7-2 ストーリーになかった断罪シーン

 教室に近づくにつれ、騒がしい空気になってきたことに里見も瑛梨も気づいた。近くにいた生徒に聞くと、どうやら廊下で揉め事が起きているらしい。ただし、殴り合いの喧嘩ではないくほぼ一方的な口論のよう。

 3、4人の男女が強い口調で捲し立てている。全員本科一年生だ。相手は1人の女子生徒、各務原かがみはら 蒼羽子そうこだった。

 対する蒼羽子は一人。相変わらず痩身だが少し頬に膨らみが戻り、髪に艶も出てきている。いつも一緒に行動している取り巻きは後ろに下がって野次馬の輪の最前列にいる。


「… …いつもお前は上野さんの行いに難癖をつけ、揚げ足を取ってきた。純真可憐な上野さんへの嫉妬からきた行動だということは明白だ」

「身分をかさに着て平民を見下す。お前のような人間がいるから、い組に連帯感が生まれないんだ! いつも他を思いやる彼女の優しさを見習え!」


 蒼羽子は右手を頬に当て、左手で右肘を支えている。はっきりと「困ったわねえ」というジェスチャーだ。


「さっきから、結局何が言いたいんですの? 私が異形をおびき寄せた? その理由が、上野さんと、オマケの山本さんへの嫌がらせ? まったく…、わたくしってそんなに頭が悪い人間に見られていたのねぇ。心外よ」


 蒼羽子は『意地悪な美少女』という評判に違わない、黒いオーラを出しながらため息をついた。冷酷な眼差しと唇からふぅっと吐き出させるため息の相乗効果で、対峙する何人かはビビって冷や汗をかく。

 複数の男女の敵意をほぼ一人で迎え撃っている蒼羽子は、きっとただ者じゃないのだろう。

 ゲーム内だったら「悪役令嬢ポジションだから」という説明で割り切れる。しかし、こうしてナマで生きている姿を見続けていると、それは特権階級に生まれた者としてそうあれと教えられてきたからであったり、自分の立場を守るために決して負けを認めてはいけない、勝つまで戦い続けるある種の意志の強さだったり、そういう推測ができる。

『花燈』のストーリーでは蒼羽子は本科二年生のときに大勢の前で兄の藍蘭あらんに強く叱責される場面があり、ショックを受けてそれ以降姿を消す。『花燈』を見ていたときの里見は、蒼羽子のことを特に注目していなかった。アニメに至っては登場シーンも削られ、影も薄かった。

 それが今はどうだろう。生きている蒼羽子は色々少女だと、里見は思うようになってきてはいないか。

 ただ…。


「廊下で断罪劇しないでよ…。通れない…。次の授業に遅れそう」


 蒼羽子陣営vs自称正義の陣営が、廊下のド真ん中に向かい合って立ってるせいで多大な交通渋滞ができている。


「こっちの出入り口からい組の教室に入って、向こうの戸から出るかい?」

「そうするしかないかなー」

「君たち、少しは目の前で起きてる出来事に興味を持って。学年で一、二を争う美少女の危機的状況に、野次馬根性くすぐられないの?」


 最初に「何かあったの?」とたずねた生徒に呆れられる。

 だって真相を知ってるし。異形が侵入したのは獲物子猫の存在に誘われたから。そして、子猫を部室に置いていたのは上野春菜と山本櫻子。

 待てよ、ということは今、蒼羽子は冤罪をかけられているということか。

 里見は春菜と櫻子がどこにいるのか探し始めた。自分たちに大いに関係している断罪劇だ、どこかで見ているはず。果たして、野次馬に埋もれる2人を発見した。里見のところからは顔は見えない。見覚えのある春菜のリボン飾り(2年前の秋に月達百貨店で販売されたもの。本当に月達百貨店のファンなのなだなあ)のおかげで見つけれたのだが、2人は目立たぬようにコソコソと蒼羽子らの成り行きを見守っていた。

 その姿を見て、春菜たちの立ち位置の意味を考えると、里見は己の中にある感情を司る部分の温度がスウッと絶対零度まで下がったのを感じた。

 まさか、黙っているつもりなのか。普段「性悪」「心が凍ってて思いやりってものがない」「世の中の常識を蔑ろにしている」と蒼羽子のことを非難しておきながら、それでは今の自分たちの行動はなんなのか。蒼羽子を非難している彼らの様子からして、春菜の自白を知っているわけではないのだろう。他人に自分たちの失敗の責任を擦り付けるとは!

 何が『花燈』のヒロインとその親友だ。そんなズル賢い選択をするつもりなら、もう二度と蒼羽子にも瑛梨にも誰に対しても、「私が正しい」などという態度を取るな!

 里見が信じ難い、という目で三百子姉妹を見ている間にも、蒼羽子を悪と決めつけた者たちは偉そうな姿勢を崩さない。蒼羽子も15歳という年齢に似合わぬ妖艶な微笑を浮かべ、挑発的な態度だ。

 自称正義の側にいた女子生徒(よく見たら女子はこの子一人だけだった)が勢いづけるように一歩前へ出て発言する。


「私知ってるんだから! あの頃の各務原さんの怪しい行動のこと!」


 蒼羽子がピクリ、と一瞬不自然な反応をした。

 それ見逃さなかったのか、間を置かず女子生徒は続ける。


「6月の猫の親子が保護された後、貴女は夜中に寮から出ていって物陰や生垣の周りを探っていた。まるで何かを探すみたいに。初夏の頃に女子寮の周りに幽霊が出るって噂が立ったことがあったわよね? あれは各務原さんのことだったのよ!」


 取り巻く人垣から、女子寮の幽霊ってどういう怪談話? 各務原さんが幽霊の正体!? マジでか!? とざわめく声が聞こえる。

 里見も驚いたが、それは周囲と少し違っていて、女子生徒が言ったコソ泥のような行動と、常に取り巻き2人を従え、無理が通れば道理が引っ込むを体現するような蒼羽子の普段の態度の落差にだった。


「…証拠はあるのかしら?」

「幽霊を調べに行った先輩の会話を聞いた子からの証言が証拠よ。夜中にコソコソと何をしてたのか、言えるものなら言ってみなさい! さあ!!」

「… … … … 」

「ほらみなさい!! 後暗いことがあるから言えないんでしょう!?」


 蒼羽子からの反論は出てこない。

 食ってかかる女子生徒の口許が、微かに持ち上がる。プライドの高い生意気な性格の同級生を貶める愉悦を隠そうとして失敗したのだ。自分たちの側が優位に立ったと思ったのか、今が好機と他の者も蒼羽子への批判を言い募る。


「これじゃあダメだな。興奮し過ぎていて、着地点を見失っている。責めること自体に夢中になってしまっている」

「各務原さんが謝罪したり泣き出したりしても、更に調子に乗りそう。先生や上級生は?」


 本科一年の教室は、本科二年の教室と横並びなのだ。本科三年は一つ上の階。騒ぎに気づいて見にきた二、三年生の多くは、野次馬の外縁より外から様子を伺っている。まるで全体を俯瞰的に観察する位置取りである。

 馬鹿騒ぎは同学年内で収めろ、ってことかな?

 うるさい硬直状態に陥って、これからどうなるのだろうか、と里見も瑛梨も予測できなくなってきた。そのとき、新たな人物が断罪劇の輪の中に飛び入り参加し、全員の注意をかっさらった。


「どういうことだ蒼羽子。また問題を起こしたのか!?」

「藍蘭お兄様!?」

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