4.千歳お嬢様は見逃さない

 JR線に乗り数駅、札幌市内だけれど玉ねぎ畑がひろがる住宅地に柚希の家がある。夏になると百合が咲く公園が近い。

 ポプラの木が並ぶ道を辿って帰宅。家が暗く、父がまだ帰っていなかった。


 母は柚希が大学生の時に他界。その時から家事を率先してやってきた。父も柚希のために、忙しく勤務時間が不規則な職種から転職をしてくれた。五歳年上の姉がいる。姉は職務上転勤が多くなかなか帰省できないが、柚希のことをよく気にして連絡はくれる。


 父はいつも帰宅する前に必ずメッセージを送ってくれる。柚希のスマートフォンにはまだ着信はない。まだ仕事中のようだ。

 父と柚希とそれぞれ担当して作った『作り置き惣菜』があるので、主菜と汁物を作っておく。簡単にできるように休暇に支度しているので、ひとりで食事をとった。あとは父が帰宅したら温めて食べられるようにしておく。


 自室に入って柚希は意を決して、久しぶりに彼女に、メッセージではなく直接電話をしてみる。


『はい。ユズ? 久しぶりだね。どうしたの』


 久しぶりの彼女の声にホッとする。同期生会を年末にしてから半年ぶりだった。

 村雨むらさめ花乃香かのこ。荻野製菓同期入社、研修の時に同じチームになった時のリーダーだ。


「久しぶり。メッセージで断りも入れないで、突然ごめんね。いま時間大丈夫?」

『大丈夫だよ。ユズが前振りもナシに電話をしてくれるってよっぽどでしょ。いつもゆったり構えて慎重なのに……。どうしたの』


 柚希の性格からそこまで察してくれるリーダーでほんとうに有り難いし、やっぱり頼りがいがある。そこも見越して連絡したのだ。


「実は萌子が――」


 さっそく、すべて包み隠さず村雨女史に最近の状況を話した。

 彼女も黙って聞いてくれる。時々、静かに相づちを入れて、柚希が話し終わるまで落ち着いて。


 話し終えると、村雨女史がひとつ大きなため息を吐いた。

 彼女の返答は――。


『放っておきな。そのまま。ユズに責任はないから』

「でも、そばで見ていて放置しているみたいだし、頑張ったら止められるのに止められなかったことになるかも」


『だったら。私がいまここから、ユズは萌子のことを心配して必死で止めようとしていたという証人になるよ。あとはなにかあったら同期には私が根回しするから』

「なにか起きる前になんとかならないかな」


『いや。もう遅いと思う。あのさ、なんのための本店配属だったと思うの。あそこに配属されたら上にいけるか、役に立たないかに振り分けられるんだよ。そこでたとえプライベートで気に入らないことがあっても、将来有望の店長を貶めているだけでアウト。それに、寺嶋リーダーからもマークされているんでしょ。そこでもう終わり。あのおばさん、いまはパートだけど息子が大学に上がったら正社員になる予定なんだよ。きっと次は本店の副店長ぐらいにはなれそうなほど、荻野側から信頼されているんだから。むしろパートだけど、小柳店長の補佐のために本店に配属されたようなもんだから。だから、ユズは、萌子に引きずられて、一緒になって小柳店長を女の子の輪に負けて貶したらダメだよ。そこ線引き気をつけて――』


 知らなかった。寺嶋リーダーがそこまでの人だったなんてと柚希は驚きを隠せない。



「萌子にもそれ知らせた方がいいよね」


『やめな。口が軽すぎる。寺嶋さんが正社員になるとか、ならないとか言いだしたら迷惑がかかる。もう遅いって。ユズは自分の身を守って。あと、ユズがさっき話していた荻野のご加護の話、軽くみないほうがいいよ。長く勤めている人ほど、ほんとうに信じているから。なにか気になること既に起きていない?』


「え、え……。でも、そんな、まさか。でも萌子が行動を起こそうとすると天気が悪くなったり、近づこうとすると伊万里主任が萌子から離れなくちゃいけないことが起きたり……」


