3.荻野はやめとけ

 一度だけなら畑まで付き添うと、それ一回きりで諦めてもらう約束をしてしまった。


 でも神様っているんですか?

 萌子と約束した休暇日、土砂降りの雨になりましたよ。

 さすがの萌子も雨の中、あてもない人を待つ作戦は無理と思ったのか『中止』のメッセージがあり、その日はそれぞれ自宅で過ごすことになった。


 助かったと思いながら、柚希は毎週の習慣である『惣菜作り置き』に精を出した。雨降りなのでどこにもでかけなくて済み、自宅でゆったりとした休暇を過ごすことができた。

 だが萌子の『一度だけ』の約束はまだ生きている。次の休暇はなんと雷雨。萌子、朝から撃沈の『中止メッセージ』がまた届く。

 まあ、いま北海道でもちょっとぐずつく『蝦夷梅雨』の時期だからかな程度にしか柚希も思っていなかった。


 しかしこれが何故か一ヶ月続いたのだ。


「やっぱり……。行っただけでどうなるかわからない作戦はやめる」


 萌子が諦めてくれたので、柚希はほっとした。

 だがそれから萌子に覇気がなくなっていったのだ。彼女らしくなくなり、今度の柚希は別の意味で心配になってくる。


「ねえ、なんか邪魔されている気がする。企画室に行っても話しかけられなかったし、畑に行こうとしても天気が邪魔するし、この前、社食にふらっと現れたからそばに行こうとしたら、また電話が鳴って外に出て行っちゃったの。おかしくない?」


 偶然と思いたい柚希だが、すこし気になることがある。

 パートのおば様たちが噂をしていたこと。『荻野家は神様を大事にしているからご加護が大きい。へたなことをすると跳ね返ってくる』とかなんとか。


 若い柚希に萌子にしたら『そんな馬鹿な』と笑えた話なのだが、荻野に長く勤めているおば様から『でも、このまえ。浦和水産の親族だと店頭に来て小柳店長の対応を押し切った変な母子がいたでしょう。お母さんのほう、あのあと不幸が続いていまは意識がおかしくなって施設にいるらしいよ』なんて、恐ろしい話を聞かされた。


 柚希もその『変な親族』が店頭に来た日にシフトに入っていたので、目撃している。あの小柳店長の丁寧な阻止も突破して、バックヤードに入られてしまったからスタッフ一同でギョッとしたことがある。

 そういえばあの時も、伊万里主任がやってきて、バックヤードでかーるくいなして帰していたよなと思い出す。


 へんにギラギラと着飾った小太りの母子だったが、その後、娘が薄汚れた姿でまた訪ねてきたらしい。その時、柚希は休日でいなかったので見ていない。だがパートのおば様たちが『小柳店長がこれはダメだと店頭対応なし、一発で上層部に報告するほどの異臭だったもんね。あれ、お母さんがそばにいなくなって、ひとりの力で生きていけなくなった子供の成れの果てだったよね』と噂していたのは耳にした。


 小柳店長からスタッフへの報告と周知は『浦和水産の遠い親戚が荻野を強引に頼ってきたようだったが、荻野家側で対応済みです。これ以上の口外を禁止とします』との箝口令が出されたばかりだった。


 あの親族の成れの果てが、荻野のご加護が跳ね返ったからだとおば様たちは言いたいらしい。

 だが、あんな非常識な親族だから、自業自得な出来事でもあったんじゃないか、偶然――と柚希は思う。


 でも……、もしそれがほんとうだったら? 荻野に向けて非常識なことをした者の成れの果て。柚希はまたぞっとする。

 もう萌子に諦めて欲しい。


「ねえ、萌子。もうやめようよ。荻野は不思議な一族とよく聞くじゃない。萌子になにかあったら取り返し付かなくなるから、やっぱり自分が勤める会社の上層部に迷惑をかけるようなことはやめようよ」

