第56話 ミストを説得する。
———ミスト・トスカータは生きていた。
シャッと俺の眼前を彼女が振りかざすナイフがかすめる。
「————ッ!」
暗殺者らしく、言葉少なにナイフを振り回し、的確に俺の急所を射貫こうとする。
「クッ———!」
ナイフの刃が俺の髪の毛を斬り割き、金髪の束が床に落ちる。
できれば———彼女を傷つけたくない。
彼女はニア帝国側の人間であるものの、クライスの調教によって歪められてしまった被害者でもある。本当は気弱で心優しい彼女の性格を根本から変えてしまったのはクライスだ。いわば、俺の罪の証しでもある。
その償いはしたい。
とりあえず———、
「う、うわわっ! 足が勝手に」
「悪いが、弓兵。君には降りてもらう」
ミストと二人だけで話がしたい。
櫓にいる弓兵には悪いが、彼の身体を操作してこの櫓の上から降りてもらった。
「———?」
その様子をチラリと見て、いぶかし気に眉をひそめるミストだったが、変わらず俺を敵と認識し、攻撃を続行した。
ナイフを突き立てようとし、時には足技や拳を使う格闘術で俺を殺そうとする。
俺が誰だかわかっていない。当然だろう———今は女の姿に化けているのだから。
そろそろか。
弓兵が櫓にかかっている梯子を下りきり、戸惑いながらも城壁の上を歩いて遠ざかっていく。
あそこまで距離を稼げば、ここでの会話は聞こえないだろう。
あの弓兵、彼も俺が誰だかわからないだろうが、後々ここでの会話を不用意に第三者に聞かれて俺やレンの立場を危うくするのは避けたい。
————
ミスト・トスカータの肉体を支配し、その動きをぴたりと静止させる。
「———⁉」
体が縫い付けられたように動かなくなり、ミストは目を見開く。
「ミスト……俺だ」
「せん……せ?」
「人体支配」スキル。クライス・ホーニゴールド本人にしか使えない、俺が俺であるもっとも簡単で確かな証明。
「せんせ……なの?」
「ああ、クライスだ。ミスト……生きててよかった……」
さっきのレンの
「生きててよかった……? せんせはそんなことは言わない……私のことを心配したりなんかしない……」
わなわなと唇を震わせる。
ああ、こいつは鬼畜外道であるクライスを慕っていると言う本当に面倒くさいキャラ何だった……。
でも、もうここまできた以上は誠心誠意説得するしかない。
悪役ムーブをするのも、もういい加減限界だ。
「するよ……お前は大切な俺の部下なんだから、さっきのレンの攻撃を生延びてくれてよかった」
「……確かに、死ぬかと思いましたけど……」
「だろうな」
ミストが落ち着いた様子を見せ、全身からピリピリした空気が抜けていく。
「———あの、せんせ。私たちあなたを助けに来たんですけど……どうしてここに居るんですか?」
完全に頭が冷え切ったようで、ジト目を俺に向けてくる。
「それに、女の子に変装までして……これがどういうことなのか、いったん説明をお願いしてもいいですか」
「ああ……まずこれは変装じゃない……ついていないんだ……」
俺は性転換をしてしまった経緯と、王に捕まってからここまでどのような経緯をたどったのか、全てを彼女に話した。
今朝、ナグサランの衛兵の拘束から必死で逃げて、わざわざ助けを呼んできてもらった彼女にとっては申し訳ない話だが、俺は自力で何とか危機を脱した上に、ニア帝国を裏切ってナグサラン王国についている。
ミストは完全に空回りをしてることになる。
「本当に申し訳ない」
一応頭を下げておく。
「本当にどうしちゃったの……せんせ……いい人みたいに振舞って、気持ち悪いよ。もっとひどい態度で接してくれないと」
「もうそういうのはやめるんだよ、ミスト。俺はこの国でいい事をして生きていく。だから、ミストできればお前も俺の側についてほしい。このままニア帝国の側にいても殺されるだけだぞ……」
「それは……そうだけど、私はニア帝国に仕えてるんじゃなくて、せんせに仕えてるわけだし……正確に言うとせんせのおち○ぽに仕えるチン○奴隷だから……せんせが行くところだったらどこにでもついていくけど……でも……」
やっぱりミストもファブルと同じだ。クライス個人を慕っている。何故だかわからないがクライスという人物にはカリスマ性があるようで、権力に関係なく人柄で何人かはついてきている。ニア帝国にいるときはいい事などをすることなく、「人体支配」スキルを使って傍若無人に振舞っていたはずなのに……もしかして、「スレイブキングダム」のテキスト外でクライスもいい事をしていたのか?
