7-4 蒼い毒を誘い込む
「ちょっ、ちょっ、ちょっと! 早いっ、止まりなさい!」
「もう少しだから大人しくしてくれ」
「だから、止まりなさいって! どこへ行ってるのよ?」
「東門の橋」
「無断外出! あそこは一応学校外でしてよ!」
蒼羽子が耳元でキャンキャン叫ぼうとも、瑛梨はうるさそうに顔をしかめるが離しはしない。防音の術を使っているので少女一人分くらいの騒音なら周りに聞こえることはない、とこの子に言われた。
やけに真剣な表情で、蒼羽子をお姫様抱っこしたまま長い脚でスタスタスタと早足で進む瑛梨に「もぅ、なんなのよ…」と、蒼羽子はつかれてきた。
ちなみになぜお姫様抱っこなのかというと、窓からこっそり脱出しようとした際に外靴に履き替えてない、と悠長なことを言ってしまったからだった。
この時代の地面はむき出しで、現代のようにアスファルトで舗装されてない。お嬢様らしい、上靴が汚れることを気にする気持ちはわかる。また、その汚れた靴を洗うもの現代より手間であることだし。
しっかり抱えてくれる瑛梨の間近にある横顔を見る。私たち日本人と比べてはるかに高い鼻先。彫りが深くて立体感のある目元、そこに収まった綺麗な青い目。長い銀髪と相まって真冬の空に住む化生が舞い降りてきたような少女だと思っていた。今では中身は結構体育会系だったと知っているけど。
一体今日はなんなのだろ。変な同級生に言いがかりをつけられるわ、兄まで出てくるわ、こうして拉致されて授業を無断欠席するわ。思わず深々とため息をついてしまった。
「強引だったことは謝るよ。私たちの行動理由もちゃんと言うから、そっちが抱えてる事情も教えてくれないかい? 例えば、お兄さんとの関係とか」
ドキッと心臓が跳ねたような気がした。
この子、
言い返さなくてはと思うが、蒼羽子はすっかり疲れてしまっていた。藍蘭と口論になるといつもこうなのだ。イライラして、頭を掻きむしりたくなって、物を投げつけたくなって、最後にはドッと疲労感が残る。特にこの夏にされたことを、まだ乗り越えられてない今は。
「あっ!」
「蒼羽子様!」
自分を呼ぶ声に、無意識に俯いていた頭を持ち上げればいつも共に過ごす
まあ、予想はついていたことだわ、と内心で独り言ちる。若松瑛梨と水嶋里見の仲の良さは有名だから。将来の許嫁なのでは? 異母兄弟なのでは? 果ては、若松嬢は実は女装した美少年で、だからアレは男同士の親友なんじゃ!? という説まで出てきた。蒼羽子は異母兄弟説ならありえそう、と思った。
なんにせよこの2人が傍から見ていても特別な仲で、隠れて絵姿が出回るほど目の保養になることは確かなことだった。
橋の欄干に寄りかかっていた里見が、瑛梨に抱っこされたままの蒼羽子へ近づき、足元にしゃがむ。先に謝っておきます、少しだけ触るよ、と言うとぷらん、と宙に浮いている蒼羽子の踵の下にそっと左手を添わせ、右手で革靴を履かせる。反対の靴も同じように。
外出用の靴を履かせてもらったことで、ようやく瑛梨の腕の中から降ろしてもらえた。
つま先をじっと見下ろして考えてしまう。水嶋里見は足を掴むとき、一言断ってきた。力を入れないようそっと触ってきた。蒼羽子が立ってスカートを整えるまで顔を上げなかった。
男性に優しくされたのはいつぶりだろう?
