第10話 ジョジ〇の奇妙な正攻法

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 伊東作の小作品の「モンゴリアンデスワーム特集」への意見交換を行い、孤独会は終わりを迎えた。

 モンゴリアンデスワームはゴビ砂漠に生息するとされるUMAの一体だ。彼がなぜ数ページにも渡ってモンゴリアンデスワームを語ろうと思ったのかは最後まで読んでも謎のままだったけれど、それをわざわざ指摘する気力は僕たちには残っていなかった。「まあこんなん居るわけないがな」と伊東自身が何故か強烈なダメ出しをぶちかまし、白けた場がさらに白けたことを合図に、僕たちは片付けを開始した。


 外をみると、すっかり日は沈んでいる。おそらく過去最低の出来になると思われる二月号の原稿を鞄に詰め込んで僕たちは店を出た。帰路の足取りは重い。


 「それでも月は丸いな」


 しばらく歩いたところで伊東が謎に風流なことをいう。つられて見上げると、たしかに満月だ。だけど、だからなんだ。


 「モンゴリアンデスワームもいま月を見上げてるかもしれない」と僕がよくわからない拾い方をすると、「モンゴルもいま夜かな?」と桜井がつぶやく。


 「分からんねえ。まずモンゴルはどこだっけ」

 「中国の北でしょ」

 「北ってどっちだっけ。上下左右で言えよ」

 「足立、お前ほんとに大学生か?」

 「まず、あいつが生息してるのって地中じゃない?」

 「そもそもあんなん居るわけないだろ」


 僕たちは書いてる作品も会話ももう無茶苦茶だった。


 「修正すんのダルイなあ」

 「直せる気がしないわ」

 「明日もう製本するから。印刷室に集まるように」

 「今日の作品、どれも春夏なら載せてもらえないよね」

 「当たり前だろ。忌み子だよ忌み子」

 「足立、お前は執筆してから言え」

 「春夏なら下手すりゃ退部だな」

 「そんな厳しいの?」

 「いや恥ずかしくて自主退部だ」

 「俺たちはそんなものを全部掲載しようとしてるのか」

 「二月号は封印でもよくね?」

 「毎月やると決めて二か月目で休刊かよ」

 「ハンターハ〇ターでももう少し頑張るぞ」

 「ハンター〇ンターは面白いけどお前らの作品はなあ……」

 「足立、お前は執筆してから言え」


 ───

 ──

 ─


 「白鳥」のある寂れた通りを抜けて、大通りを渡る。そこからその大通りを奥にずんずんと進めば、学生アパートが連なる住宅街だ。

 日は落ちているけれど、通りにはうちの学生らしき人影が点在するように見かけられる。僕らは道に屯する彼らの横をこそこそと通り抜けていったのだけれど、そのうちの一つのグループから不意に女の子の声が飛んできた。


「あ、伊東くん」


 むっ、と声の方向を振り向くと、今まさにカラオケ館から出てきた風の四人グループがいる。そのうちの一人がこちらに手を振っていた。何だかふんわりとした服を着ているのが印象的な、とても小柄な女の子だ。

 彼らと伊東の間で軽い談笑が始まりそうな様子だったので、僕ら三人は隠れるようにして固まった。


 「あれは漫研だよ」と足立が言ったので、僕は伊東がサークルを掛け持ちしていたことを思い出した。伊東は絵を描かない。絵を描かない彼がそこのサークルで何をしているのかはさっぱり分からなかったが、様子をみた感じ仲はよさそうだ。


 「んであれが佐々木さんかあ」と足立は意味ありげに続けた。


 「佐々木さん?」

 「あの女の子だよ。同学年の漫研部員だな」

 「へえ」

 「最近、伊東と仲がいいらしい」

 「え、まじで……?」

 

 僕と桜井は困惑して顔を見合わせた。伊東は「蓼食う虫」の中でも最も不可解な男だ。僕らですら、彼のことは30%程度しか解析できていないのに、そんな彼と仲良くできる女の子が存在するとは思ってもみなかった。冷静に考えて「なんだこいつ」で終わりそうなものだけど。

