第3話 葡萄とクッキーを②

 その後、私は黒板に書かれた通りに準備を進め、バターの様子を見る。


「もう準備終わったけどバターどんな感じ?」

「つめたい」

「いやそうじゃなくて」

「わかってるわかってる。バターの柔らかさでしょ?」

「うん」

「ほら、触ってみてよ」


 そうは言うものの、葡萄がバターを手で隠すようにもみもみしていて、触らせる気が無い。


 葡萄の手しか触らせまい! って感じで。

 ならば。


 えい。


 私は葡萄の手をもみもみする。


「ん、ちょっと冷たいな?」

「いやいや、それバターじゃないからね?」

「バター触らせてくれなかったのそっちじゃーん」

「まあ! そんな言い訳する悪い子には罰を与えませんと!」


 葡萄がそういった演技をすると、今度はバターを私の首元に押し付ける。


 ぺしっ。


「ひゃっ! 何するのよー!」

「えへへ、いたずら?」

「もー、いつからそんな悪い子になっちゃったの?」

「さあねー? まあそれはそれとして普通に手ぇ冷たくなっちゃったから代わってー」

「わかったわかった」


 そう言って葡萄は私にバターを渡してくる。まだ冷たいけどさっきよりかはだいぶマシになってる気がする。


 するとバターをもみもみしている私の手の上に葡萄の手が乗っかって、私の手をもみもみしてくる。


「あったかー。林檎のおててやわらかくてすきー。あー、ずっと触ってたいー」


 もみもみ。


 いやいや、これじゃあさっき私がやったことと同じじゃん。あと冷たいと冷たいに挟まれて手がやばい。冷える。


「あのー」

「はい?」


 なにか問題でもある?と言いたげな顔をするんじゃない。


「冷たいんですけど」

「ごめんごめん、もうやらないからー」


 そうしてやっと手を離してくれる。

 そんなこんなをやってるうちに少し時間が経った。


「そろそろいいんじゃない?」

「確かにちょっと押したら沈むようになったね」

「じゃあ作ろっか」

「うん」


 そう言って周りを見渡すともうみんな洗い物を始めていた。


 もう完成間近なの? と思ったけど、黒板に書かれた手順によると『冷蔵庫に生地を入れている間に洗い物をしましょう』と書いてあるから、まだ途中みたいでほっとする。


「えっとまずは常温のバターと砂糖をボウルでよく混ぜて――」



 そのまま卵黄を混ぜたり薄力粉を加えたりして、さらにはプレーンのとは別にココアのも作り、その生地を冷蔵庫に寝かせた。30分ほど待たないといけなかったから、タイマーだけセットしておいて、軽く洗い物をしてから他のペアの進捗なんかを見ていた。


 見てみると、それぞれのペアが生地の上でプラスチック製の丸型、星型、ハート型などの型を手に持って、生地に型を取っている。


「みんな型取りやってるんだねー」

「そうだねー」

「葡萄は型取りどうしたいとかある?」

「味によって型を変えてみたいかなー。せっかく2種類あるんだし」

「んじゃ普通のやつは、普通だからってことで丸のやつで、ココアのは特別だから星とかどう?」

「え、特別なのってハートじゃない? ハートってみんな一つしか持ってないんだからそっちのが特別に決まってるよ」


 え、ハートが心臓になっちゃったよ……。いやそうなんだけど、ハートって概念的なかわいいものじゃなかったっけ……?


