6-5 霞桜のごとき美少年
9月1日、新学期だ。始業式が大講堂で行われた。教室で久々に顔を合わせた男子の友人たちは真っ黒に日焼けしていたり髪型が変わっていたり、少し変わっていた。女子は日に焼けた肌に悲鳴をあげ、男子はより黒くなっている方が強いと勝負している。
里見も髪が伸びた、と言われることが多かった。一学期までは中途半端な長さになってきた髪を後ろで一つ結びにし、短くてパラパラ落ちてくる横髪はヘアピンで留めるようにしていた。ただ、男子はヘアピン禁止という先生(本科一年生の授業は担当していない)がいたので授業外ではうるさく言われないよう、結紐もヘアピンも外していた。
この世界、ヘアゴムはまだないがヘアピンは数種類存在しているし、結構安価。簪、リボン、バレッタやコームといったアクセサリーも庶民が手にしやすいものが売られている。既製品の
さすが『花燈』の世界。乙女ゲームの登場人物にとって髪型は顔面と同じかそれ以上に重要、という強い意志が働いている気がする。
里見は現在は一つ結びをする前提に髪を整えたのでいい感じなっている。使っているの結紐は黒色の簡素なものだが、全然緩んだりしない。凄い。瑛梨からのプレゼントなので大切に使おうと思う。
一方、お前どうしたと聞きたくなったけど、聞いていいものか一瞬迷ったのは坂本。全く日焼けしていない。むしろ帰省するといって寮を出たときより白くなっている。「ずーっと山ん中で修行しとった」と本人は説明しているのが更に謎を深くしている。山って??
岩槻が子分(入学式に里見を上野原公園まで尾行してきた男子生徒子たち)に「「ご無沙汰しとりました! 地元の土産です、どうぞ!」」と挨拶されていたり、伊井田が「これ妹の道着!」と言って隣の教室へ行ったり。
「ねえさっき聞いたんだけど、編入生が来るんだって!」
「本当?」
「男かな、女かな?」
「というかどっちの組に?」
「い組かろ組かは、わからなかった!」
きゃっきゃっと、どこからか情報を仕入れた女子集団が盛り上がっているのが聞こえてきた里見は、ああ、今日だったのか、と思い出していた。
※※※※
隣のろ組から楽しそうな声が聞こえてくる度に、あっちの組になりたかったなぁ、と思うのも何度目だろうか。
い組でも再会した者同士でお土産交換など行われているのだが、ろ組ほど盛り上がってはいない。
瑛梨と吾妻、花井は帰省していた鷹川から「はい、コレー! 里の染織家さんの染めた絹糸なんだよ〜。家にあった糸を、ちょっとだけ分けてもらったんだぁ。八重ちゃんたちにあげる!」と言って、少量ずつの染め糸を貰った。薄桃色から紫色まで4色が揃っていて、並べると綺麗なグラデーションだ。
鷹川はお土産を渡した後もろ組に帰らない。もうしばらくい組にいるつもりである。
「ところで〜。あそこって、何事?」
「ダイエット…だとしたら、痩せすぎよねぇ」
鷹川が言葉と一緒に指先を向けた方向は真ん中の列の〜あたり。その席の人物の様子を伺っている生徒は他にもいる。
「各務原さん、激変しちゃってる。 ガリガリじゃんか」
各務原蒼羽子が背もたれに身体を預け、いつもの取り巻き2人に心配そうに声をかけられ、それに気怠そうなうなづきで返事をしていた。顔色は青白く、カサついた病的な印象を受ける。悪い意味で元気一杯だった一学期の面影はない。以前の蒼羽子ならやつれた様など意地でも隠し通していたはず。
予鈴が鳴った。話題を中断し、鷹川はろ組に帰ってゆく。
カァーンカァーンと本鈴が鳴り、教室に入ってきた野々村先生は始業式で着用していた国家術師部隊の制服姿のままだった。なぜか酷く緊張していて、目線が揺れまくっている。いや、理由を知れば先生を馬鹿にはできまい。
「全員席に着け。… …新学期が始まるにあたって大事なお知らせがある。い組に、編入生が加わることになった。お前たち、決して失礼のないように!」
言い終わるのを見計らったように、廊下から一人の少年が入ってくる。ただ普通に歩いているだけなのに、一挙手一投足で視線を集める。教室の全ての人間が言葉を失い、その少年に見蕩れてしまっていた。
教卓の横に立ち止まり、姿勢を正したベストタイミングで野々村先生は編入生の紹介を始める。さすが生徒らとは違う経験豊富な大人だ、と感心するなかれ。朝の職員会議で編入生の正体を知らされてから、何度もこの場面の脳内シュミレーションを行っていなかったら噛みまくっていた自信がある。
「今日から新たに本科一年い組に席を置くことが決まった、
女子生徒のほとんどは先生の話が聞こえていなかった。いや、男子も半分ほど呆けている。
霞桜の精と言われても信じられる、気品があり、どこか儚い雰囲気をまとう繊細に活けられた
噂の編入生とは今上天皇陛下の5番目の男子、晶燁様だった。
※※※※
始業式の日は午前中で学校が終わる。まあ、入学式の日とだいたい同じだ。運動部の者は午後、夏休み中の成果を確かめるといって、みっちり扱かれるのだろう。
里見は男子寮の台所で、夕食までの繋ぎ兼タンパク質摂取が目的のゆで玉子を用意しているところだった。同室者だと坂本、伊井田が、あと瑛梨もこっそり来そう、と考えながら塩と卵を入れた小鍋に卵がかぶるくらい水を入れる。
沸騰したら7分計る。調理時によく使う砂時計を用意する。5分計が終わる手前で3分計をスタートさせればほぼ7分、固茹で玉子ができるだろう。
沸騰するまでの間、黄身が中心にくるようにぐるぐる菜箸でかき混ぜる。別に片寄ってても誰も気にしないと思うが、これは里見の好みの問題のようなものだった。
「だーれだ?」
「うーん、誰だろう?」
突如、背後から人に目隠しをされる。くすくす笑いかながらお決まりのセリフを述べ、遊びに誘うが、里見はわからないフリをする。
本当は足音や気配で接近してくることに気づいていたし、こうして目隠ししているのは誰なのかもわかっている。相手がすっかり声変わりをしていたのには驚いたが。実は直接声を聞くのは数年ぶりなのだ。
里見が振り向こうと動くと、自然と目を覆っていた両手が外される。果たして背後に立っていたのは、想像通り晶燁様だった。
「フフフ、僕の方が背が高ーい。やったね。
3年ぶりくらいだったっけ? もうちょっと感動の再会らしい反応ちょうだいよ」
「晶燁様にとってはそうでしょうが、こちらにとってはそうではなかったので。帝都では日々、何かしら皇室の方々の話題が上がります。久しい、という感じはあまりしませんね」
「… …その敬語はなーにー? もう僕らは友達じゃないの?」
ぷくっと頬を膨らませ唇を尖らせた拗ね顔で、晶燁は不満を訴える。似たような状況が4月にもあったな、と里見は思い出す。
「あき君…、って呼べばいい?」
里見が返事をすると、ニコッと花咲くような笑みで晶燁は肯定する。非常に愛らしく、かつあざとい。
「何つくってるの?」
「ゆで玉子」
「10個も!? 何人分なのさ」
「半分くらいは味付け玉子にするから」
背後から覗き込む晶燁をお世話係らしい男子生徒が弱腰な態度で注意するが、「これくらい見逃して」と言われ黙る。確かい組の玉井という男子生徒だったと記憶している。殿下の通学にお付きの人員なしはありえないよな、と納得する。
手伝いたそうにしていた晶燁と一緒にえっちらおっちら卵の殻を剥く。里見が2個剥く間に晶燁が1個、「おやめ下さい晶燁様!」と言う玉井に「手伝う人が増えたら殻剥きも早く終わるよ?」と誘う。玉井の速度は晶燁と変わらなかったし、なんなら白身が欠けまくった。
一番ボロボロのゆで玉子を選び、包丁で二等分する。小皿にのせて差し出す。
「はい、お手伝いした人の特権」
いただきます、と言ってパクッといく晶燁と違って、素直に受け取らない玉井の態度を面白いと思いながら見ていると、台所に練習終わりの者たちが顔をのぞかせにきて一気に騒がしくなる。
ゆで玉子は少し深い皿に山盛りにして配膳台に置いておく。あっ、と里見は麦茶のヤカンを忘れるところだった、と思い出す。
ちなみに瑛梨は勝手口からこっそり受け取って、外に丸椅子を出して頂いていた。
※※※※
本日の食堂のメニューは肉うどん(関西風)と中華風たれの揚げカレイ定食。約1ヶ月半ぶりの食堂の味が懐かしい。
いただきます、と手を合わせて挨拶をしたところで瑛梨、ついでに里見を事務員が呼びにきた。岩槻や吾妻たちに昼食を見ておいてほしいと頼んで正門の方へ早歩きで行く。「うどんにしなくてよかったね」「私はもう麺類を頼むのがこわい」と言い合いながら足を動かす。外靴に履き替える必要があるので、正門までまっすぐ向かえない。
到着すると、いたのは若松家翠瓦邸の下男だった。よほど急いで来たのか、肩で息をしている。
「どうしたんだ?! 緊急の用事か?」
「緊急です。ええ、ッき、緊急事態です! ハァ、ハァ… …。ご、ご、ご当主様がお帰りになられると手紙が届きました!!」
海外に出ていた瑛梨の祖父、若松漸輔が帰ってくる。
それを聞いた里見と瑛梨は、一瞬だけ竜巻がこちらへ向かってくる光景を幻視した。
「それは…」
「忙しくなるぞ…」
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