終演

目が覚めると馴染みのある灰色の天井が私を見下ろしている。

微かに煙草の煙が鼻をついて少し咳き込む。

「おお、起きたか」

「すみませんでした。私また」

申し訳ない気持ちで一杯になる。これで何度目か私は何も成長していない。

「感受性が豊かなのは結構だが。やっぱりお前には向かないかもな、この仕事は」

今の私には返せる言葉が無かった。

自分の無力と被害者の痛みと遺族の苦しみと色々な感情を綯交ぜに私の弱い心はそれらを受け入れきれずにいる。

「猿渡さん、私この事件を最後に刑事課を降りようかと思います。だからこの事件は私の手で片を付けたい」

猿渡は無言だった。そして、それが答えだった。

猿渡はエンジンをかけて車を走らせた。

行き先は答えてくれなかった。ただ解決の糸口になるとだけ言って。

東京から車を走らせること一時間弱で目的地に着いた。

「猿渡さん。ここは」

「安堂かなめには付き合っていた男がいた。倉科優斗。ここは彼の実家だ」

「どうして」

「倉科優斗は、去年の十二月に殺されている。死因は溺死だ。引っかかるんだよ。倉科の遺体が発見されたのは三月。そこから連続して人が同じ殺され方をしている。言いたいことは分かるよな」

猿渡が言おうとしていることは何となく理解できた。

「降りるぞ」

吸いかけの煙草を灰皿へ放り外に出た。

猿渡は躊躇いなく家のインターホンを鳴らす。

私は躊躇いながら車の外に出る。

「先程ご連絡させて頂いた猿渡です」

「どうぞ」

無機質な声が聞こえた。

扉が開くと、そこには窶れた女性がいた。

倉科恵子。倉科優斗の母親。

「どうぞ。中へ」

「どうも」

私も会釈をして中へ進む。

乱雑にされた部屋が私たちを迎えている。

テーブルの上の灰皿には吸殻が山になって積まれている。ビールの空き瓶、くしゃくしゃの新聞紙、おおよそ秩序が無いこの部屋には冷たく澱んだ空気だけが質量を伴ってここに鎮座している。

「散らかってますが、どうぞ座って下さい」

散らかった物を腕で乱暴に端に避ける。

空いた空間に麦茶が置かれる。

「今回は倉科優斗さんの事をお聞きしたくお伺いしました」

単刀直入にしっかりとした口調で告げた。

少し言い淀み、数分の間を置いてゆっくり言葉を紡いだ。

「優斗は安堂かなめさんとお付き合いしていました」

馴れ初めから結婚の話までさっきまでの暗い雰囲気が少し和らいだのを肌で感じていた。

安堂かなめからも同じ内容の話を聞いている。

とても幸せだったのを過去の事として話す彼女の顔は何もかもを諦めた表情をしていた。

「事件当時でもそれ以前でも何か違和感であったり異変の様なものがあったりしませんか」

恵子の表情が最初の暗いものに変わり。

「そう言えば優斗が殺される前、一週間くらい前にかなめさんがストーカーの被害を受けていると聞いた事がありました」

猿渡の表情が厳しく変わる

「もう少し詳しく分かりませんか。そのストーカーの容姿であったり」

「そこまでは聞いてないです。あ、でも、お葬式の時に怪しげなフードを被った男性がいたのは覚えてます。明らかに浮いていたので」

「ありがとうございます。今日のところはこれで。お邪魔しました」

血相を変えた猿渡が私の腕を引き車へ連れて行く。

「場所を変える。ここだと良くない」

目的地は無いようだった。

しばらく車を走らせ駅近くの駐車場で止まった。

「倉科優斗の葬式後。その近くの神社で不審な二人組を見たと通報があったらしい。案の定、現場には血が付着した岩が転がっていた。が、遺体は発見されずお蔵になった」

唐突に語られた内容に私は緊張を感じていた。

手には汗をかいていて、湿った感触がより一層、緊張を助長している。

「そして、その数日後に安堂かなめと同じ大学に通う男子生徒の行方不明届が出された。田村透、同じサークルのメンバーで安堂かなめに気が合った。いつも同じような服装をしていたらしい。フードを被って黒いコートを着ている」

矢継ぎ早に話が進んでいく。

考えたくない事が浮かんでは消えていく。

分かっている。そうなんだろう。だが、認めたくない。

「結局、田村透は見つからなかった。だが、神社にあった血痕と田村のDNAは一致した。そして通報された二人組は男と女だった」

「もう、止めて下さい。分かりましたから」

これ以上は聞けなかった。

十分に理解出来た。もう十分だ。

「でも、どうして他の人も」

「味を占めたんだろう。ご丁寧に全て溺死で。旦那と死別した女性に浮気された男性、似たような独り身の人ばかり狙って」

「あの体で出来るのでしょうか」

「倉科恵子。あれが手を貸しているんだろう。まあ何にせよ安堂かなめが単独でやったとは考えにくい。物理的に不可能だろう。であれば協力者がいると考えるのが妥当だろうな」

