第8話 猿人たちの物量戦
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相沢さんの好きな人が僕である可能性について一晩考えた。可能性というのは無限大だ。概ねあり得ないという事象であっても、ほんのわずかな可能性の存在を否定することは誰にもできない。よく聞く例え話だけれど、僕たち生命体の素は「猿がタイプライターをでたらめに打ったらシェイクスピア作品ができる」のと同じくらい低い確率を潜り抜けて、この地球上で出来上がったそうだ。ありえない数の銀河があって、ありえない数の星があり、ありえない回数の試行が全宇宙で行われる。どんなにとんでもなく低い確率でも0%でなければ全ての事象は起こりうる。そして0%は存在しないのだ。
宇宙規模で考えれば相沢さんの思い人が僕である可能性は普通にあり得ると断言してもいいだろう。いくらなんでも猿がシェイクスピアよりはマシなはずだ。シェイクスピアを信じろ。
では可能性はあるとして、それは一体どれほどの確立なのだろう。僕は小中高時代を思い返した。例えば、消しゴムを貸してくれたとか偶然目が合うとか挨拶してくれたとか。「あれ?この子って僕の事すきじゃない?」と予感したことは通算数百回ほどあった。で、その予感が当たった回数は驚くべきことに──0回だ。すごい。これは逆に凄い。凄くて泣けてくる。
数百回外したのだから次こそ来る。ギャンブラーであればそう考えるかもしれない。数百分の一なら僕だって、そう思う。でも実際の確率は?
猿が適当に打って吐き出された紙が、地球を埋め尽くしている光景を想像しながら、僕は一人でじめじめと沈んでいった。
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