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 森で暗殺した任務から三週間ほど経ち、明は普遍的な毎日を送っていた。

 朝起きて学校に行き、授業を終えて家に戻り、宿題を終わらせてから任務へと向かう。そんなルーティン。

 しかし繰り返しているだけにはならないのが学校生活だ。イレギュラーな出来事もある。

 その日は所属している図書委員会で本の買い出しに行く日だった。各クラスに二人いる図書委員が一冊の本を選んで買い、その本のレビューを図書新聞に掲載する。ほとんどのメンバーが楽しみにしているイベントだが、明はそうではなかった。

 明にとって読書は学校での義務の一つだ。毎朝八時十五分に鳴り終わるメロディを合図に十五分間で本を読む。静かで心地いい時間だったが、組織から読む本を制限されていて教科書や課題図書などの限られた話しか読んだことがなかった。

 だから選べと言われても浮かばないというのが本音だ。今まで読んできた本は図書室に必ずあるような本ばかりだから買っても仕方がない。普段は本屋への出入りも許されていない。今回は特別に本屋に行くことも、選んだ本を読むことも許可を貰っているが、わざわざ別日に許可を取って組織の人間が目を光らせる中で探すのも気が重かった。テレビやパソコン、携帯電話も持っていないから、流行りのものも分からない。

 明は組織の一員の同い年の真琴という女の子とよく話すので、今度会ったら聞いてみようと思っていた。しかしここのところは森の事件の調査で忙しいようで、そんなことを聞ける時間はなかった。

 そして今日まで来てしまったわけだ。


「今日の委員会の本は選んだ?」

「あー……。」

 一緒に図書委員をやっている、隣の席の古谷沙矢に問われて、明は口ごもる。選ぼうとしてた、は言い訳にしかならないことはわかっていた。

「青龍はなんで図書委員になったのよ。沙矢を困らせるなら、私と代わってよね。」

 そう言った沙矢の友達の宮川芒に明がごめんと返すと、困ったように冗談よと返された。芒は図書委員に立候補した一人だったが、じゃんけんで負けて叶わなかったのだ。

 気まずい空気の中、沙矢が口を開いた。

「私もちょっと気になるな。明くんがどうして図書委員になろうと思ったのか。」

 沙矢が明を名前で呼ぶのは、クラス内での自己紹介の時にそう呼んでほしいと言っていたからだ。芒は抵抗があったため、頑なに苗字で呼んでいる。

「えっと……、やることが分かりやすくて、苦じゃないから。」

「確かに保健委員とか美化委員とかより、何をやってるか見えやすいもんね。」

「それだったら放送委員とか文化祭実行委員とかでもよかったんじゃない?」

「そういうのは目立つから……。」

「まあ青龍のキャラじゃないよね。」

 そんな風に話していると放送から音楽が鳴り始めた。芒も含めたクラスメイトたちが続々と着席し出し、本を読み始める。

 明も机から取り出す中、沙矢にこそっと声を掛けられた。

「明くんさえ良ければ、この本にしてもいい?」

 沙矢は自分の手元にある本のブックカバーを外し、明に表紙を見せる。

 タイトルは「青い炎」と書かれていた。


 五時間目。委員会活動の時間となり、明は沙矢と図書室へと向かい、集合した図書委員のメンバーと引率の先生と共に、近くにある本屋へと向かった。

 同級生とどんな本にする?という話の中で、沙矢は朝に見せた「青い炎」という本のあらすじを話してくれた。

「この物語の主人公は青い龍なんだ。明くんの苗字とおんなじ。ずっと龍の世界で生きていた青龍なんだけど、お母さんに人の世界に連れて行かれてしまうの。最初は戸惑っていた青龍が人の子供たちと触れ合う中で一緒に成長していく物語なんだけど……、どうかな?」

 不安そうな目で尋ねる沙矢を見ながら、明はこのストーリーに何かが引っかかっていた。自分の苗字と同じ青龍が気になるのとは違うが、わからない。

「……いいと思う。」

 少し間を空けてから口に出した言葉に、沙矢はパアッと明るい表情になる。ありがとうの言葉と満点の笑顔に、どう返せばいいかわからず、頷きのような、会釈のような、どちらとも取れそうな動きで返した。

 本屋に着いて沙矢は「青い炎」を手に取り、明に手渡す。表紙に描かれている赤い目の青い龍が、明をじっと見つめているようだった。


 帰宅後、テーブルの上に置いていた伝達石を見ると、黒い表面に液晶画面のように文字が表示されていた。

 本日九時、淵上関連の件でミーティング。

 淵上というのは、明が森で殺した男の名前だ。見つけた遺体の調査がある程度進んだようで、今日になってから予定が追加されていた。時計は午後四時頃を指しており、まだ時間の余裕はたっぷりとある。

 制服から暗めのシャツと長ズボンに着替え、宿題を終える。

 一人暮らしの明には夜ご飯を作ってくれる大人がいない。食事の準備は自分で行っている。味噌汁と野菜炒め、焼き魚を作り、食べ終えて、七時四十五分。

 普段ならこの後少し休んでから、ランニングをしたり、組織のアジトに行って鍛錬を行ったりするのだが、今日はもう一つやることがある。

 食器を下げて洗い、拭いたテーブルの上にスクールバッグから出した真新しい本を置く。

 椅子に腰を下ろして、ページを捲る。「青い炎」というタイトルページから始まり、主人公の独白が続く。

 

 人間というものはあまりにも愚かで複雑で、そして愛おしい。

 母のその言葉の意味を今なら理解できる。人の世に辿りついて八百年余り。母よりも長い時を人間と過ごしてしまった。

 ここまで人の世に干渉する気などさらさらなかった。そう思うと自然と彼奴のしたり顔が浮かび、舌打ちをしたくなる。

 我がここに今だに留まっているのは、紛れもなく彼奴の所為だ。

 

 人への愛憎が混じる文章に、明は首を傾げながらも読み進める。どうやら主人公もまた、複雑な感情を持っていることはこの時点で理解できた。

 わからない言葉を辞書で調べながら、読み進めていく。この作者は難しい言葉を使うので、国語が苦手な明には少し煩わしかった。

 独白が終わると過去に戻り、龍の世で生活している頃に母と再会した場面が描かれていた。この本の中では、龍の母親は子供の面倒を見ない生き物らしい。再会した母は主人公の力量を試すために戦いを挑み、そこで破れた主人公を今自分が暮らしているという人の世に連れていった。

 区切りのいいところで時計を見ると、八時半。ちょうどいい時刻だ。明はそっと本を閉じてスクールバッグに戻し、岐石を取り出す。

 すると石が紫に光り、手の触れている部分から明の体が粒子化していく。そしてどこかからか、幼い喋り方の女性の声が聞こえてくる。岐石の力の源の神様の声だ。

「あきらくんおかえりー!チョコもらうね!」

 冷蔵庫が開き、その中のチョコレートの袋が浮遊するのが見えた。扉がパタンと閉じると同時に、明の視界は紫の光に包まれた。

 

 強い光に目を瞑ってから少し経ち、光が弱まったことを確認して目を開ける。家とは違った景色が広がる。岐石の空間移動能力で彩華のアジトへと転移していた。

 ロッカールームで仕事着に着替えてから会議室に向かうと、先客が二人いた。一人はオレンジ色のボリューミーな長髪が特徴的な魔女の女の子。真琴だ。もう一人は研究員の男。西洋がルーツと見られる顔立ちに丸眼鏡を掛けていて、金のマッシュルームヘアで白衣を着ている。

「お疲れ様です。」

 明が会議室に入ると、真琴はお疲れ様と嬉しそうに笑った。男も気さくな感じで挨拶を返した。

「トカゲマル、お疲れ。あとは緑の連中だな。」

 緑とは、主に後処理を専門に行う部隊のことだ。明が森で暗殺を行った後も証拠が残らないように掃除を行なっていた。

「今回の掃除、マスター緑がやったって知ってる?」

 緑部隊の部隊長であるマスター緑が直接現場に赴くことは少ない。あの森でのリスクをなるべく回避するために、それだけ速さと的確さが必要だったということだろう。

「面倒なところで仕事をしたからか……。」

 明がそう言ったところに、女性が二人会議室に入ってきた。緑の髪をゆるく三つ編みにしているマスター緑と、赤髪で三つ編みをうさぎの耳のように束ねて、研究員の男とは少し違った形の丸眼鏡を掛けている部下だ。

「私のお話をしていたかしら?今回は時間との勝負だったから、久しぶりに現場のお仕事を頑張っちゃった!トカゲマルも危険な場所でのお仕事で大変だったよね。ありがとうね。」

 マスター緑がにこりと微笑み、明は戸惑ったように会釈で返した。

「それじゃ全員集まったし、会議を始めようか。」

 研究員の男が声をかけ本題に移る。

「まず今回の件。みんな知っていると思うけど、概要を整理するね。黒の案件でフリーの殺し屋らしき淵上善人の暗殺が行われた。実行者はそこにいるトカゲマル。殺しは無事成功したけど、現場付近に異能で致死したと見られる別の遺体を発見した。認識は合っているよね?」

「はい。淵上の持ち物は回収し、白に鑑定を依頼しています。」

 白とは科学的調査・研究・開発を行う部隊のことだ。この会議に参加している研究者の男も白の所属である。

「また、現場で十代前半と見られる少年と出くわしました。森の主である白龍一族の者だと推測し、面倒ごとを避けるために気絶で済ませています。」

「その子のことならダイジョーブ!後処理はしっかりしといたよ!」

 赤髪の女性が得意げに胸を反らして言う。明がありがとうございますと言うと、調子良く「いえいえー」とニコニコとした。

「ただその子、君と同じ学校だから、ふとした動きとかで何かを思い出すかもしれない。注意してね。」

「心得ました。」

 あまり記憶していなかったが、確かに別のクラスにその苗字の男子がいた覚えがある。

「それじゃあ発見された遺体のことを。」

 研究員の男に促され、赤髪の女が話し始める。

「あいよー。発見されたのは淺井隆太朗、三十一歳。運転免許証からお名前がわかって、DNA鑑定で本人確認できたよ。

 ご遺体は植物に吸い取られてからっからになってたけど、植物は栄養満点な感じだったから、異能が使われたのはごく最近っぽく見えた。植物の一部と異能残証、スマホと財布は回収して白に鑑定依頼してる。以上。」

 異能残証とは、異能を使った際に発生するエネルギーの燃えかすのことだ。これを調べることによって、どんな種類の異能か、使用時期、使用者や血縁の特定、使用時の威力や技量など多くの情報を得ることができる。異能の知識は世の中にそれほど広がっていないため、多くの異能者は知らずに重要な証拠を残しているのだ。任務の際に発生した異能残証を取り除くのも緑の重要な仕事の一つである。

「おっけ。マスター緑からは何か補足はあります?」

「私からは特にないわ。」

 マスター緑は微笑みを崩さぬまま答える。

「……じゃあ次は青の調査報告をお願いしてもいい?」

 一瞬の間が気になったが、研究員の男は話を進める。真琴が資料を手に取り、話始める。

「分かりました。まず判明した話を。

 淵上と淺井には接点があります。淺井は学生時代に、高校生の淵上に塾で個別指導をしていて、今年の一月頃に再会したようです。また、淵上が殺し屋として活動し始めたのが三月で、今まで殺してきた人は全員淺井と接点があります。」

 真琴がローブの内ポケットから杖を取り出し、白い壁に向かって振ると、プロジェクターのような画面が映し出される。そこには淵上が殺害した人物と殺害時期、淺井との関係性が時系列順に並んでいた。塾時代のバイト仲間、就職してからの元上司、現在起業した会社の取引先の営業といった面々が、淵上が死んだ四月二十一日までの間に殺されていた。

 赤髪の女がふむ、と顎に手を当てる。

「そんじゃあ淵上は、淺井から依頼を受けて殺しをしていた可能性もありそうだね。」

「依頼した形跡が出ていないのでまだなんとも言えないですが、私もその可能性は大いにあると思っています。スマホでのやり取りを削除しているかもしれないので、念の為削除されたデータを復元できないかを白に確認中です。

 後は淺井を殺害した異能者ですが、淺井の小中学校の先輩の小宮山茂治という男が、植物に関連した異能を持っていたという噂があります。ただし現在は遠方に居住しており、この日に訪れたかは不明です。この付近の防犯カメラは白龍一族所有のものが多く、全ては確認できないのですが、確認できる周辺の防犯カメラには写っていないようでした。」

「ありがとう。このあと防犯カメラ映像と死亡推定時刻の照らし合わせをしたい。」

「承知です。そしたら一旦白の調査結果をお話いただけると嬉しいです。」

「おっけ。まず淺井に残っていた異能残証はデータベースにはなかった。手口から見ても手慣れたやつの犯行ではなさそうだし、常習犯ではないという見立てだよ。小宮山という男のものと一致しているかを確認したいから、青に調査を依頼したい。

 あとは淺井の死亡推定時刻は植物の成長と異能残証の残り具合から当日の十八時から二十時頃。その前後に監視カメラに写っている人はいる?」

「主に白龍の関係者、あとは周辺住民が多いです。他にトカゲマルと同じ中学の生徒が数名。今資料を出します。」

 壁に真琴がその間に映った人たちを表示させる。その中の一人の姿を明は知っていた。

 そこには確かに、隣の席の古谷沙矢が写っていた。

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月が闇を照らす頃 東風(こち)うがが @ppskk

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