「そ、そう……? お星さまの方がキラキラしてて特別って感じするんだけども……。まあ葡萄がそう言うならそうしよっか」

「うん、ありがと。それじゃあ代わりに普通って言ったやつを星にしよっか」

「うん」



 そんなやり取りをして、しばらくおしゃべりに興じていると、タイマーが「ピピピ!」と鳴り、30分経ったことを告げる。


 冷蔵庫から生地を取り出し、麺棒で薄く伸ばす。

 そうしてさっき決めたように私は普通のに、葡萄はココア入りのに型を取っていった。


 最初は楽しかったけど思ったより枚数があってちょっとだけ大変だった。

 葡萄のはハートがいっぱいで、ちょっと前までの私なら「かわいいー!」って思ったんだろうけど、葡萄が変なこと言ったからちょっと怖く見える……。


 その後、なんだかんだしてオーブンでトレーに乗せたクッキーを焼く。また15分くらい待たないといけない。

 ただ、周りのペアは既に完成していて、おやつタイムに入っている。

 いい匂いがする……。


 すると、葡萄が待ちきれない様子でこう言う。


「早く食べたいねー。いい匂いがして待ちきれないよ~」

「まあしょうがないよ。たくさん作ったんだし。まだ下校時間まではちょっとあるし、食べるのはできると思うよ?」

「そうだねー。うーんでもお腹鳴っちゃいそう。はやくぅー」

「よーし、じゃあ他のことでもして気を紛らわせようじゃないか」

「何するの?」

「うーん、しりとりとか?」

「なんかベタじゃない?」

「じゃあ『りんご』から始めて『ぶどう』で終わるしりとりとかどう?」

「わかった。りんご」

「ごま」

「まめ」

「めかぶ」

「ぶどう。いやいや早すぎだってー。こんなんじゃ15分過ぎてくれないよー。お腹空いたなぁ」


 すると部長がやってきた。


「お、もうオーブンまでいってるなら間に合うな。よかったよかった」

「部長、葡萄がお腹空いてしょうがないらしいのでクッキーくださいな」

「そんな、お腹空いてないから大丈夫だって」


 そんな葡萄をよそにして、部長が答えてくれる。


「いいよいいよー。どうせあんなに食えないしね。持ってくるわー」


 部長はUターンしてクッキーを取りに行く。


「ちょっと、そんな恥ずかしいこと言わないでよー」

「別に葡萄がお腹空いてるなら素直にそう言えばいいのにー。そしたらみんなも構ってくれるんだしよくない?」

「いや、そうかもだけど、そういう問題じゃなくて……」


 部長が戻ってきた。


「これ、どうぞ」


 そう言って私と葡萄のてのひらにひとつずつクッキーを乗せてくれた。


「ありがとうございます」

「いいってもんよ。あ、別にお返しとかは大丈夫だからね。これから先生と話があるからどうせ食べる時間無いし」

「あ、はい。わかりました」


 部長が顧問の先生のところに行く。


「別にもうちょっと待てば食べれたのに……」

「いやいや、おかげですぐ食べれるでしょ?」

「まあ……」

「食べよ?」

「うん」


 ぱくっ。

 うん、甘くてバターの感じもしておいしい。サクッとしてるのもいい。


 葡萄に「おいしいねー」って話しかけようとしたら、葡萄が「んー!」と声をこぼし、えくぼが浮かぶような笑顔を見せながらクッキーのおいしさを堪能していた。


 そ、そこまでおいしかったっけこれ?

