第53話 作戦会議
日が落ちた。
シーアの港には海から来た敵の侵入を阻むための砦が築かれている。
高い石壁と櫓が組まれ、そこから大砲や弓を発射し、敵の船を迎撃する。
そして石壁の内側では普段では漁師たちが市を開いているが、戦時になるとそこは軍事基地と化し、多数の兵士が行きかっている。
広場を抜けると小さな城のような建物があり、そこがナグサラン軍の本部であり、作戦指揮を執るレン・ナグサランがいる指令室がある施設だ。
一人の兵士が指令室に駆け込む。
「報告します! 全軍配置完了いたしました!」
「ご苦労、下がっていいぞ」
「ハッ!」
兵士は敬礼をすると即座に部屋から出ていく。
レンの隣にいるルイマス王を
ルイマスは何も言わずに地図を見つめているレンの横に立っている。
本当に、これからのことはレン王女に任せるのだとその兵士は思った。
◆
「今のところ全ては順調ですね。クライス殿」
レンは兵士の報告を受け、机に広げたシーア周辺の地図に目を落としていた。
「ああ、そうじゃな」
俺の喉から、自分の声とは思えないほどしわがれた声が発せられる。「そうだな」と言ったつもりが、舌と口が動かしづらく、「そう〝だ〟な」が「そう〝じゃ〟な」と実際は音になって発せられてしまう。
俺は今、老人だった。
老王——ルイマスに化けていた。
「クライス殿……もうこの部屋には私たち二人だけなのですから、その姿を解いたらどうですか?」
困ったようにレンが言う。
「それもそうじゃな……」
正直、あまり見ていて気持ちのいいものではないのだろう。父親そっくりの姿に化けている他人というものは。
————
俺の身体がぶよぶよと変化していき、ルイマスというしわだらけの老人のものから、張り艶のある女性の姿へと変わっていく。
「ふぅ……実際何でもないと思っていたが、老人の姿でいると全身が凝って疲れるもんなんだな……」
女の姿になった俺はコリをほぐすように肩を回す。
「その姿もどうかと……」
レンは俺を見て苦笑するが、
「仕方がないだろ。今の俺は女なんだから、まぁやろうと思えば男のクライスの姿に戻ることもできるが……女の姿の方がいろいろと「人体支配」の力が通りやすいんだよなぁ……」
俺は『変化の薬』で肉体を女に変換し、女しか操ることができない「人体支配」スキルを使って肉体を変質させている。
身体能力、魔力を強化させるために薬を頼ったのだが、この『変化の薬』と「人体支配」スキルの相性は俺が想像するよりもはるかに良かった。
肉体を構成している細胞すら操ることを可能にし、思うがままに、自由自在の姿に肉体を変化させることに成功したのだ。
だから、本来の想定であれば、薬をもう一度飲み、ルイマス王そっくりの姿に化ける計画だったが、薬を使うことなく「人体支配」スキルで事足りてしまった。
アリスが持ってきてくれたルイマス王の髪の毛を触るだけで、俺の全身の細胞がルイマス王の姿を覚え、
そして、ルイマスに化けたらレンの隣に立ち、レンの行動すべてに王からのお墨付きを与え、ナグサラン王国の諸侯たちを納得させ、味方につけていく。
ただあまりにもそのムーブがあまりにも……。
「悪役だよなぁ……」
王に化けて、軍隊を自由に操る。
俺がやっているムーブはどう考えても物語の敵役がやるようなムーブだった。
まぁ、エロスキル「人体支配」を持っているクライス・ホーニゴールドは元々悪役なのだから、ムーブが悪役寄りになるのは当然と言えば当然なのだが。
「そんなのどうでもいい事ではありませんか……私たちはこの国のためになることをしているのですから」
と、レンは苦笑する。
「それはそうか……」
「それよりも……シーアの砦には兵を配置し終えたものの、一点だけ気になることが」
「何だ?」
ニア帝国を迎撃する会議はとっくに終え、人員も配置し終えたが、レンは懸念があると机に広がる地図を指さす。
「この港町には完全な防備を敷いています。それはここを攻める船の上から確認できます。そんな見るだけで硬い防備が敷かれた場所、正面から攻めるのはできれば避けたい。そう思うのが普通です」
「ああ、だけど他に接岸できる港がなければ、ここを攻めるしかないんじゃないか?」
ニア帝国の侵略軍は奇襲作戦を立てているし、元々クライスはそれを導くスパイだった。だが、その情報がレンに知られて対策を立てられている。となれば敗北の可能性が高くなり、撤退したいところだろうが、軍隊とはそう簡単にいかない。
敗色が濃厚でも、軍隊は動くだけでも大量の金が消費される。食費や給料、船の運賃など、大量の兵士を動かせばそれだけ金は出ていく。それだけの消費をしておきながら、負けるかもという理由でクルッとUターンはできないのだ。
その消費した金に見合うだけの成果を得ることができなければ、たとえ大きな敗北がなくてもじわじわと力を失っていく。
だから、たとえ対策をされていたとしても、ここを攻めてくるしかないと思うのだが、レンの意見は違うらしい。
