8-2 夢の渡殿

 ふわっ、と瞼を開ける。寮のベッドで眠りについた里見が目を開けたのは、四方も天地も境目なく暗い場所だった。月や星のような光源はなさそうなのに不思議と真っ暗闇ではない。

 普通なら怪奇現象に襲われた、と戸惑うか怯えるだろうに、里見は平然とした様子でいる。きょろきょろと周囲を見て、見当をつけた方向へ里見は歩き出した。


 テコテコテコテコ。


 ちまちました小さな足音をさせて歩く。

 そう、小さな足音。今の里見の姿は身長も手足も全てが小さく、幼児のような姿に変化していた。だいたい4、5歳か。服装もその頃よく着ていた四つ身の着物に変わっている。


「いつものことだけど、ふしぎなげんしょーだよねぇ」


 独り言をこぼしてみたら、若干舌っ足らずになっている。

 どこともわからない真っ暗闇な空間に幼い子どもが一人っきり。泣きもせず淡々と歩き続ける。傍から見ると異様な状況だが、この場で出会くわす他人はこちらのことを気にすることはない。

 ここは夢の渡殿。あの世ではなく、彼岸ではなく、黄泉ではない。ギリギリこの世であり、常世であり、現世である。夢うつつの揺蕩う精神体だけで訪れることができる意識と無意識の交差点。

 足裏に伝わる感触が踏み固められた固い土の地面から石畳に変化し視界の明るさが徐々に増してきている、と感じた里見は、そろそろかも、と目的地が近いことを察する。

 明るい方向へと石畳を進んで行くと、常夜灯のような灯りを宿した蛍袋ホタルブクロの花壇にたどり着いた。下を向いた釣り鐘状の花の中から光を放っている。ピンク、赤紫、紫、白と、空き地でも民家の玄関先でもよく見かける素朴な雰囲気の花が咲き誇っている。しかし今は9月で、夏の花である蛍袋の盛りは過ぎているはずなのに。

 やっと色彩の判別できる明るさになった、と思った里見だった。夢の渡殿では単なる視力でものを見ているのではない。精神で成り立つ空間はあらゆるものがあやふやだ。この蛍袋のように現実には有り得ないものも存在する。

 提灯代わりに1本貰っていこうかな? と花壇の前で迷う。迷っていると屈んだ里見の頭上から黒手袋をした大人の手が伸びてきて、プツリと赤紫色の蛍袋を摘む。


「ほら。これでいいのか?」

「うん、いいよぉ! くりゅおじさん、 …あ、わすれてた。こんばんは」


 男はああ、と返事をし、続けて2本、3本と摘んだ花を里見へ差し出す。言葉は素っ気ないけれど、膝を折って目線を合わせてくれる行動に優しさがある。

 栗生くりゅうと呼ばれた男は洋装姿が似合う均整の取れた体躯をしており、随分と背が高かった。六尺(約181cm)はあろうか。里見の姉、英の着ていたのと同じ国家術師の制服を身に着けている。そして、廃刀令も遠い昔のことになった大正時代に、腰に刀をいていた。

 魔除けの力を持つ翡翠の瞳。シャープな線を描く顎のライン。顔に陰をつくる緩やかなくせ毛。首の後ろでゆわいた長髪は背中の半ばまで。

 いつも里見が言う『おじさん』とは、彼のことだった。瑛梨の他に唯一、里見が前世の記憶と『花燈』ついて教えた人物である。

 一時、硬質で冷たい雰囲気を漂わせる近寄り難い色男が、未だ少年とも少女ともつかない無垢な幼子に幻想的に光る花を差し出している光景が生まれた。絵になる。


「ありがとぉございます。

 今日は時間あるの? ちょっと、お願いごとがあって…」


 言葉の途中で、灯りの蛍袋を受け取った途端、再び里見の姿が変化した。4歳くらいだった見た目が瞬く間に10歳程になる。

 幼気な丸っこいシルエットだったのが手足は若木のように細く伸び、井桁模様だった着物が縞模様に変わった。頼りないくらい細い首の上に乗っている顔も、ぐっと16歳の里見に似てきた。

 栗生は目の前で子どもの背が腰より低いところから胸下まで伸びても、ちっとも驚いていない。


「こちらも話したいことがあった。丁度いい。『花燈はなあかり』の『隠れ里』とやらの件、報告書が届いた。場所が九州北部のどこかの山の中、という曖昧にも程がある情報からよく探し出してくれたと思う。

 … …チッ。『知恵なきもの』達がうろつき始めた。移動するぞ」


 知恵なきもの、そのヒヤッとする響きに急いで周囲に意識を拡げる里見。まだ近くはないが、こちらへ進んでくる気配を捉える。里見が来た方向とは違うし、速度も遅々としている。2人がここにいると知って進んでいる訳ではなさそうだが、確かに移動した方がいいと里見も思う。

 手を上げろ、と栗生が里見に言うと、素直に従った里見の両脇に手を入れる。グイッと引っ張り上げて抱きかかえる。わわっ! と声を上げた里見が首に手を回してしっかり抱きつくと、栗生は己に身体強化の霊術を掛けて飛ぶように駆け出した。

 栗生の後ろ髪が山鳥の尾のようになびき、里見の着物の袂もヒラヒラと魚の尾鰭のようにはためく。真っ暗闇の中、風のように走り抜ける。

 しばらく走ると水音が聞こえ始めた。ザブン…、ザブン…、という寄せて返す波の音だった。

 バシャッと、栗生が片足で海を踏んだことで一度止まる。里見は降ろしてもらい、波が届かない所まで下がって腰をおろす。あいにく、光源は里見が持っている蛍袋だけだが、なんとなく周りの様子が掴める。