『ほらね。それだよ。それ。おばさんたちは、そのちいさなことを何度も目撃していて、ちいさなことをおばちゃんネットワークでかき集めると、やっぱりそうに違いない――という情報量になるんだよ。信じる信じないはともかく、私はその情報はないがしろにしないで、ひとまず信じてみることにしている。だから、近づこうとすればするほど、自分に跳ね返ってくるよ。つまり、萌子は絶対に伊万里主任には近づけないようにできているってこと。ほうっておきな』


 まさかの村雨女史まで『荻野のご加護』をまるっと信じているとは思わず、柚希は逆に動揺する。


『ユズ。たぶん萌子はちかいうちに異動になるよ。自業自得だから、気にしない。ユズはできることはやっていたよ。私が聞いたからね』


 だからそのままにしておけという女史のアドバイスだった。

 柚希もひとまず頷いて、頼りがいある彼女が『証人になる』と言ってくれたことに安心をして通話を終了した。


 それでいいのかな……。

 まだ釈然としないが、ひとつはっきりしたのは村雨女史がいうとおりに『一緒になって店長を貶めないこと』だ。マザコンかもしれないけれど、絶対に一緒になって言わない。そこに気をつけて、できれば萌子にもやめてもらえるよう、もうちょっと頑張ろうと気合をいれなおした。





 翌日から、柚希は気持ちを切り替えて仕事に挑む。

 村雨女史と話し合ったように『女子の輪に引きずられないように』。


 だが意外なことが起きた。


「おはようございます。小柳店長は二、三日お休みとなりますので、このまま代理で私がしばらく店長をさせていただくことになりました。よろしくお願いいたします」


 昨日同様に、制服姿の千歳お嬢様が開店前ミーティングの『朝会』を仕切っていたのだ。


 それほどのこと? 怪我はしてないと聞いたが、休むだけのことがあったのかもしれない。柚希がそう思ったように、同世代の女の子たちも眉をひそめつつも、なにも感じ取らなかったような表情を努める。

 寺嶋リーダーもなにも感じない顔をしている。つまりこれは『これ以上触れるな』という空気なのだ。


 でも空気を読めない女子がひとり。やっぱり萌子。朝会解散してすぐに、萌子は『ママにべったりか』と、柚希にも、このまえ同調してくれた女の子たちにも笑って囁いていたのだ。


