第5話 開戦告げる揚げチキン

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 今は一月の下旬にあたる。始業式は四月七日。新歓までに文集を用意するのであれば、三月終わりには作品を描き終えてなければならない。つまり、僕たちは二か月程度の持ち時間で彼女を作り、かつ童貞を捨て、作品を完成させる必要がある。なんというハードスケジュール。えろいことで頭がいっぱいの中学生ですら、こんな無茶苦茶な脱童貞計画を立てはしない。相沢さんと中学生みたいだという話をしたが、どうやら僕たちは中学生以下らしい。


 そういうわけで猶予は全くない。僕たちもそのことはよく分かっている。今すぐにでも彼女作りに勤しまなければ、また敗北の春がやってくるのだ。──とはいえ、そこで上手く動けないから今まで彼女が出来たことがないわけで。


 そもそもの話、この二十年間一度も彼女ができなかった男が、ちょっとやそっとやる気を出したところで何が変わるのだろう。ヤ〇チャが界王拳を使ったところで所詮はヤム〇ャだし、さらにいうと僕たちはヤムチ〇レベルにすら全く達していないことは明白だ。〇ムチャを舐めてはいけない。

 彼女を作ると決意した翌日。そんな風に思考が巡り僕はすっかり童貞モードを取り戻していたのだけれど、やけに張り切っている男が一人だけいた。桜井だ。

 

 「デートどこ行こうかなあ」

 

 昼休憩。食堂最奥のいつもの席に陣取って四人が顔を合わせた途端、桜井は意気揚々とそういった。ここ数日の亡霊のようだった彼は一体どこへいったのか、まるで憑き物がとれた如く上機嫌だ。まだ彼女が出来ると決まったわけでもないのに、何やらワクワクしているらしい。


 「張り切りすぎじゃね?」と足立が茶化し、「気が早い」と僕が水を差し、「北川さん事件を忘れるな」と伊東がトラウマをつつく。非難轟轟。いつもの桜井なら、軽くいじけるところだ。彼のメンタルはたんぽぽの綿のように柔らかなもので出来ている。しかし、それにも拘わらず、今日の桜井はそれでもヘラヘラと笑っていたので大変不気味だった。

 

 「余裕がないねえ、お前たちは」

 

 桜井は笑いながら、350円のカレーを大口で頬張った。口で咀嚼しながらも、「ふふふ」と気味が悪いとしか言いようがない微笑みを口元にたたえている。何やら狂気じみたものを感じる。

 

 「お前大丈夫か?」

 

 伊東がチキン南蛮に手も付けず、何やら不安げな顔をして言った。彼は普段、軟弱な桜井に対して最も厳しい男なのだが珍しく心配しているらしい。

 

 「大丈夫って何が?」

 「お前ちょっとおかしいぞ」

 「おかしくなんかないさ」

 「昨日までほとんど廃人だっただろ」

 

 僕と足立がうんうんと同意する。桜井はやれやれと首を横に振った。

 

 「男子三日会わざれば刮目して見よって言うだろ」

 「いや昨日だが。一日だが」

 「とにかく俺は変わったのさ。これが、北川さんという呪縛から解放された真の俺なんだ」

 

 似つかわしくもない爽やかな声色で桜井は答える。違和感しかない。片思いの女の子を追いかけて大学まで決めた男がこんなに爽やかなはずがない。まるでいい思い出に浸るかのように目を閉じて胸に手を当てている桜井を、僕たちはジロリとした目つきで見つめた。


 「呪縛から解放されたのはお前じゃなくて北川さんだろ」と伊東がごもっともすぎるツッコミを入れたが、その鋭利な一撃すら今の桜井には通じないらしい。桜井はイイ声で続けた。

 

 「お前たちも恋をすればわかるさ」

 「恋?」

 

 足立が上ずった声をあげるのも無理はない。つい先日、世紀の大失恋をした男が何を言っているのか。

 

 「当てがあるといっただろ」

 「いや、だけど昨日の今日でそれは」

 「まあまあ。これを見てみろよ」

 

 そういうと桜井は、ポケットからスマホを取り出した。何やらニヤニヤとした顔つきで、少し操作を行った後に皆に画面が見えるよう机の中央のぽとりと置く。僕たちは、一瞬だけ互いに顔を見合わせてから、三人そろって画面をのぞき込んだ。

 

 「それが俺と彼女の愛の軌跡さ」

 

 どんな大層なものが映っているのかと思えば、それはTwi〇terの画面だった。

 

 ────

 ──

 ─

 

 SNS。学生たちの恋愛市場はこれを中心に回っていることは流石の僕だって知っていた。「ネットで出会った」というと眉を顰められていた時代もあったらしいけれど、それはもう昔の話。今の時代ではごくごく当たり前に行われている。前述のとおり、僕はネット恋愛にはトラウマがあるので遠ざかっていたのだけれど、なるほど確かに現代において、異性の相手をネットで探すのは常套手段の一つであることには違いない。桜井もそこに目を付けていたというわけだ。


 相手の名前は坂口さんというらしい。別大学に通う一つ年上の女子大学生だそうだ。もともと桜井とはアニメや漫画の趣味が大変合うらしく、それをきっかけにメッセージのやりとりしたり通話をする仲になったのだという。

 友人としてはもうかれこれ一年以上の付き合いになるというのだから、これは中々侮れない。桜井の恋愛事情についても把握しているらしく、彼がついに失恋したことを告げると、なんと向こうから「会ってみませんか」と打診があったという話だ。

 

 「ちょっと待て」

 

 足立が画面を指さしながら興奮気味に言った。

 

 「会うのか? この女の子と?」

 

 スマホには彼女から貰ったという自撮り写真が写っている。百合さんの例もある。現代において自撮り写真ほど信頼できないものはない。しかし、どう色眼鏡をかけてみても、その写真のなかの坂口さんは──普通の女性に見えた。

 

 「まだ日程は決まってないけどな」

 

 桜井が胸を張って答えると、足立がニヤニヤしながら「この野郎」とその胸を殴った。足立は実に楽しげだ。たしかに、今回の抗争に一切関係がない彼の立場からすれば、この状況は面白くて仕方ないに違いない。まさに高みの見物といったところだ。


 僕と伊東は顔を見合わせた。彼は何とも複雑な顔をしている。おそらく僕も同じ表情をしているのだろう。友の幸せを素直に祝福できない小物二人がそこにはいた。


 僕と伊東が考えていたことは、おそらく同じだったのだ。どうせ誰も彼女なんか作れっこない。今回も、ぎゃーぎゃー騒いで楽しみはするけれど、結局何事も起こらずにそれでおしまい。それが関の山だと。ましてあの桜井に彼女ができるかもしれない、なんて可能性は一寸たりとも想像していなかったのだ。このままでは僕たちは桜井の後塵を拝することになる。あの桜井に。〇ムチャが界王拳してもどうとか言っている場合ではない。

 

 「彼女ねえ……」

 

 伊東はそう呟きながら、ついにチキン南蛮をほおばった。

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