第57話 レグルス・ガイエルン
シーアから少し離れた東の小さな海岸で———。
「う……うぅ……」
血まみれのファブルが倒れていた。
彼の周囲には緑の液体が飛び散り、もぎ取られた蟲の手足が散乱している。
「どういうことだぁ? ファブル……どうしてお前が裏切った?」
ダッと大剣を砂浜に叩きつける大男がいた。
レグルス・ガイエルン———ニア帝国の将軍で艦隊を率いている最高指揮官だ。
彼は上半身はほとんど裸。肩当をベルトで巻き下半身も布のズボンの上に、腰と太腿を守るための金属板———草摺以外の鎧の装備はない。
身を守ることを想定してない軽装それだけ自分の腕に自信があるのか。
それを証明するように砂浜には大量に
「クスクス……」
「ウフフフ……」
その彼を五人の女が取り囲む。全員、鞭や槍といった武器は装備していたが、格好がこれまた異常だった。
乳房と性器を露出したボンテージ服。
裸よりエロティックな格好でサディスティックにファブルを見下ろす彼女たちは、現代の感覚で言うとSM嬢にしか見えなかった。
「ほんとぉ……ぶざまぁ~……」
「きもぉ~い……」
ツインテールとおかっぱの女がファブルを侮蔑し、足元に転がっている
五人の女たちはそれぞれ違う髪型をしており、それで個性を出しているようで、ツインテールは生意気な感じで笑い、おかっぱは尻をレグルスに突き出して大人っぽく誘惑をする。
「どけ」
レグルスは女たちを意に介すこともなく、手で押しのけ、ファブルに近寄り、その頭を踏みつけた。
「グギ……!」
「おい……ファブル、聞いてるんだぞ? お前、どうして俺を裏切った? いや、聞き方が悪かったな……どうしてクライスは俺を裏切った?」
「う、裏切ってねぇです! アニキも俺も! お、オレはただ……将軍をお待ちしていただけで! そしたら矢を射かけられて……!」
ファブルの右肩には矢が刺さっていた。
五人の女の内、一人、弓矢を持っている眼鏡の女が誇らしげにビィ~ンと弦を鳴らした。
ファブルは彼女に射られたのだ。
「こそこそと、こんな場所に森の中に潜んでいるテメェが間抜けなんだよ。潜んでいておきながら……お待ちしていた? 嘘を言うな。俺はクライスを助けに艦隊を率いてやってきたんだ。そして奇襲をかけるはずだった港は完全に軍が防備を固めている。だから、大部隊をおとりにこの浜辺から上陸して回り込もうとしたら、テメェがこそこそ隠れている———そういった状況が物語っているんだよ。クライスが裏切ったってな」
ギリリとファブルの頭を踏みつける足に力を込める。
「ぎやああああ‼ 痛い痛い痛い!」
「ハハハハッ! 下が砂で良かったな。硬い地面の上だったらもうお前の頭は潰れてたぞ……まぁいい。ファブル、聞かせてもらえるか。クライスは何で裏切った? あいつには俺に逆らうような度胸もなければ、この国に義理立てするような理由もないとは思ったが……」
「アニキは……レン・ナグサランに惚れたんです! それで、復讐を止めてこの国の力になろうと……」
「ふぅ~ん……惚れたねぇ……つまんねぇ男になっちまったな……」
「いえ……今のアニキは男ですら……」
「まぁ……いい」
グキッ!
