗っている母親が、世話焼きおじさんと楽しそうに話している姿を、店長は遠い目で見つめている。でも、ほっとしたような笑みを浮かべている。
「あんな母さん、ひさしぶりだな……」
その目に涙が滲んでいるのを柚希は見てしまった。
見てはいけない気がして、柚希は店長の顔を見上げないように下を向いて歩いた。でも、そんな柚希もちょっともらい泣きしそうで、目頭が熱くなって困っている。
お互いの車のそばへと先に到着していた父が、後から来る柚希と店長へと大きな声で話しかけてくる。
「なあ、ユズ。これから『セリナさん』と、ヒロミ君と一緒に水族館に行こうじゃないか。決定な」
「広海、いいわよね。お母さん、行きたい」
『はい!?』
娘と息子、そろって声を出してギョッとした。
ていうか。セリナさんって誰。いつのまにか、小柳店長のお母様の名前を知って呼んでいる父にも仰天するしかなかった。
我が父の心の辞書に『躊躇い』という言葉はなし、だと思い出す娘。
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