 素で感知能力の優れた里見だから何もせずとも『なんとなくわかる』のであって、他の生徒だったら術を用いなければわからないだろう。


「探し出した『隠れ里』、いや元隠れ里のことだが…。辿り着くまで、とてつもなく苦労させられたらしいぞ。獣道の先に中途半端に朽ちかけた人・動物両方向けの罠やら人避けの術、地脈をいじる術等々。里も森に飲み込まれかけていた、と聞いた」


 栗生が話し始めたのは、『花燈』に出てくるとある攻略対象たちの故郷を探してほしい、というこの春入学直前にした、里見の「お願い」のことだった。この攻略対象たちはゲームでは二部にならないと登場しないのだが、そのバックボーンは現時点で進行中だと気づき、前世の記憶からたどれる限り情報をたどって栗生に捜索を頼んだのだ。

 その二部の攻略対象たちの故郷のことを、彼らは『隠れ里』と呼んでいた。大昔に中国大陸からやってきた術師たちがつくった里で、その時々の権力者に術師の力を貸しながら隠れて暮らしていた。国家術師学校で教わるのとは流派の異なる霊術を受け継いできた里は、今から4年前に突如滅びることになる。住人の中で一番年若だった攻略対象たちだけ生き延びたのである。

 ここでこの攻略対象たちについて少し説明しよう。『花燈』では彼らは2人1組として扱われていた。外見は瓜二つ、ただしキャラクターボイスは別々。こう言うと、双子キャラなのか? と思うかもしれないが双子ではない。これには閉ざされた里の住人全員が親戚であり、攻略対象たちの親が近い血縁関係だったため、よく似た親戚同士というのは隠れ里ではよくあることだった、という解説がされていた。とにかく、同い年で、同じように成長し、同じように霊術の手ほどきを受けた攻略対象たち。おまけに外見まで同じ。

 彼らは故郷が焼かれた後、お互いだけを頼みに生きてきたが、やはり、孤児に対して世間は優しくなかった。やがて裏社会に足を踏み入れ、今日は食事にありつけたが明日はどうか保証はないという日々を送っていると、とある女に拾われる。攻略対象2人は、巨大な悪事を企む女の手先となり国家術師学校へ入学する。そこでヒロインと出会う。

 先程『2人1組』と言ったのは、彼らが入れ替わりながら学校で一生徒のフリをしているからと、ヒロインと結ばれなかった方は死んでしまうストーリーのせいである。ちなみに、どちらも選ばなかったら両方死ぬ。

 里見はそれを初めて知ったとき、乙女ゲームってメインキャラが死ぬことあるの!? と驚いた。悲恋エンド、BADエンドではよくある話らしかった。ついでに言うと、この2人は前世の上の姉のイチオシであった。上の姉は「どっちかなんて選べない。というか、2人を引き離すなんてできない。ヒロインといえどもこの双子(偽)の間に入るのは認められない」という理由で、母に迷いを聞いてもらい、一晩考え、どちらも選ばないことを選んだ。

 ちゃぷん、ちゃぷんと同じリズムで緩く繰り返される波の音を耳に入れながら、その記憶を思い出していた里見はなんだかしょっぱい気持ちになった。


「報告書からは約十世帯の民家、鍛錬場のような広場、家畜小屋、田畑等々がある小規模な村落だったことがわかる。そして、全体的に火事の痕跡が見られた、とあった。これもお前の言う通りだったな」

「俺の話が妄想じゃないって証明になったね。入学前はもしかしたら記憶違いかも、って思いも捨てきれなかったけど、学校生活を送っていく内に『花燈』で起きたことが実際に起きているから…」

「事前に防げたはずだと気に病むな。襲撃犯の正体までは知らないのだろう? 相当厳重な守りを重ねていた隠れ里を壊滅させた程の勢力だ。4年前の我々と、何人戦えたのか不明だが、隠れ里の住人では防げたかどうか」


 横に首を振り、栗生は否定する根拠を挙げる。未然に防げたかもしれない、と考えるのは転生した者の傲慢なのだろうか。


「既に潰れてしまったとはいえ、流石術師の隠れ里。得るものは数多くあった。来年には術師学校に現れるらしいが、一応生き延びた2人組の捜索もさせている。こちらからは以上だ。

 それで、頼み事とはなんだ?」

「ぅっ…。あの、前に言われたことは理解しているんだけど…」


 栗生に促され、しり込みしながら里見は友人たちに『魂の結びつき』のことを教えたいので許可をください、と頼む。

 それを聞いた栗生は3秒程考えると、特大のため息を吐き出した。


「どうしてお前は、そうなんだ… …」


 片手で軽く額を押さえる栗生の姿に、里見はやっぱり駄目だよね…、と前言撤回しようとする。しかし、先に栗生の方が口を開き、里見の考えていたのとは反対のことを言う。


「そういうことは、黙って話してしまえばいいんだ。どうせあと数年もすれば授業で習うか、自然と知る知識なんだからな。

 誰に似たんだろうな? そのクソ律儀な性格」

「えっ…?? む、矛盾してる…っ!」

「過保護な後見人との口約束と十代の円滑な友人関係だったら、後者の方が優先だろう」

「自分で過保護って言う?」

「俺自身の発言じゃないからな」


 唖然とする里見を平然と見下ろす栗生。性格が悪い。いや、里見が「クソ律儀」なのか。善良な少年は信頼した人間の言いつけを破るという考えが苦手のようだった。

 子どもっぽくむくれる里見を面白そうに見ていた栗生は里見の頭をぽんぽん、と撫でる。10歳の姿になっているので頭が丁度いい位置にあるのだ。


「いい友達ができたんだな」

「… …うん」

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