まぁいい、とりあえず今はミストを説得しなければいけない。
「そのチ……奴隷は置いておいて、俺と一緒に来い、ミスト。悪いようにはしないから」
「悪いようにして欲しいんですけど……虐めて欲しいんですけど……」
「そういうのはもうなしだ。ナグサラン王国でいい人間として、信用を築いて俺は暮らしていく……レンにもルリリにも認めてもらったんだから、そういう鬼畜なことはできないんだよ。わかってくれ」
「レン、ルリリに認められた?」
「あ、ああ……」
何でその言葉が引っ掛かるんだ?
ミストが戦場を見下ろす。
骸骨兵士と戦っているレンを見つめ、
「レンって王女様ですよね。この国の……あの人と一緒にこの戦いを終わらせて凱旋する計画なんですよね……?」
「ああ、さっき全部説明したろ?」
ニア帝国の侵略を退き、レンを女王にするためにナグサラン王国の軍を動かし、諸侯たちに認めてもらってルイマス王に退陣してもらう。そういう計画だと話したはずだ。
「そういうことか……それはつまり……えっとえと……」
考え込んで、何やら一人でブツブツと呟いているミスト。
「ど、どうした?」
「すべてがわかりました! 先生!」
そして、彼女の中で何か結論が出たのか、パアッと顔を明るくして跳びあがる。
「わ、わかった? 何が……?」
「これはご主人様がこの国の王になるための壮大な計画だったのですね!」
「…………は?」
何を、言っているんだ?
「ここに至るまで、全てはご主人様の計画通りだと言うことがようやくこの愚かなチン○奴隷は理解できました! ニア帝国を手引きしてこの国を転覆させる計画だと思わせておきながら……その実、それを利用してナグサラン王国の王女たちに自分を認めさせて国の中枢に入り込み、陰から支配しようというその魂胆! ニア帝国も、私たちも、王女様たちも利用するなんて流石はせんせ♡」
「いや、ちが……」
勝手に勘違いして絶賛してくれるが、はたから見るとそうとしか見えないのか……。
結果的に俺は次期最高権力者となる王女姉妹からの信頼を勝ち取り、ニア帝国の侵略を退けると言う実績まで作ろうとしている。
ミストから見ると、自作自演で権力を握ろうというように見えても仕方がないのだ。
「そうですよね! そうですよね! ニア帝国に任せていたら、せんせの取り分がへっちゃいますもんね。あくまでこの侵略をしきしているのは〝あの男〟———レグルス・ガイエルンで、せんせは協力者扱い。いいところは全部あの男に盗られてしまう可能性もある。せんせがこの国を手中に収めるには、あの男を退けてせんせが一人で権力を握るしかない。そのためにニア帝国を裏切るなんて……流石は先生!」
「いや、そういうわけじゃ……いや、もういいや。それで」
もはや否定するのも面倒くさい。
「せんせ。ミストはどこまでもせんせに付いていきます♡ この国を裏から支配するせんせの計画。ミストは全力でサポートさせていただきますから、存分にこのチン○奴隷をお使いくださいせんせ」
「ああ、わかった。じゃあとりあえずその奴隷云々言うのを今後一切やめろ。お前はあくまで俺の部下で、奴隷じゃない。わかったな?」
「はい。せんせ♡」
変な誤解は解かないままだが、何とかミストも説得できた。
あとは、この戦いに勝利するだけだ。
戦況はいまだこちらに有利に動いている。順調にいけば、夜明けを待たずにニア帝国軍はこのシーアの港から一掃できそうではあるが……。
「でも……あの
俺の胸中に渦巻く一つの懸念点、それはレグルスという指揮官の存在だった。ミストが生きていると言うことは屈強で強靭なあの男が生きていても不思議ではない。
「……あの男なら、レグルス将軍ならここにはいませんよ」
「いない?」
とは———どういうことだ?
「元からあの男が乗っている船はこの港には来てません。私たちは囮なんです。あの男率いる少数精鋭は東の砂浜から上陸する。そういう作戦なんです」
「何ッ⁉」
一番厄介な敵が———ここに居ない⁉
驚愕しているとブブブと蟲の羽音が聴こえ、一匹のテントウムシが俺の胸元にとまる。
「ファブルの
テントウ虫のような姿をした連絡虫は背中の斑点を点滅させている。伝書バトのように人の元へと飛び、情報を伝える連絡虫。連絡手段としては背中の斑点の光具合によって判断する。
背中のすべての斑点が点滅。それはファブルから、緊急事態を知らせるサインであった。
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