第8話 いじわる王妃

 王妃———クロシエ・ナグサラン。


 前妻であるフィオナ・ナグサランの亡きあと、本妻に成り上がった側室の女性。

 心優しく聖母のようなフィオナと比べ、自分勝手でわがままで国費を自分のために使う毒婦どくふゆえにクロシエが贅沢をするたびにレンが正論でいさめる。

 そういう光景が常に王の間では繰り広げられている。「スレイブキングダム」の日常シーンではレンとクロシエが衝突する描写が何度も描かれ———、


「クロシエ様……!」


 蛇に睨まれたカエルのように身を震わせているルリリ。


 ———こういうクロシエにルリリが威圧されるシーンも、序盤では何度も描かれている。


 レンに対して、延いてはフィオナに対して、恨みを抱くクロシエは、血のつながっている弱い妹———ルリリ・ナグサランをそのはけ口にしてるのだ。


「本当にワガママな子……あなたのために尽くしてくれる王の気持ちも、先生の気持ちも踏みにじって。ねぇ先生。ひどいと思いますよねぇ?」


 猫なで声で俺に同意を求める。


 …………どう答えたものか。


 今のは確かに、常識的に考えるとルリリが悪い。


 クライスの本質を一方的に〝邪悪〟と根拠なく決めつけ、公衆の面前で罵倒しているのだ。


「ねぇ、先生! ひどいと思いますよねぇ? この盲目で虚弱な娘は、せっかく親切心で助けようとしているあなたを気持ち悪いという理由で一方的に嫌っているんですよ?」


 そこまでは言ってない。


 はぁ……仕方がない。


 話を振られているのだから、何かは言わなければいけない。物はためしだ。どうにかルリリへの非難を逸らせるよう……言葉を紡いでみよう。


「……私は、私は姫様のことをひどいとは思いません……彼女は不安なのでしょう」

「不安?」

「治療というのは患者にとってもリスクのある行為です。今回の場合に限っては違いますが……症状によっては命を失う覚悟も必要な施術を施す場合もあります」

「それで?」

「賢いルリリ姫です。そう言った知識もちゃんと頭の中にあり、未知みちの治療を施すという私の治療に疑念を抱いているのでしょう。病魔びょうまで苦しみ心を弱らせているルリリ姫が、私を警戒してしまうというのは当然の反応ですよ」


 ニコリと笑いかける。


 結構、完璧なフォローだったんじゃないか?


 思わず自画自賛してしまう。


「クライス殿……」


 レンも俺にうっとりとした目を向けているし、ルリリのメイド、アリスも感心したように目を見開いている。

 それにルリリも、驚いたようにポカンと口を開いて俺に顔を向けていた。


「ハァ?」


 王妃の顔にはっきりと不愉快という感情が浮き出ていた。眉が歪み、目じりにしわができている。

 そして舌打ちをした後、「つまんねーこというなよ……」と誰にも聞こえないようにボソッと呟いていた。

 いや、滅茶苦茶小さな声だったけどしっかり聞こえたからな。悪口というのはどんなに小さくても敏感に人の耳には入ってしまうモノなのだ。


「———ンンッ! なんてお優しいんでしょうクライス様! こんな国家の脚を引っ張るお荷物王女の肩を持つなんて、ほら感謝の言葉を述べなさいお荷物! 心優しいクライス様はあなたを許すそうですよ!」


 王妃は一つ咳ばらいをし、結局は俺の言葉もいびりの材料に利用しルリリに謝罪を要求した。


「え……」


 戸惑うルリリ。

 謝りたくはないだろう。一度優しくされたぐらいで〝邪悪〟な本質がある相手に対して軽々しく謝るなんて行為———掌返しにもほどがある。普通だったら抵抗があるだろう。


「王妃様……このくらいに」


 だから、彼女の心情を察したアリスが王妃を宥めようとする。


 が———、


「メイドごときは黙っていなさい!」


 アリスの顔を見た瞬間、王妃はカッとなり、彼女をひっぱたこうと手を上げる。


「———ッ!」


 ビンタされるのを覚悟し、ギュッと目をつむるアリス。


 いや———暴力はダメだろう———、



  ————支配ドミネート



「…………ん?」


 手を上げたまま、静止し続けている王妃。


「……王妃様?」


 中々ビンタが来なくて、アリスも閉じていた目を開いて、疑問の声を漏らす。


「何……? どういうこと?」


 何かがおかしいと、いったん王妃は手を下げてみる。何も問題なく手は降ろされ、ちゃんと動くか試すようにぐーぱーを繰り返して、再び「フッ!」と気合を上げて、手を上げてビンタをしようとする。


