第8話 同期の絆

8-1 里見への疑問

 瑛梨と蒼羽子が対三百子姉妹同盟(名前は厳ついが方針は「無視する」一択)を結んで3日後。瑛梨の友人たちも加わって、女子2グループで程よく仲良く過ごすようになった。さて、本科一年生の空気感はどうなったか。

 なんというか、こっち側のオーラが強い。本科一年生にいる華族出身者が全員まとまっていると、そこに流れる空気が変わる。瑛梨、蒼羽子、籠池の女3人が華族の子女なのだが、揃うと自然に上流階級アッパークラス御用達のメーカーの名前が飛び出てきたり。芳根も富豪と言って間違いない資産家だった父に物質面、教育面共に豊かな暮らしを与えられて育ってきたので、混ざっても見劣りしない。

 オマケに、瑛梨がいるからか晶燁様(皇族のプリンス)がちょくちょくやってくるので、これまたノーブルな雰囲気が生まれ近寄り難くなる。


「内側から滲み出る品性ってやつなのかな。家柄の良さ、育ちの良さって誤魔化せないんだねぇ。ときどき目が奪われちゃうくらい絵になる場面に遭遇することがあるもん」

「… …そうじゃな。お前ぇさん見てるとそう思うわ」


 スンッ…、とした顔になった岩槻になぜ? と里見は思うが、それより地域伝承学の先生から借りた資料の方が気になるので受け流す。読んでいるのは東北地方の山間のとある異形について取り上げた過去のレポートである。

 9月半ばも過ぎ、次週から班ごとの発表が始まる。里見たちの班は予定通り準備が終わり余裕がある。他の班の中には、文量が少なかったり、調べて出てきた内容が丸のまま、「まとめ」がまとめになっていないところもあるらしい。


「水嶋のやつ。華族のお嬢さんらの輪におっても全く違和感を感じさせんの、自覚ないんか? アイツの、女子おなごらの中に混ざりに行ける精神はなんなん?」

「これは…、わかってなさそう…」

「帝都生まれがあんなのばっかだと思ったら誤解だからな。俺たちみたいなのが普通だから」

「それはわかっとるわ。アイツの知識量やら経験やらが、庶民に手が届くもんやないのもな。知っとるだけやのうて、水嶋の場合それを使いこなしとる」


『文化資本』という言葉がフランスで誕生するのは70年ほど先のことだが、『生まれ』と『手に入れられるもの』に深い関係があることは自然と理解されていた。上流階級に生まれた者は一般的に見て『価値のあるもの』を望まずとも与えられ、下流階級に生まれた者は有形無形限らず人生の中で財産と呼べるものを貯えることはできず、中流に生まれた者はそれなりに得るものがある。

 里見の家庭は中流家庭にあたるので、他人に疑問に思われるのも仕方ない。それくらい、里見の言動の中には上流階級並のものが見え隠れしているのだ。里見本人はひけらかすのはみっともない気がするので、その場に合わせて何をどれくらい表に出すか調節しているつもりなのだが。

 里見が身分以上のものを身につけている理由というか、原因は複数ある。一つは言わずもがな、前世の記憶があるから。フィギュアスケートに没頭していても勉強は大事、と思っていた前世の里見。真面目な少年だったので、今世でも小学校で習った「きらきら星」を英語で歌えるし弾くこともできる、中学校の古文の授業で暗記した「竹取物語」「平家物語」の冒頭を暗唱できる。こんな些細なことでも、この時代の小さい子どもが披露すれば神童扱いだ。『現代の記憶のファイル』を活用しまくれば日本の歴史を変えてしまえたかもしれない。

 さらに、母親から受けた家庭内教育の成果であるとも言えるだろう。結婚する前に没落し、里見は家名も聞いたことがないとはいえ留学までした元上流階級出身。

 あとは今世で若松家で色々学ばせてもらえたのも、ひとつある。


「でも何で若松さんのお家が他人の水嶋に? 5月くらいに一問一答形式で教えてくたことあったけど、正直君らの関係について、まだわかんないことだらけなんだよ」


 三郎は僕たちより知ってそうだけど、どうなの? と、他の者にも振る。伊井田がかねてからの疑問を口にする。

 伊井田は勉強より遊ぶ方が好きと言い、帝都の流行や有名人の話題に関心が高く、ときどき双子の妹の愚痴をこぼすのに妹に気がある素振りの男子がいれば探りを入れる、帝都育ちの十代の若者像の平均あたりにいる印象だ。あと、意外と気遣い屋で、自然と他人に気を配ることができる性格をしている。部屋長に選ばれたのは偶然だが、伊井田が選ばれてよかったな、という意見で同室一同で一致している。