「兄は、女に靴を履かせてあげたりなんて、考えつきもしない男なの。人に優しくするのは、そうすれば自分を良く見せることができるときだけ」
考えるより先に言葉がこぼれ落ちていた。
※※※※
「さっきは凄い罵ってしまったけど、兄は刑罰に問われるような極悪人というわけじゃないわ。殴る蹴るなどの、体罰はないの…。どう言えばぴったりかしら? 自己演出が人より過剰、という感じね」
蒼羽子がポツリポツリと話し始めた。5人で橋のたもとにかたまり、蒼羽子の話を聞く。蒼羽子は橋の下を流れる川面だけを見ながら語る。
この東門の橋と学校の者たちから呼ばれる場所は、東門から出て直ぐにある用水路に架かっている橋だ。術師学校の東側は田畑が広がっている。そこで使われる用の水である。川幅は80cm程、手すりのような落下防止の欄干がある。術師学校の生徒がよく待ち合わせに使う目印になっている。
「
離れて暮らす間に兄との距離感がどんどんこじれていった、と感じたことを覚えていますわ。母には手紙を書くのに私にはない。私から手紙を送っても返事がない。帝都のお屋敷へ帰ってきたとき、子どもだけ2人っきりになると意地の悪いことを言われる… …。
12歳のとき、とうとう母が儚くなり私も帝都に呼び戻されました。そこで待っていたのは、兄の根回しのせいで『各務原蒼羽子はワガママ娘』という先入観を持って私を見てくる人達の中で過ごさなくてはならない日々でした。
最初の頃、家の中にいるときの兄は、私が『今日の食事は辛めね』と言えば『食事が不味くて食べられない、と言っていた』、自室の掃除を自分でしていたら『部屋の隅にホコリが残ってた、と文句っを言っていた』というふうに、使用人たちに私の言動を悪い方向へ解釈して伝えだしたわ。そのうち兄が何も言わなくなっても、使用人たちは自然と私の言動を裏読みするようになった、というわけです。
外では自分の友人を通して私と交友を持ちそうな人間に、『妹は少しでも嫌なことがあると怒り出す癇癪持ち』『田舎くさいのを必死に隠しているがバレバレ』、そんなことを吹き込んでいたらしいの。
どの場合でも最後に『駄目な妹だが、仲良くしてやって欲しい』なんて言っておけば、
言い終わると蒼羽子は川面に歪んで映る自分の顔を虚ろな目で見つめる。
帝都に戻ってきてからの約3年間、蒼羽子は噂や偏見に振り回され続けた。今まで「兄の思い通りにさせてなるものか」という意地だけでやってこれた。筋が通らないことはしないないこと、華族の一員として優雅さを忘れないこと、という母の教えを大事にしていたら、家の使用人の中には、「家長である父と比べたら、子どもたちの優先順位は兄も妹も同列」という理論で影から手助けしてくれる者も現れてくれた。
この夏までは。
「… …夏季休暇中、何があったんだ? 君の…、激痩せした姿を見て凄く驚いたよ」
「『激痩せ』って、言葉遣いが悪くなってましてよ。貴女も華族令嬢でしょうに。
終業式が終わって、寮が閉じられた後… … … …、家へ着くと納戸に閉じ込められたの」
そこで、蒼羽子が言葉に詰まる。
里見と瑛梨は話を聞く合間々々で、目線だけで会話を交わす。
恐る恐る取り巻きの片方、どこか影が薄い印象の籠池凍乃が申し出る。
「あの、差し出がましいことを申します。私が代わりに説明いたしてもよろしいでしょうか」
取り巻きの2人は蒼羽子が話している間、申し訳なさそうな顔をしていた。部分的に、知っていることと初耳だったことが、両方あったのだろう。
2人は、これまで蒼羽子からはっきりと説明があったわけではなく、助けを求められたこともなかった。利害関係は釣り合っているが、心理的には曖昧なバランスで成り立っている関係という自覚があった。
「蒼羽子様は夏季休暇の間、ご自宅の一室に監禁されていたんです。食事も1人で取らされ、外部と接触すこともできず、何日も孤独に…。どうやら藍蘭さんがお父上にあることないこと吹き込んで、反省させるため、という理由でさせたことが使用人への聞き取りでわかりました」
「最初はね、西日が強い部屋に閉じ込められていたの。夕方になると、暑くて暑くて…。風を入れたくても格子窓が1つだけだったし、戸は開かないように外から抑えがしてあったし… …」
「倒れたんです、暑すぎて。水も自由に飲めなかった、と聞きました。倒れてからは自室に移ることができて。でも、出入りするときは見張りが着いてきて、って感じでした。二学期が始まる1週間前まで、体調が戻らなくってほぼ寝たきりですよ。それで、最後の7日、いや寮に帰る日を抜いて6日間で夏休み中の宿題一気に終わらせるとか、無茶ですって」
芳根史が引き継ぐ。蒼羽子が籠池と芳根に、つまり外部と連絡を取れるようになったのは8月の20日が過ぎた頃。強引に理由をつけて各務原家に行ったとき、2人とももっとちゃんと蒼羽子の家庭環境のことをたずねておけばよかった、と後悔したのだという。