 ピタッ……。


「……ど、どうして……⁉」


 アリスをビンタしようとすると振り上げた手がどうしても止まってしまう。

 再び手を下ろし、体操のように全身を動かしてみて、ちゃんと自分の体が動くことを確認する王妃。「よし」とちゃんと自分の体に不調がないことを確かめて、また———アリスをビンタしようと手を上げて、


「どうして! あんたを! 殴れないの⁉」


 ―――またピタッと止まった。


「いや……私に聞かれても……」


 アリスもただひたすら困惑していた。


「あんた何かしてるんでしょう⁉」


「してません……!」


「じゃあ何で殴れないの⁉」


「知りませんよぉ……!」


 ヒステリックに声を裏返らせて叫ぶ王妃に対して怯えながらも、答えるアリス。

 アリスは何もやっていない。


 やっているのは俺だ。


 「人体支配」のスキルを使って王妃の体を操り、アリスを殴る瞬間だけ、肉体の使用権限を奪い、体を固まらせているのだ。


「クス…クスクス……」


 王妃とアリスのやり取りがまるでコントじみて可笑しかったのか、周りの貴族たちが声を殺して笑い始めた。


「~~~~~~~~~~~~ッ!」


 笑われていることに気が付いて、王妃は顔を真っ赤にして、手を下ろす。


「フンッ! 覚えていなさいよ! この汚らしい畜生ちくしょう以下のダークエルフが!」


「—————ッ」


 吐き捨てるようにアリスに罵声を浴びせる。

 今のはアリスは何一つ悪くない……完全な八つ当たりだ。

 本当にこの王妃は性格が悪い……何とかしてやりたいが「人体支配」は肉体の動きを支配するだけなので、性格を改変することまではできはしない。


 「スレイブキングダム」のゲームのコンセプトとして「抵抗したいのにできない女の子に卑猥ひわいな行為を働き、男の身勝手な欲望を実現する」というものがある。

 もしも、「人体支配」が催眠のように性格も別人のように変更できるスキルだとしたら、そのコンセプトから外れる。嫌がる女の子を犯したいという男の業を発散させるためのゲーム世界の中において、そのコンセプトは絶対のルールとして君臨してしまう。 


「あなたのような汚らしい身分の人間が、」


「———ッ」


 ―――だから、「人体支配」スキルごときでは、王妃の言葉のナイフを止めることはできない。


 ———それでも、言葉で傷つく女の子を見るのは忍びない……。


「平気で城の中をいづ―――ガッッッ! イッタァァイ‼ 舌嚙んだっ‼」


 ―――あれ?


 王妃が思いっきり舌を噛んだ。喋っている途中で———。

 ベロを出してヒリヒリと痛む舌を外気に冷やしながら、


「めひど(メイド)! はんたまらなんかやっらわねぇ(あんたまたなんかやったわねぇ)!」


「だから……私は何もやってない……」


「フンッ! ほんろぅにおろえていららいよ(ほんとうにおぼえていなさいよ)!」


 舌をしまって、唖然とするアリスたちを残し、王の元へと戻っていく王妃。


 会場はまだ「クスクス」という笑い声に包まれている。


 勝手に自爆した王妃の痴態を公然と笑ってはいけないが、その状況が更におかしく、こらえるのに必死になっている様子だ。

 完全に〝笑ってはいけない〟空間になっている。


 そうしたのは———俺か?


 王妃の動きを止めたのは、確実に俺だが……最後のは……。

 自らの手を見つめ、「人体支配」スキルの更なる可能性について考える。


「———ん?」


 すると、視線を感じ……ふと顔を上げる。


「……クライス……さん……?」


 第二王女———ルリリ・ナグサランだ。

 彼女の顔が俺に向いていた。


 初めて知った。


 相手が盲目であろうと視線というものは感じるものだと言う事が。


 俺は、黒い布の下の彼女の眼は、絶対にこちらを見据えている———そう思った。


 困惑の瞳で、俺を見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る