「迷惑? なんで。ただ好意を寄せているだけじゃん」


 好意? 伊万里主任を心から好きで恋い焦がれているわけではないのに好意? むしろ迷惑な『行為』だと萌子にはどうしても理解されない。


「千歳お嬢様だってお見合いで結婚相手を決めたんだよ。きっと伊万里主任も親御さんが決めた女性とお見合いをすることになって、そこで結婚相手を決めるようになっているんだよ」

「好きでもない相手と? 家のための結婚を? 相続する千歳さんが見合いだったのはわかるけど。伊万里さんは相続しないなら自由なんでしょう。相続だって後々のことだから、結婚すれば、姉か弟かはまだ決定事項じゃないよね」


 だから? 伊万里主任は自分と向き合えば絶対に好きになってくれるから、愛しあって結婚ができるといいたいのか? 確かに萌子は同期入社女子の中でも、お洒落さんでいつも可愛くしている。男性と飲み会に行けば、彼らはまず萌子を気に入るほどだ。だから向き合えば好きになってくれるもわかる。けれど――。荻野だけはもうやめたほうがいい。それが柚希の直感だった。


 もう待ったなし。同期のリーダー的存在だった『村雨女史』に連絡しよう。柚希はそう決意した。


 それでも萌子は『次はどうするかな、もう退社時待ち伏せかな』とかストーカー一歩手前みたいな精神状態で、ぶつぶつ言っている。

 小柳店長がたまにちらっとこちらを見ていることに気がつく。さりげなくのはずなのに、今日いまここでは、萌子と目が合ってしまったようだった。


「店長、キモッ。さっさと諦めてよ、もう。デートのセンスは良かったけど、母親同伴お断り。どうりで彼女ができないはずだよねって、他の女の子も同感って言っていたもんね」


 どこまで言いふらしているのやら。このあたりも他店舗に勤務している村雨女史に確認しておかねばと柚希は思った。

 リーダーのおば様は、どう思っているのだろう。


 バックヤードの保管庫にある商品の補充をするように言われて、店頭からバックヤードに下がった時だった。

 午後の14時ぐらいだったか。保管庫のストック分の確認を終えて、店頭の商品補充分をトレイに並べて持ち出し、保管庫から出てきたときだった。バックヤードの内線電話が鳴って小柳店長が受話器を取った。


「はい。本店店舗バックヤード、小柳です。……はい、私の、母ですが……」


 そう答えたきり、小柳店長の顔が青ざめ言葉を発しなくなった。

 受話器を静かに置くと、明らかに動揺している様が見て取れた。ここには柚希しかいない。


「店長? どうかされましたか」


 言葉が返ってこない。様子がおかしいので、フロアリーダーのおば様を店頭から呼んでこようと柚希はトレイをいったんPCデスクの上に置いて向かった。だが、おば様も柚希がいつまでも戻ってこないことを気にしたのかバックヤードにはいってきた。


「神楽さん、保管庫の確認終わった? ん? 店長?」


 おば様も気がついた。そのまま小柳店長がたちつくしているからだろう。


「あの、内線があって、それから店長が」


 柚希もやや動揺している。だって、いつだって完璧にスマートに仕事をしている男性が、こんなに静かにでも心を乱しているからだ。

 勤務中はスマートフォンは所持禁止にされていてロッカールーム保管が規則。なので家族の緊急連絡は総務に入ることになっている。そこからの連絡のようだが、お母様になにか起きた?


「小柳君、どうしたの」

「母が事故に遭いそうになって、病院で保護されているらしくて……」

「え!? なにしてんの。もう早く行ってあげなよ」

「でも、怪我はしていないようなので、ひとりで帰れる……かな、と。今日は副店長は休みで――」

「いいから。いまからすぐ早退手続きとって行ってきな! 母一人子一人で、あなたしかいないでしょう! ほら!! あとは私が連絡しておくから。上がなんとでもしてくれるよ!」


 普段は、店長とパートさんという上下関係でおば様は若い店長にも従順にしてるのに。今日は昔から知っている男の子を案じて叱責する近所のおばちゃまに変貌したので、柚希は目を丸くして呆然とするだけ。


「わ、わかりました。行ってきます。あとをお願いします」


 あの小柳店長がふらふらと背中を丸めてバックヤードから、ロッカールームがあるビル内へと消えていった。

 えええ。お母さんのことになると、あんなになっちゃうの!?