やつれた面影、細く非力になった腕。ただ立っているだけでもしんどそうな蒼羽子の様子を見て、2人掛りで布団へ逆戻りさせたのだ。次の日から、看病と話し相手をするために各務原家へ通うことにした。
話を聞いた里見と瑛梨は絶句する。瑛梨は腕組みをして一瞬考え込む。
「… … あのクソ野郎」
「若松嬢、また言葉遣いが悪くなっています」
「… … 五感を遮断する霊術っていうのがあるんだけど、ソレをかけて樽に閉じ込めるっていうのは?」
「物騒!!」
「正直言って、藍蘭さんは一度誰からも相手にされなくなる、という経験をした方がよろしいかと」
「実に効果的だと思う」
各々好きに藍蘭の悪口を言う。
里見としては『花燈』の正統派イケメン攻略対象の本性にドン引きしていた。え? 前世ではこんなクズ男をカッコイイ! と持て囃してたの? と、前世の記憶分の心理的ダメージまで負っている。
「というか、そんなクズ男が学校では明朗闊達な熱血系として結構女子に人気なんだよな。詐欺師では?」
そうだった、藍蘭はゲームと同様に現実でも『見た目も性格もいい、カッコイイ男子』として人気が高いのだった。うわっ、鳥肌が立った。
不愉快な気分に囚われたままなのが嫌だったのか、瑛梨が話の流れを確認する。
「よしっ。とにかく君の悪評は、誇張されたものとして聞いたらいいんだね」
「単に『そんなことないと思うけど』って否定しても説得力が弱いから、悪印象を打ち消すような裏話があればいいんだけど。どう?」
「えっ? そ、そうですね? …蒼羽子様は書道を習っています。4月にあった書道展で賞を取るくらい、腕前がいいんですよ」
「お嬢様育ちだけど、お魚が捌けるんだよ。あと蛸を素手で触れる。役に立つ情報かわからないけど、先入観は覆せそうじゃない?」
「ちょっと止まりなさい、凍乃、史。そっちの2人も。
どういうつもりなのか理解できないわ。私の悪評を消して回る気なの? だいたい、私の言うことを信じれるの?」
これだけ暴露しておいて今更ですけど、と蒼羽子が問う。暴露したおかげですっきりした気持ちと、あっさり(蒼羽子にしてみれば)受け入れてくれたことに裏があるんじゃないかと疑う気持ちが同時に存在して身の置き場が定まらない。
里見と瑛梨はお互い横を向き、目配せしあうと、同時に「信じる」「信じるよ」と肯定の返事をする。
「貴方が嘘をついているようには見えない。
それに、各務原さんが子猫を囮にして異形を校内に侵入させた、っていう連中の言っていていた事は間違いだって知ってる。なんたって、真犯人の自白を聞かされたんだから。勝手に部室で子猫を飼っていたのは上野春菜と山本櫻子だ」
里見が春菜と櫻子の名前を出すと、蒼羽子たち3人は驚いた。そして、直ぐに納得がいった、という表情になる。事件現場が歴史探求部なのだ、特に異形への理解が未熟な一年生の部員、春菜、櫻子、加えて里見。この中に犯人がいると考える方が自然だ。
蒼羽子は低登山部所属だ。低登山部とは文字通り、「低い山を登る部活動」である。目安は登って休憩して降りるまでが長くて3時間、大仰な荷物がいらない、という点。籠池は手芸部、芳根は和楽器部だ。3人とも歴史探求部の部室に不自然なく入る方法がない。
里見と瑛梨は夏休み中に偶然、春菜の懺悔を聞かされたことを説明する。
「これで『各務原蒼羽子が異形侵入事件を引き起こした』という噂はデマだと否定できる。あとで花井たちに証言をお願いしないと。
既に『あだ名』が着いているのは、弱ったなぁ。『石楠花の毒』だっけ? 派手で豪華な、毒性のある花。うーん、悪いけど石楠花という花は、君の印象にピッタリなんだよね」
「石楠花かあ…、草花図鑑を探してみようか」
蒼羽子のイメージアップ計画を話し合う里見たち。蒼羽子の自分を信じるのか、という質問に是と答えた2人。
蒼羽子の堅い心の壁がグラグラ揺らぐ。歯を噛み締めていないと、目から熱いものが溢れそうになる。2人がちっとも手を引く気がないのがわかってしまったからだ。
それでもまだ、信用するには早い。里見と瑛梨は、蒼羽子に手を差し伸べる理由を説明していない。
「なぜ私を庇うのですか?」
「例えば、君が最低限の礼儀ってものをわかってる人間だからだ。そして案外、サッパリした部分があることも知っている。しょっちゅう三百子姉妹とぶつかり合って悪口合戦をしているけど、本人たちがいないところでは悪口を言ってないだろう。
細かく言っていくとキリがないけど、そういうところの積み重ねだね。君とあっちの彼女たちとの悪印象の差は」
そう言うと、瑛梨は背筋をピシッと伸ばし右手を前に出す。これは、握手を求めるポーズだ。顔には、涼やかな王子様めいた華やぎと策士のような不敵さを同居させた笑みを浮かべている。
その横にいる終始控えめな態度を取っていた里見が、大胆なことを言い出した。
このときの里見の誘い込むような目を、蒼羽子は終生忘れることはなかった。
「ねえ、各務原さんと瑛梨で手を組む、というのはどう?」
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