「さすがだね」


 常盤は小宮の手から冊子をとり、ページを閉じながら言った。「こうやって深く読んでもらえると、執筆した側もありがたいよ」


 そうやって話をまとめにいく。


「なに話を終わらせようとしてるの?」


 小宮の指が触れる。


「えーっと、まだ何かあるかな」

「語り手Aが何者なのか、気になっちゃうんだけど」


 ああ、その問題か。


「もしかして言葉遣いに違和感があるってこと? 現代語で語られてるから」


 語り手Aは『竹取物語』で描かれた時代の人物のはずだが、小説は当時の言葉遣いではなく現代語で書かれている。当時には存在しなかったであろう語彙も含めて。

 小宮は首を振る。


「別に芥川龍之介の『鼻』や『地獄変』、『羅生門』が今の言葉で書かれてても、違和感は覚えないよ」


 芥川龍之介は『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に材を取ってそうした作品を書いた。


「わたしが気になったのは、手紙にあった和歌のことだよ。あの和歌を詠んだのは語り手Aだよね?」

「そうだね。瀧久実在説に立つにせよ、瀧久架空説に立つにせよ、Aがなりすましの手紙を書いたことに変わりはないからね。あの和歌の詠み手はAってことになる」

「紫式部の和歌にそっくりな歌があるけど、本歌取り……だとするとおかしいよね?」


 疑問のクエスチョンではなく、確認を求めるクエスチョンだ。

 本歌取りは和歌の技法のひとつ。昔の有名な歌の語句や趣向を意識的に取り入れ、元の和歌(本歌)をイメージさせることで、広がりや深みを持たせるテクニック。

 手紙が現代語訳されているのだとしても、あの和歌はどうしても紫式部の和歌を連想させる。


「時代的に本歌取りってのはおかしいよね。『竹取物語』は作者不詳で成立年代も不明だけど、作中の描写から九世紀後半に成立したと推定されてる」


 たとえば『竹取物語』では富士山から煙が立ちのぼる描写がある。『古今和歌集』仮名序には「今は富士の山の煙もたたずなり」とあるから、少なくともそれ以前に『竹取物語』が成立していたはずだ。そのほか『大和物語』での言及や作中歌の技巧、中秋の名月をめでる習慣があると思われることなどが推測の手がかりとなっている。


「紫式部は平安中期。藤原道長の妾って説があったりしたみたいだけど、『竹取物語』より一世紀くらい後の時代を生きた人ってことになるね。だから語り手Aが紫式部の和歌を本歌取りするのは、時代が前後してることになる。ついでにいうと、本歌取りの技巧が盛んだったのは新古今調のころだから、もっと時代が下ったころ」


 常盤がそんな説明をすると、小宮はなぜだかニヤニヤしている。


「急に多弁になっちゃって。まるで、あらかじめ用意してた説明みたい」


 それを言うなら、今日の会話は総じて、小宮の解釈に常盤がつっこみを挟む形になっている。


「そういうこと言うなら、もう二度と口きかない」と常盤はそっぽを向く。


「ごめんごめん。そんなふてくされたみたいな顔しないでよ。あたまヨシヨシしてあげるからさ、許して」

「もー、おいらのことバカにしてるでしょ!」


 頭をなでなでされながら、常盤は言った。そんなんで手懐けようとするなんて、人のことをなんだと思ってるんだ。

 小宮はそんな常盤の様子を見ながら笑っていて、すこぶるゴキゲンそうだ。常盤がフキゲンなふりをしてみせても、結局は中和されてしまう。


「それで? 小宮の言うとおり、ありえない本歌取りがなされてるわけだけど、だから作品のデキが悪いって言いたいの?」

「そんなわけないじゃん。わたしが作品のあら探しをして面白がる人間に見える?」


 どーだか。いたずら好きの人間には見えるよ。


「じつはAは紫式部でしたってオチかなって思ったんだけど」

「だから、『竹取物語』の年代と紫式部の生きた時代はズレてるってば」

「Aは不死の霊薬を飲んでいたって考えれば……どうかな?」


 小宮があっさり言いのけるので、常盤は口をつむぐ。


「語り手のAはさ、自分の語る話が『竹取物語』の伝承通りなのか、そうでないのかを、ちょいちょい言及してるじゃない? わりとしつこいくらいに。でも、天人が不死の霊薬を渡したこと、その薬を富士山で燃やしたことはスルーしてる――不死の霊薬にまつわるエピソードは、はたして『竹取物語』どおりだったのかな」

「いちいち言及するのがくどいと思ったから、述べなかっただけかもしれない」

「述べなかったんじゃなくて、述べられなかったのかもしれない」


 不死の霊薬のエピソードについては『竹取物語』と大きく異なっていた。裏話を語るのであれば、当然言及されてしかるべきだ。しかしそれは、A自身の正体とも深くかかわることだけに、述べるわけにはいかなかった。


「Aは不死の身になっていて、途中紫式部として過ごし、しかも現代まで生き永らえている。そういうふうに考えたら、紫式部そっくりな和歌が出てくることも、いまのAが現代の言葉遣いで語っていることも説明できるし、冒頭の“本当のことを知るものは、もはやいなくなってしまいました”の意味も変わってくる」

「紫式部が現代まで生きてるなんて、トンデモな展開だね」

「けど、ちょっとドキッとさせられる解釈だと思うな」


 小宮は掌をあわせて、満足げにそう言った。A=紫式部説は、じゃあ『竹取物語』の作者も紫式部なんじゃないかと連想できてしまうし、『源氏物語』で竹取物語を「物語ので来はじめのおや」と記しているのも面白い。ほかにもいろいろ想像が広がりそうだ。


「ま、解釈は読者の自由に任されてるからね」


 と常盤は肩をすくめるのだった。


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