 もちろん。母親が病院に運ばれたといわれたら、誰だって動揺はする。柚希の場合は父が病院に運ばれたと聞いたら、きっと小柳店長とおなじ状態になると思う。でも、でも、それでも、やっぱりちょっと大袈裟すぎない? だって無事も無傷も確認できていたら、ひとまずホッとしてしっかりしなくちゃと気合を入れ直して……じゃないのかなと柚希なら思う。でも、小柳店長はいまにも母親が死にそうな顔をしていた。


「本店店舗の寺嶋です。小柳店長が早退をするのですが、店頭のスタッフ体勢はこのままでよろしいでしょうか。ご判断、お願いいたします」


 寺嶋さんは、パートさんでも長年勤務のために、フロアリーダーも任されている。このようなことが起きた時の報告系統に連絡するための権限も持っている。


「これで大丈夫」


 ひとまず販売部を統括している部署がスタッフ配置の調整をしてくれるはずと、寺嶋リーダーもホッとした顔をした。そこに柚希がいることにも気がついた。


「あ、それ。はやく店頭に並べてね」

「は、はい」

「いまの小柳君のこと、あんまり言わないでね」

「もちろんです」


 おそらく萌子と仲良くしているから、柚希の口から出ることにも警戒しているのだろう。もちろん『マザコン』ぽかったなんて口が裂けても言えない。


 突然、小柳店長が早退したため、店頭スタッフには『何事か』という動揺が広がった。柚希が言わなくても、いつも責任感が強い店長がなんの用事で急な早退をしたかは、やはり口をつぐんでいたって不審に思われるものなのだ。


 しかも、15時ごろになって、店頭に思わぬ人が『店長代理』で現れた。


「小柳店長の代打でーす。店頭はひさしぶりですけれど、よろしくお願いいたします」


 なんと。千歳お嬢様が、我ら店頭販売員とおなじ制服を着込んで、本店フロアに現れたのだ。

 ピンク色のチェックベストに白いシャツ、黒のタイトスカートという制服姿に、真っ直ぐで長い黒髪をひとつにくくって販売員スタイルで登場。

 みな、唖然とした。千歳お嬢様がそこらをうろうろしていたら、小柳店長がどうだったなんて下手な噂話もできやしない。


 しかも千歳お嬢様、さすがです。入社時から平の販売員から叩き込まれてきたので、小柳店長同様に目端は効くし、テキパキしているし、包装も接客も完璧。これぞ跡取りお嬢様、荻野ですべきことはすべて体験すべきと言われて、市内の全ての店舗や工場勤務まで働かされたことだけあるよと柚希は感動――。

 寺嶋リーダーも惚れ惚れしていた。


「はあ、さすが千歳お嬢様。頼もしいわあ。それに、やっぱり同期って大事だね。あれって、戦友だからしゃしゃり出てきちゃったんだよきっと……」


 なぜか涙ぐむリーダーおば様。年齢のせいかな? それとも、おふたりが新人のころからあちこちで見てきてご存じだから、お母さん気分なのかな?


 だが、その千歳お嬢様がわざわざ出てきてしまったからこそ、本店の二十代女性たちが訝しがる。

 その第一声をあげたのも萌子だった。


「ほかの部署の子に聞いたんだけど。小柳店長、お母さんが病院に運ばれたとかで怪我もなかったのに、真っ青になって駆けつけたんだって。業務を放ってだよ。やっぱ、マザコンじゃないこれって」


 その口を柚希が止めようとした時には遅かった。

 そこにいる若い同世代の女の子たちに、萌子が『実は店長とデートしたことあってさ』とペラペラとプライベートのことまでしゃべり出したのだ。


 いまここに寺嶋リーダーはいない。若い女の子たちは萌子に同調して『えーー、なにそれ。マザコンじゃん』とドン引き状態。


 柚希は決意する。もう今夜にでも、村雨女史に連絡する!!

 千歳お嬢様が同期の小柳店長をさっと助けたように、私も助けられるかな……?


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