6-3 二人一組の術

 春菜は落ち着かない様子でモジモジしている。春菜は櫻子という盾がいない状況で、怖い人たちの中にいた。

 暴力的な瑛梨は言わずもがな、里見は女子寮に入るなんて常識外れなことをする、何を考えているかわからない人。岩槻という男子は年上の藍蘭より身体が大きくてこわい。花井は瑛梨と仲がいいので春菜の味方にはならないだろう。もう1人のよく喋る男子は名前もわからない。

 生活が劇的に変化した入学以後、それまで箱入り娘だった春菜も少しは成長していた。誰が味方で誰がそうでないかを見分ける力が育っていた。これは少数の自分に好意的な人間しか周りにいなかったときには培われることのなかった能力だ。

 1人だけ浴衣に名古屋帯の着物姿なのも気になってしまう。涼し気な色の雪輪と蔦の模様。下には長襦袢を着ているし、半幅帯ではなく名古屋帯を締めているので、ちゃんと夏着物風になっている。街中なら気にしなくても大丈夫だろう。

 ただし、今いるのは術師学校なわけで。明文化されてないが校内で活動する場合は制服で、という暗黙のルールがある。休暇中に立ち寄るだけだったり、すぐに別の用事があるときなど、制服じゃなくても許される場合もあるが。

 藍蘭に助けてもらうまで名前も学年も知らない上級生にそのことを怒られて、春菜はすっかり悄気しょげ返ってしまっていた。

 そんなこと、春菜は知らなかったのに。知らなかったために起きた失敗を責めるのは、なんだか間違いのような気がするのだ。


 ※※※※


「ところで、今日はどんな術の練習をするつもりできたんだ? 今の時期はまだ大したことは習ってないはず、だろ?」


 藍蘭が疑問に思うのも当然である。確かに普通なら具体的な術らしい術を習う前だが、一学期終了間際にろ組では少しだけ、と言って担任から『護衣ごい』『護壁ごへき』の術について教わっているのだ。今日はそれに挑戦してみるつもりだった。

 まず『護衣』とは、身体を覆うように霊力の膜を張る守りの術だ。『護衣』は物理攻撃は防げない。『護衣』は異形の生み出す『瘴気』を防ぐ防護服のような術である。

 ちなみに瘴気とは、異形が生み出す汚染された空気のようなもの、と考えたらだいたいあっている。瘴気にあたり続けると目眩や吐き気を筆頭に、様々な体調不良を引き起こす。人間以外にも、植物や動物も悪影響を受ける。

 続いて『護壁』とは、自分以外の物に『護衣』を張る術のことを言う。どちらも霊力操作の延長線上の術にあたる。


「なるほどな。予備知識はちゃんと身に付いているみたいだし、実際にやってみるか!」

「あ、私と彼はできるようになっています。ただ、二人一組で、ですし、速さはありませんけど。

 全くの初めてはこの3人です」


 瑛梨の言葉に藍蘭は驚く。


「『護衣』の術は、本科二年で習う術だぞ? 本当にできるのなら、実演してくれないか?」


 わかりました、と声を揃えて2人は返事をする。

 お手伝いに花井を選び、半円の中心地点に移動してもらう。花井の左右に里見と瑛梨も位置取る。

 その間に偽の瘴気に見立てた煙が出る香炉を用意してもらう。香炉からモクモクと煙が生まれ、あっという間に視界が陰るほど部屋中に煙が満ちてくる。


「いい?」

「ああ、大丈夫だよ。

 花井は座ってるだけでいいんだけど、もし変な感じがしたらすぐ言ってくれ」


 こくん、と花井がうなづくと2人は術式を開始した。


「『護壁-縦糸-』」


 瑛梨がスッと手を縦に払うように動かすと、等間隔に細い霊力の糸が生みだされた。糸は花井を筒形にぐるりと囲んでいる。


「『護壁-横糸-』」


 次は里見が唱える。里見は人差し指を立てて、横に滑らす。またもや細い霊力の糸が生まれ、瑛梨の霊力の糸と垂直に交わる。横糸は上下々々と縦糸の間を進み、高速で壁を織り上げてゆく。里見と瑛梨は二人一組で術を行使する際に必要な共有イメージとして、機織り機を選んだ。

 最後に花井の頭上に空いてある口をキュッと絞れば完成。瑛梨が唱えてから20秒後には花井を覆う織物のような膜ができあがった。

 ここは練習室内だから薄物うすもののような『護壁』が視認できるが、外だったら完全に見えない。煙は『護壁』を境に完全にシャットアウトされている。花井が空気が綺麗になった内側から『護壁』に触れてみる。指の腹でそっと触ろうとすると、指の形に合わせて膜がくにゅっと変形して触れることができない。

「凄い…」「スゲエや」と花井たちが感心する声をもらす。パチパチパチ、と藍蘭が笑顔で手を叩く。


「凄いじゃないか! うん、破綻も隙間もない『護壁』だ。よくやったな!」


 藍蘭は両手を伸ばし、2人の頭をやや荒っぽく撫でた。『花燈』で「フレンドリーで爽やかイケメン」と称された藍蘭っぽい行動だ。実際の人物はこうと決めたら空気が読めなかったり、人との距離感が近かったりするところがあるようだが、ただ根明ネアカなだけなのかもしれない。春菜というフィルター越しに見て、警戒し過ぎていたかもしれない、と里見は考えた。

 その後は岩槻、田島、花井、春菜が練習し、里見、瑛梨、藍蘭が教えに回るかたちで過ごした。終わる頃には、花井と岩槻、春菜は『護衣』を、反対に田島は『護壁』が小範囲で使えるようになっていた。


 ※※※※


 カーテンを閉めた室内から出ると、明暗差に一瞬だけくらり、と目が回る感覚がした。

 練習室は鍵が付いていない(外から閉めるタイプになっており、戸締りの人がくるまで日中は開けっ放し)が鍵を返す代わりに、使用後は部屋番号書かれた木の板を返しに行かなくてはならない。これは藍蘭が買ってでてくれた。先輩に後片付けをさせることに気が引けたが、「友達同士の練習に横入りしたみたいなモノだからな。そのお詫びだ」と言われたのでお願いすることにした。

 さて、ここで解散するか、せっかくだからもう少し一緒に過ごすか、春菜が「中庭で休憩しない?」と言ったことで後者になった。

 中庭は憩いの場として整えられている。植えられている植物は少ないが、春には芝桜が咲いてて綺麗な眺めだった。

 6人は座席が二辺だけの四角い東屋に腰を落ち着けると、自然と夏休み中の出来事や宿題の進み具合についての話が始まる。

 春菜も、花井と田島と普通に会話できている。練習を通じて里見と瑛梨に対しても、わざとらしくすら思える怯えるような態度を取らなくなり、周囲から反感を買う言動は櫻子から影響を受けていたため、という可能性も里見の中に浮かんできた。


「身分と霊力に相関関係がある、なんて言われていますが、生徒の中には華族出身の人間は少ないんですよ。もし本当ならもっと身分の高い方たちがいないと不自然でしょう? 私たち学年には3人だけ。二つ上では藤崎という人ひとりだけです」

「えっ、そうだったの! 知らなかった…。裕福そうな人イコール華族様じゃないのね」


 今日わかったことは、春菜が相当な箱入り娘だということ、そしてその自覚が乏しいことだった。

 田島がふと今は何もない東屋の周りを見て記憶に引っかかったことを口にする。


「前、ここって青色とか青紫色のとんがった形の花が咲いてなかったか?」

「6月にディルフィニウムが咲いていたっけ。それのことかな?」

「たぶん。

 あっ! 6月といえば、歴探部の部室って使えるようになったのか?」


 田島が春菜と里見、歴史探究部の2人にたずねる。

 途端に春菜がビクッと肩を跳ねさせたので、全員の目がそちらへ集まる。突如、春菜の目にはじわじわと涙が浮かんでくる。


「え? え? 俺何かマズいこと聞いちゃった!?」

「ぶ、部室は元の状態に戻ったよ。鍵だけは没収されたままだけど」

「上野さん、どうしたのか、言えるかしら?」


 花井が背中がゆっくり撫でながら聞くと、春菜はハンカチで目元を押さえ落ち着きを取り戻す。


「驚かせてしまって、ごめんなさい。あのときの事を思い出したらショックで…」

「ああ、君は荒れた室内を見たんだったね。血溜まりができるほど、と里見から聞いているよ。なかなかショッキングな光景だったんだろう」

「そ、それだけ、じゃないの。

 女子寮に野良猫が入り込んで、出産していたことを覚えている? 実は私たち… …」


 ハンカチをギュッと強く握りしめたまま、春菜は告白を始めた。

 春菜は女子寮の野良猫騒動のとき、一匹だけ子猫を保健所に渡さなかった。たまたま巣箱から逃げ出していて取りこぼされていた子猫。この子を櫻子と2人で部室に隠し、育てようと決める。木箱にちり紙を敷き、牛乳をあげてお世話をした。放課後以外もこっそり様子を見に行けるようにしようと考えて、1ヶ所だけ窓の鍵を開けておいた。まさか、そこから異形が入るなんて。


「あの後から、あの子の姿がなくって。い、異形に殺されてしまったんだわ…。可哀想に! とても小さくて、産まれたばかりなのに! 異形のせいで!」


 春菜の告白が終わると他の者は沈黙し、嗚咽を堪える春菜の声だけが響く。

 花井は春菜の背から手を離し、おもむろに立ち上がった。そして、高く右手を持ち上げる。


 パシッーンッッ!!!!


 振り下ろした右手は、あやまたず春菜の頬を打った。叩かれた反動で傾いた春菜は片手をつき身体を支えると、ぎこちない動きで頬を押さえ、呆然と花井を見上げる。

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