「東の方に小さな砂浜があります」
シーアの東に彼女は指を置き、
「ここは灯台もなく、周囲には岩場もあり、一部隊が接岸するにはあまりにも小さく危険な砂浜です。ですがここに上陸されたら、シーア砦の裏側に回られ、敵の奇襲を許すことになる……考えすぎかもしれませんが……」
「用心に越したことはない、な……一応ファブルに見張らせよう」
俺は机の上に置いてある、虫かごを持ち、窓の外まで持って行く。
「ファブルに伝えてくれ、『東の砂浜に戦闘用の蟲を配置してくれ』と」
虫かごを開け放つと、そこから大きいテントウムシが飛んでいき、遠くの森へと消えていった。
「あの蟲使いはちゃんと動いてくれるでしょうか?」
「大丈夫だろう。今回の戦で成果を上げれば恩赦を与えると言ってあるし……」
大臣の裏切りの一件があり、レンと俺は反省した。
犯罪を犯したからと言って、ただ利用するだけ利用し、相手の意見を聞き入れないようでは、また裏切りや不和を招いてしまう。だから、ファブルには罪を軽くするという恩赦を与えると言って協力を要請し、今、彼は森の中に入りニア帝国を撃退するために蟲を集めている。
ちなみに大臣はいまだに〝戦の塔〟の魔導装置の中にいる。
高度で複雑な魔導装置に炎の魔人とかした大臣が入り込んだことにより、常に燃え盛る炎が内部に立ち込め、とても大臣を回収できそうにない状態になっていた。高度な魔法式を扱える高魔導士に炎を止めてもらい、魔導装置を傷つけないように大臣を取り出して魔人化を解かなくてはいけないので時間がかかりそうで、とりあえずは放置されている。
そこら辺を考えるのは戦が終わった後だ。
「ふぅ……」
椅子に座り、息を吐く。
「クライス殿? お疲れですか?」
「ああ、朝からずっと……いや、この国に来てからか、ずっと気を張っていたからな。後はニア帝国が来るのを待つだけだと思うと気が抜けてな」
疲れがドッと押し寄せてきていた。
「少し休んでも大丈夫ですよ。見張りはわが軍の兵がやっておりますし、しばらくこの部屋には人を近づけさせません。敵が来るまでゆっくりとお休みください」
「そうか……じゃあ、少しだけ……」
レンの言葉に甘えることにして、俺は目を閉じた。
◆
———夢を見ていた。
夢の中の俺は薄汚れていた。
そして、ひどく疲れていた。
ナグサラン王城の庭の草むらに潜み、ある女の子を見ていた。
金髪の十四歳ぐらいの少女だ。
———戻ってきた。
僕は———戻ってきた。
俺ではない、別の人間の声が胸中に響く。
少女は剣を一心不乱に振り、一人で剣の訓練をしているようだった。
俺は———意を決して草むらから飛び出し、その少女の元へと駈け寄った。
『———ちゃん! 僕、帰って来たよ!』
少女にそう呼び掛けた。
だが、金髪の少女は俺を見て、眉根を
『————誰?』
そう、言った。
『僕だよ! 僕! くぅだよ!』
『———すまないが、見覚えはない。それよりも、君は顔も腫れていて、体も黒くなっているが、大丈夫か? 医者を呼ぼうか?』
少女は全く知らない他人を相手にするようにふるまっている。
『人⁉ 呼ばないで、———ちゃん!』
『そんなわけにもいかない。おいっ! ここに病人がいる! 誰か来てくれ!』
少女が遠くに控えていた衛兵に声をかける。
すると衛兵は俺に気が付くと急いで駆け寄り、少女との間に入ると俺に槍を向けた。
『お下がりください王女様!
『そ、そんな……』
『餓鬼め! どこから入った! とっとと城から出て行かないと突き殺すぞ!』
衛兵は槍の先をズズイと突き出し、俺を脅す。
それを見ている少女は不審げな目を向けるだけで衛兵を止めてくれなかった。
『そんな……レンちゃん……せっかく会いに来たのに……』
俺は———逃げた。
足元に咲き誇っていたリリーの白い花を踏み荒らし、ナグサラン王城から逃げた。
その時に、胸に強くどす黒い、燃えるような感情が沸き起こった。
———復讐してやる。この城の、この国の全てを……全てを奪ってやる!
そう、夢の中の俺は決意を固めていた。
◆
「ハッ……!」
目を覚ます。
また、悪夢を見てしまった。
「今のは———」
クライスの、この世界で生きていたクライスの過去か……?
ということは———クライスは幼いころにレンと会っている? そして、一度追放された後、彼女に会いに行って……。
「気づいてもらえなかった、のか……」
クライス・ホーニゴールドという男の恨みの根幹を見てしまったような気がしていると、レンが飛び込んできた。
「クライス殿!」
「レン……」
幼いころに会っているなど彼女は微塵も覚えてない様子だ。
そしてそんなことを考えている場合ではないと言うように、緊迫した様子で報告する。
「ニア帝国の艦隊が見えました!」
「————ッ!」
ついに、侵略軍が到来した。
戦が———始まる。
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