6-2 自主練習中に遭遇
暑さ寒さも彼岸まで、と言う。秋のお彼岸はあと1ヶ月ほど先。鍛練に励む者たちの熱気が充満する道場内は、汗が止まらないくらい暑かった。監視員の生徒(学校が募集する校内アルバイト。賃金が出る)がこまめに「休憩は外で! 水分補給を忘れないように!」と注意を呼びかけている。父のお見舞いで行った静岡の高原とは大違いである。
一学期に教わった体術の反復練習を終えた里見は、岩槻と田島と一緒に日陰で休んでいた。瑛梨と花井、女子たちの着替えが終わるのを待っている。
男子3人は建物の裏にある水場でザバっと頭だけ水を浴び、手ぬぐいで汗を拭い、その場でちゃっちゃと道着から制服へ着替えていた。公共の場でのマナー意識? そんなものは一時的に入道雲の向こうへ放り投げていた。
「そういえば、土産に持たせてくれとったヤツな、好評じゃったよ。気持ちが落ち着く、言うとった。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
モグモグ。昼食のおにぎり(梅とおかかと塩むすび)を食べながらゆったり会話を交わす。ちなみにおにぎりは瑛梨と里見が5人分持ってきた。
岩槻が言っているのは帰省する際、色々選んでたお土産の内、妊娠中の義姉へのもののことだった。里見もアドバイスをしたのだ。何をお土産にしたかというと、リンデンとカモミールのハーブティーのブレンド。
「リンデンとカモミール以外にも山黄鳥の尾って薬草も少量入ってて、
地方から来ている生徒が長期休みになるとお土産選びに精を出すのは術師学校の風物詩であった。そして再び帝都に戻る際、両手一杯の手土産を持たされるのも。
岩槻も例に漏れずで、地元で美味しいと人気の米と麦の合わせ味噌(里見のリクエスト)を持ってきていた。
道場でしっかり身体を動かした後、塩分を食べたらきっと美味しいだろうに。なぜ味噌もおにぎりもあるのに、塗って焼いてはいけないのか。みりんと料理酒があれば。なかば本気で里見は、食堂に行ってみたい誘惑に負けそうだった。
「おふくろへは華やかなモンで、義姉へは地味な見た目のモンにしたんも上手くいった思うわ」
「ちゃんと許嫁さんからって言った?」
言うた、意外そうじゃったが嬉しそうでもあった、と岩槻が応える。
「許嫁か〜。許嫁ってどんな感じ?」
岩槻は一瞬考えると喋り始めた。
「声も身体もちいそうて
「ああぁーー、そうかー。なるほどー。
俺は『将来の結婚相手がもう決まってるのってどんな感じ?』って意味で聞いたつもりだったんだわ。まさか、許嫁本人のことを説明してくれるとは」
「なっ!! い、今のは忘れぇ!」
「フッフッフ、硬派な岩槻の意外な一面を見てしまったなあ!」
「実は内心、許嫁さんのこと自慢したかった、とか? 『この可愛い女の人が自分の許嫁!』って思ってるんでしょ?」
「やかましいわ!」
とうとう実力行使に出た岩槻に、田島と里見は左右の両脇に抱え込まれ締め上げられる。ワイワイふざけあっていると半袖セーラー服に着替えた瑛梨と花井が戻ってきた。
「何をしていますの?」
「うーん、岩槻の恋バナ、かな?」
まあ、と花井が口元に手のひらを当てて、驚いたわ、というポーズをとる。そして、「素敵ね」と微笑みを向けられた岩槻は、里見と田島の頭をはたくのだった。それはまあ、照れ隠しでしかない。
※※※※
あらかじめ予約していた基礎霊術練習室に5人で移動する。
練習室は洋風の戸を開けると靴脱ぎ場があり、襖の向こうには八畳の部屋がある造りだ。壁際の二段棚(扉などがなく、支柱と横板だけのラックと呼ばれるタイプの棚)にはたっぷり砂が入った箱や茶道で用いられる風炉のようなもの、花器のように水を張るための口の広さと深みがある焼き物の器など色々と置いてある。
この部屋は特別な造りになっている。壁や天井に仕込まれている術の力で室内では霊力が可視化する仕様なのだ。
「練習室五は…、っとココだ」
田島が事務室で受け取った『練習室 五 』と書かれた木の板を壁の差し込み口に入れておく。これで使用中とわかるようになっている。順々に上履きを脱ぎ、先頭の田島が襖を開いた。
中に人がいた。
華奢な着物姿の女子と、彼女を後ろから抱きしめるような格好の男子がいた。
言わずもがな、女子は春菜だった。
後方から見ている里見には、2番目に入室した瑛梨の纏う空気がガクッと下がったように感じた。
そして、今回のお相手は各務原藍蘭のようだ。
「… … … …あ、前に使ってた人たちですか? スイマセン、時間なんで代わってもらえると、ありがたいんですけど〜」
「あー、いや。俺たちも今来たばかりなんだ」
は? どういう意味だろう?
藍蘭の明るく軽い笑み付きの説明によると、何やら廊下で上級生に叱られている子を見つけ、近寄ってみると知っている女子生徒だった。いじめられている春菜を救出し、丁度この練習室が空室だったので隠れさせてもらっていた。ひどく怯えていた春菜の気を紛らわせようと、何をしていたのか聞いてみると術の練習をしにきたところ、先程の上級生に服装や練習室を使うときの規則についてネチネチ嫌味ったらしく言われたのだという。藍蘭は可哀想に思い、元気づけようと思って春菜をハグしていたら、本来練習室五を使う予定の田島たちが襖を開けた、ということになる。
「いや〜、驚かせてすまない! お詫びに君たちの練習を見てあげよう。俺は君たちより1年分先輩だからな、頼りにしてくれ!」
晴れ晴れと笑顔で里見たちの練習に参加すると言った藍蘭。田島や花井が、先輩のお手をお借りする程のことでは、とか、上野さんを送って行かれなくもよろしいので? とか、やんわり断ろうとするが藍蘭は引かない。
本科一年生の中では、春菜(+櫻子とセット)は取り扱い要注意となっているし、三百子姉妹はなぜか義理堅さと闊達さをバランスよく備えた性格の瑛梨を怒らせるのが得意というのは有名な話。
今も瑛梨は、春菜の方を見ないようにしながら、しかし静かに警戒心を高めている。春菜の視界になるべく里見を入れないようにする位置に立っているのは、5月の遠足と6月のお菓子づくりのときに里見を侮辱するような発言をしたことを忘れていないからだった。
残念だが、いざこざを未然に防ぐための努力は、自分のペースで話を進める先輩によって実を結ばなかった。
※※※※
7人が半円形状に腰を下ろす。出入ち口から見て奥を12時とすると、12時の位置に藍蘭、1時に岩槻、その隣に花井と瑛梨。逆側の11時の位置に春菜、10時の位置に田島、9時に里見、という席順になった。瑛梨と里見が春菜から一番遠くになっている。
藍蘭が岩槻と話していると、隣になった田島が春菜に話題を振る。ついつい太鼓持ちのようなことをしてしまう性の男だった。しかし、初対面の女子に対して振れる話題は少なく、無難に
春菜の着ているのは蔦模様と雪輪模様が濃淡がある葡萄色で描かれた浴衣だった。蔦模様は優美さを、ぽんぽんぽんと散りばめられた雪輪模様が可愛らしさを感じさせる柄である。麗しさと愛らしさの両立を目指した、瑛梨の父親が社長を務める
「月達百貨店は可愛い品がたくさんあって、1番好きなお店よ」と春菜は言う。里見もその可愛い品々の製作に関わった者の1人として、単純に嬉しい言葉である。
「いつもお母様と一緒に行くわ」「よく見ると洋風な蔦模様なの」「一緒にオススメされた髪留めも買っちゃった」等々、田島の話術に乗せられて口の回りがどんどんよくなっていく。蔦模様を辿るように、春菜は視線を膝元へ落とす。手触りのいいサラサラした生地を撫でながら、大きくはない声で言葉を続ける。
「どうして人の好きな物を貶すことができるんだろう。いつもあんな風に人の粗探しをしているのかしら。見るからに意地悪そうな人だったもの」
「ん〜?? そ、そう言われても…」
「間違えてしまったものはしょうがないでしょ。誰かに注意されたら、『次からは気をつけます。ご教授くださり、ありがとうございました』って言うしか…。決定的な失敗という程のものじゃないしね」
「でも…、そんな決まりがあったなんて、教えてもらわなかったんだもの…」
里見が一応励ますつもりでこう言うと、予想外の『でも』。春菜は里見の言葉を批判として受け取っていた。まさか…。
「さっき言ってた先輩に注意された、ってときも、今みたいに、『でも』って言って反論したの?」
春菜は紫紺色の目を真ん丸にして、キョトンとした顔をつくった。驚いたとしてもその中身は、「何でその場にいなかったのに会話の内容がわかったの?」ではない。
「私、なんて言ったかしら。そうかもしれないわ…。」
思い出そうとしているのか、小首を傾げる。
普通、ついさっきされた涙ぐむ程の説教の詳細をこうも綺麗さっぱり脳内から追い出すものだろうか。この様子では、叱った上級生の顔も忘れていそうだ。その思考回路に里見たち5人はドン引きだった。
春菜の中では叱られたという点、不愉快に感じた心だけが強く印象に残り、どうすればよかったのか? という部分が欠けていた。欠けていた、というより、そこまで思索が深まっていないというべきか。
なぜか藍蘭だけは春菜の肩を持って、「うるせえ説教とか、一々覚えとけないよな。ウチもさぁ、口達者な妹がいるんだけど… …」などと喋り始めた。
「まあ、一年生の内は大目に見てくれるじゃろう。失敗したから知る機会に恵まれた、とも言えるかもしれん。
そんじゃあ、そろそろ取り掛かろうでぇ」
夏なのにうっすら寒気が漂い始めた空気の中、親分肌気質を発揮した岩槻が促したことで、ぎこちなくも練習を始めようという雰囲気になった。
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