レグルスが足を捻ると、ファブルの首が異常に曲がり、ピクリとも動かなくなった。
「———楽しくなってきやがった」
ファブルの身体を跨ぎ、正面に見える森を見据える。その森の間にある小道は港町シーアへと続く道だ。
「クライス。てめぇが裏切った理由はつまらねぇが……てめぇが裏切った事実は面白れぇ。この戦……ただでさえ面白れぇのに更に面白くしてくれた。感謝するぜぇ……クライス……おい! エイ!」
五人の女の一人を呼びつけると、ポニーテールの剣を持つ女———エイが前に出た。
「はい! レグルス様!」
「ここから北にしばらく行ったところに小さな村がある。先行してそこにナグサラン軍が配備されていないか調べろ!」
「はっ!」
「確か、名前はナコラ村だ。間違えるなよ。そこに兵がいなければ、まずそこを攻める……いや、攻めると言うよりかは〝調達〟に向かう」
レグルスは笑みを浮かべる。
彼の後方には三隻の船があった。
一つはレグルスと女たちが乗ってきた船だが、残りの船にはゴブリン部隊が乗っていた。そのゴブリンたちは背が高く、鎧を身に纏い、整然と並んでいた。
エリートゴブリン———ニア帝国で鍛え上げられたゴブリンの精鋭中の精鋭部隊だ。
彼らは身じろぎもせずにレグルスの指示を待ち続けていた。
そして、レグルスが手を上げると一斉に動き出して船から降り始める。
その中で一部のエリートゴブリンは〝長い鎖のついた手・足枷〟や〝四隅の角に金属の輪っかが付けられている長方形の盾〟を持って降りてきていた。
「レン・ナグサランに見せつける、壁になる〝肉〟が必要になるからなぁ———」
凄惨な笑みを浮かべながら、砂浜に降りていくゴブリンたちをレグルスは眺めていた。
◆
俺とミストは走って東の砂浜へ向かっていた。
二人だけだ。二人だけで森の中の小道を走っている。
俺の身体は女となり、魔力が活性化し、身体能力も強化されているので、ミストの速い足にもついてこれていた。
レンは流石に連れてはこれなかった。
港町シーアの戦線はナグサラン軍に軍配が上がっていたが、まだ完全に押し切ったわけではない。囮とはいえ大部隊。レンがシーアを離れてしまえば、一気に攻め込まれてシーアが陥落する可能性もある。
だから、レグルスは俺達だけで何とかしなければならない。
「ファブルが……見つかっていなければいいが……」
ファブルが連絡虫を飛ばして、レグルスがもう東の砂浜に到着していることを教えてくれていた。
だが、情報がそれだけなので、レグルスが俺達に対してどういう認識をしているのかはわからない。
一応はミストの報告を受けて、俺を助けに来ているのだ。
ファブルが早まり攻撃を仕掛けたりしていなければ、俺のことを味方と思ってくれて、昨日の大臣やファブルを地下室で相手にしたように「人体支配」スキルを使って奇襲をするということも可能になる。
そうなれば……話は早いのだ。
だから、ファブルが身を隠して、状況報告だけをしているならいいが、見つかって戦闘なんてしていたら——選べる手段が限られてくる。
「せんせ……何か悩んでます?」
暗い顔をしていたようで、となりを並走するミストが声をかける。
「もしかして、躊躇っていますか? あの男を殺すことを———」
「———ああ」
顔に出ていたか。ミストに見事に図星を突かれる。
「せんせ。本当に変わってしまったんですね。そんなに優しくなるなんて、この間までの先生なら、人の命何て虫けら程度にしか思っていなかったのに……」
俺がこの世界に転生する前のクライス・ホーニゴールド本人のことを引き合いに出さないで欲しい。俺はあんな鬼畜外道に生きる気はない。
鬼畜外道……この世界で俺はそんなことをしないで生きてきたかったんだが……。
「でも、ダメですよ。あの男……レグルスは躊躇ってどうにかなる相手じゃありません。確実に殺す気で行かないと……先生が殺されてしまいます」
「ああ……」
これは戦争だ。
レンや、ルリリや、この国の人間を守るためには覚悟を決めなければいけない。
ルイマスやクロシエ、大臣のような権力を持つ悪人はいるが、そんな少ない悪人を理由に、普通に暮らす大勢のいい人を見捨てるわけにはいかない。
『時には非情さも持ち合わせないとこのような何もできない———何も守れない状況に陥りますよ』
そう、レンは牢屋で言っていた。
ギュッと拳を握り締める。
俺も覚悟を決めなければいけない時が来たのか———。
「見えてきましたよ!」
森が晴れて、遠くに海が見えてきた。
東の砂浜にもうすぐ辿り着く———。
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