 この質問も皆気にしていることを伊井田が代表して、という感じだ。


「いつか貧乏くじ引きそうな性格しとるな…」

「うるさいなあ、もう! コホン、それより、何で若松瑛梨さんだけじゃなくて彼女の家ぐるみで水嶋に親切なんだ?」


 なんだかやけに真面目な雰囲気になってしまっている、と里見は内心焦り始めた。里見のこういうとき困った顔を表に出さないところが、一部の人間から「気づいたら無表情」「内心で何を考えているやら」と言われる理由の一つになっている。

 悲しいことに里見は『誤解をとく』ということがすごぶる下手だった。約16年の短い前世から引き続きで。そんな自分のことをよくわかっていて、諦めている。前世今世を合わせて考えた末、人に親切にするのに人間関係を広げるのに消極的という姿勢に落ち着いた。

 術師学校に入学して、里見に瑛梨以外の同年代の友人ができたこと(里見は「友達ってどこからの範囲を指すんだろう?」と時折本気で悩む)を家族は大変喜んだ。なにせこれまで最も何も考えることなく友達だと言える相手が晶燁だったので。普通はド庶民が親王殿下を友達とは呼ばない。

 家族が喜んでくれたからだけではないく、里見自身も同室の皆とは仲良くしていきたいと思っている。だって皆いいやつらなのだ。

 ここで言い方を間違えたら、これまでの居心地のいい関係が壊れてしまう、と里見は察した。しかし友人関係構築技能を磨くことを諦めてきたため、何から説明しよう? 生まれる前の母親同士の関係から? と、ぐるぐるぐるぐる考えがまとまらない。たった数分間なのに沈黙を続ければ続ける程、部屋の中の雰囲気は悪い方向へ転がっていく。

 そのとき、弱り切った里見に救いの手を差し伸べる者がいた。岩槻である。


「前にもコイツが言うとったが、水嶋について深く教えてくれゆうことは、若松の私的な所に触れるっちゅうことにもなる。若松に許可を取らんとおえんのんじゃねえか?」


 まあ、待て、とストップをかけて、クイッと顎で里見を指す。手首に湿布を貼っているので動かさないようにしたのだろう。二学期になり、実技系の授業の内容が進むにつれて怪我をする生徒が増えたと思う。岩槻も今日の武術三種の時間に捻挫したのである。


「あとコイツは、どうやら自分のことを説明するんがおもっくそ下手みてぇじゃ。いっそ若松に同席してもらうか?」


 その提案は絶体絶命のところに与えられた助け舟のように里見には思えた。岩槻は目だけで、助かった…! と伝えてくる里見に気づき、しゃーねぇな、と嘆息する。頼れる男、岩槻三郎。子分の男子たち、里見、あと許嫁の少女など、この頼り甲斐があるところに惹かれる者は後を絶たない。

 里見は、瑛梨に話してからにしたい、と返事をしようとした。勾玉について聞かれたときと同じく。今は『魂の結びつき』、若松家で関わらせてもらっている事業には触れないで説明しよう、おそらくふわっふわな内容になると思うけど、と口を開きかけた。

 だが、伊井田は既に不承不承というような空気をまとっていた。まだ里見の答えを聞く前なのに。口元を真一文字に結び、ぐっと眉間に眉を寄せ不満を顕にしている。


「あ… …」


 もういい、と見限られる、拒絶されると思った。あるいは、あれも話せないこれも秘密という態度に怒りだすと。

 伊井田が椅子から立ち上がって詰め寄る。決定的な終わりの瞬間を想像して固まる里見に、指先を突きつけて伊井田が叱り飛ばすような勢いで言葉を放つ。


「僕は、若松さんじゃなくて! 君と! 仲良くなれたら、って思ってるんだ! あいだに誰も挟まないでくれ! もっと水嶋里見という人物について知りたい、んだ、から… … … …」


 最初は威勢のよかった伊井田がだんだんしりすぼみになっていく。同時に、カアッと赤面し目線もウロウロ彷徨わせる。思わず恥ずかしいセリフを吐いちゃった、という感じだ。

 伊井田がへなへなと蹲り、両手で顔を覆う。髪の毛の間から覗く耳が赤く染まっている。


「はっずかしい… …。穴があったら入りたい…」

「ちょっ、言った本人が照れるなよ!」

「うわぁー、顔真っ赤やで」


 部屋全体の空気感が、甘酸っぱくてこそばゆいものに変わっていた。

 見るなよっ! と顔を覆う手をどかしてもよそを向く伊井田は、赤面したらなかなか引かない質らしい。

 目の前で行われる会話をだんまりで眺める里見。というか、伊井田にセリフがじわじわ浸透してくるにつれ、里見の頬にも熱が集まってくる。赤く染まると無意識に手元の紙束を顔に持ってきて、目元より下を隠そうとしていた。なんとか言うべきことを絞り出す。


「あ、あ、明日の学校終わり…、時間ある?」

「いいよぉ…」

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