 もう女の子たちは苦笑いをこぼしたが、あからさまな同調はしなかった。

 柚希がそっと千歳お嬢様へと視線を向けると、彼女も明後日の方向へ身体を向けているようで、でも視線は肩越しにこちらに向けていることに気がついてしまった。


 ゾッとしている柚希のそばに寺嶋リーダーがさりげなく近づいてきた。


「もう放っておきなさい。遅いから。あなたはあなたがすべきことを淡々とこなしなさい。わかったわね」

「は、はい……」


 手遅れか。萌子はもう包囲されているようだった。


 小柳店長が仕切っているときは『おおらかに、安心に包まれていた』とつくづく感じた。

 千歳お嬢様が店長代理をしていると、ものすごい緊迫感に包まれる。

 もう彼女がそこに立っているだけで、キビキビ気を抜けない。

 やっぱり荻野の跡取り娘。威圧感が違う、威厳が違う。それはもう、彼女のお祖母様、荻野会長とおなじ風格を既に備えていた。

 こうなってくると、小柳店長が女性を気にして柔らかに統率していたことがよくわかる。



 さすがの萌子も初日に軽口を叩いて以降は、なにかを感じたのか大人しく業務に徹していた。

 それに何故か、萌子と柚希はおなじ時間帯の昼休みに入れなくなった。

 つまり、千歳お嬢様と寺嶋リーダーの意向で、萌子とバディのようにセットで行動させていた状態をやめさせ、別々の行動をさせるように動かされ始めたことに気がついた。

 今度は萌子と一緒になった後輩の女の子が恋バナの餌食になっていないといいけれど……と柚希は案じている。



 その日の昼過ぎ、ランチ入り後半チームに入っていた柚希のところに、萌子と昼休み前半チームに入っていた後輩ちゃんがそっと近づいてきた。


「神楽さん。太田さんって、いつもあんなかんじだったんですかあ」


 ちょっと疲れた顔をしていたので、予想通りだったかと柚希は苦笑いをこぼす。


「なにか協力してほしいとか言われた?」

「伊万里主任を待ち伏せしたいから、つきあってほしいって言われて。帰る時間が遅くなりそうなんです」

「わかった。私から言っておくから、気にしないで彼女に見つからないように帰っていいよ」

「ほんとですか。次の日から文句言われたり、もっとひどいこと要求されたりしないですよね」

「したらもう、私に教えて」


 柚希に頼むことを、後輩ちゃんにも変わらずにやっていてもう呆れるしかない。

 その後輩ちゃんが食べ終わったお弁当箱をロッカーにしまっているところで、メイク直しを終えて遅れて戻って来た萌子と久しぶりに遭遇した。


「ね、柚希さ。千歳お嬢様か寺嶋さんになんか告げ口したの? 私たち引き離されちゃってさ。変なお喋りしているとか言っていないよね」

「言えるはずないじゃない。萌子だって『変なお喋り』ってわかっているじゃない。自分が小柳店長のことを、どう言いふらしたのかって。たとえ萌子が酷いことを言っているとわかっていても、あんな酷いことすぐ小柳店長の耳に入るようなこと報告できないよ。それだけ酷いことだよ」

「なんで。事実じゃん。私、プライベートでその真の姿を見た本人なんだから」

「その『なんで。〇〇じゃん』ってやめなよ。それって全部、萌子の主観で、萌子目線で勝手に決めつけていることばかりじゃない。それを同期の私にならともかく、後輩にまで同調を求めるのやめなよ。しかも、どうしてなんでもかんでもお供が必要なの。やるならやるで、自分一人でできないの?」

「はあ? 柚希は私が押し付けていたと思っていたんだ! だったらその時に言いなよ」

「言ったよ! そこまでやったらいけないんじゃないのって言ったよ」

「もっと強く言ってくれたら、私だってやめているよ! 柚希がはっきり言ってくれないからでしょ」


 いいや、強く言ってもきっとやめなかった! そう言い返そうとしたら、ロッカールームのドアがバンと強く開けられた。


「はい。そこまでね」


 千歳お嬢様だった。さすがに萌子の顔が真っ赤になった。いや、声を張り上げていた柚希も同様だ。

 お嬢様の背には、先ほどの後輩ちゃんが隠れていた。彼女は思いきって、店長代理の千歳さんに『先輩たちが』と報告して連れてきてくれたようだった。


「同期はお願いを聞いてくれることが保証されたお友だちではありません。会社の同僚、一緒に働く同志です。後輩もおなじく。なおかつ、伊万里が結婚したいと連れてきたお相手は、前回、私のお祖母様にも父にも散々駄目だしをされて、荻野のお嫁さんと認められませんでした。『荻野と関係がない妻』としてなら結婚を認める。その場合は、伊万里に荻野を出て行けとまで言ったほど。彼女は荻野の嫁になれないなら意味がないと諦めたみたいですけどね。一度、試してみる? 伊万里が気に入らなくても、お祖母様が気に入ればお嫁さんになれますよ。どうかな」


 ふたりそろって『え!?』と仰天した。伊万里主任、結婚したい女性がいたんだとか、その女性を連れて行ったのに、お祖母様に許されなかったんだとか、しかもその女性と結婚したいなら『荻野を出て行け』とまで言われたとか。


「伊万里と結婚したいなら、まずそこから。自信があるなら伊万里より、お祖母様が近道。会わせてあげるわよ」


 千歳お嬢様が静かに萌子を見つめた。

 萌子の返事は――。


「いいえ。結構です。申し訳ありませんでした……」


 憑きものが取れたかのように、萌子は静かに千歳お嬢様に頭を下げた。

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