 いや、そういや忘れてたけど葡萄は私よりもおいしい食べ物で幸せになれるたちなんだった。


「そんなにおいしかったんだー。ほら、私がああ言った甲斐かいがあったでしょ?」

「まあ、うん。このクッキーに免じて許してあげる」

「やったー。ってなんかおかしくない?」

「大丈夫。おかしくないよ」

「そう?」

「うん。絶対絶対おかしくないから。林檎は何も気にしないでいいよ。ね?」

「なにそれー。あはは」


 そんなこんなでお喋りしてたらいつの間にか15分が過ぎてクッキーが焼けていた。

 クッキーが入ったトレーを取り出すといい匂いが漂ってくる。


「あーこれこれ! この焼きたての匂いがいいんだよねー。林檎もそう思わない?」

「うん、いい匂いだよねー!」


 トレーからクッキーを幾つか取り出し、お皿に移し替える。

 すると葡萄が早速そのクッキーを手にする。


「もう食べちゃおーっと」


 ぱくっ。


「あれ、なんかちょっと柔らかい」

「黒板ちゃんと見てなかったのー?」

「え、なんか書いてあったっけ? どれどれー? 『焼きたての温かい時はまだ柔らかいので、少し冷ましてから食べるとクッキー特有のサクッとした食感を楽しめます』」

「そうそれ」

「あー、じゃあこれもうちょっと待たないとサクッとはしてくれないんだ」

「そうだね。でももう時間無いからサクッとしたやつは家に帰らないと食べられないね」

「うーん残念。まあでもこれはこれでありだよね。ハートの方もいただきっ」


 そう言って葡萄はココア味のクッキーも口にする。


「あ、やば。なんかココアの方はこの柔らかさがねっとりした食感を生んでクセになりそう……。こう、なんていうんだろ。まとわりついてくる感じ」

「え、そうなの?」

「うん。星のやつはそんな感覚無かったんだけど、ハートの方はココア味がしつこさを生んでるというかなんというか。味覚と食感で舌に私を忘れさせないぞってしてくる意志を感じる」

「……その例え怖すぎない?」

「まあ食べてみたらいいよ。死にはしないから大丈夫」

「う、うん」


 私は恐る恐る、その恐ろしい茶色をしたハートのクッキーを手に取り、口に運ぶ。


 ぱくっ。


 少しココア味が主張してきて、柔らかい食感。

 う、うん。なんか言ってることはわからないでもないけど、葡萄の表現の仕方はオーバーだと思うんだよね。


「どう?」

「まあ、うん。確かにそうだね。多分」

「でしょー。なかなかいい食レポをしたとは思わないかい? 林檎さん」

「ま、まあ表現力は認めるけど。でも一体どこでそんな表現覚えてきたの?」

「ふっふっふー。それは企業秘密なので教えられないなぁ」

「えー、どうしたら教えてくれるの?」

「どーしよっかなぁ……。じゃあ、あーんしてくれたら教えたげる」

「わかったわかった。じゃあ、あーんしたげるから」


 私は普通のクッキーを手に取って、葡萄の口に餌付けするように運ぶ。

 葡萄が大きく開けた口の中にクッキーが入り――ぱくっ。


 え、指ごとくわえられてるんですけど。びちゃびちゃして、きたな……くはないけど、なんで?


 とりあえず手を引っ込める。


「ちょっとちょっと。指まで咥えてどうするの」


 葡萄がもぐもぐと食べてから答える。


「えー、なんか気分で。まあ秘密を教えたらわかるから聞いて聞いてー」

「その秘密やばくない? 大丈夫?」

「だいじょーぶ、大丈夫。ただ単に最近恋愛小説にハマってるってだけで」

「で、どうしてこうなるの?」

「うーんと、まあこういうことしてる描写があったから、ちょーっと興味持っちゃってね。それで指咥えてみたらどんなのだろーって思って。でも林檎じゃないと許してくれなさそうだなーって思ったからこうなっちゃった」

「こうなっちゃった、じゃないでしょ。はぁ。いやまあいいけどね?」

「いいんだぁ」


 葡萄が私の弱み(?)を握ってニヤニヤしている。


 確かに許すかもしれないけど、されたいわけじゃないしなぁ。葡萄がしたいなら勝手にしたらいいけど。でも嫌と思わない時点で私も同じようなものなのかもしれない。


 まあとにかくそんなに積極的にやらないでほしいかなー。別にメリットとか無いし。


「いや、やらないでよ?」

「じゃあ今度は他のことやってみようかなー? 林檎ちゃん?」


 え、いや、他のことってなんですかね……。これ以上変なことはされたくないかも……。嫌ってわけじゃないけど。ちょっと釘を刺しておかないと。


「こ、こわ……。いつもと違って今日の葡萄はちょっと怖いね。その恋愛小説の影響力やばいから読み過ぎは良くないんじゃない?」

「大丈夫、大丈夫。興味本位で読んでるだけで、別に変な気起こしたりはしないから」

「既に怪しいんですがそれは……」


 すると部長から「おーい、そろそろ下校時刻だぞー」と声が掛かる。


 それを聞いた私たちはお喋りを中断し、そのクッキーたちを綺麗にラッピングして……みたいなことをする時間も無かったのでラップで適当にぐるぐるたくさん巻いて持って帰ることにした。

 まあこれもある意味ラッピングだしね?



 そうして帰宅準備を整えた私たちは、やっぱり何も言わずとも手を繋いじゃってて、そのままふたりで仲良く一緒に帰るのだった。

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