7-3 兄弟喧嘩

「余計な真似を… …。お兄様には関係のない話ですわ。こんな些事など放っておいて、次の授業の予習でもしていたらどうです?」


 明らかに蒼羽子の表情が歪む。苦虫を何匹もまとめて噛み潰したような顔だ。組んでいる両腕もぎゅっと強ばる。蒼羽子にとって藍蘭は、相性最悪の天敵であるとわかる。

 片や『花燈』では正統派イケメン枠の攻略対象、片やヘイトを集めるための悪役令嬢。兄妹なのに『花燈』のストーリー中で宛てがわれた立場が正反対に近い。アニメ版では蒼羽子は出番をガッツリ削られていたが、原作ゲームではしっかり悪役をしていた。里見の覚えている中では、藍蘭と蒼羽子が2人っきりで登場するシーンは見たことがない。もちろん兄と妹らしく家族愛を伺わせるような会話シーンも。アニメでは蒼羽子は、最初の二、三話だけセリフがあった以降はモブに等しい扱いだったし。

 まあ姉からの受動喫煙的ファンだったので、公式ホームページにショートストーリーが掲載されたり、コミカライズ作品のオマケや特典ペーパーにそういう『各務原兄妹についての何か』があったとしたら、里見としては把握しきれない。

 本科二年の教室側から出てきた藍蘭は蒼羽子の正面に立ち、蒼羽子のことを真っ直ぐ見ているが、蒼羽子は斜め下に視線を逸らして藍蘭のことを視界から外している。


「関係ない、ことはないだろう」


 ヤレヤレ、という仕草をする藍蘭。

 正義グループは先輩に場を譲り一歩下がる。

 里見の情報収集によるとこちらの藍蘭も『花燈』の攻略対象・藍蘭と同じで、『正義感が強い』『明るく社交的』『直情的で前向き』という意見が多かった。ちなみに、術師としての実力は『去年は剣術を修めていたのに、なぜか今年から槍術をやり始めた』『負けず嫌いな性格で、鍛錬には前向き。今はまだ突出したところはない』という評価だった。そのうち原作補正が働いて、帝都を脅かすラスボスを退治するのだと思う。

 里見が現実とは別の考え事をしている間、各務原兄妹の間では嫌味のぶつけ合いが行われていた。


「困った妹を持つと苦労するぜ。まったく。夏休み中に自分の言動を反省する時間はたっぷり与えたっていうのに。まだが足りていないようだな。

 お前の素行不良のことは、お父様に言う」

「は? … … … …。

 何様のつもりだ、こンの大嘘つきめ!! お父様に言ったらただじゃおかない!! その二枚舌アイロンで焼いて一枚にくっつけてやるわ!!」


 藍蘭に父親の名を出されると、蒼羽子は逸らしていた目線をバッと上げた。

 今まで被っていた仮面をかなぐり捨てて叫んでいる蒼羽子の姿に、周囲は震えおののいている。目をカッ開き、怒りの形相で目の前の兄を脅し、普段の水蜜のような声など思い出せなくなるドスの効いた声を出している。

 凄まじい勢いの蒼羽子を前に、藍蘭だけは全く動じない様子でいる。藍蘭は父親の存在に蒼羽子が弱いことを知っているのだろう。その辺、兄なら当然なのかもしれない。

 なんとなく、里見は蒼羽子の姿に引っかかるものを覚える。

 蒼羽子のまとう雰囲気に覚えがある気がして記憶の中を探ってみる。刺々しい空気、大きな声で噛みつく、虚勢、威嚇、強気を装う。本当は酷く怯えている、とか?

 思い出した。いつも行く外国人居留区の近くにある教会、そこで運営されている養育院にいる子の中で、里見は今の蒼羽子と同じ様な子どもを見たことがある。「うっせえ!」「関わるな!」など人を傷つける言葉をよく口にし、他人を寄せ付けないようにしていた。どうやら養育院に来る前はかなり荒んだ環境で育ったらしく、少しでも関わりが深くなった他人とは『攻撃するか、されるか』の関係しかない、という価値観が根付いてしまっていた。自己防衛本能から近づく人間へ威嚇する言動をとっていたのだ。

 今の蒼羽子の姿は、その男の子によく似ていた。つまり、蒼羽子は兄を、あるいは父親もひっくるめて『自分を傷つける人』と思っているということ? 里見の脳内に点滅するように『家庭内暴力』の文字が浮かんだ。

 あることを決心した里見は瑛梨に、周りに聞こえないようにして声をかける。耳を貸した瑛梨は最初は驚いたが、里見が本気だとわかると否やはなかった。


「… … … …ふむ、なぜなのか、理由は後で教えてくれるんだろうね?」

「約束する。さてと、… …いたいた。田島、ちょっといい?」


 俺? という顔で自分を指す田島に里見はなんでもないような、いつもの凪いだ湖面ような表情で話しかける。微妙に真意は伏せたままで。


「このままじゃいつまで経っても終わりそうにないから、強制的に切り上げさせようと思う。そこでさ、廊下一帯を煙幕の術で目くらまししてくれない?」

「?? できるけど、それでどうにかなるのか? あと、あの術は5色の煙が出る仕様だったが、改良を重ねて7色の煙が出せるようになったんだぜ」


 あ、そんなド派手にはしなくていいんだけど。田島の質問には、里見はイタズラっぽい笑みで返事をする。

 この日の放課後、寮に戻ったら里見は「もうちょっと説明があってもよかったんじゃないですかねぇ????」と、ド派手な術から誰がやったのかあっさり犯行がバレた田島に問い詰められることになる。田島の思いついたら実験してみたくなる性格と、まあいいか、と忠告しなかった里見の親しくなったが故の大雑把な判断の合わさった犠牲だった。

 さて、田島に準備してもらいつつ、瑛梨も移動してもらう。里見も目標を見失わないように確認する。


「いいこと!? アンタが薄皮一枚取り繕った本性、いつかきっと…ッて、キャアッ!? 何!?」


 辺り一帯に濃厚な7色の煙が立ち込める。赤、青、緑、黄、黒、紫、青緑。突然発生した奇天烈な煙に慌てる声がそこかしこで上がる。


「何だこれは!?」

「前が見えない! 痛いっ! 足踏まれた!」

「煙幕の術だ。長続きはしない」


 その言葉通り、煙幕の術は発生直後の濃密さの割に直ぐに晴れる。そして彼らが再び中心地に目を向けたとき、蒼羽子の姿はすっかり消えてしまっていた。


「なっ! どこへ行ったんだ!?」


 藍蘭が驚いて周りの人垣の中に妹の姿を探すが、蒼羽子はどこにもいない。

 特に憎々しげにしていた男子生徒が言い捨てる。


「ふんっ! 形勢不利とみて逃げ出したな! 『花糸撫子ハナイトナデシコの乙女』とまさに正反対の『石楠花シャクナゲの毒』。やはりその程度だったということだ!」


『石楠花の毒』。これが春菜に『花糸撫子の乙女』というあだ名が付けられた後、いつの間にか蒼羽子に付けられていた『あだ名』。中間考査以降広まった、「各務原蒼羽子は悪辣な性格の不浄な霊力の持ち主」という噂が根底にあるのか先にあだ名持ちのなった春菜との対比なのか、誰かが悪意を持って着けたのではないか、と思ってしまう『あだ名』であった。

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