仮面舞踏会とカップ

 さてこちらは愛媛県市内にある三階建てのビル。建てられた頃はトマトのような赤色のレンガが目立つほど活気がよく、下から上まで人が住んでいて幸せな建物だったが今は真逆である。トマトは腐って黒っぽくなり住人のほとんどが出て行ったか空襲で死んだかのどちらかである。

 ああ、あのときの幸せはどこに消えてしまったのやら?

 しかしさっき住人はほとんどといなくなったと言っていたが最上階には今でも住んでいる人がいる。その部屋はとある事務所と住居が合体しているが無論管理人には話をつけてある。

 入り口のドアノブには看板がぶら下がっているわけだが読者諸君はお察ししていると思われるが、事務所というのは山根蒼が経営している『山根探偵事務所』である。

 中では今日の新聞に目を通しているが、彼も他の人間と同じく例の見出しで手が止まるのであった。彼は探偵小説が大の好きでアガサ・クリスティーや江戸川乱歩、横溝正史などの海外の小説家や『宝石』に毎回連載されている小説家の単行本を本屋の前を通り過ぎるだけで棚に出されているかを確認したくなるのが一種の依存症に当てはまるかもしれない。

 そんな彼がソファーでぐったりと寝ていると耳元にトントンとノックの音がした。次第に目が開くが半開きで止まってしまったが、またトントンと聞こえたので慌ててドアを開けると山根の目は限界を超えそうなぐらい開いた。

 そこに立っていたのは明らかに貴族や華族など位が高い身分だと分かるくらいの身なりをしておりジャケットの右ポケットからハンカチが少しだけ覗いている。ただそれだけで驚いているのではない。その者の顔に見覚えがあった。

 前にお話した宝石王の古谷孔明氏が執事に付き添ってもらいながら立っているが山根は最初誰だか分からなかった。

 新聞に出ている彼は活気のオーラが満ち溢れており、いかにも陽気なおじさんに見えるのだが目の前にいるのは顔も腕も体格もげっそりと痩せ細っており頬の肉が内側に食い入っている、今にも永眠しそうなくらい衰弱しているのだ。

「こんにちは、古谷孔明と申しますが山根さんはいらっしゃいますか?」

「いらっしゃいますよ。」

「では会わせてもらいたいんじゃが、大丈夫かの?」

 孔明氏は目をショボショボさせながらそういう。

「いや、あなたの目の前にいるのがその山根さんですよ。」

 それを聞くなり目を細めてマジマジと山根を見てくる。それは致したかない。山根はまだ学生のまっさなかで彼と面識をしたとき学ランを身に着けていたのだ。

「おや、あなたが山根さんですかお会いできて光栄です。新聞を拝見しました。」

「そうですか。ありがとうございます、外は寒いので中にどうぞ。ソファーにでもお座りください」

 彼はせっかちなのか執事に付き添ってもらいながらもさっさとアンティークソファーに座った。

 座るのを見送った山根は机の盆に置かれたポットとティーカップに近づいたが

「いえ、お茶は結構ですので、、、、早くお話をしたいのです」

 よっぽど慌てているのか肌から流れる汗をハンカチで拭っているのを見て、なんだか不思議にこちらも慌ててくる。

「分かりました。早速お話を、、、、」

 椅子に座った山根は目の前に宝石王を古谷孔明は

「あなたがご存知か分かりませんが、今大変なことになってまして」

「ええ存知しております。今回のご依頼というのは新聞に出ていた『変幻仮面』と名乗る人物のことですね。」

 ゆっくりと頭を下げる彼にはストレスのために白髪が多々生えてあった。

「その通りです。依頼というのは今夜その者から聖母の黒薔薇を盗まえないよう守ってほしいのです。」

「なるほど、しかしながら絵画を確実に守れる保証はないとあらかじめご了承ください。」

 カピカピに干からびた唇をまるで人肌を舐めるようで気味が悪い。彼は大富豪ながら妾だの愛人だのいるのだろう、舌使いは彼のフェチが女の肌を堪能している時のもので、それが日常からの癖になっているのではないか?

「それならご安心ください、絵画を盗もうとする輩がいたのならば、其奴はたちまち私の手中ですから」

 彼の言葉には一体どんな意味が込められているのだろうか?ニヤニヤとするならばよっぽど何か自信があるのだろう。年老いたような彼が一瞬明かりを取り戻したが笑いが終わると元に戻ってしまった。

「それならばご自身でなんとかできると思いますけど」

「相手は予告状を出してくるような奴です。そういうのに限って手の込んだ事をするでしょうから」

「警察の方には、、、、」

 すると顔は一層暗くなり、見た目にして八十代くらいになったが額に皺を寄せてヒューヒューと息を吐く。

「警察にはもう連絡してあります。」

 彼の警察に対する敏感と怒りは異常なものだ。彼のように「警察」という言葉すら怒りを持つ人間をこの世に存在するだろうか?

 大富豪という身分を纏った古谷孔明、だからこそ身辺ではカメラやメモ帳を持った記者が野良猫のように彷徨きまわる。しかし中々尻尾を出さないので諦めて帰る姿を笑いながら見送っている。

 尻尾を出さない?いや、そうではなく実際はそんなものはありゃしない。つまり記者は空気を掴もうとしてるのも同然のことである。

 一度根の葉もない横領を新聞に書立てられ、それを餌に警察が動き出して家宅捜索をされた事があった。それが古谷孔明の逆鱗に触れ警察には圧力、嘘を書いた記者は永久に歩く気力が失われてしまったのだ。

「しかし役割は見張りは見張りだが、今夜は黒薔薇の聖母が我が家に来たのを記念して仮面舞踏会が行われることなっています。なので警察には仮装してそれに紛れ込んでもらうことになっております。」

「しかし仮面舞踏会だと怪しい者の顔が分からないのでは?」

「仮面舞踏会を決定したのはラスベガスに行く前の事なので今では、もうどうこうもできないのです。そこはご理解をお願いします。」

 そう言って山根の承諾を聞くとまたもや執事に背中を支えられながらスタコラ、ドアを開けて去って行った。

 その部屋に取り残された彼は茶を飲もうとカップに手を掛けた次の瞬間、手も何も触れていないカップが綺麗に真っ二つに割れて、その手を腰に当てたが自然に手を慌てさせられずにはいられなかった。

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