 僕らが困惑しているうちに、彼らの談笑は終わろうとしている。これから食事にでも行くのか、何やら伊東も誘われている様子だったけれど、彼は首を横に振った。どうやら断るらしい。漫研の皆は「じゃあね」と手を振り去っていった。


 「すまん待たせた」と戻ってきた伊東の肩を足立がいきなりごついた。


 「おい、あっち行って来いよ」

 「あ? なぜ?」

 「お前の彼女候補はあの子だろ」


 足立の言葉に伊東が狼狽した。常に自分のペースで喋る彼が、こんな風に言葉に詰まるのは少し珍しいことだ。しかし、彼は次の瞬間にはいつもの仏頂面に戻り、腹をくくったように「そうだ」と答えた。

 

 「だが、安心しろ。そんなに慌てることはない」

 「ばーか。そんなこと言ってっから」

 「いや、違う。もう手は打ってある」

 「手?」


 「ちょうど昨日、彼女は誕生日だったからね」と前置きをしてから、伊東は「ふん」と鼻を鳴らし、高らかに宣言した。


 「俺は昨日、彼女にプレゼントを贈ったのだ」


 異性へのプレゼント。それはイケメンのみに許される行為だと聖書にも書いてある。

 僕らが驚いたことは言うまでもない。逆に動揺させられた僕らをみて、伊東は満足げに笑みを浮かべた。


 「ふっふっふ。驚いたかね」

 「嘘だろ? お前にそんなまともなアプローチができるもんか」

 「そんな嘘をついて何になる。全部本当じゃい」


 伊東と足立はきゃっきゃとしている。僕はそれをどこか遠くにいるような感覚で、静かに聞いていた。おかしいぞ、と頭のどこかでそう思っていた。僕だけが何も進展していない。僕だけが何のキッカケも掴めていない。


 少なくとも伊東も桜井も、武器を担いで敵陣に向い始めている。軍靴の音が響き始めた戦場の下、僕だけが自分の城の中で、ただぼんやりと遥か向こうに見える敵の城を眺めている。


 「じゃあ何を贈ったんだよ」


 訊ねる桜井に、伊東は堂々と胸を張って答えた。


 「ジョジョだよ」


 彼の言葉は力強かった。


 「『ジョジョの奇妙な冒〇』全巻セットだ」


 一瞬だけ妙な間が流れた。間を破ったのは、足立の笑い声だ。それから桜井が「ははは」と笑い、伊東は「何がおかしい」とむすっとした。

 せめて文芸部らしいものにしろよ、と僕は思った。


───

──


 伊東の全てを理解することは難しい。約二年間も一緒にサークル活動をしてきた僕たちですらそう感じるほどに、彼はよくわからない男だ。ただ、彼が何らかの理想を追い求めている男だということは何となく察せられた。

 

 彼は何をするにしても強いこだわりを持っており、自分なりのかっこよさを追求しているよくわからない求道者なのだ。髪を払う仕草にしても、歩き方ひとつにしても、背筋の丸め方にしても、彼の頭の中にはきちんとした理想像があり、それを常に実現しようと努めている。ただ、難しいのはそのこだわりというのが他人にはあまり理解されないことだった。一緒にいる僕たちですら、彼の求めているカッコよさが分からないのだから、世間に理解されるはずもない。


 彼が『ジョジョの〇妙な冒険』シリーズの大ファンであることは僕たちの中では周知の事実ではあった。彼に言わせれば『ジョジョの奇〇な冒険』を好きになれない人とは一緒にいても仕方ないのだという。だから、佐々木さんに全巻セットを送り付けて彼女を試そうというわけらしい。

 そもそも、なぜ彼が相手を試す立場にいるのか分からない。


 「どんな反応してた」と足立が尋ねると、「よく分からん顔をしていた」と伊東は答えた。そりゃそうだ、と僕たちはさもありなんと笑ってたのだけれど。

 「まあ彼女は見込みがあるから大丈夫だろう」と伊東は自信ありげに続けた。


 もう一度言おう。

 そもそも、なぜ彼が相手を試す立場にいるのか分からない。

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