「いえ、やったとするなら。恐らく安堂かなめ、個人による犯行だと思います」

「なぜだ」

確信はない。漠然とそう思ったのだ。

私ならそうする。

思考を巡らせて自分自身納得の出来る言葉を探した。

「安堂かなめには、人を殺すだけの強い気持ちがあります。他人に委ねることなく独りで完結させるという強い気持ちが」

最初こそ、そういった気持ちを軸にしていただろう。だが、二人目以降は違う。明らかに別の感情を孕んでいる様に感じた。

憎しみとか怒りではなく。

常人のそれとは乖離した人でなしの心を感じる。

「そうか。安堂かなめのあの身体であれば同情を誘いやすい」


二人が想いあった先には深く暗い底なしの穴がぽっかりと空いていて

私たちにはこの穴はどうやっても埋めることは出来ないのだろう。




私たちの発言から状況が進展して安堂かなめを容疑者とし大々的な捜査が行われた。

安堂かなめは演じ切ったのだと思う。

可哀想な人を。

その甲斐あって警察すら欺いて彼女はこれまで六人も殺害した。

私は彼女の取調べに立ち会った。

彼女はただ淡々とやってきた事を語るのみで質問に対して嘘を吐く様子もなかった。

「私がやりました。最初の男はバラバラにして海と山に捨てました。その後は」

事細かにどう誘い出したのか、殺害方法、その後の処理に至るまで。

これまで滞っていた状況も流れを変え証言通り凶器が見つかり現場検証も鑑定もとんとん拍子にことが進んだ。

第一審で彼女は無期懲役で有罪判決を受けた。

情状酌量の余地は無かった。

死刑判決を受けると思われたが、公正の余地ありとされ無期刑となったのだ。

判決を受けた彼女の顔は少し残念そうな表情をしていたのを覚えている。

刑務所に身柄を移された一ヶ月が過ぎた頃、私は彼女と面会する機会を貰った。

猿渡さんが掛け合ってくれたのだ。

この事件以来、私は生活安全課に転属となり猿渡さんとも関わりが無くなってしまったが

こうして力になってくれる。


季節は移り変わり春の日差しが冬の終わりを告げていた。

受付を済ませて案内通り灰色の殺風景な廊下を歩いていく。

かつかつというヒールの音だけが虚空に響いている。

扉を開く。少し重い扉を力を込めて開いた。

三分程経った頃に、彼女と監視官が入室した。

「面会時間は十五分です」

業務的に監視官が発言をしてタイマーが開始される。

机の上にはメモ用のノートと筆記用具が用意されていた。

沈黙が支配する空間で口を開くのに手間取る。

「かなめさん。刑務所暮らしで辛いこととかあったりしない?大丈夫?」

口を開く素振りも見せてはくれない。

「私。あなたを助けたかった」

ひとつ瞬きをして彼女は口を開いた。

「あなたに私は助けられない。私を救えるのは優斗だけなの。親も友達も。見ているのは可哀想な私だけなの」

感情を読み取れない目は一切動きが無い。

彼女は淡々と心の内に溜まった滓を外に出しているだけだ。

「何も分かってない。大丈夫な訳ないでしょ。知った風な口きかないでよ。私は十分苦しんだこれからも苦しむ、だから。だから他の人には、終わりをあげたの。これ以上苦しむことが無いように」

「それはエゴだよ」

「は?」

「何様なの。どうして勝手に決めつけて終わらせてあげるなんて言葉が言えるの。私は、わたしはせめてこれ以上苦しい思いをしなくて良いように被害者を増やさないように」

「綺麗事言うなよ。私の幸せは簡単に壊れた。事後にしか動けない警察に何が出来るのよ」

私は何も言い返せなかった。

そこから再び沈黙が続いて

「時間です」

無機質な声が面会時間の終了を告げた。

顔を上げた先には萎み切った小さな背中が頼りなくそこにあった。

「綺麗事か」

小さくぼやいても誰も応えてはくれなかった。

家に帰って母の顔を見ると何故か涙が溢れてきた。

家族の前で泣くのは久しぶりだったのでとても心配された。


生活安全課は想像より大変で毎日のように補導や捜査を行っている。

血を見る機会が減ったのが個人的には良かったところだ。

だが、苦労がある反面頑張った分子供達の笑顔が見られる仕事にやりがいを感じていた。



翌年、安堂かなめは自殺を図ったらしい。

猿渡さんから電話で連絡を貰った。


私はまた何も出来ずに終わった。

せめてこれからをケアしていければと思っていた。

そうしているつもりだった。

瞼の奥に熱いものを感じてぐっと拳に力を込めた。


私はこの事実を、己の無力を呪いながら生きていくしかないのだ。

ひたすらに後悔を積み重ねても。

その後悔の上で今を生きていく他に道はないのだと。

強く思うのだ。





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