6-4 私淑少女の激昂

 パシッーンッッ!!!!


 まさに茫然自失といった体で花井を見上げる春菜と、眉間に皺を寄せて見下す花井。花井のは、まだまだこれからであった。


「ぇ…????」

「あら、叩かれた理由がわからないという顔ね。理由は2つよ。お馬鹿さんにもわかるように説明できるか自信がないですが、教えて差し上げるわ」


 常に浮かべている柔和な笑みを消し去って、花井は右手をブラブラと振りながら告げる。普段花井は大人びたところのある女子生徒、勉強熱心な才女、裁縫上手、穏便を好む性格というイメージを持たれている。突然、何も言わずに手を上げたと聞けば、多くの人は何かの見間違いだろうと言うはずだ。


「1つ目は事ここに至って自分に何の責任もない、と思っているから。少しでも罪悪感感じていたら、よりにもよってこの場でバラそうなんて思わないでしょう? それ暴露して、私たちになんて言ってもらえると思っていたのかしら? 『可哀想だね』? 『あなたのせいじゃないよ』? あなたの馬鹿な悲しみに共感して、慰めてもらえるとでも思っていたの!?」


 花井の怒りの程は尋常ではない。マジギレだ。花井の背に流している長い髪の毛先が、彼女の感情に共鳴して昂った霊力によって揺らめく。

 岩槻と田島は怒りより、呆れの感情の方が強い。田島は花井が手を振り上げた辺りで静かに素早く席を離れ、東屋の背もたれの後ろに隠れていた。


「2つ目は個人的な理由から。私の命の恩人2人を危険に晒したせい! あなた瑛梨お嬢様にも、里見様にも、未だに謝罪していないでしょ! 、先生とご一緒だったから、、先生が部屋に入る前に異変に気づいたから無事だっただけ! 一歩間違えたら大怪我じゃすまなかったのよ!」


 叱責するごとに怒りのボルテージが上がってゆき、語気が強くなる。被害者になりかけた里見と瑛梨より、激昂している。もし、本当に怪我でも負っていたら春菜のことを殺しかねない勢いだ。

 誰も花井を止めようとしない。言っていることは至極真っ当なことだと思うからだ。


「もう時間が経ってしまっているから、今さら先生方に言ったりはしないけど。上野さんも山本さんも、重栖先輩と宮本先輩が監督不行届で叱られている場にいたよね。先輩たちの学生生活に泥を塗って、罪悪感はなかったの?」

「国家術師を目指すモンとして自覚に欠ける振る舞いじゃ。『異形のせい』っちゅう都合のいい逃げ道に逃げ込んどる」

「あと、余計なお世話だろうけど、子猫は牛乳じゃ育たねえんだ。消化できなくてお腹を壊す。それに、体温調節がまだ上手くできないから、付きっきりで見とかねえと。木箱にちり紙を敷いただけじゃ体温が下がって、遅かれ早かれ… …」

「余計なお世話ついでに言っておこう。保護された子猫と親猫は、皆引き取り先が見つかって元気に生きてるよ。君が浅い考えで隠した子だけが死んだんだ」


 春菜には次々と毒矢が降ってくるかのように感じられた。耐えきれなくなり、耳を塞いで身体を丸め縮こまる。少しでも自分を蝕む言葉を拒絶する。

 数分か、数十分か、しばらくそうしていると、溜め息を最後に全員東屋を去っていった。

 ようよう耳から両手を離しても「責任」「自覚が足りない」「危険に晒した」等々、花井たちの声が頭の中で繰り返される。深い海の貝になりたい、と春菜は現実逃避をしていたので人影が近づく気配に気づかなかった。

 いや、この人物なら春菜らが東屋に来る前からいて、誰にも見つからず隠れ続けることができるだろう。


「どうしたんじゃ? ほれ、顔をお上げなさい。ワシを覚えているかの? 学長先生じゃよ」


 ※※※※


 どんよりとした空気をまといながら中庭を後にした5人。チラチラ様子を見ながら先を行く岩槻と田島、激怒が憤りと遣る瀬さに移った様子の花井と、それを両側から挟む里見と瑛梨。さいわい誰とも出会うことがなかったからよかったものの、一目見て何事かあった後という雰囲気の集団になっていた。澱んだ空気を払拭しようと瑛梨が一つ手を叩く。


「ハア…、よし! 全員ウチにおいで。ふかふかなソファとシャンデリアがある洋間で、美味しいアフターヌーンティーと洒落込んで気分転換しよう」

「庭の百日紅サルスベリとプルメリアが見える部屋? ロカが描いた魚の絵が飾ってある? どうせなら、金輪屋きんりんやのフルーツロールを買って帰ろうよ。そうすればサクも元気出る?」


 里見も瑛梨に乗っかる。単純な手だが、美味しいお茶と茶菓子で精神的ダメージを回復できたら、という考えだ。若松家の邸宅・翠瓦邸は、趣向を凝らした和4:洋6くらいの和洋折衷建築なので、目も十分楽しませられると思う。


「瑛梨お嬢様ったら…。だんだん思考が鷹川に感化されてきていませんか?

 里見様も、お気遣いくださりありがとうございます。ただ、…その憂い顔で上目遣いのポーズをされますと、私には効果抜群なので真っ直ぐ立っていただけますか」


 腰に手を当てて堂々と言い切る瑛梨に、花井がクスッと笑った。


「もう。お嬢様呼びは辞めるようにって言っただろ? … …君は独り立ちしたんだ。今までみたいに守ることはできなくなった私たちに、奉公人のような態度は止してくれ」

「申し訳ございません。今日だけお許しくださいませ」


 仕方ないねぇ、と諦める瑛梨だった。花井がとても頑固な性格をしていることは、彼女が兄と2人で養育院にやってきたとき以来、よく知っていたから。


「ワシらもか?」

「フルーツロールは嫌い?」

「ここは大人しくご馳走になっとこうぜ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る