第5話 子猫とお菓子づくり
5-1 女子寮の野良猫騒動
猫を飼ったことがある人は、4月から6月にかけて猫は春の出産を迎えることを知っているだろう。猫は1回の出産で4〜8匹産む。
6月第1週の今日この頃、女子寮ではどこからかやってきた野良猫がこっそり住みつき、子猫を出産していたことが発覚した。ミーミー、と鳴き声がすると複数の生徒が言い出したので隈なく捜索したところ、寮全体と外壁はつながっているが外に向かって出入り口がある物置部屋に住処をつくっていたのである。雌の親猫1匹と子猫が4匹。
主に出身地が帝都以外の生徒の間から、女子寮で飼おう、という意見も出た。一見動物とか嫌いそうなあの蒼羽子でさえ子猫の愛らしさに心を撃ち抜かれ、率先して昔住んでいた港町で行われていた地域猫活動について説明したりしていた。
だが問題がある。帝都には『野良動物防止条例』が施行されていることだ。大々的に公布されているわけではないので興味がなかったら帝都生まれでも知らない人もいる。この条例は帝都ではペットを逃がしたり、野良猫・野良犬、鳩や雀などにむやみに餌をあげたりしないように、と呼びかける目的がある。要するに野外で活動する動物をなくそう、という取り組みだ。見つけたら保健所に連絡して引き取ってもらわなくてはいけない。理由は異形がそういった野良ペットを餌とみなし、人の生活圏内に異形が侵入するからだ。
それでも、外に出していた生ゴミを狙う野鳥は見かけるし今回のように野良猫は隠れて生息している。異形を退治する側の国家術師養成学校でこの決まりを破るわけにはいかず、程なくして保健所から担当者がやってきて子猫と親猫は女子寮からいなくなった。
「
「帝都民としては当たり前のことだったけど、可哀想に思う人を見てると、…少しね。… …今度ある譲渡会に行ってみようかしら? 実家のお店にチラシも置かせてもらって、里親探しをしているって知ってもらえば、誰かに引き取ってもらえるかもしれないわ」
吾妻八重の家は出前とお持ち帰り専門の料理屋を営んでいる。様々な場所に出入りする機会を利用できないか、と考えていた。
「可哀想… …。保健所に連れて行かれるってことは、… …そういうことよね。里親が見つかっても避妊手術なんてされて、赤ちゃんが産めなくなってしまうって。
せめてこの子だけでも… …」
1匹だけ、生徒たちからも保健所の職員の目からも逃れた子猫がいた。コロン、と転がって、たまたま物置部屋の荷物の隙間に隠れてしまっていた子猫を見つけた生徒は、とても優しい性格をしていたのでこっそり匿うことにした。言わずもがな、上野春菜である。
ちなみに、女子寮で起きた数年に1回はある小さな騒動について男子寮まで伝わったのは、猫たちが引き取られた後のことだった。
※※※※
6月中旬になり、冬服から夏服への移行期間が終わった頃。雲が厚く風が出る日は、半袖から露出したところが少し肌寒い。
「梅雨入りだな」
「ですねぇ」
「この時期になると梅仕事の手伝いがあるんだが、お前らのところはどうだ? うちは毎年梅シロップをつくっている」
「あれ? 梅酒じゃないんですか?」
「他は人気がないんだよ」
「我が家でもそうですよ。梅シロップで手羽先を煮たの、美味しくって、大皿でもすぐなくなります」
「お、美味そうだな。梅と言えば奈良時代の『万葉集』では花とは梅のことを指していたのが、平安時代の『古今和歌集』では… …」
顧問の梅に関する豆知識を聞きながら、両手に椅子を抱えて歴史探究部の部室へ歩く。里見は4月の部活勧誘で面白そうだと思った歴史探究部に入った。本日は毎学期に1回ずつある学内向けの軽い発表会の準備をしている。
瑛梨も部外者だが椅子運びを買って出た。ちなみに瑛梨は仮入部の段階では剣道部と箱庭創作部に入ってみて、順当に剣道部に正式入部した。
箱庭創作部ってどんな感じなんだろう? すごく気になる。
歴史探究部ははっきり言って、いつの時代もいる歴史好きが集まって各々好きな歴史上の人物や事件について調べて好奇心を満たす、趣味の部活だ。
顧問(剣士。室内でも帯刀している)は担当教科は数学。部長(専科二年)は身長155cmの剣士志望、副部長(同じく専科二年)は身長181cmの薙刀使い、歴探部の凸凹コンビと呼ばれている。次期部長(専科一年)も同じく薙刀使いのメガネ美人。深い意味はないけど上層部が前衛揃いだ。
毎年かろうじて1人は入部する、という小規模部活である歴史探究部が、今年はなんと3人新入部員が入った。快挙だ! と沸き立ったらしい。1人は里見、残る2人はなんと春菜と櫻子だ。遠足後に行われた新入部員歓迎会で初めて知ったときは大いに驚いた。中間考査で瑛梨が因縁を吹っ掛けられた件が原因で、里見の中でこの2人の株は底辺を這っている。
今日の発表会の準備も一年生3人で、と言われていたのに、里見がい組に行くと春菜と櫻子は先に教室を出たという。運悪く入れ違いになったのかな、と思って手伝いに立候補した瑛梨と一緒に備品等が保管されている空き教室に行ったが2人はいない。里見は職員室に部室と空き教室の鍵を借りに行き、どちらも持ち出されていないことを知ると、ああ、あの2人はサボる気なのか、と察した。
里見がモヤモヤしていたところを職員室で顧問に声を掛けられた。新入部員1人と部外者で準備をするのは大変だろうと、顧問の先生も準備を手伝うことにし、今に至る。
一旦椅子を脇に置いて部室の鍵を開けた顧問。なぜか鍵を差した格好のまま動きを止める。
「先生? どうしたんですか?」
「… …お前ら、荷物を置いて下がれ。静かにな」
何が起きているのかわからないまま、言われた通りに行動する。なるべく音を立てずに両手に持った椅子を下ろす。
顧問が腰の得物を抜く。部室の戸には足を引っ掛ける。
室内に何かがいるのか! 里見と瑛梨は顧問のただならぬ様子から非常事態を察する。おそらく… …異形がいるのだ。
「非常用の釣鐘はわかるな? 行け!!」
顧問の有無を言わせぬ鋭い号令に脊髄で反応して、里見と瑛梨は走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます