4-4 い組とろ組の仲間意識の差
瑛梨が忙しくなった理由を知れたのは、食堂に入る前に瑛梨の同室者の吾妻と花井から教えてもらったからだ。瑛梨が自分に代わって説明を頼んだのだ。どうやら、明日から3日間、瑛梨は蒼羽子の命令で櫻子の勉強を見ることになったという。その準備をしに、今日は寮の自室に早めに戻りたかったらしい。
時間は遡り、里見が図書館へ瑛梨を誘って断られた後、い組では蒼羽子vs櫻子vs瑛梨の構図が展開されていた。つなげると三角形になるような、それぞれ同じくらいの距離を置いて三点に立っている。
なお春菜だけ図書館へ行っていて不在。「早く終わらせてくれ」「アァ、ついに若松さんも機嫌が悪くなった」「というか元凶はどこ行った」同級生たちはコソコソ囁きあっていた。
「それで、わたしたちにパシリでもさせようっての?」
「ふふふっ、山本さんってば使いっ走りになりたいの? 犬みたいねぇ。犬に、猪に、象に、猿に、あなたって例える動物がたくさんいて面白いわ」
「な〜ん〜で〜すってぇ〜!!」
「早くしてくれ」
櫻子は今にも地団駄を踏みそうな勢いだ。腕を組んで立つ瑛梨は、無表情でありながら苛立ちを顕にするという器用なことをしていた。
勝者の蒼羽子は表面上は上品そうな笑顔をつくっていたが、意地の悪さが滲み出てくるようなセリフをはく。意地悪だが、美人だ。密なまつ毛に縁取られた瞳がキュッと細められると蠱惑的な魅力が溢れ出る。しっとり艶やかな黒髪をきつくし過ぎず結い上げ、横に分けて流した前髪が曲線的な美しさを演出している。
垢抜けない櫻子が対峙すると雲泥の差である。
ちなみに今年の流行色は薄葡萄色、蒲公英色等であった。花井はハンカチにワンポイント刺繍を入れる小遣い稼ぎで儲けていた。
「何にするかは、もう決めていますの。山本さんには『7月の掃除当番を私の分まですること』。
若松さんには…」
そこまで言いかけたところで、空気を読まないと評判の図像学の教師が顔だけ教室に突っ込んできた。
「山本櫻子はいるか〜? 4日後の放課後に補習するぞ。1位だった各務原は山本の勉強を見てやること。それじゃあな」
言うだけ言って去る。本当に空気を読む気がゼロ。
流れをぶった切られた蒼羽子は無表情になり沈黙してしまった。仕方なしに瑛梨から問いかける。
「そ、それで私には何を命じるんだい?」
「… … … …若松さんは『私の代わりに山本さんの勉強の面倒を見る』、これでどうかしら」
「えっ!」
こうして瑛梨は櫻子の補習のための勉強に付き合うことになった。級友たちは目だけで遠くから「ドンマイ」と応援しておいた。
※※※※
テスト明けから4日後、この日の里見は朝から様子がおかしかった。珍しく朝の準備に手間取ったり、授業中も心ここに在らずといった様子で当てられて慌てる始末だった。
「水嶋のやつ大丈夫なんか? 今日は朝からバタバタしてて、いつもの余裕がないゆーか、落ち着きがないとゆーか」
「何かを失くしてしもうた、言うてたけど」
「誰か聞いてみる?」
「誰がじゃ?」
こっそり相談しあう里見の同室者たち。誰が様子のおかしい里見に突撃するか、目で、お前が行け、イヤお前が行け、と押し付けあう。出会ってから約2ヶ月、水嶋里見という少年の性格が親切で献身的で謙虚ということ、高い対人能力を持っているということを知った。にもかかわらず自分のことを多く語らない内向的なところもあり、里見は自分のことをよくわかってくれている、けれど自分は里見のことをちゃんと理解できているのか? という疑問が頭をよぎってしまうのだ。
男子らがモタモタしている内に、気さくで活発な性格の女子たちの集団が里見に話しかける。
「どうかしたの? 今日は調子悪そうね?」
「体調が優れないなら、早退してもいいと思うわよ?」
「気圧の変化で頭痛がする方? 雨降りそうだもんね」
ワラワラと里見の机の周りに集まって質問を飛ばす。本当の体調不良者だったらもっとゆっくり話しかけてくれ、と願うところだ。しかし、彼女たちからしたらこれでも大人しめに話している方なのだ。悲しいすれ違い。
「体調不良じゃないから大丈夫。心配してくれてありがとう」
こう言えば引いてくれるだろう、と考えて里見が返事をするが、予想に反して彼女たちは納得してくれない。こういうときは女子の方が強い。里見がうっせぇわ! と跳ね除けられない性格をしているためとも言える。
「うーん、水嶋くんって調子悪いとき、いかにもそう言いそう」
「ワケを言わず、引き下がってくれることを望んでいる感じがする。私たちじゃ力になれない?」
「少々難しい話になっても全然いいのよ。いつも水嶋くんには助けられているのだから」
それを聞いて里見はキョトン、とした顔になる。「助けられている」と言われても特に心当たりがないのだ。里見が素直に、どういう意味かよくわからない、と言うと女子たちは呆れ半分で教えてくれた。
「そうねー、例えば男子と女子の架け橋になってくれたり。すごく助かってる。ろ組は男女に連帯感があるって言われたの」
「山路先生がデッサンがお上手で板書をわかりやすく工夫されてらっしゃることだって、気づけたのも水嶋くんのおかげよね。じゃなかったら、山路先生にずっと苦手意識があったかもしれないわ」
「わたしはね、朝と夜に体操する習慣をつけたら身体が軽くなった気がするの。身体の中でちゃんと気や血が巡ってる感じがする! 朝日で体内時計を正すとか、自律神経を整えるとかって、こういう感じなのか! って思ったの」
女子たちが去るまで気配を消つもりだった前の席の男子も、空気に乗っかる。すると次々と後に続く。
「僕も、この前筆箱忘れたとき鉛筆とか貸してくれたじゃん。その後別の日もまた筆箱を忘れたとき、筆記用具一式が入った筆箱ごと貸してくれたよね。いいの? って聞くと『人に貸す用だから』って言われてビックリしたんだけど」
「外泊届けの書き方を寮長に聞きに行くときに付いてきてくれてありがとう。一人じゃ先輩の部屋に行くのは恐くてムリでした」
「夜中こっそりおにぎりつくってくれたの、ありがとう。腹減って死ぬところだった」
等々、同級生たちが今こそとばかりに里見にお礼を言う。里見としては、自分の持つ道徳心に従っただけなのだ。つまり、その場でありがとうの一言がもらえれば十分で、人前で褒められようとは思ってなかった。
里見という人間は前世も含めて、ストイックな努力家の側面がある。ときどき限界を超えていることに無自覚。
これは前世で人の何倍も努力しなければ届かない、世界レベルの舞台で勝負することを目指していたこと、今世では幼い頃から瑛梨のおじいさまに目をつけられて若松家の事業の手伝い・家事・祖母の介護・勉強等々のマルチタスクを請け負ってきたことで形成されたスタンスである。
「そんなこと…。やれることをやっただけ、だから。お節介かなぁ、とも思ったこともあったし。
俺のしたことが皆の助けになってたのなら、お礼の代わりに、別の困ってる人に手を差し伸べてあげてほしい」
里見がこう言うと、皆が目が眩んだようなリアクションをする。有難い説法を聞いたような、美しい極楽浄土の絵画を見たような、そんな雰囲気が漂い始めた。
「聖人君子かよ… …」
「聖母マリア様かもよ… …」
「なんて清廉… …」
「え、ちょっと待って。あれ? 新たな誤解が生まれたような」
里見が困惑していると、伊井田がポンポンと肩を叩きながら里見を促す。
「ねえ、次の困ってる人、って水嶋も当てはまるんじゃない? もう、何があったのか話しちゃわない?」
「… …負けました。本当にちょっとしたことなんだよ?
寮でネックレスを落としたみたいで。色々な加護が込められてる、お守り代わりのものだから早く見つけたいんだけど… 」
「よし、寮に戻るで」
「ちょっと待てぇ。どんな形なんかわかっとるんか」
「どんなんなん?」
「黒い勾玉がついてて、紐は革製。寝るときに持って寝ちゃったからベッドの周りに落ちてると思う…」
よっしゃわかった、と言った坂本が、全て言い終わる前の里見の手を引いて教室から寮までダッシュで移動する。岩槻たちも寮の自室に戻ってきて里見の失せ物捜索が始まり、布団をめくったり家具の隙間を覗き込んだり、最終的に勾玉の首飾りはベッドのマットレスを持ち上げたら見つかった。
首飾りを、正確には勾玉を見た坂本が驚く。
「えっらい強い護りの術がかかっとる呪具やな! え、毎日着けとったんよな?全然気づかんかった」
「俺個人に合わせて用意してもらった特別仕様で、術の力の方向性が内向きだからかも。所持していることを隠蔽する術もかかってるって説明されたっけ」
「水嶋はどうしてそんな凄い物を使ってるんだ?」
至極当然の質問をされた里見は言い淀む。同室の皆は信じられる良い奴らだが、『魂の結びつき』の説明をすることは里見だけじゃなく、瑛梨のプライバシーにも抵触することだからだ。おじさんにも無闇に口外しないように言われている。
「あっ、何か事情があるんやな。せやったら話さんでええで。コレが水嶋にとって、失くしたら困るモンやってことがわかっただけで十分や」
「待って話したい、んだけど… …、保護者に相談してからでもいい?」
「報告・連絡・相談がきちんと守れてる。偉い」
「勝手な行動はしない、というこの安心感よ」
直ぐさま里見は手紙でおじさんにお伺いを立てた。里見が水嶋家の親族及び若松家の人間以外と、それも同世代の少年たちと交流を深めようとしていると知った例のおじさんは親戚として喜び、国家術師としては特異な体質について説明するのは慎重になった方がいいと諭した。おじさんの説明によれば、『魂の結びつき』を含む霊魂関連の現象について授業で扱うのは本科三年生の予定らしい。一年生の内は説明を受けてもピンとこない部分もあるから、三年生になるまで待ちなさい、と。瑛梨は反対にいいよ、と許可した。
ダメと言われたことをショボンとしながら岩槻たちに伝えると、『弓張月』の中華まんを奢られて慰められた。
「うううぅぅ」
「そんなに落ち込むなって。ほら帝都一の中華まんを食って元気出せって」
「自分が開発に関わった商品で元気づけられようとしている…。どんな顔して受け取ったらいいのかわからない…」
「予想外すぎる理由で、こっちもどんな顔したらいいのかわかんなくなったよ」
「お前今までどういう人生送ってきたの???」
余談。里見が勾玉を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます